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真夜中の恋人 17
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幸か不幸かやりかけて放ってあった論文は妙にはかどったものの、千雪欠乏症はそろそろ限界にきている。
バーを出てタクシーを拾うと、京助は千雪のアパートの方へ向かった。
だが部屋に行くわけにもいかず、近くにある行きつけの一杯飲み屋へフラリと入る。
「おや、京助さん、今日は相棒は一緒じゃないの?」
カウンターといくつかある狭いテーブル席は学生や馴染み客でほぼ満席である。
この「寿々屋」は夫婦でやっているのだが、元は向島の芸者だったというちょっと色っぽくてきっぷのいい女将の鈴子が人気で、板前の夫はおしゃべりなおかみとは打って変わって、ぶっきらぼうで恐持てである。
「やっぱこの店、ほっとするよ」
大根の煮物をつつきながら徳利を傾ける京助は、派手な遊び人たちが屯すバーとこの店を比べてみて本心からそんな気がした。
「こんなうるさい店が? うれしいねぇ、京助さんみたいなイケメンがそんなこと言ってくれるとあたしゃもう思い残すことはないよ」
もう思い残すことはない、は女将の十八番だ。
気に入っているのは女将のきっぷのよさだけではない、上辺で人を判断しないところだ。
浮浪者並みの常連客にも金のなさそうな学生にも、女将の態度は変わることはない。
「今度は相棒も連れておいでよ」
女将の明るい声に送られて店を出た。
ポツリポツリと雨がこぼれてきた。
京助は一つ大きく溜息をつき、雨の中をタクシーを拾うと千雪の部屋へ足を向けたいのを抑え、仕方なく自分の部屋へと向かった。
雨は朝になってもしとしとと降り続いていた。
ドアを開けて雨が降っていることに気づいた千雪は、傘を持ってドアを閉めた。
気分は絶不調だ。
あまり雨は好きではないが、理由はそれだけではないだろう。
できれば出かけたくはないが、欠かせない講義があった。
ここのところ何をやってもうまくいかない。
研究レポートも連載の原稿もつまり気味で、イライラしている。
京助の作る料理に慣れてしまったからか、毎日のカップ麺やコンビニ弁当は腹が減るので仕方なく食べているだけだ。
速水や文子が大学に来て十日あまり。
いや、速水と超最悪な出会いをしてからというべきか。
いい加減、アメリカに帰ればいいのに。
本音はそこにある。
学食にも行っていないから、文子と京助がどうなっているのかわからない。
ひょっとしてほんとに、焼けボックイに火がついたのかも知れないなどと、気になってしまう。
俺ってホンマ、勝手なヤツ。
自分で京助に来るな、会わないなどと言っておいて、すぐこれだ、と自分でも呆れながら、トボトボと雨の中を歩く。
植え込みの傍を通る時、土の匂いがして、顔を上げると、雨に濡れた若葉が綺麗な緑色に輝き、初夏を感じさせる風が通り抜けた。
二階の廊下の窓から雨が地面へと降り注ぐのを何気なく見つめながら、京助は授業の終わりを告げるチャイムを聞いた。
「やあ、京助くん」
教室から出てきた宮島教授が京助を見つけて声をかけた。
「あ、先生、どうも」
「面白いところで会うね」
「そうですね」
宮島と連れだって階段を降りる京助は、我ながらいじましいと思う。
何せ、教授と会ったのは偶然などではなく、宮島の講義がこの教室なのを調べて終わるのを待っていただけのことである。
「そういえばこないだ、千雪のやつのとこへまた刑事が来てたみたいですが」
千雪に会いたいが来るなと言われ、しかも携帯も切られているので少しでもようすが知りたいと、宮島教授にさり気なく近づいてみたというわけだ。
「おや、そうなの? 千雪くんも忙しいねぇ。さっきも工藤くんから電話がきて、今夜また映画の打ち合わせがあるみたいだし」
「え…………」
何だ? それは!!
意外に簡単に千雪の予定を知ることができたのはいいが、こと工藤のことになると京助は内心穏やかではいられない。
夜は速水や文子と食事をする予定になっていたのだが、携帯で断りの電話を入れた。
「何だよ、店、予約しちまったのに」
「また今度にしてくれ」
会わない、来るな、千雪にはそういわれている。
んなもん、これがじっとしていられるか!
夕方、京助は千雪のアパートの近くにある駐車場に置いている車を出し、先回りして乃木坂に向かった。
首都高を降りて、飯倉片町の交差点から外苑東通りに入る。
地下鉄千代田線乃木坂駅が見えると、京助は速度を落とした。
青山プロダクションは七階建ての自社ビルの二階がオフィスになっており、裏に回ると数台分の駐車場がある。
京助は空いているのを確認すると、そこに自分の車を滑り込ませた。
いかにもオフィスに用があるような顔で、京助はガードマンに会釈をしてオフィス下の螺旋階段あたりへ歩く。
朝から降っていた雨は上がったが、木立を抜ける風は少し冷たかった。
京助はエントランス横の壁に凭れて、やがて現れるだろう千雪を待った。
二十分ほど経ったろうか、バイクの音が近づいてきた。
黒のHONDAの一一〇〇cc。
小回りが利くし、駐車スペースも取らないという理由で、千雪は大学一年の時に買って乗り回している。
皮のジャケットとジーンズに短めのライディングシューズを履いた千雪は、エントランス前にバイクを停めると、ヘルメットを下げて螺旋階段を上がった。
腕組みをして京助は一応千雪が出てくるのを待つことにした。
バーを出てタクシーを拾うと、京助は千雪のアパートの方へ向かった。
だが部屋に行くわけにもいかず、近くにある行きつけの一杯飲み屋へフラリと入る。
「おや、京助さん、今日は相棒は一緒じゃないの?」
カウンターといくつかある狭いテーブル席は学生や馴染み客でほぼ満席である。
この「寿々屋」は夫婦でやっているのだが、元は向島の芸者だったというちょっと色っぽくてきっぷのいい女将の鈴子が人気で、板前の夫はおしゃべりなおかみとは打って変わって、ぶっきらぼうで恐持てである。
「やっぱこの店、ほっとするよ」
大根の煮物をつつきながら徳利を傾ける京助は、派手な遊び人たちが屯すバーとこの店を比べてみて本心からそんな気がした。
「こんなうるさい店が? うれしいねぇ、京助さんみたいなイケメンがそんなこと言ってくれるとあたしゃもう思い残すことはないよ」
もう思い残すことはない、は女将の十八番だ。
気に入っているのは女将のきっぷのよさだけではない、上辺で人を判断しないところだ。
浮浪者並みの常連客にも金のなさそうな学生にも、女将の態度は変わることはない。
「今度は相棒も連れておいでよ」
女将の明るい声に送られて店を出た。
ポツリポツリと雨がこぼれてきた。
京助は一つ大きく溜息をつき、雨の中をタクシーを拾うと千雪の部屋へ足を向けたいのを抑え、仕方なく自分の部屋へと向かった。
雨は朝になってもしとしとと降り続いていた。
ドアを開けて雨が降っていることに気づいた千雪は、傘を持ってドアを閉めた。
気分は絶不調だ。
あまり雨は好きではないが、理由はそれだけではないだろう。
できれば出かけたくはないが、欠かせない講義があった。
ここのところ何をやってもうまくいかない。
研究レポートも連載の原稿もつまり気味で、イライラしている。
京助の作る料理に慣れてしまったからか、毎日のカップ麺やコンビニ弁当は腹が減るので仕方なく食べているだけだ。
速水や文子が大学に来て十日あまり。
いや、速水と超最悪な出会いをしてからというべきか。
いい加減、アメリカに帰ればいいのに。
本音はそこにある。
学食にも行っていないから、文子と京助がどうなっているのかわからない。
ひょっとしてほんとに、焼けボックイに火がついたのかも知れないなどと、気になってしまう。
俺ってホンマ、勝手なヤツ。
自分で京助に来るな、会わないなどと言っておいて、すぐこれだ、と自分でも呆れながら、トボトボと雨の中を歩く。
植え込みの傍を通る時、土の匂いがして、顔を上げると、雨に濡れた若葉が綺麗な緑色に輝き、初夏を感じさせる風が通り抜けた。
二階の廊下の窓から雨が地面へと降り注ぐのを何気なく見つめながら、京助は授業の終わりを告げるチャイムを聞いた。
「やあ、京助くん」
教室から出てきた宮島教授が京助を見つけて声をかけた。
「あ、先生、どうも」
「面白いところで会うね」
「そうですね」
宮島と連れだって階段を降りる京助は、我ながらいじましいと思う。
何せ、教授と会ったのは偶然などではなく、宮島の講義がこの教室なのを調べて終わるのを待っていただけのことである。
「そういえばこないだ、千雪のやつのとこへまた刑事が来てたみたいですが」
千雪に会いたいが来るなと言われ、しかも携帯も切られているので少しでもようすが知りたいと、宮島教授にさり気なく近づいてみたというわけだ。
「おや、そうなの? 千雪くんも忙しいねぇ。さっきも工藤くんから電話がきて、今夜また映画の打ち合わせがあるみたいだし」
「え…………」
何だ? それは!!
意外に簡単に千雪の予定を知ることができたのはいいが、こと工藤のことになると京助は内心穏やかではいられない。
夜は速水や文子と食事をする予定になっていたのだが、携帯で断りの電話を入れた。
「何だよ、店、予約しちまったのに」
「また今度にしてくれ」
会わない、来るな、千雪にはそういわれている。
んなもん、これがじっとしていられるか!
夕方、京助は千雪のアパートの近くにある駐車場に置いている車を出し、先回りして乃木坂に向かった。
首都高を降りて、飯倉片町の交差点から外苑東通りに入る。
地下鉄千代田線乃木坂駅が見えると、京助は速度を落とした。
青山プロダクションは七階建ての自社ビルの二階がオフィスになっており、裏に回ると数台分の駐車場がある。
京助は空いているのを確認すると、そこに自分の車を滑り込ませた。
いかにもオフィスに用があるような顔で、京助はガードマンに会釈をしてオフィス下の螺旋階段あたりへ歩く。
朝から降っていた雨は上がったが、木立を抜ける風は少し冷たかった。
京助はエントランス横の壁に凭れて、やがて現れるだろう千雪を待った。
二十分ほど経ったろうか、バイクの音が近づいてきた。
黒のHONDAの一一〇〇cc。
小回りが利くし、駐車スペースも取らないという理由で、千雪は大学一年の時に買って乗り回している。
皮のジャケットとジーンズに短めのライディングシューズを履いた千雪は、エントランス前にバイクを停めると、ヘルメットを下げて螺旋階段を上がった。
腕組みをして京助は一応千雪が出てくるのを待つことにした。
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