わたしがヒロインになる方法

有涼汐

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1巻

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   プロローグ


 たとえ友人だったとしても、時折その人をお姉ちゃんみたい、妹みたい、などと思うことがある。
 特に男が好きなのは、妹系の可愛い女の子が多いと鏑木かぶらぎわかは思っている。そして物語のヒロインというのは、大体そういった妹系の女の子だと。
 何故そんなことを思ったかというと、今目の前にいる若葉の友人、みやじゅがその妹系の女の子だからだ。
 ふわふわとゆるいパーマのかかった茶色のロングヘアー、猫のように大きな瞳、ぷっくりとした唇。胸がないのが悩みだとはいうが、全体にバランスの取れたスタイルで、着ている服もおしゃときた。
 性格は明るく気さくで、同性からも好かれるタイプ。若葉もそんな朱利のことがとても好きで、会社の面接時に出会ってからこの四年間、ずっと一緒にいる。
 一方若葉は、天然パーマのセミロングだが、髪質が重くて黒い。後ろ髪がギリギリゆるふわパーマに見えるのだけが救いだが、前髪は定期的に縮毛矯正をかけなければ野暮ったくなってしまい、鏡を見るのも嫌になるほどだ。
 体型もファッションセンスも普通。性格は悪くないとは思うが、特段いいわけでもない。朱利が物語のヒロインならば、自分はモブキャラか、良くてヒロインの友人あたりだろう。
 女子力を高めるべく頑張っていた時期もあったが、現在は二十六歳にして色恋沙汰からは干され気味だ。


 入社したばかりの頃は、若葉と朱利は研修の班が同じで常に一緒にいたため、よく比較された。当然若葉は朱利の引き立て役だ。
 とはいえ朱利を嫌いになったことは一度もない。比較される度に若葉ではなく、朱利が噛み付く勢いで怒ってくれたからだ。だから共に仕事をするのも、ご飯を食べに行くのも楽しかった。 
 あれは入社して一月ひとつきも経たない頃。その日も若葉と朱利は、一緒に会社を出て夕食を食べに行くことにしていた。が、そんな新入社員二人……というより、朱利を待ち伏せしていた数人の男性社員からのお誘いを受け、彼らと飲みに行くことになった。
 お店に行ってみると、少人数での飲み会ではなく、随分と大勢の人が集まっていた。聞けばどこかの課の打ち上げに乗じて、社内の色んな課から参加者が集まったらしい。男性の比率がやや高いものの、女性もそれなりにいた。
 一時間ほどして皆にお酒が回り始めた頃、朱利を待ち伏せしていた男性社員の一人がにやにやと笑いながら、若葉に向かって言った。

「鏑木って、朱利ちゃんの引き立て役みたいだよなー」
「おい、お前飲みすぎだろー! かわいそうだってー!」

 あなたも大概飲みすぎでしょうと突っ込みたくなるような、フォローにもならないフォローを入れる別の男性社員。
 朱利の隣にいれば、こんな風に言われることはよくある。若葉は笑って流そうとしたが、その前に朱利が立ち上がり、男性社員達を見下ろして――

「若葉のいいところがわっかんないような男に、ちゃん付けで呼ばれたくないんですけど! そんな男に口説かれてもなびきませんよ!!」

 と啖呵たんかを切る。当然、場は一気に静かになってしまった。皆見た目の可愛らしい朱利がこんな怒り方をするとは思っていなかったようで、唖然としている。

「ちょぉおっ、朱利!? 朱利もお酒回ってない!?」
「若葉も! こんなことで傷ついちゃダメだよ!! 若葉は可愛いんだから!!」
「いいって、わかったから。ほら、落ち着きなさいって」
「いいえ! 朱利ちゃんの言う通りよ! 可愛い子が入社して浮かれているのかもしれないけどね、それで女性を比較して誰かを馬鹿にするような男はクズでしかないわ」

 そう言って立ち上がり説教を始めたのは、秘書課の野々ののみやりんだ。有能で面倒見が良く、おまけに美人。多くの女性社員から慕われる存在だ。

「あんた達、今後同じようなことがあれば、女性社員全員を敵に回すと思いなさい!」

 つまり、大勢の女性社員に慕われる凛子が敵とみなした者は、女子の敵! ということらしい。それを聞いた男性社員二人は顔を青くしている。
 若葉とて、まさか自分のことでこんな騒ぎになるとは思っていなかった。守ってもらったにもかかわらず、つい慌てふためいてしまう。

「相変わらずたっけぇ音で話すな、野々宮は」

 そこに割って入ってきたのは、低い、だがよく通る男性の声だった。
 その声に、若葉はドキッとする。耳に馴染なじむように心地いい声なのに、何故かむずむずして、つい耳をさすってしまった。
 と同時に、周りにいた数人の女性社員の口から黄色い声が上がった。
 声の主は、高身長でスポーツマン体型、切れ長の目に鼻筋の通った、端整な顔立ちのワイルド系の男性だった。口調の荒さからは、いかにも〝俺様〟といった印象を受ける。
 凛子は男性の姿を認めると、腰に手を当てながら言い放つ。

「あ、御影みかげ羽倉はねくらじゃない。何よ、悪いのはこいつらよ! こいつら!」

 するとワイルド系の男性――御影の後ろから、さわやかな声の、これまた爽やかな笑顔をした正統派イケメン――羽倉も入ってきた。

「聞いてたよ。まぁ、春だし少しみんな浮かれ気味みたいだね。この二人には俺からよく言っておくから」

 そう言って羽倉は凛子をなだめる。
 二人は営業課の御影悠麻ゆうまと、人事課の羽倉あおい。ともに三十歳。若くして管理職に就くのではないかと噂されているこの二人は、見た目も社内ツートップなら、仕事の実力もツートップと言われており、女性社員の間で知らない者はいないほどの有名人らしい。近くにいた先輩女性社員がそう教えてくれた。
 そんな二人の登場に、問題の男性社員二人は居心地が悪そうにしている。続いて御影は、朱利と若葉にも目を向けた。

「……ったく、怒んのもわかるが、こいつらも一応は先輩社員なんだから、むやみに怒鳴るな。あと、そこのお前。お前は自分のこと言われたんだろ? なら、自分で怒れ」

 髪の毛をかき上げ眉間にしわを寄せながら、呆れたように苦言をていする。

「……失礼いたしました」

 若葉と朱利は二人揃って頭を下げた。凛子は謝る必要なんてないとぷりぷりしていたが、御影が言っていることは間違っていない。自分達は入社したばかりの新人だし、こんな風に毎回朱利に怒ってもらっていては、 朱利が悪者になってしまう。自分でどうにかしなければ。

「御影さんひどいっす。一応って、一応って……」
「あぁ? お前らは、隅で反省してろ」

 御影は、不満げな男性社員二人を足蹴あしげにしてどかせ、そこに羽倉と一緒に座った。
 二人とも頼んだビールを飲みながら、他愛のない話を始める。ビールを飲んで落ち着いたからか、御影は眉間の皺も取れて、表情が少し柔らかくなった気がした。
 若葉は先ほどのことを思い出す。彼のように面と向かって正しい言葉をくれる人はあまりいない。こんな男性もいるのだなと、若葉は思った。
 それに御影の声は何故か、不思議と耳に馴染む。若葉は無意識にまた耳をさするのだった。


 飲み会はその後つつがなく終わったが、これがきっかけで若葉と朱利を比較するような声はなくなった。また、朱利を怒らせると怖いという噂も広まった。
 だからといって若葉の価値が認められたわけでもなく――
 それどころか、二人の同期である山中やまなかがその時放った不用意な言葉によって、若葉の立ち位置が決まってしまった。彼は、みんなの注文を取ったり、会計時にお金を集めたりしている若葉に一言。

「鏑木ってお母さんみたいだよなー。〝おかん〟って感じ」

 即座に「同い年の子どもを持った覚えなんかないんですが?」と返したものの、以来〝若葉イコールお母さん〟というイメージが社内で定着してしまった。
〝お姉さん〟ならともかく、若葉は〝お母さん〟と呼ばれるのが好きではない。つまりは女子として見られていないということだからだ。特に男性にモテたいと思っていたわけではないが、入社したての若い娘にとっては不本意なあだ名だ。
 ともあれこれが、若葉を〝恋愛干されOL〟にした一つのきっかけだった。



   第一章 ポートワインの意味するものは


 入社して四年、社会人としての生活もすっかり身体に馴染んだ頃。
 いつもは定時に仕事を終わらせて帰るのだが、三月上旬のこの日、若葉は後輩のミスをフォローするため、残業をしていた。定時を一時間ほど過ぎ、残務の目処めどもたったので後輩を先に帰らせる。
 それから一息つこうと、自販機に飲み物を買いに行くことにした。廊下を歩いていき、自販機の手前にある角を曲がろうとした時、男性社員二人の声が聞こえてふと足を止める。

「宮野さんって、羽倉さんと付き合ってんのかな? 最近よく一緒にいるよな」
「さぁ? どうだろうな。でも、羽倉さんなら宮野さんも落ちるだろ」

 この頃、朱利と人事課長である羽倉のことが周りでよく話題になる。まだ付き合ってはいないようだが、確かに最近朱利の口からは度々羽倉の名が出てくる。彼のことが気になっているのかな、と若葉は思っている。が、若葉にそれを言いふらす気はない。聞かれてもいつものようにかわすだけだ。そう思い足を進めようとしたが、続く会話にまた足が止まる。

「なら、あの子は? 宮野さんといつも一緒にいる子。あの子、いい子って聞いた」
「あー、〝お母さん〟か。そりゃいい子だろ、〝お母さん〟って言われてんだから。まー、でも恋愛対象ではないな」
「そうなのか?」

 若葉はため息をついて、どうしようかと考える。あんな話をしている中にのこのこ出ていく度胸はさすがになかった。
〝いい子〟と褒められてはいる。けれどそれは人としてであって、女としてではない。〝お母さん〟なんてあだ名、何故ついたのか。確かに面倒見はいいかもしれないが〝お母さん〟は普通ないだろう。
 男性社員は近くに本人がいるとも知らずに、若葉がいかにお母さんっぽいかを話している。
 飲み物は諦めようと元来た方向を振り返ると、いつの間にか営業課の御影が後ろに立っていた。若葉はぎょっとして思わず身体を後ろに傾ける。
 御影は切れ長な目を細めて小さく微笑んだかと思うと、すれ違いざま若葉の頭をぐしゃりとでる。そしてそのまま角を曲がっていった。

「あ、御影さんお疲れさまーっす」
「おー……」

 男性社員と御影の会話が聞こえてくる。

「なんか御影さん、不機嫌じゃないですか?」
「別に。ただこんなところでそんな話してると、女子から総スカン喰らうぞ」
「え!? マジっすか!? こんぐらいで!?」
「お前らにとったら『こんぐらい』でも、女子にとったら違うだろ? つーか、お前が恋愛対象どうこう言える立場かよ」
辛辣しんらつっすよー! 御影さーん!」
(助けてくれ、た……?)

 若葉は首を傾げる。このまま立ち去って良いものか迷っていると、御影が戻ってきた。

「ほら」
「え、あ、……ありがとうございます」

 通りすがりに手渡された、ペットボトルのアップルティー。若葉がよく飲んでいるものだ。それを御影が知っていたとは思わないが、素直に嬉しい。
 四年前、飲み会の席で若葉をたしなめた御影は、あの時の噂通り営業課の課長になっていた。
 三十四歳、イケメン、課長。そして独身とくれば女子が黙っていない高スペック。口は悪いが、仕事に対する姿勢は真っ直ぐで、他人に厳しいけれど自分にはより厳しい人。
 先ほど撫でられた時に感じた骨張った指の感触、相変わらず耳に心地よく馴染なじむ声。それらを思い出すと顔が火照ほてりそうになった。貰ったばかりのアップルティーで頬を冷やしながら自分のデスクに戻り、残っていた仕事を終わらせる。
 会社を出てスーパーで買い物をし、一人暮らしをしているアパートへと帰る。会社から二駅、駅から徒歩十五分ほどの小さなアパート。オートロックではないので防犯面は少々心もとないが、今まで問題はなかったから大丈夫だろう。
 三階建ての、三階角部屋2Kなので日当たりがよく開放感があり、結構気に入っている。
 ご当地のゆるキャラキーホルダーのついた鍵を取り出して、家の中に入った。
 通勤用の服を脱いで部屋着に着替え、それから夕飯と明日の朝のおかずを作る。夕飯を終え、洗い物をしてお風呂に入ったら、あとはテレビを見たり本を読んだり。一人暮らしの女子の生活なんてこんなもの。そしていつもの時間に起き、朝の支度をして家を出るのだ。代わり映えのしない日々。
 若葉は今日の御影との出来事を思い出しながら、からになったアップルティーのペットボトルを机に置いて指先でつつく。コロンと転がったそれを、すぐに捨てることはできなかった。


 翌朝、七時半ごろ。今日もいつもと同じように会社へと向かう。途中、会社の最寄り駅にあるカフェで紅茶を注文し、持参したタンブラーに入れてもらうのが若葉の日課だ。

「若葉、おはよう」
「あ、朱利おはよ」

 この時間になると、カフェの近くでよく朱利と顔を合わせる。現在若葉は総務課の一般事務、朱利は受付に配属されているが、今もプライベートでは一緒に出かけたり、互いの家に泊まり合ったりする仲だ。

「そういえば、そろそろだよね?」

 並んで会社に向かう途中、朱利がふと尋ねてくる。

「……何かあったっけ?」
「忘れてる……、そろそろ異動時期だよー。私は一応、部署希望は秘書課で出してるけど……」

 若葉の会社では、毎年この時期になると異動希望申告書というものを提出する。個々の社員が自分の雇用状況やキャリアについて考え、希望の部署を申告することができるのだ。もちろん通るかどうかは会社の判断に任せられるが。
 ちなみに朱利は毎年凛子のいる秘書課を希望している。凛子とは四年前の飲み会以来、若葉も朱利も仲良くしているが、朱利としては一緒に働くのが夢らしい。

「うちの受付の花が消えたら、なげかれそう」
「顔しか見ないヤツは興味ありませーん。だいたいどいつもこいつも、〝黙ってれば可愛いのに〟って何? しゃべるなって? 息するなって? 私はお人形さんじゃないわよ」
「あー、はいはい。わかったわかった。朝からそんなに怒らないの」

 朱利は、見た目と中身のギャップを普段から指摘されているらしく、ぷりぷりしている。

(それにしても、異動か……)

 特にこれといって目指すもののない若葉は、これまで同様、一般事務で出している。


 しばらくして会社に着き、朱利とは別れて自分の部署へと向かった。自席に座り身体を伸ばしてから、今日も頑張りますか! と、心の中でつぶやいて仕事を始める。
 と、昨日貰ったアップルティーの代金を御影に払っていないことに今更ながら気付く。
 本来ならば後で小銭を返しに行くか、代わりに缶コーヒーでも買って渡したいところだ。小銭だと、それぐらいいらないと言われる可能性があるので、缶コーヒーの方がいいかもしれない。
 けれどわざわざ営業課に行って渡すとなると、多くの女性社員から敵とみなされる可能性がある。
 何しろ御影はモテる。個人的な繋がりを持っているというだけでしっされてしまうのだ。女子の嫉妬は買わないに越したことはない。
 そんなことを考えながら若葉は自分に言い聞かせる。


 勘違いはしない。
 期待なんてしない。
 彼は自分のことなんて何とも想っていない。


 御影が自分を気にかけているなんて、ありえないとわかっていても勘違いしたくなるのが女子の心情。
 若葉が御影を目で追うようになったのは、果たしていつからだったか。最初は口調も態度も乱暴で苦手なタイプだと思っていたけど、親しい友人だという羽倉と話す時は表情が柔らかくなるので、そのギャップにいつも驚かされる。
 それに、入社して二年目ぐらいだったろうか――何故か突然御影は、廊下で会うたびに若葉に構ってくるようになった。
 綺麗な女性社員が寄っていってものらりくらりとかわすくせに、唯一若葉にだけは用もないのに話しかける。会話をしなくても、必ず獲物を狙うような目でこちらを見て、笑みを浮かべ、すれ違い様に頭を撫でてくる。気のせいかもしれないけど、昨日のようにさりげなく助けてくれたりもする。
 少しずつ、少しずつ、時間をかけて惹かれていった。
 この感情が何という言葉で表されるものか、頭のどこかで気付いてはいる。
 けれど、心はそれを認めることをかたくなに拒否していた。


 その週の金曜日は、朱利と食事をしようと約束していた。先にあがった若葉は、会社のロビーで朱利を待ちながらスマホを操作する。お店はすでに予約しているのであとは向こうに行くだけ。地図の画面を出したところで、ふと、すっかり暗くなった空を見上げる。

「星、全然見えないなー……」

 都会ではこんなものだろう。北海道など星が綺麗に見えるところに行って、夜空を満喫してみたい。そんなことを考えていたら、朱利の声が聞こえた。

「若葉! お待たせ!」
「あ、大丈夫だ……よ……?」

 振り返ると、イケメン二人が朱利を挟むように立っていた。御影と羽倉だ。
 物語によくある、イケメン二人が可愛いヒロインを取り合うパターン。そんなことを考えたが、それはともかく何故この二人がここにいるのだろうか。
 首を傾げると、朱利は気まずそうな笑みを浮かべて謝罪してくる。

「ごめん、帰りに羽倉さんに捕まって」
「鏑木ちゃんとご飯行くって聞いたから、良かったら俺もって思って。んで、こいつも誘ったの」

 羽倉はにこにこと笑いながら御影を指さす。

「たく、いきなり人のこと捕まえて飯行くぞって……。俺の予定は無視か」
「どうせ予定ないくせに、何言ってんだよ」

 まさか脇役である若葉が、こんな主役級の三人と食事に行くことになるとは思いもしなかった。

「ちょっと待ってね。お店に人数変更の電話するけど。最初決めていたところで平気?」
「平気、平気ー。あと羽倉さんと御影さんのおごりだからー」

 朱利の発言に何も言わないところを見ると、二人ともそのつもりなのかもしれない……。いや、若葉とすればきちんと払うつもりではいるけれど。


 幸い〝四人でも大丈夫〟との返事をお店から貰い、連れ立って歩き出す。
 途中、通りすがりの人達が、若葉達――ではなく、若葉以外の三人を振り返っていく。脇役の若葉としてはいたたまれない。

「あ、御影さん」
「ん? なに?」

 ふと立ち止まり、隣を歩いている御影に声をかける。一応ヒールを履いているのに、身長差ゆえに見上げなければならない。

「先日は飲み物ありがとうございました。これ、お礼です」

 そう言ってかばんから取り出した缶コーヒーを差し出す。

「……は?」
「えっと、アップルティーのお礼です。缶コーヒー……」

 今から食事に行って帰宅するというタイミングで渡すのははばかられるが、これを逃せばもう渡せる気がしない。

「ああ……って、今渡すか? 月曜日に会社で渡せよ」
「あの、その、飲み物貰った次の日から鞄に忍ばせてたんですけど! 渡すタイミングが見当たらなくて……、すみません」

 若葉としても、朝出社した時か休憩時間に渡すのが一番だとわかっている。
 部署やフロアが同じならばそれもできただろうが、朝は出社時間が違うし、休憩時間は人の目があるので渡しづらい。結果こちらの都合を押し通す形になり、申し訳ない気持ちになってしまう。

「……しょうがない。ま、好きなメーカーのやつだしいいか」

 その辺りはあまり突っ込んで考えないでほしかった。よく飲むメーカーを知っているなんて、御影のことをしっかり見ているというアピールのようで。そう思いながらも平常心を保つ。

「ていうかお前、これずっと持ってたのかよ……」
「はい! あ、賞味期限は大丈夫ですよ! 余裕です、余裕!」
「いや、そんなことはどうでもいいんだが。まぁ、ありがとな」

 御影はそう言ってかすかな笑みをこぼし、若葉の頭をくしゃっと撫でた。
 その仕草があまりにも自然で優しくて――また、したくもない勘違いをしそうになる。

「おーい、二人とも何してんの? 遅いよ」
「うるさいな、お前らが速いんじゃないのか?」

 気が付くと、前を歩く羽倉達との間に随分距離ができていた。急いで追いかけようとするが、隣を歩く御影にその様子はない。
 結局御影の速度で共に歩く。傍から見れば羽倉と朱利、御影と若葉という二組のカップルが歩いている状態。そのまま二人でぽつぽつ会話をして、あとは心地のいい沈黙の中を歩いた。


 こうしていれば、恋人同士に見えるだろうか。一瞬そんなことを考えるが、すぐに打ち消す。
 もう、恋なんてしたくない。二度と、あんな思いを味わいたくはない。

(傷つくのが怖くて怖くてたまらない……)

 こんなことされると、まるで自分が特別扱いされている気分になるけど、その度に過去の恋愛が頭をぎり、心が逃げてしまう。きっと御影は自分のことを妹のように思っているだけだ。それ以外に、構ってくる理由なんて見つからない。
 今までの経験上、女として見られていると自信を持って言うことができない。自分なんて、と自分を卑下ひげする言葉が当たり前のように出てくる。
 そんな自分が嫌になるものの、染み付いてしまったくせはなかなか抜けない。

「あ、あった」
「地下か?」

 繁華街とは逆方向の、やや人気ひとけの少ない通り。そこで光る、淡い色の看板。ドアを開くと地下へと続く階段があった。先頭の御影に続いて若葉達も階段を下りる。途中、朱利が注意を呼びかける。

「若葉、落ちないでね」
「落ちないよ、私は子どもか」
「だって、若葉いつも足元不安定だから。階段上れば靴引っかけるし、下りれば落ちそうになるし……」
「……否定、できません。すみません」
「くくっ、鏑木ちゃん面白すぎ……!」

 羽倉は何がツボだったのか、一番後ろで口元を覆いながら笑っている。
 店に入ると、落ち着いたオレンジ色の空間に、趣味のいい洋楽が静かに流れていた。

「予約してた鏑木だ」
「鏑木様ですね、こちらへどうぞ」

 若葉が返答する前に、御影が先に名乗ってしまう。大したことではないんだろうけど、自分の苗字を名乗られたことに何故か照れてしまった。
 店内は南国を思わせる落ち着いたリゾート風のインテリアで、案内された席は半個室型。入り口にはアジアン風のレースカーテンがかかっている。これを下ろしてしまえば顔は見えなくなるから、人に注目されることはないだろう。
 男性陣にうながされるまま奥に座ると、隣に御影が腰を下ろす。向かいには朱利が、そしてその隣には羽倉が座った。少し隙間があるとはいえ、隣に御影が座っていると思うと少々緊張してしまう。
 若葉はメニューを開き、ドリンクのページが全員に見えるようにして置く。

「何飲む?」
「生ビール」
「御影さん……せっかく来たんですから、お店オリジナルのとか飲みません?」

 朱利が呆れたような声でリゾート系のドリンクをすすめるが、御影の意志は変わらないようだ。諦めて他の三人だけで、お店お薦めのオリジナルドリンクを注文する。羽倉が頼んだムーンナイトはジンとソーダのカクテル、朱利が頼んだシーサイドはライムとグレープ、そして若葉が頼んだサンフレッシュは白ワインとカシスをソーダで割ったものだ。
 カクテルと一緒に、本日のお薦めである有機野菜のミックスサラダやブツ切りのタコマリネ、海老とアスパラガスのピザなど適当に頼んだ。なんでも、提携している農家から毎朝取れたての野菜を送ってもらっているそうだ。確かに、野菜ってこんな美味おいしかっただろうかと思えるほど、甘味があって瑞々みずみずしい。

「美味しいご飯に美味しいカクテルをいただきながらゆっくりできて、私は幸せです」
「お前は確かに幸せそうに物食うよな」
「幸せですもん。それに私、ご飯は美味しく、幸せな気持ちで食べるって決めてるんです」

 御影がおかしそうな顔をしているので、思わず力説してしまう。

「と、いうと?」

 羽倉も話に乗ってきたので、若葉はとうとうと説明する。
 ――単純に気持ちの問題ではあるのだが、どんよりした気持ちや不貞腐ふてくされた気持ちでご飯を食べると消化に悪い。だから、美味しく幸せな気持ちで食べると決めている――とはいえ、本当に美味しいものを食べれば幸せな気分になるので、必然的にそうなる。
 すると朱利も口を挟んでくる。

「若葉の手料理、美味しいんですよー。また、ハンバーグ食べたいなぁ。人参にんじんのグラッセとかマッシュポテトとかも作ってくれるんです」


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