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密室

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 だが身体を洗われるのは拒否して逃げるように、今度こそ浴室を出た。
 足下に散乱する汚れた服、処女を奪われたように血のついた下着を抱えて水浸しの裸のまま階段を上り、ごみ箱に衣類全てを突っ込んでベッドに突っ伏す。

「しん…っじらんね~~っ」

 冗談ではなく何も考えたくなかった。
 母親に意図的に鍵のチェーンを掛けられた。そんなことよりも、間接的に自分のせいで慧を不良達に殴らせてしまったこと、逆にその男達を慧に暴行させてしまったこと、そんなことよりも。
 今でもまだ脚の付け根に残っている感触と熱、そして義弟の声。

――兄貴

 殴り合いの喧嘩をして気分が高揚するのは自分も経験がある。性的な興奮を覚えることもあるだろう。そう思ったのに。
 体格差に物を言わせ、和馬の身体の自由を奪って擬似行為に及んだ慧は、絶頂の極みに『兄貴』と呻いたのだ。
 好きな女の名前でもアダルト女優の名前でもない。その前にも兄貴、と何度も口にしていた。

 ぞっとする。同時に寒気にも襲われて裸のまま布団に潜った。
 このまま寝てしまおう。何も考えないのが一番だ。あと一年もして家を出たらもう二度と会うこともなくなる義弟のことなど。

――ぎっ……ぎっ……

 深夜の静寂に、階段を上る足音がやけに響く。思わず息を詰めて耳を澄ました。

――…チャ……

 開かれたのは部屋ひとつ挟んだ向こうにある慧の部屋。ドアに背を向けて丸まったまま布団を頭まで被って目を閉じた。 
 瞼の裏には外と同じ闇。その耳に、はぁ、はぁ、と湿った吐息が触れてくる。閉じられた脚に挿し込まれるもの。おぞましい行為に困惑しながら勃起した和馬ものを扱く手のひら…

「くそ、くそっ――!」

 高校三年になった和馬だが、性行為の経験はこれまで一度もなかった。チャンスがなかったわけではない。中学時代、高校時代と告白されたことも何度かあるし、雪人と二対二の合コンらしきものに挑んだこともあった。
 だが別れ際に連絡先を交換するどころか、渡されたアドレスなどはその日のうちに捨ててしまうことが殆どで、経験したのは小学生のようなキス止まりだ。異性との付き合いが必要だと思えなかったし、そんな精神的余裕もなかった。

 性欲ならあるが自己処理でまかなえてしまう程度。深夜のベッドで、胎内に澱のように溜まったものを吐き出す作業だ。大体が小説や映画を見ていてなんとなくそんな気になる。その行為に、和馬は異性の裸身や具体的な対象など必要としたことはなかった。

 それなのに―――

 ドアが開いた。部屋に鍵はない。誰も入るはずもないからだ。付けなかったことを後悔した。

「何、しにきた」

 布団の中から牽制するが、薬。と返す義弟の声は頭に来るぐらい抑揚がない。

「いらねーよ、出て行け」

 気配は近付き、スプリングを軋ませてベッドに座る。

「聞いてんのかよお前。…っおい!」

 たまらず起き上がった目に映る、闇の中の笑顔。

「『慧』」
「――は?」
「覚えてるよね、俺の名前。…昼間、呼んでくれた」

 確かに呼んだ。階段から落ちた時。義弟が倒れて目を閉じていたことよりも、その後に待つ恐ろしい制裁に反射的に怯えて叫んだ。
 それは三原家の跡取りである義弟の切り札だ。母親は慧が階段から落ちたのを聞いている。それが和馬のせいだと知ったら――

「寝て」
「い、いい」

 拒絶してもかまわず薬らしきチューブを手にした慧は和馬の腕を掴んで寝かせようとし、尚も拒むと今度は体重を掛けてのしかかってきた。

「いいって、言って」

 引き離そうとする慧の腕の中で藻掻くはめになり、挙げ句また唇を重ねられた。

「ん!――んん、…んっ…ぁ」

 ゆっくりと和馬に乗り上がる穏やかな動きだが、口腔内では情熱的に攻めてくる。経験値の低い和馬の御し方を理解っているかのような段取りだ。
 実際暴れるような慧の舌が抜かれ、繊糸を引いて唇を離されても目を閉じて呼吸するのに夢中な和馬は気付かなかった。

「はぁ、はぁ……?」

 新鮮な空気を肺に入れ、間近で慧と目が合い狼狽する。
 そんな義兄を思ってか、和馬が凝視する唇で笑みを形作り、上唇を軽く啄んでから甘噛みし、またゆるりと舌を挿し入れてきた。

「ん、ぅ……ふ、ん…」

 拒もうと思えば拒める身体を仰向けに受け止める。
 母親に知られたくないから。だから、誰にも侵されたことのない場所に慧を受け容れ、蹂躙されようともただ甘受する。この一時を凌いでしまえば解放されるはずだから。

 虫も鳴かない春の深更に響く、卑猥な水音。そそがれるものを飲み込むために和馬が喉を鳴らして小さく喘げば、舌を抜く慧は戦慄く唇を柔く吸い、甘く食む。
 離れる気配のない慧に抱きしめられる和馬は、飽かず嬲られる舌や唇と共に自身の身体が震えていることに気付いた。

 忙しなく打つ鼓動と共鳴して荒くなる呼吸。不自然に力むのは肺ではなく、もっと下、腹部の奥だ。
 義弟に与えられる口付けで昂ぶる身体。その事実に驚愕して、目が覚めたように和馬はいつの間にか慧の背に回してしまっていた身体を押しのけた。
 意外にもすんなり離れた慧は、呼吸しながら冷静な理性を取り戻そうとする和馬の目の前で、腹ばいのまま軟膏を指先に掬う。

「い、いらないって、言ってんだろ」
「すぐすむよ」
「いい!」
「痔とかになったら困るだろ?」

 片腕であっさり伏臥させられると、マットに擦れる自身の欲望が兆し始めていたことを思い知って、もうなすがままに枕を抱いて顔を埋めた。

「すぐ終わるから。ね?」

 微笑を含んだ声だった。

「――っふ、ぅ」
「冷たい?しみないよね」
「うぅ……うぁ!?」

 ぐりぐりと秘孔を撫でていた指先は何の前触れもなく、これも和馬が誰にも触れさせたことのない場所に踏み入ってくる。

「…もう少しだよ。力を抜いて」

 穏やかに声を掛けながら、裏腹の荒々しさで他人の秘部を蹂躙するのが義弟の性格なのだ。悟る和馬は、ぬぷぬぷと、まるで拡げるような動きをする憎たらしい指先が出て行くのを声を堪えて待った。

「ぅ……んっ……ぁ……」
「痛かったよね?」

 指は抜かれたがわざとらしいほど労しげな声と温もりは離れない。

「はっ……はっ……」
「初めてだった…?」

 答えないでいると、溶けた軟膏で潤みを帯びた無防備な秘所に、もう一度指を突き挿れてきた。
 驚きと衝撃に小さく息を呑む。

「っもう、いい、だろ」
「ね。兄貴。ここ、初めてだったの?」
「きまっ、て、…だろ」

 ありえない場所に指の抽挿を受けて、和馬は息も絶え絶えに答えた。
 少し鉤状に曲げられた指を埋められ、抜き出されて指の節が刺激するごとに下腹の奥から嫌な疼きが生まれてくる。愛情など欠片もない愛撫によって身体の芯が熱を帯びていく感覚は、この上もなく不快だった。

「慧――っもう、やめてくれ」

 息継ぎの合間の哀願は聞き入れられた。
 指を抜かれて肩で大きく息を吸う和馬に、ぴたりと重なる大きな温もり。

「……ナニ?」
「おやすみ、兄貴」
「戻れよ、部屋!」

 義兄の身体を抱き枕のように抱え、上掛けを二人の身体に掛ける、和馬より一回りは大きい身体は動く気配がなかった。

「も…戻れって、おい」
「おやすみ」

 何を言ってもこいつは出て行かない気だ。今日一日で慧のことを随分知った和馬はいくらか学習していた。
 どちらにしろ学校でのことや、公園でのことがある以上慧には逆らえない。それにも増して、身体は疲れ切っていた。

 裸のまま背後からぴたりと密着されて温度の高い身体を押しつけられて。こんなまま眠れるわけがない。などと思ったのも束の間、あっけなく意識は睡魔の手に落ちた。



――明日ね……。

 眠りの縁で優しい声が囁く。

「ん……?」
「明日はもっと、気持ち良くさせてあげる」

 うなじに触れるのは濡れた唇。
 嫌な汗が出た。脇腹から回された手はほどけそうもない。早まる鼓動を抑えつけるように呼吸を深くする。
 明日は。
 それは、今日はもう何もない、ということだ。

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