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【第12話】 龍神祭

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「いっくん、大丈夫?」
 考え事をしていたら、それが顔に出ていたらしい。
 ゲームの途中に浮かない顔をしていたら、タツミが僕の顔を覗き込んだ。
「ごめん、大丈夫…あ」
「あはは!いっくんよわーい!」
 素早く山札をめくると、表の絵には坊主が描かれていた。
 ケラケラ笑い出したタツミを横目に、捨て場にあった大量の札を両手で持ち上げる。指の間から札が落ちていき、乾いた音を立てる。
 ゲームが続行できない、誰の目から見ても明らかな僕の負けだ。タツミは僕の膝を枕にして床にひっくり返って、下から話しかける。
「次は何する?鬼ごっこ?」
「さすがに三回戦はきついよ…。
 そうだ、タツミ。
 今度のお祭りなんだけどさ、一緒に回ろうよ」
 「お祭り?龍神祭のこと?」
 無尽蔵の体力を持つタツミの機を逸らそうと、本題を切り出した。今度の休み、この神社ではお祭りがある。
 閑散とした平日の神社と違ってその日は人目が多くなるので、神域に来るのも難しくなるだろう。ならばと、僕はタツミとお祭りに行くことを提案した。
「うん、駄目かな?」
「いいの?
 人間はお祭りの日は家族で過ごすんじゃないの?」
「そんなことないよ、友達や恋人と来る人の方が多いんじゃないのかな」
「じゃあ行く!一緒に回る!」
「わかった、それじゃあ五時に迎えに行くから。
 ここで待っててよ」
 ぱぁっと、タツミの顔が明るくなる。
 タツミは毎年祭りに参加しているだろうから新鮮味はないだろうに、そんなにお祭りが好きなのだろうか。そのまま室内でぴょんぴょん足踏みしながらウロウロし始めたタツミに、僕はつられて笑顔になる。
 お祭りに来ている人は、まさか神様が一緒にお祭りに参加しているとは思わないだろうな。

『そうやって穢れがついたり信仰が薄まったたりしたら、神様の力が弱まっちゃうんだからね』

 だが、ふと紅葉の言葉が想起された。
 神社は神様を祭るためにあるものだけれど、公共の建物という側面もある。地元の人が大事にしている神様に外から来た僕が気軽に会いに行くこと、神域に入ること、それが良いことではないのは少し考えればわかることだ。
 仮にタツミが神様だと言ったら、紅葉は僕が神域に入ることを許してくれるだろうか。それとも、猶更神様を穢すなと怒るだろうか。いや、きっと信じてもらえないだろうな。
「ねぇ、タツミ。
 もみじ…友達がさ、神域に人間が入ったら神様が穢れるって言ってたんだ。
 それって大丈夫なの?」
 僕がこの神域に入った回数は数えきれないし、タツミを追いかけて土足で部屋に上がったり泥を投げつけたりしたこともある。穢れが汚れと関係あるかどうかはわからないけど、神聖さを損なっていると言われたらぐうの音も出ない。
 僕が恐る恐る尋ねると、タツミはあっけらかんと答えた。
「いっくんはいいの」
「いや、でも」
「いっくんは特別だもんね」
「…あぁ、うん」
 まぁ、龍神様が言うならいいか。
 それ以上深くは聞かなかったけれど、タツミが僕のことを特別扱いしてくれるのは悪い気がしなかった。もしくは僕は間接的には紅葉のせいでいじめられたわけだから、彼女の言動を軽視していたのかもしれない。
 タツミは僕が気にしているのは他の女性の言葉がきっかけだとは思いもしないようで、僕がすぐに帰りたがるのは穢れを気にしていたからだと思ったようだ。
「そんなに心配しなくても、交じわりでもしない限り大丈夫だよ」
「マジワリって?」
「あ…」
 タツミの顔が一瞬青ざめて、次の瞬間には茹蛸のように顔が赤くなって頬が染まった。知らない単語が飛び出たから聞き返しただけなのに、まさかそんな照れているような恥ずかしがっているような顔をするとは思わなかった。
 僕より小さいのに大人より強い怪力を持ちいつでも傍若無人に振る舞うタツミが、今は小動物みたいにいじらしい表情で指を絡ませている。そのかわいらしさが滅多に見れないことだとわかっているから、思わず見入ってしまった。
 マジワリ?交わり、穢れるような行為ということは…行為?
 そして数秒後、頭の中でタツミの言葉を反芻してから自分で答えに辿り着く。思春期の男子中学生が知らないわけが、興味を持たないわけがない。
 つまり、男女の営みのことだ。僕もタツミと同じくらい、いやそれ以上に顔を赤くした。
「ご、ごめん!」
「あう…あ、いや、いいよ…」
 言葉尻が小さくなっていくタツミもまた良くて、噛みしめた奥歯から血が滲むほど、ここにカメラがないのが残念だった。
 いくら幼子のように無邪気だからと言って、タツミは性知識がないほど無知ではなかった。そのことがショックなような、もっと聞き出したいような、でも一縷の望みがあるような、複雑な気持ちが絡み合って捻じれていく。
 結局その日は僕の無粋な質問によってお互いに気まずい雰囲気になってしまい、僕らは早々に解散となった。
 「と、とにかく!
 いっくん、明日は秘密基地の入口で待ってるからね」
 「う、うん…!わかった」
 このとき、僕は恥ずかしさと焦りで何も考えずに頷いてしまった。もう神域に入らないと決めたからには、秘密基地の入口にも行くべきではない。石段の階段を上るべきではない。
 だが一度了承した手前、さらにタツミが嬉しそうにはしゃいでいるのを見て、僕はそれ以上何も言うことができなかった。

 笛の音とすりがねの高音に交じって低い太鼓の音が時々聞こえる。お囃子が大きくなるにつれて焼きそばやチョコバナナ、タコ焼きの匂いが漂い始め、日没後の暗闇の中で眩しいくらいに屋台が輝いていた。
 持ってきた紺色の浴衣を着て境内に続く階段を上っていくと、村のどこにこれだけの人がいたのかと思うほど、人ごみが増えていく。
 そのなかには同年代の中学生らしき子供もいて、胃の辺りに石を入れられたみたいに重くなる。今日だけは、北斗も僕も夜遅くまで楽しんでくるようにと送られたばかりだ。僕はこれから出会うタツミのことを考えて気を保ち、いじめっ子たちと出会わないことを祈りながら境内へ続く階段を一段一段上った。
 普段は静かな境内は、あちこちから注文の声や笑い声が上がりにぎわっていた。
 3列か4列ほどの道を空けて所狭しと屋台が並んでいて、視線があちこちに飛びそうになるが、僕は一直線に参道を横切って秘密基地へ続く石づくりの階段へ向かう。
 タツミはどんな格好で来ているのだろうか、いつもの巫女服か、それとも浴衣か。髪型は自分じゃ結べないだろうから、僕が結びなおさないといけないだろうな。
 そういえば、巫女服以外の私服は一度も見たことない。
「すみません、通してください…」
「おい、危ねぇぞ!」
「ごめんなさい!」
 階段まで行く道は屋台があって進めなかったので、焼きそば屋とチョコバナナ屋の間を通って裏に入る。
 店主に怒られながらモーター音を響かせる機械やコードをまたいで階段に辿り着くと、赤いコーンが置かれていた。
 周囲に人影がないことを確認する。屋台の喧噪と位置的に影になっていることから、これなら誰にも見つかることはなさそうだ。
 立ち入り禁止のコーンをどける。浴衣で脚を上げにくいのを、帯を緩めて階段を登攀していく。提灯の明かりも届かない暗闇で段差を手探りで掴み、息を切らしながら上がっていった。
 早くいかないと、タツミが怒り出す。大の男の人に怒られるよりも、タツミに怒られる方が嫌だなんて笑ってしまう。
 最後の一段を登りきると、一寸先も見えない暗闇が続いていた。
「はぁ…はぁ…やっとついた」

「やっぱり来たぞ、この罰当たりが」
「え……ぎゃっ!」

 あまりに暗い道だったから、衝撃を受けたのがどこなのかも今が見ているのが地面なのか空なのかもわからなかった。
 殴られたと気づいたのは、頬に冷たい地面が当たっているとわかってからだ。ぬめりとしたものが顔に垂れてくる。腕も足も動かない。
 何が起きたのかわからずに気絶した僕の頭の上で、知らない男と聞きなれた声の老婆が喋っているのが聞こえた。
 月明かりで微かに見えたのは、隣家の老婆と額に切り傷の跡が残る男の顔だった。
「神主のいう通りだ、祟りは存在したんだ」
「生贄じゃ、生贄を出すんじゃ。
 そうすれば村は救われるはずなんじゃ」

 いつからか、僕は同じ夢を見続けている。
 夢から覚めれば忘れてしまうのに、次に見た時はまたあの夢だと気づく。そんな不思議な夢だ。
 龍神村の大通り沿いにある藁ぶき屋根の家の中で、僕は両親から同じことを告げられる。

「村のために犠牲になってくれ」

 酷い干ばつがあった年だった。
 畑が枯れて農作物も貯蓄も無くなってしまって、すでに小さな子供や身体の弱いお年寄りが何人も飢えて死んでしまった。泣いて謝罪する両親の後ろでは、村長が誇りとか名誉とか言っていた。
「母さん父さん、良いよ。
 きっと僕はこのために生まれてきたんだ」
 村外れの山の上には龍が住んでいる。
 龍神様と崇められる人食い龍に身を捧げれば、その礼に雨を降らせてくれる。それがこの龍神村の常識で、僕はそれを疑いもしなかった。
 だが身を清め白装束を身にまとって神域に足を踏み入れた僕を迎えたのは、美しい少女だった。
「ようこそ、私の家へ!」
 タツミだ。
 タツミは僕を食らいもせず捨てもせずに家に招き入れて遊ぼうと言った。
 生贄の子供たちは、皆タツミと過ごして笑いながら死んで神域の花畑から少し離れた場所に丁寧に埋葬されていた。これは夢じゃない、僕の遥か昔の記憶だ。
「人なんて食べないよ、雨はもうすぐ降るからね」
「じゃあ、どうして生贄なんて…」
「心が汚れた人間に私の姿は見えないんだって、
 だから言っても無駄なんだよ」
 タツミは人を食べないし、村を干ばつで苦しめていたわけでもなかった。
 生贄の儀式なんてまやかしで、何の意味もないのだ。
 だがこれまで生贄に捧げられてきた子供たちは親を失った孤児や病気で命が長くがない者ばかりで、家に帰ることもできずここで生を終えた。
 僕はそれを聞いて、飛び上がって喜んだ。
「じゃあ、僕がそれを村長に伝えてくるよ!」
「え?」
「そしたらタツミは僕の友達とも遊べるし、寂しくないよ!」
「待って、待ってよ。
 それじゃあ駄目なんだって」
「僕、行ってくるよ!」
「待って!駄目だよ!そんなの誰も…」
 タツミは神社から出ることができない。
 神域を飛び出して石階段を一段飛ばしで降りていく過去の僕を、僕は空から眺めていた。タツミが焦って伸ばした手が僕の背中に届かずに落ちていくのも、無知な僕が村へ帰っていくのも。
 僕はただ、村の皆が自分の話を信じてくれると本気で思い込んでいたのだ。
 家の扉を開いたとき、両親は死んだはずの息子が生き返ったと喜んだ。
 だが、他の村人は喜ぶどころか怒り泣き喚いた。
「何をしている!?
 何故帰ってきた!」
「罰当たりな…龍神様がお怒りになるぞ!」
「さては逃げ出してきたな!?
 戻れ!今すぐ戻れ!」
「待ってください!
 この子はそんなことをする子じゃ…!」
「どけ!お前らが言い聞かせておかぬから!」
「祟られる!
 矢倉のせいでワシらの村が滅んでしまう!」
 押しかけた村人の手には農具の鍬や薪を割るための斧が握られていた。腕を掴まれても身体が動かなかった。
 父は背中から殴られてから動かない。母の絶叫が遠ざかっていくと思ったら、僕が男衆に連れ去られて離れていっているのだと気づいた。暴れていたら何度か蹴り飛ばされ、神域の入り口に着くころには顔が腫れて片目が開かなくなっていた。
 父と母はその後どうなったのかわからないが、恐らく僕と同じような結末に至ったのだと思う。
 何度この夢を見ても、結末はいつも変わらない。
 僕が何を言ってもどうしても、僕と同じ顔をした彼は激昂した村人に捕まって殴り殺される。僕の短絡的な行動は、僕の両親を泣かせるだけにとどまらない。家は焼かれ畑も没収されて、矢倉家は何代も先まで村八分を受けた。
 そして村人によって再度神域まで戻された僕は、この時代においても好きな女の子を泣かせた。
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