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回避

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 目が覚めた時、ベッドサイドの時計は十時を回っていた。

「はぁ?!」

 慌てて飛び起きる意識についてこれない身体は、全身で悲鳴を上げる。

「いっっ、てぇぇ」

 どうやら裸のまま寝ていたらしい。それにしてはまだ肌寒い季節だというのに、身体は冷えていなかった。
 そこで思い出す。義弟の温もりとそして、もっと激しく生々しい熱を。
 頭を振って嫌な記憶を追い出す和馬は、舌打ち一つで気分を入れ替え着替え始めた。





 昨夜の公園の前を通った時にどきりとした。制服を着た警官が二人と、恐らく私服の刑事らしき男が二人、何事か話している。
 目を合わせないように通り過ぎようとしたが、入り口付近に防犯カメラがあったかどうかを思い出せずに振り返ると、安っぽいスーツ姿の男と目が合った。

「君、それ制服でしょう。こんな時間にどうしたの」

 昼も近い時刻だ。こんな時の言い訳は決まっている。

「病院に行くんです。診察の予約があって…」

 わざとらしく左の脚を引き摺れば、大概騙せる。制服は多少だらしなく着ているが、今時(節約のため)髪を染めていない上に病弱かと言われるほど色の白い見た目と、更にこれは本人に自覚はないが常から潤みの強い、どこか庇護欲を掻き立てるような瞳のお陰で簡単に素行不良を誤魔化せてきた。

「そうか。大変だな、気をつけて行けよ」
「何かあったんですか?」

 思い切って聞けば、昨夜遅く青年三人が酷い暴行を受けて重傷を負った、と朝のニュースよろしく教えてくれた。

「グループ同士の喧嘩ですか?」
「さあなぁ。何か知ってるって友達いたら、近所の警察に教えてくれよ」
「はい」

 死人、は出ていないらしい。最悪の事態にはならなかったようだ。自分の財布と携帯電話は持ち帰った。恐らく慧も。そこで慧が男達の免許証を取り上げていたのを思い出したが、すぐに忘れて学校へと向かった。






 着いたのはちょうど昼休みが始まる時間だ。

「おぉ…お?顔、腫れてね?」
「サイアクだった」

 やや引き攣った顔で迎えてくれた親友の前の席に、苦虫を噛み潰した表情で座る。家を出る時に見た鏡では、右頬が若干腫れていた程度なのだが。

「えっと…大丈夫か?お前」
「全っ然、大丈夫くねぇ」
「上、行くか」

 屋上は昼休みのみ、生徒に開放される。時間が過ぎると生徒会の役員が鍵を閉めに来るので、うっかり寝過ごした生徒が放課後屋上から校庭の生徒に助けを求めるつもりで大声を上げ、事件になりかけたこともあった。

 移動した屋上で和馬は、雪人に公園でのことを大まかに話した。
 これまでの高校生活で親友と呼べるほど親交を深めた雪人だが、家族のことはおろか慧のことすら話したことはない。
 だが昨日の階段のことを知っているのなら慧のことも分かったのだろうと、ほぼ正確に、ところどころフェイクを挟みつつ義弟のことも絡めて盛大に愚痴った。

「ああ、アイツほんとに弟だったんだな」
「まぁ、そぉ。会ったんだ、やっぱ」
「え?…あのイケメン弟?に?」
「あ?え。ひょっとして家に送ってくれたのって、お前?――だよな」

 階段で落ちてから、自室で目が覚めるまでの記憶がはっきりとしない。もしかして大変な迷惑を掛けてしまったのかも、と今更ながらに慌てる和馬だが、雪人がくれた答えに別の意味で落ち込む事になる。

「いやいやいや。俺が人づてに、誰か階段から落ちたらしい→授業サボった和馬だったらしい→保健室に行ったらしい、っての聞いて行ったら…その…お前、寝てて。イケメン弟が『俺の兄貴です。連れて帰ります』って」
「あー…」
「チェーン掛けられるとか、恐ろしい家」
「ほんと、クソ最悪な家だよ」

 菓子パンを囓りながら春霞の滲む空を見上げた。

「……弟いるとか、聞いたことねーけど」
「……弟じゃねーよ」
「いやもう、めっちゃ所有権主張してたぞあの顔。テメー誰だよ、俺の兄ちゃんに触るんじゃねぇゲス殺すぞゴミ。くらいの勢いだったね。笑ってたけど。すっげ怖ぇ顔で」

 口に含んだペットボトルのお茶に噎せる。

「それはねーよ。仲、良いわけじゃねーし。血は繋がってねーし。親父の連れ子だよ」
 「あー…」

 と雪人が零してまた二人でぼんやりと薄水色の空を眺める。

「帰りたくねーなー」

 家?と聞かれて、うん、と返せばじゃあバイトねーし泊まれば?と手を差し伸べてくれる親友だ。

「さんきゅ!」

 居心地の良い雪人に癒されて、この日ようやく和馬は笑った。






 放課後、コンビニ以外の寄り道もせずに雪人のマンションに向かい、二人で部屋に籠もっていると夕飯前にチャイムが鳴った。
 雪人の妹が出る気配。テレビの画面を眺めながら意識のどこかで気にしていると、ドアが叩かれた。

「 ぃ、和馬クンのおとーと来たけど」

 二人、思わず顔を見合わせる。
 開けたドアから顔を見せ、自身の義弟より数百倍は可愛がっている女子中学生が少々下品に笑う。

「和馬クン迎えに来たって。すっげーイケメンなんだけどぉ」
「――いないって言って」
「俺が行く」
「ユキ」
「分かってる。泊まってくんだろ?」
「頼む」

 切迫した表情で察した雪人に思いを託して聞き耳を立てた。


「あらためまして、弟クン。俺、和馬のダチの」
「知ってます。だから迎えに来たんですよ?」

 僅かな間。

「そーなんだ。でも和馬ウチに泊まるって言ってて、なんかもう眠そうだし、体も怠そうだしさ」
「連れて帰ります」

 革靴を脱ぎ捨てる音。廊下を踏む幾つかの足音。

「おい。――今まで何度もうちに泊まってただろ。何で今日に限って迎えに来た」

 トーンの下がった雪人の声に、立ち止まる慧が答える。

「『準備が出来た』から」

 開いていたドアの隙間から顔を見せたのは。

「帰ろう兄貴」

 まだ見慣れない、義弟の笑顔だった。
 自身にも分からない焦燥に苛立ちながら強めに返す。

「俺、泊まってくし」
「タクシー待たせっぱなし」

 断りもなく部屋に入る慧は、マイペースに和馬の腕を掴んで立たせる。

「は?お前一人で帰れよ。放せ、帰んねーって、言ってんだろっ」
「あいつ、出てったよ」

 慧は今日も 微笑わらっている。
 昨日まで何年も見ていなかった、自分が女だったなら胸がときめくような優しげな表情かおで。

「あの女。行き先は知りたいなら教えてあげるけど、多分もう、帰ってこないから」

 だから帰ろ?絨毯に置かれた義兄の荷物を取り上げ、ごく自然に和馬の腰を抱いて部屋を出る。
 慧の言葉を脳内で反芻する和馬は混乱した。
 あの女。慧と共通認識できる女などひとりしかいない。
 母親。ただ一人血の繋がった女のいない、あの家へ――半ば引き摺られるように玄関に下ろされた和馬の背後に雪人が立つ。

「んじゃ、俺もお邪魔するわ♪」

 瞬間、慧が年下とは思えない鋭い視線で雪人を射たことに和馬は気付かない。挑発するような笑顔で返す雪人も靴を履く。

「和馬んち初めて~楽しみ~!」

 軽口を叩きながら、一言も喋らなくなった和馬の肩を強く掴んだ。

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