海ぼうずさんは俺を愛でたいらしい

キルキ

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本編

3 泣き虫の夜③

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「おー、裕也!どこに行ってたんだよ、遅いじゃねえか。あいつらは待ちくたびれて、ビーチバレー始めだしてるぞ……って、なんでそんなにびしょびしょなんだ。肌冷たっ。しかも、背中に傷がめっちゃついてるけど」
「あー、えっと……ちょっところんだ」
「どうやって転んだら背中に怪我するんだよ。いつにもまして顔色悪いし
「あいにく、元々こんな顔だよ。幽霊みたいな顔で悪かったな」
「いやそこまで言ってねえ!……さっきも様子変だったし、もしかして具合悪いのか?俺らに遠慮して黙ってんなら、今すぐ言ってくれ」
「…………」
「先に旅館に行っとくか?俺も一緒に行ってやるよ」
「え、それは悪いよ」
「いいから」

強引に事を進められると何も言えなくなる。友人が俺のこと思っての行動だとわかっているから、なおさらだ。特に長い付き合いをしてきた親友は、それをわかってやっている節がある。でも、海にはまだ来たばっかりだし、こいつだってまだまだ海で遊んでおきたいと思っているだろうに。他の面子に事情を説明している親友の逞しい後ろ姿に、申し訳無さで消えたくなった。



洞窟で気を失ったあと、目を覚ますと俺は洞窟近くの砂浜で倒れていた。海には足くらいまでしか入っていなかったはずなのに、何故か全身びっしょびしょになっていた。あの不思議な生き物は既に何処かに行ってしまったようで、周囲を見渡しても姿は見えなかった。

夢でも見ていたのかと一瞬疑ったが、背中の傷がそれを否定した。十中八九、あのクラゲみたいな生き物に襲われたときに洞窟の壁にぶつけた傷だろう。傷自体はそこまで酷いものではないが背中のあちこちを切ってしまったようで、海水がしみると全部が痛い。服を着てても痛い。というか、アレは一体何だったんだろう…。
あの妙な生物が這う感覚を体に残したまま、何とか友人達のもとにたどり着いたというのが事のあらましである。





旅館についたあとも、俺のテンションは低いままだった。せっかくの旅行なのにこれ以上場を盛り下げてどうするんだと思い、頑張って明るく話そうとするものの、気がつけば絵莉さんの事を考えてしまっている。そんな俺を気遣っていろいろ話しかけてくれる友人たちの優しさに、また消えたくなった。こんなに良いやつらと俺がつるんでても良いのだろうか……。

温泉入って食事を取って、友人たちとお喋りをして、ようやく布団の中に入った。一人になった瞬間、海で見た絵莉さんの浮気現場を思い出してしまった。布団の中で、ちょっと泣いた。



こんな気分のままで、旅行を楽しむ友人たちと一緒にいるのは迷惑だろう。そう思った俺は、次の日の朝、親友に「今日で帰る」と報告した。優しいあいつらは引き止めてくれたが、俺の意思が硬いとわかるとすぐに引いてくれた。

「もう帰んのかよ~、寂しいな」
「体調悪いんだったら、帰ったら絶対病院行けよ。家についたらメールし
て」
「過保護すぎる」
「"次"はお前が行きたいところに行こうか。約束だぞ」
「わかったよ」

別れ際、心配そうに声をかけてくる友人たちを宥めて旅館を出ると、帰りの新幹線に乗った。




数時間後、ようやく我が家に帰ってきた。

部屋に入るなりソファに顔面から倒れる。疲れた。今日はもう、何もしたくない。

旅行は2泊3日の予定だったから、有給は明日まで取ってある。明後日には、会社で絵莉さんと顔を合わせなければいけない。一日、時間があるだけでも幸運だろうか。いや、恋人に浮気されて幸運もくそもあるか。今頃彼女は何をしているのだろう。浮気相手の男性、陽気な人だったな。俺とは正反対のタイプで。うわ、考えたくない。しばらくソファの上でごろごろしながら脱力していた。

「…………はぁ」

ため息を一つ吐いて、鞄の中からスマホを取り出す。ソファにごろりと転がったまま、メッセージアプリを開いて絵莉さんのトーク画面を表示した。

文を打っては消して、打っては消して……。迷いに迷った末、最終的に打てたのはこの一言だけだった。

『別れてください』

送信ボタンにかざす指が震える。メールでこんな大事なことを言うのは失礼だろうか。でも、こんなメンタルのままで、彼女と面と向かって話せる気がしなかった。海辺での話を聞く限り、絵莉さんも俺と別れたがっていたようだし、別れるなら早いほうがいいだろう。

意を決してボタンを押し、メッセージが送られたことを確認すると、すぐさまスマホの電源を切った。

「今日はもう休もうかな。……お腹も減ってないし」

夕方ごろだけど、もうお風呂に入って寝てしまおう。そう思った俺は、ようやくソファから身を起こした。





一人暮らしになると、掃除や洗濯、食事がおろそかになるときもある。けど、風呂の掃除だけは欠かさず毎日していた。何故って、風呂が好きだから。

温泉も気持ちよかったが、家の風呂でしか取れない疲れもある。さっさと湯船の準備して、体を洗い始めた。疲れているから、ざっと洗ってしまう。

温かい湯船に浸かると、長く息を吐きながら声が出る。この、疲れが湯に溶け出していく感じが好きだ。どんなに疲れても、湯船に入っている間は幸せな気分になれた。

でも、どうしてだろうか。こんなに温かい湯に浸かっているのに、体の芯は冷たいままだ。湯のぬくもりは外皮に留まり、内側まで染み渡ってくれない。凍えたままの内側は、自分ではどうすることもできないのに。

「寒い、さむい……さみしい」

寒い。寂しい。時々、心にぽっかり穴が空いたみたいに切なくなって、泣いてしまうときがある。そういうときはたいてい、幼い頃のことを思い出す。

病弱だった俺は、高熱で床に臥せっていることも珍しくなかった。忙しい母は俺を病院に連れて行く暇もなかったから、誰もいない家に一人で布団に寝ていた。学校ではみんなが楽しく過ごしている中、俺は一人ぼっちで。それが寂しくて、熱が出て体力が消耗していても、ぐずぐず泣いていた。大人になっても泣いているのだから、俺の精神は全く成長していない。

でも、「さみしい」と口には出しているものの、本当のところはよくわかっていない。ただ、寒くて寒くてたまらないのだ。胸に空いた穴をどうしたらいいかわからなくて、寂しいと言ってしまう。

この穴を初めて埋めてくれたのが、絵莉さんだった。初めて彼女の前でこうなったとき、絵莉さんは優しく寄り添ってくれた。

───大丈夫、大丈夫。私はちゃんと、ここにいるから。ずっとあなたのもとにいるから、安心して。ね?もう寂しくないよ。大丈夫、愛してるよ。

ついこの間も、「大丈夫」と声をかけてくれた。けれどもう、彼女が俺に寄り添ってくれることはないだろう。俺たちはもう別れてしまったんだ。

たとえこのまま俺が死んでしなったとしても、絵莉さんは清々したと言って、次の男のもとに行ってしまうのだ。佐野くんと呼ばれていたあの男の元に駆け寄っていく絵莉さんの後ろ姿を想像してしまって、頭がくらくらした。

「……はは、は」

乾いた笑いと、涙がぽたぽたと湯船に落ちていく。水が跳ねるその様子を無心で見つめた。水面に映る自分の顔が、目障りだ。

なんだか、眠い。このまま寝てしまおうか。

浴槽の中で小さくうずくまると、とたんに眠気が襲ってきた。目を閉じれば何も見えなくなるから、怖いことは何も起きないんじゃないかという気分になれる。

寒い身体を抱きしめながら、俺の意識は眠りに落ちていった。
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