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日常

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 翌日は朝食を済ませた後、病院には行きたくないという和馬の傷の手当てをして、まだ冬のように冷たい空気の残る木立を散策した。
 その後は東京のホテルに泊まろうという慧ともう少し伊豆にいたいという和馬とで意見が別れたが、慧の方には自分の意見を押し通す気などなく、食事処も旅館選びも、むしろ和馬の選択を優先させまくった。

 学校行事の遠足、修学旅行以外での遠出は滅多にしたことがないという和馬に、慧は複雑な表情でしか返せない。
 二人の記憶に残る「家族旅行」では、和馬はいつも留守番係だった。

「にぃたん、おみやげいーっぱいかってくるね」

 祖母に手を繋がれて約束する慧には、義兄が家族旅行の参加者に含まれていない不自然さが理解できなかった。

「行ってらっしゃい、けいちゃん」

  家政婦と見送る和馬も、また。祖母と母ではない女と慧がどこへ出掛けて行くのかも知らなかったし、僕も行きたい、と言ったこともなかった。

「でも、森さんとはけっこう出掛けてたよね?」

 熱海の温泉街でみやげ店の不気味な木造り人形に見入っていた和馬は、ふと顔を上げる。慧は寄せ木細工の箱を手に、唇を若干尖らせていた。

「そうだな。けっこう……色々行ったな」

 思い出し、口元に自然と笑みが浮かぶ。
 なるべく無駄遣いをしたくないという和馬に対し、一生に一度の青春を無駄にする気か! と対抗した雪人は、長い休みになる度に和馬を連れ出した。
 近場では川越、鎌倉、少し遠くて箱根に白馬。高二になってからは一泊二日程度の予定を立てて、時には女性だらけのバスツアーに混ざってハーレム状態を満喫しながら、和馬は雪人と共に生活圏以外の世界を識った。

 雪人にしてみれば、真新しく目にするものにいちいち素直に、それはそれは可愛らしく反応する和馬が見たくて連れ出したようなものだったのだが。

「俺とは今度沖縄行くからね」
「沖縄?いいけど何で?」
「あと、北海道も」

 恋敵に対抗心を燃やす慧の心情も知らずに、疑問符を浮かべる和馬だ。

「?まぁ、どこでもいいよ。楽しみにしとくわ」
「どこでも良くない。森さんと行ってないトコだよ」
「?ふーん。じゃあやっぱ、ちょっと遠くだな…」

 呑気に日本地図を思い浮かべて記憶を手繰る和馬に、慧は苛々と歯を剥く。

「どこに行っても俺と一緒の方が楽しいに決まってるじゃん」
「それは分かんねーだろ。…あと、福岡とか宮崎もいいな」
「楽しいに決まってるだろ?!」

 子供のように喚いて肩を掴む義弟の勢いに、きょとんとした兄は純真な微笑みで返してやる。

「俺はお前といられるならどこでもいいよ」
「―――」

  一発KO、ノックアウトだ。









 日曜日は熱海の旅館に泊まり、月曜日は三原の迎えは頼まず、在来線でも二時間掛からない距離を、慧に丸め込まれて新幹線利用の乗り継ぎで登校した。チケットは旅館の支払い同様慧が持たされているカードで決済したが、実は和馬の財布にもそれなりの金額が入っている。

 普段パートタイマーの主婦以上にバイト料を貰っている和馬だが、それ以上の金額が毎月自身の口座に振り込まれているのだ。中学入学と同時に開始されたそれは、月末の一般的給料日に入金され、振り込み主は「三原メディカル株式会社」となっていた。
 派手な浪費癖もない和馬の預金口座には、三原家のお坊ちゃまらしい金額が貯蓄されている。

 一方の慧は主に株を使って私財を増やしているというのが、らしいといえばらしい。そしてその私財を投じる先は和馬しかない。

 未成年では手続きが面倒なため不動産の購入などには父の名を借りているが、将来的に名義は全て和馬に変えるつもりだし、三原の会社を継げるならばそれらの小金は必要なくなるだろう。保険のようなものだ。
 慧の世界がブレることなく義兄を中心に回り続けていることに和馬が気付くのは、もう少し後になってからのことになる。





 そうして無事、学校の最寄り駅に着き。
 荷物をコインロッカーに押し込み、始業時間ぎりぎりで和馬は教室に入った。

「和馬サン、チョットイイカシラ」

 授業終わりの十分休みにぎこちなく話しかけられ、後ろの席を振り返る。相手は雪人だ。

「何だよ」
「アタクシ不気味な噂を聞きましてネ、週末調べ物をしていたのですのヨ」 
「あ?テメーの方が百万倍不気味なんだよ、普通に喋れキモ

 義弟の胸でしおらしく泣いていたとは思えない、相変わらずの口の悪さだ。ゴホンとわざとらしく咳払いする慣れっこの雪人は口調を変えた。

「三原慧くん――検索したらなんと、『日本の王子様ナンバー1』の大金持ち様だったんですけど」
「それ別人な」
「ランキングは写真付き。ちなみにお前はナンバー6で見事トップテン入り」
「アァ?」
「俺を睨むな、お門違いだ。ほら見ろ」

 下方からの凶悪な視線を避けるように雪人はモバイル画面を差し出す。

「『出ました三原のもう一人の王子様、和馬きゅん!憂いを秘めた横顔がふつくしいぃぃぃ!!』…だって。『直系ではないけれど将来グループ継承もアリ?』だそうで。って俺関係ねーし! 睨むな!」
「日本には肖像権とかプライバシー侵害って言葉はねーのかよ」 
「ないんだろうな。お前んち、てか三原家の家系図が出てたページもあったぞ。騒がれるべくして、ってやつ?げに恐ろしきは女子ネットワークと組織力、哉」 

  気付かぬところで自分の話をされていることほど不愉快なことはない。画面の中の写真は明らかに盗撮されたものではないか。

 もっともテレビやティーン向け雑誌、経済情報誌などの公式な取材依頼は三原グループの大本、三原電気の広報が全て断っているし、直接三原家に出演依頼の電話を掛けてきた雑誌社は、三原の関連企業に買い取られて、部署ごと潰されてしまった過去がある。慧が中学二年の時の出来事だ。

 大きな力で自分が護られていることも知らない和馬は表情の険を深め、雪人までもが、はぁぁと脱力するような溜め息を洩らす。 

「こんな、料理もできねー顔だけ男がなぁ」
「フライパン料理しか作れねぇ顔ナシ男がほざくなゲス」
「おぅおぅ、じゃあ二度と俺のオムライス食うなよお前」 
「……」 
「そこ睨むトコじゃないからね?和馬くん」

 こんな料理もできない男に惚れてたくせに、と言いたいのを飲み込む和馬だが、口にしていたら「まだ惚れてんだよ、ばーか」と反撃され、更に落ち込むことになっただろう。 

 雪人にしてみれば、ちょっと前まで「自分だけのもの」という感覚で付き合ってきた和馬が急に遠くへ行ってしまったようで、実はかなり落ち込んでいた。

 もともと、人種が違うのかと思うほど色白の肌に印象的な大きめの黒瞳と黒髪のおかげで、女子が和馬を「姫系王子」などと影で囁いているのは知っていたが、雪人の牽制と本人が発する「近寄るなオーラ」で撃退していたのに。
 敵は和馬の家の中どころか、日本中にいたではないか。

『今、今地下鉄で和馬クンの隣に座っちゃったんですけどぉぉー!ヤバぃ睫長すぎ、目とか潤みすぎ!空気が違うまぢヤバすぎぃぃ!!!』

 歓喜した女子高生のSNS画面を思い出し、げんなりと肩を落とした。
 だが雪人を更に落ち込ませたのは、昼休憩の出来事だった。

 昼前に慧からのメールで屋上に呼び出された和馬に付いて、購買争奪戦を捨てた雪人も同行したのだ。
 和馬は、東京駅で別れて一人で家に戻った慧を気にしていた。









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嵐が去ったのでしばらく平和が続きます
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