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私を見てよ!!
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「え!? 妹さんがゲーム配信してたの!?」
昼休み、誰もいない図書室の隅。不知火の声が少しだけ大きくなった。慌てて周囲を見回すが、幸い誰もいない。
「それって、もしかして京極くんがいつも見てるって言ってた……」
「ああ、そうだ」
俺は小さく頷いた。不知火は驚いた表情のまま、しばらく固まっている。
「すごい偶然だね……というか、妹さん、そんなことしてたんだ」
「俺だって昨日まで知らなかったよ」
ため息をつく。頭の中ではまだ、昨夜見た涼香の配信部屋の光景が渦巻いている。あの防音材だらけの部屋。あの真剣な横顔。壁一面に貼られた俺の写真。そして、画面の中で動いていた『さすまた』のアバター。
「でもさ、京極くん……」
不知火が少し考え込むような表情で言った。
「妹さん、すごく頑張ってるんだね。配信って、見るのは簡単だけど、やる方は大変なんでしょ? しかも登録者50万人って、プロレベルじゃない」
「……ああ、そうだな」
そう言われて初めて、俺は気づいた。涼香がどれだけの時間を配信に費やしているのか。どれだけの努力をしているのか。俺はただ「楽しい配信」として消費していただけだ。
「ねえ、京極くん」
不知火が真剣な顔で俺を見た。
「このこと、内緒にしといてあげてね。妹さん、きっと誰にも言えなくて大変だったと思うから」
「……ああ、もちろん」
「じゃあ、私たちの秘密だね」
不知火がそう言って、優しく微笑んだ。その笑顔に、少しだけ心が軽くなった気がした。
でも同時に、胸の奥に重たいものが残る。
涼香は、どんな気持ちで俺の前でVTuberをやっていたんだろう。俺が毎日『さすまた』の配信を見て、褒めちぎって、スーパーチャットまで投げていたことを知りながら。配信中に何度も「お兄ちゃん」と呟きながら。
「京極くん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫。ちょっと考え事してた」
「そっか……まあ、ゆっくり考えればいいよ。家族のことだもんね」
不知火のその言葉が、妙に胸に刺さった。
※ ※ ※
「なあ、今日ゲーセン寄っていかね?」
放課後、優作がカバンを肩にかけながら誘ってきた。
一瞬、断ろうかと思った。家に帰って、涼香と話をするべきかもしれない。昨日は結局、お互い感情的になっただけで、何も解決していない。
でも――今、涼香と顔を合わせる勇気がなかった。
「……ああ、行くわ」
「おっ、マジか! じゃあ行こうぜ!」
優作の明るい声に背中を押されるように、俺は校門を出た。
ゲームセンターは駅前の雑居ビルの三階にある。平日の夕方だから、そこまで混んでいない。俺たちはまず格闘ゲームの筐体に向かった。
「よっしゃ、今日こそお前に勝つぜ!」
「無理無理。お前じゃ百年早い」
軽口を叩きながら、コントローラーを握る。キャラ選択画面で、俺はいつものメインキャラを選ぼうとして――手が止まった。
このキャラ、昨日の『さすまた』の配信で涼香が使ってたやつだ。
『お兄ちゃんならこのキャラ使うよね』って、配信で言ってた。
「おい、どうした? 早く選べよ」
「あ、ああ……」
俺は慌てて別のキャラを選んだ。
対戦が始まる。画面の中でキャラクターが激しく動き回る。コンボを繋げて、必殺技を出して、ガードを崩す。いつもなら夢中になれる時間なのに、今日はどこか上の空だった。
「よっしゃ! 勝った! お前、今日調子悪いな」
「……ちょっと疲れてるだけだ」
「そっか。まあ、もう一回やろうぜ」
それから三回ほど対戦して、クレーンゲームで適当に遊んで、結局三時間近く道草を食ってしまった。外に出ると、すっかり日が暮れている。
「じゃあな、健星。また明日」
「ああ、また明日」
優作と別れて、俺は一人で家路についた。
スマホを取り出して、配信アプリを開く。『さすまた』のチャンネルを見ると――「休止中」の表示が出ていた。
ああ、そうか。今日は配信してないのか。
いつもならこの時間、涼香は配信の準備をしているはずだ。でも今日は違う。俺が正体を知ってしまったから。俺のせいで、涼香の大切な時間を奪ってしまったのかもしれない。
胸が重い。
※ ※ ※
家に着くと、玄関は静かだった。
「ただいま」
小さく声をかけるが、返事はない。リビングに明かりはついているが、誰もいないようだ。
俺は二階に上がり、自分の部屋に入った。カバンを床に置いて、ベッドに倒れ込む。
天井を見つめながら、今日一日のことを考える。不知火との会話。優作とのゲーム。そして、ずっと頭の片隅にあった涼香のこと。
スマホを取り出して、また配信アプリを開く。『さすまた』のアーカイブがずらりと並んでいる。一週間前の配信。二週間前の配信。一ヶ月前の配信。
全部、涼香の声だったんだ。
全部、涼香の笑顔だったんだ。
画面の中のアバターは可愛らしく笑っているけれど、その向こうにいるのは、俺を「死ね」と罵る妹だ。
……いや、違う。
本当にそうなのか?
涼香は本当に、俺のことを嫌ってるのか?
昨夜、涼香は言った。「謝りに来た」と。あんなに素直じゃない涼香が、わざわざ俺の部屋まで来て。
そして、「お兄ちゃんしかいない」とも言った。
でも、結局喧嘩になって、何も解決しなかった。
「……バカかよ、俺」
自嘲気味に呟いて、スマホを閉じる。
喉が渇いた。水でも飲もう。
部屋を出て階段を降りる。一階は相変わらず静かだ。母さんはまだ買い物か何かで出かけているのかもしれない。
キッチンで麦茶を注いで、一気に飲み干す。冷たい液体が喉を通って、少しだけ頭がすっきりした。
リビングのドアが開く音がした。
振り向くと――涼香がそこに立っていた。
ピンクのパーカーに短パン。眼鏡をかけて、髪は適当に結んである。学校で見る完璧な涼香とは違う、ラフな格好。家の中だけで見せる、本当の涼香。
目が合う。
涼香の表情は、いつもの不機嫌そうな顔とは違って――どこか沈んでいた。
「……お帰りなさい、お兄ちゃん」
ぽつりと、小さな声。丁寧な口調。
「ああ……ただいま」
気まずい沈黙が流れる。
俺は何か言うべきなのか。でも、何を言えばいいのか分からない。
「あの、お兄ちゃん」
涼香が先に口を開いた。優等生のような丁寧な言葉遣い。でも、その声は震えている。
「なんだよ」
「お兄ちゃんは……何も思わないの?」
「何がだよ」
「私がVTuberやってたこと。お兄ちゃんが好きだって言ってたVTuberが、私だったってこと。配信で『お兄ちゃん』って何度も言ってたこと」
涼香の声は、少し震えていた。
「……思うところはある」
正直に答える。嘘をついても仕方ない。
「じゃあ、なんで――」
涼香が一歩、こちらに近づく。優雅な仕草だが、その瞳は揺れている。
「なんで私を罵ったりしないの? 軽蔑とかしないの? 気持ち悪いとか、思わないの?」
その瞳は、少しだけ潤んでいた。
「私、お兄ちゃんを騙してたんだよ? お兄ちゃんが毎日見てる配信が私だって知ってて、スーパーチャットもらってて、お兄ちゃんの部屋にカメラまでつけて、それでも黙ってて――」
「それがどうした」
俺は静かに言った。
「お前は血が繋がってなくても、俺の妹だ。家族同然の妹を軽蔑したりなんてするわけないだろ」
「――っ」
涼香の目が大きく見開かれる。優等生の仮面が、一瞬だけ崩れた。
「お前は俺の大事な妹だ。やりたいことがあって、それを頑張ってるなら、俺はそれを尊重する。否定なんてしない」
「……なにそれ」
涼香の声が、かすれた。上品な口調が崩れていく。
「まあ、頑張れよ。応援してる」
そう言って、俺はコップを洗い始めた。
背中越しに、涼香の気配を感じる。何か言いたそうにしているけれど、言葉が出てこないような。
「――あと、俺」
コップを拭きながら、俺は続けた。
「『さすまた』の配信、もう見ないわ」
沈黙。
長い、長い沈黙。
「……なんで」
ようやく聞こえた声は、とても小さかった。優等生の口調が完全に消えている。
「なんで見ないの、お兄ちゃん」
「お前、嫌だろ? 俺みたいなのが毎日お前の配信見てたら」
「そんなこと――」
「それに、正体知っちゃったし。もう純粋に楽しめないと思う」
本音だった。画面の中の『さすまた』を見るたびに、涼香の顔が浮かんでしまう。あの配信部屋の光景が思い出されてしまう。壁一面の俺の写真が。
「だから、もういいよ。お前は好きにやってくれ」
そう言って、俺は二階に上がろうとした。
その腕を――涼香が掴んだ。
「っ、おい……」
「おかしいのはお兄ちゃんの方だよ!!」
涼香の叫び声。優等生の口調が完全に消えて、感情が爆発した。
振り返ると、涼香の目には涙が溜まっていた。
「だって! 私、私は――」
声が震えている。
「私は、お兄ちゃんに……私の配信活動を、応援してもらいたいんだよ……! お兄ちゃんだけに!」
その言葉に、俺は固まった。
「え……?」
「お兄ちゃんが毎日、楽しそうに配信見てくれてるのが……嬉しかったの。『今日も面白かった』って言ってくれるのが、嬉しかったの。お兄ちゃんのためだけに配信してたの!」
涙が頬を伝う。
「お兄ちゃんのコメント、すぐ分かったよ。いつも同じ時間に来て、同じタイミングで笑ってくれて、スーパーチャット投げてくれて……お兄ちゃんが笑ってる顔を見たくて、カメラつけたの。お兄ちゃんの写真を部屋に貼ったの。全部、全部お兄ちゃんのことが好きだから!」
「涼香……」
「私ね、本当は――」
涼香の声が、さらに震えた。
「本当は、もっとお兄ちゃんと仲良くしたかったの。でも、どうしていいか分からなくて。好きすぎて、怖くて。だから、『さすまた』としてなら、お兄ちゃんと繋がれるって思って――お兄ちゃんに甘えられるって思って――」
ああ、そうか。
俺はようやく理解した。
涼香の冷たい態度。
あの「死ね」という言葉。
全部、本心じゃなかった。好きすぎるが故の、距離の取り方だったんだ。
「私には、お兄ちゃんが必要なの……! 他の誰でもない、お兄ちゃんが!」
涼香の両手が、俺の腕をぎゅっと掴んでいる。
「……そうか」
俺は静かに言った。
「悪かったな。でも、俺は今までみたいにお前の配信を見ることはできない」
「――なんで!?」
「『さすまた』の正体を知ってしまった以上、俺はもう『さすまた』をお前として見てしまうから」
それが、俺なりの答えだった。
でも――
「だったら……」
涼香が顔を上げた。涙で濡れた目で、真っ直ぐに俺を見つめる。優等生の仮面は完全に消えて、素の涼香がそこにいた。
「だったら、私を見て!」
「……は?」
「『さすまた』じゃなくて、私を見て! 京極涼香として! お兄ちゃんの妹として! お兄ちゃんが好きな女の子として!」
何を言ってるんだ、この妹は。
「い、いや、お前……」
「『さすまた』の相方として、私の隣に立って! お兄ちゃんと一緒に、笑い合いたいの!」
「相方って、お前……!」
困惑する俺を前に、涼香はただ涙を流し続けていた。
「お兄ちゃんと一緒にいたい……ずっと、ずっと一緒にいたいの……!」
その言葉は、もう妹としてのそれではなかった。
昼休み、誰もいない図書室の隅。不知火の声が少しだけ大きくなった。慌てて周囲を見回すが、幸い誰もいない。
「それって、もしかして京極くんがいつも見てるって言ってた……」
「ああ、そうだ」
俺は小さく頷いた。不知火は驚いた表情のまま、しばらく固まっている。
「すごい偶然だね……というか、妹さん、そんなことしてたんだ」
「俺だって昨日まで知らなかったよ」
ため息をつく。頭の中ではまだ、昨夜見た涼香の配信部屋の光景が渦巻いている。あの防音材だらけの部屋。あの真剣な横顔。壁一面に貼られた俺の写真。そして、画面の中で動いていた『さすまた』のアバター。
「でもさ、京極くん……」
不知火が少し考え込むような表情で言った。
「妹さん、すごく頑張ってるんだね。配信って、見るのは簡単だけど、やる方は大変なんでしょ? しかも登録者50万人って、プロレベルじゃない」
「……ああ、そうだな」
そう言われて初めて、俺は気づいた。涼香がどれだけの時間を配信に費やしているのか。どれだけの努力をしているのか。俺はただ「楽しい配信」として消費していただけだ。
「ねえ、京極くん」
不知火が真剣な顔で俺を見た。
「このこと、内緒にしといてあげてね。妹さん、きっと誰にも言えなくて大変だったと思うから」
「……ああ、もちろん」
「じゃあ、私たちの秘密だね」
不知火がそう言って、優しく微笑んだ。その笑顔に、少しだけ心が軽くなった気がした。
でも同時に、胸の奥に重たいものが残る。
涼香は、どんな気持ちで俺の前でVTuberをやっていたんだろう。俺が毎日『さすまた』の配信を見て、褒めちぎって、スーパーチャットまで投げていたことを知りながら。配信中に何度も「お兄ちゃん」と呟きながら。
「京極くん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫。ちょっと考え事してた」
「そっか……まあ、ゆっくり考えればいいよ。家族のことだもんね」
不知火のその言葉が、妙に胸に刺さった。
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「なあ、今日ゲーセン寄っていかね?」
放課後、優作がカバンを肩にかけながら誘ってきた。
一瞬、断ろうかと思った。家に帰って、涼香と話をするべきかもしれない。昨日は結局、お互い感情的になっただけで、何も解決していない。
でも――今、涼香と顔を合わせる勇気がなかった。
「……ああ、行くわ」
「おっ、マジか! じゃあ行こうぜ!」
優作の明るい声に背中を押されるように、俺は校門を出た。
ゲームセンターは駅前の雑居ビルの三階にある。平日の夕方だから、そこまで混んでいない。俺たちはまず格闘ゲームの筐体に向かった。
「よっしゃ、今日こそお前に勝つぜ!」
「無理無理。お前じゃ百年早い」
軽口を叩きながら、コントローラーを握る。キャラ選択画面で、俺はいつものメインキャラを選ぼうとして――手が止まった。
このキャラ、昨日の『さすまた』の配信で涼香が使ってたやつだ。
『お兄ちゃんならこのキャラ使うよね』って、配信で言ってた。
「おい、どうした? 早く選べよ」
「あ、ああ……」
俺は慌てて別のキャラを選んだ。
対戦が始まる。画面の中でキャラクターが激しく動き回る。コンボを繋げて、必殺技を出して、ガードを崩す。いつもなら夢中になれる時間なのに、今日はどこか上の空だった。
「よっしゃ! 勝った! お前、今日調子悪いな」
「……ちょっと疲れてるだけだ」
「そっか。まあ、もう一回やろうぜ」
それから三回ほど対戦して、クレーンゲームで適当に遊んで、結局三時間近く道草を食ってしまった。外に出ると、すっかり日が暮れている。
「じゃあな、健星。また明日」
「ああ、また明日」
優作と別れて、俺は一人で家路についた。
スマホを取り出して、配信アプリを開く。『さすまた』のチャンネルを見ると――「休止中」の表示が出ていた。
ああ、そうか。今日は配信してないのか。
いつもならこの時間、涼香は配信の準備をしているはずだ。でも今日は違う。俺が正体を知ってしまったから。俺のせいで、涼香の大切な時間を奪ってしまったのかもしれない。
胸が重い。
※ ※ ※
家に着くと、玄関は静かだった。
「ただいま」
小さく声をかけるが、返事はない。リビングに明かりはついているが、誰もいないようだ。
俺は二階に上がり、自分の部屋に入った。カバンを床に置いて、ベッドに倒れ込む。
天井を見つめながら、今日一日のことを考える。不知火との会話。優作とのゲーム。そして、ずっと頭の片隅にあった涼香のこと。
スマホを取り出して、また配信アプリを開く。『さすまた』のアーカイブがずらりと並んでいる。一週間前の配信。二週間前の配信。一ヶ月前の配信。
全部、涼香の声だったんだ。
全部、涼香の笑顔だったんだ。
画面の中のアバターは可愛らしく笑っているけれど、その向こうにいるのは、俺を「死ね」と罵る妹だ。
……いや、違う。
本当にそうなのか?
涼香は本当に、俺のことを嫌ってるのか?
昨夜、涼香は言った。「謝りに来た」と。あんなに素直じゃない涼香が、わざわざ俺の部屋まで来て。
そして、「お兄ちゃんしかいない」とも言った。
でも、結局喧嘩になって、何も解決しなかった。
「……バカかよ、俺」
自嘲気味に呟いて、スマホを閉じる。
喉が渇いた。水でも飲もう。
部屋を出て階段を降りる。一階は相変わらず静かだ。母さんはまだ買い物か何かで出かけているのかもしれない。
キッチンで麦茶を注いで、一気に飲み干す。冷たい液体が喉を通って、少しだけ頭がすっきりした。
リビングのドアが開く音がした。
振り向くと――涼香がそこに立っていた。
ピンクのパーカーに短パン。眼鏡をかけて、髪は適当に結んである。学校で見る完璧な涼香とは違う、ラフな格好。家の中だけで見せる、本当の涼香。
目が合う。
涼香の表情は、いつもの不機嫌そうな顔とは違って――どこか沈んでいた。
「……お帰りなさい、お兄ちゃん」
ぽつりと、小さな声。丁寧な口調。
「ああ……ただいま」
気まずい沈黙が流れる。
俺は何か言うべきなのか。でも、何を言えばいいのか分からない。
「あの、お兄ちゃん」
涼香が先に口を開いた。優等生のような丁寧な言葉遣い。でも、その声は震えている。
「なんだよ」
「お兄ちゃんは……何も思わないの?」
「何がだよ」
「私がVTuberやってたこと。お兄ちゃんが好きだって言ってたVTuberが、私だったってこと。配信で『お兄ちゃん』って何度も言ってたこと」
涼香の声は、少し震えていた。
「……思うところはある」
正直に答える。嘘をついても仕方ない。
「じゃあ、なんで――」
涼香が一歩、こちらに近づく。優雅な仕草だが、その瞳は揺れている。
「なんで私を罵ったりしないの? 軽蔑とかしないの? 気持ち悪いとか、思わないの?」
その瞳は、少しだけ潤んでいた。
「私、お兄ちゃんを騙してたんだよ? お兄ちゃんが毎日見てる配信が私だって知ってて、スーパーチャットもらってて、お兄ちゃんの部屋にカメラまでつけて、それでも黙ってて――」
「それがどうした」
俺は静かに言った。
「お前は血が繋がってなくても、俺の妹だ。家族同然の妹を軽蔑したりなんてするわけないだろ」
「――っ」
涼香の目が大きく見開かれる。優等生の仮面が、一瞬だけ崩れた。
「お前は俺の大事な妹だ。やりたいことがあって、それを頑張ってるなら、俺はそれを尊重する。否定なんてしない」
「……なにそれ」
涼香の声が、かすれた。上品な口調が崩れていく。
「まあ、頑張れよ。応援してる」
そう言って、俺はコップを洗い始めた。
背中越しに、涼香の気配を感じる。何か言いたそうにしているけれど、言葉が出てこないような。
「――あと、俺」
コップを拭きながら、俺は続けた。
「『さすまた』の配信、もう見ないわ」
沈黙。
長い、長い沈黙。
「……なんで」
ようやく聞こえた声は、とても小さかった。優等生の口調が完全に消えている。
「なんで見ないの、お兄ちゃん」
「お前、嫌だろ? 俺みたいなのが毎日お前の配信見てたら」
「そんなこと――」
「それに、正体知っちゃったし。もう純粋に楽しめないと思う」
本音だった。画面の中の『さすまた』を見るたびに、涼香の顔が浮かんでしまう。あの配信部屋の光景が思い出されてしまう。壁一面の俺の写真が。
「だから、もういいよ。お前は好きにやってくれ」
そう言って、俺は二階に上がろうとした。
その腕を――涼香が掴んだ。
「っ、おい……」
「おかしいのはお兄ちゃんの方だよ!!」
涼香の叫び声。優等生の口調が完全に消えて、感情が爆発した。
振り返ると、涼香の目には涙が溜まっていた。
「だって! 私、私は――」
声が震えている。
「私は、お兄ちゃんに……私の配信活動を、応援してもらいたいんだよ……! お兄ちゃんだけに!」
その言葉に、俺は固まった。
「え……?」
「お兄ちゃんが毎日、楽しそうに配信見てくれてるのが……嬉しかったの。『今日も面白かった』って言ってくれるのが、嬉しかったの。お兄ちゃんのためだけに配信してたの!」
涙が頬を伝う。
「お兄ちゃんのコメント、すぐ分かったよ。いつも同じ時間に来て、同じタイミングで笑ってくれて、スーパーチャット投げてくれて……お兄ちゃんが笑ってる顔を見たくて、カメラつけたの。お兄ちゃんの写真を部屋に貼ったの。全部、全部お兄ちゃんのことが好きだから!」
「涼香……」
「私ね、本当は――」
涼香の声が、さらに震えた。
「本当は、もっとお兄ちゃんと仲良くしたかったの。でも、どうしていいか分からなくて。好きすぎて、怖くて。だから、『さすまた』としてなら、お兄ちゃんと繋がれるって思って――お兄ちゃんに甘えられるって思って――」
ああ、そうか。
俺はようやく理解した。
涼香の冷たい態度。
あの「死ね」という言葉。
全部、本心じゃなかった。好きすぎるが故の、距離の取り方だったんだ。
「私には、お兄ちゃんが必要なの……! 他の誰でもない、お兄ちゃんが!」
涼香の両手が、俺の腕をぎゅっと掴んでいる。
「……そうか」
俺は静かに言った。
「悪かったな。でも、俺は今までみたいにお前の配信を見ることはできない」
「――なんで!?」
「『さすまた』の正体を知ってしまった以上、俺はもう『さすまた』をお前として見てしまうから」
それが、俺なりの答えだった。
でも――
「だったら……」
涼香が顔を上げた。涙で濡れた目で、真っ直ぐに俺を見つめる。優等生の仮面は完全に消えて、素の涼香がそこにいた。
「だったら、私を見て!」
「……は?」
「『さすまた』じゃなくて、私を見て! 京極涼香として! お兄ちゃんの妹として! お兄ちゃんが好きな女の子として!」
何を言ってるんだ、この妹は。
「い、いや、お前……」
「『さすまた』の相方として、私の隣に立って! お兄ちゃんと一緒に、笑い合いたいの!」
「相方って、お前……!」
困惑する俺を前に、涼香はただ涙を流し続けていた。
「お兄ちゃんと一緒にいたい……ずっと、ずっと一緒にいたいの……!」
その言葉は、もう妹としてのそれではなかった。
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