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一章
7.9 幕裏の令嬢
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それは、悪夢のような時間だった。
偽りの笑顔を貼り付け、
嘘の言葉を並べ立て、
不愉快極まる抱擁を行う。
一体、いつまで続ければいいのだろう。
自身で決めたことだとはいえ、苦痛であることに違いはなかった。
「言う易し、行うは難し、ということなのですね」
誰もいない厨房で、一人呟く。
当然、その言葉に反応するものはいない。
調理は嫌いではない。
手順通り作れば、予定通りのものができる。
策略好きのパトリシアにとって、非常に相性がいい作業であった。
献立さえ決めてしまえば、後は無心に刃物を振るい、火にかけ、皿に盛り付ける。
頭を休めるに持ってこいの作業であるためだ。
とは言っても、複数回同じ工程を繰り返していれば、それも無心ではなくなる。
慣れるということは、余裕ができるということ。
思考の空白には、当然現状の悩みが割ってくる。
アンドアレの暴食対策。
自身との関係を餌にした、単純で普通すぎる飴と鞭戦略は失敗に終わった。
策とは言えぬ、柵にすらならぬ戦術は捨て、彼女は別の手段を取ることにした。
飽食による飽和。
つまり、徹底的に与えることにより、それによる喜びを陳腐化させるというやり方。
人間は慣れる、適応する生き物である。
苦痛も快楽も。
その状況が当たり前になって仕舞えば、それに喜びは感じられない。
だって、明日も明後日も、同じように繰り返される。
望まなくても、願わなくても。
努力しなくても。
暴食は領主として他者を導く上で問題だ。
自身の欲望を自制できずして、民草はついて来ない。
もし、ついて来る者がいたとしても、それは同類か詐欺師の類のどちらかだ。
それに、あの醜悪な外見。
自身たちの代表、主人と公言するのは憚られるだろう。
加えて、あの肉体ではいざという時に戦えない。容易に命を奪われるだろう。やろうと思えば、パトリシアの細腕でも。
さらには、病に倒れる可能性すらある。先の短い、先の見えない男に自身たちの命運を進んで託すのは愚か者のすることだ。
「愚か者……恋に溺れた私も、同類かもしれませんが」
自身の思考に、独り言で答える。
火が爆ぜる音、皿を動かす音、食材が斬られる音。
無機質な音の中に、彼女の言葉と声が混じる。
額には汗が滲み、疲労で肩と腕に倦怠感がたまる。
「料理は愛情、と異国の言葉にはありますが、私としては根性、ですね」
一人冗談を呟く。
当然、誰も答えない。
彼女は一人。
いつも一人。
恋に焦がれた時でさえ。
思いは届かず、願いは叶わず。
偽りの笑顔を貼り付け、
嘘の言葉を並べ立て、
不愉快極まる抱擁を行う。
一体、いつまで続ければいいのだろう。
自身で決めたことだとはいえ、苦痛であることに違いはなかった。
「言う易し、行うは難し、ということなのですね」
誰もいない厨房で、一人呟く。
当然、その言葉に反応するものはいない。
調理は嫌いではない。
手順通り作れば、予定通りのものができる。
策略好きのパトリシアにとって、非常に相性がいい作業であった。
献立さえ決めてしまえば、後は無心に刃物を振るい、火にかけ、皿に盛り付ける。
頭を休めるに持ってこいの作業であるためだ。
とは言っても、複数回同じ工程を繰り返していれば、それも無心ではなくなる。
慣れるということは、余裕ができるということ。
思考の空白には、当然現状の悩みが割ってくる。
アンドアレの暴食対策。
自身との関係を餌にした、単純で普通すぎる飴と鞭戦略は失敗に終わった。
策とは言えぬ、柵にすらならぬ戦術は捨て、彼女は別の手段を取ることにした。
飽食による飽和。
つまり、徹底的に与えることにより、それによる喜びを陳腐化させるというやり方。
人間は慣れる、適応する生き物である。
苦痛も快楽も。
その状況が当たり前になって仕舞えば、それに喜びは感じられない。
だって、明日も明後日も、同じように繰り返される。
望まなくても、願わなくても。
努力しなくても。
暴食は領主として他者を導く上で問題だ。
自身の欲望を自制できずして、民草はついて来ない。
もし、ついて来る者がいたとしても、それは同類か詐欺師の類のどちらかだ。
それに、あの醜悪な外見。
自身たちの代表、主人と公言するのは憚られるだろう。
加えて、あの肉体ではいざという時に戦えない。容易に命を奪われるだろう。やろうと思えば、パトリシアの細腕でも。
さらには、病に倒れる可能性すらある。先の短い、先の見えない男に自身たちの命運を進んで託すのは愚か者のすることだ。
「愚か者……恋に溺れた私も、同類かもしれませんが」
自身の思考に、独り言で答える。
火が爆ぜる音、皿を動かす音、食材が斬られる音。
無機質な音の中に、彼女の言葉と声が混じる。
額には汗が滲み、疲労で肩と腕に倦怠感がたまる。
「料理は愛情、と異国の言葉にはありますが、私としては根性、ですね」
一人冗談を呟く。
当然、誰も答えない。
彼女は一人。
いつも一人。
恋に焦がれた時でさえ。
思いは届かず、願いは叶わず。
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