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31話 理不尽な敗北
しおりを挟む彼女が私に何かを突き刺した、ハラリと地図が落ちて、それを呆然と眺める――サバイバルナイフ。護身用にしては豪勢だ、だがなぜ……。
「どうしてあの人のそばウロチョロするの、なぜ私からあの人を奪うの、奥様? 笑わせないでよ」
「ハ、ハハ……な、なんの……ことだ……クッ!」
奥様ってことは、來斗が目当てか――
「誤魔化すんじゃないわよ、随分と騒がれてたじゃない。あの人には私が必要なの、分かる?」
「そ、そっちこそ、随分と勝手だ……」
「シブトいわね、いい加減に倒れなさいよ……倒れろって言ってんのよ!」
倒れたら起き上がるのに一苦労なんだよ。
クソッ、身体が上手く動かない――
「お前も、いつまで私に引っ付いてんだよ……邪魔なんだがな――グアァァァァァッ! クゥッ!」
「どう? 痛い? ゆっくり抜くと痛さは倍増?」
金属音と共に、ナイフが床の上を転がるのが見えた。血が滴り落ちる――
「いい気味よ……フ、フフッ、アハ、アハハハ! せいぜい苦しみなさいな! それじゃあ」
クッ……痛さは人並みってか、笑える……。
しかし、このまま逃すわけにはいかない――
「ど、どこへ、行く気だ、ハァ、ハァ……」
「どこって、決まってるじゃない、これからあの人の元へ行くのよ。じゃ、サヨナラ」
「ま、待て……な、なぜ來斗なんだ、訳くらい教えろって……」
「呼び捨て? 忌々しい。そうね、最後のお願いくらい聞いてあげる。あの人はね、私に夢中なの」
夢中だって? 勘違いもいいとこだろ。ああそうか、思い込みか、また病的な奴か。
一応ポリスだろ、しっかりしてくれよ……。
「何でそう言い切れるんだよ……ゴホッ! ハァ、來斗と、何かあるのか?」
「だって、お茶を運んだり、資料を渡したり、あれ頼む、これもお願いって、私にべったりよ?」
「ハハ、そうかい……でもさ、それを仕事って、言うんじゃないのかよ――グフッ!」
「仕事も愛情表現のひとつよ。あなたには分からないでしょうけどね、優しく笑い掛けてくれるの。それなのにあなたは、手を繋いだり、一緒に帰ったり、何様のつもり? 奥さんなんてただの飾りよ、いい加減に自覚したら?」
まずいな、目が霞んできた、どうする――
グイーンッとエレベーターの動く音が聞こえる、耳はまだ機能しているようだ。
だが通り過ぎてしまった、私に余裕はない。
「行ってしまったわね、次のに乗ってあの人に逢いに行きましょう」
「な、なあ……いつから……私達のこと……を?」
「あなたがあの人と中庭にいるのを見たわ、図々しい。あ、来たわ。では奥様、今度こそサヨナラ」
「お、おい、待て! クッソ……」
中庭って、休憩していた時か、まさかこんなことで敗北かよ、情けない――
一度は怪我くらいしておくんだったなぁ……。
ああ、脚に力が入らない……。
立ち上がるのが嫌だと身体が訴える――
そこへドアが開く音が聞こえた。振り向くと直斗が書類を手に、少々浮かれた顔で部屋から出てきた――私に気付け……。
「良し、完璧だな、サインサインと。あ、ゴミ」
ああ直斗、ゴミもいいけど私にも気付いてくれ。いや、そのまま來斗の所へ早く行け。
來斗が、お前の兄貴が危ない――
「ん? あれキーナじゃん。何そんなとこに座り込んでんだ、腹でも痛いのか?」
「まあ、そんなところだ、早く、上に行け……」
コツンと直斗がナイフを蹴飛ばした。
「おっと、何だよこれ……えっ、ナイフ?」
「直斗、上だ……ハァ、來斗が危ない、ゴホッ!」
直斗が私の腹部の血に気がついた――
「……キーナ、何だよ、どうしたんだよソレ……血だらけじゃないか……ウソだろ、ああああああっ!」
「話してる暇はない……來斗の部屋へ急げ!」
こういうとき、どうやったら相手を落ち着かせることができるのか、そうか、言葉か。
振り絞れ、声を、平然と、私らしく――
「ハァ、私は大丈夫だ、少し休んでるだけだ。それより來斗だ、兄貴を守れ、私もすぐ行く……」
「大丈夫に見えるわけないだろ! すぐ救急車呼ぶからな! 待ってろ!」
「デカい声出すなよ……ほ、ほら、早く行け!」
「キーナ、死ぬなよ! ああ、チクショウ!」
「直斗! お前は警官だろ、行けったら行け! 」
「ああ、クッソ! 分かったよ!」
ああ、血が止まんないや、意識が……。
私って不死身じゃなかったのかよ。血かぁ、私の血も赤いんだな、泥水でも流れてんのかと思った。フッ、面白いじゃん……。
『キーナよく聞け、ピアスを外せ。さすれば血は止まり、すぐに回復するであろう。バカタレ!』
この声は……神か、ピアスだって?
私は言われた通りピアスを外した。
「カチ……」
ハァ、ああ少し楽になった……。
バカって、それをいま私に言うのかよ。
でもこのピアスに秘密があったとは。
無くしたらまずいな、ポッケにしまっとくか。
ウッ! ああ痛い……。
血は止まりかけてる、だがまだ動けそうにない、直斗よ、間に合ってくれ――
そこへピンッとエレベーターの到着した音が聞こえる。なんだよまた敵か、そりゃキツいよ……。
「ハッ! キーナ! ああキーナ……」
來斗が青ざめた顔で私に駆け寄る――
「ああ來斗、無事だったか、良かった……」
「バカヤロウ! 喋るな! クソッ! 俺のせいだ、俺の……」
「やめろ、私の不注意だ、ああ家に帰りたい――連れてってよ……」
家に帰りたい、私達の家に。こんな時は、來斗に包まれて寝たいんだ……。
「バカ、動くな! いま救急車が来る、頑張れ!」
「分かってないなあ、ハァ、私は普通じゃないんだよ、だから、早く連れてってよ……」
また來斗に我慢させるのか、でもさ、ここは一歩引いてくれると助かるんだ、化け物を晒したくない。
「クッ……分かった。少し我慢しろよ、車まで抱えていくからな」
「悪いな、化け物は晒せない、來斗、ごめん……」
「それ禁句な。今度言ったら張り倒す、いいな!」
「……ああ、そうだね、フッ」
來斗は私を抱えて覆パトへ乗せようとしたが、私が無理を言って自分の車へ乗せてくれと頼んだ。
覆パトのシートに血が付くのを避けたかった。どうせ後処理をするのは來斗だろ、そんな事させられない。こういう時の自動運転だ、なんとも有難い。
だが痛みは相当だ。帰り道も、うつらうつらとしか覚えていない。何とか家まで辿り着いたが、私の意識も限界らしい、來斗、あとは頼む……。
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