中の人にも色々事情があるんです!

瑪瑙 鼎

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17:もう一度やり直したくて

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『先生…』
『…』

 ギルドホールに姿を現した先生を見た赤兎は腰を浮かし、行き場のない右掌を空中に彷徨わせた。

 先生はギルドホールの中央に佇み、赤兎に体を向けたまま俯いていた。その線の細いエルフの男性の顔は苦悩に覆われ、唇を固く結び、下腹部の前で組んだ指は祈りを捧げるかのように力が籠められている。先生を覆う張り詰めた空気に皆一様に呑まれ、「私」達が立ち尽くしていると、先生が俯いたまま口を開き、言葉を絞り出した。



『朝比奈さん、――― 本当に、申し訳ありませんでした』



『…せ…』

 空中を彷徨っていた赤兎の右手が止まり、彼の体が彫像のように凍り付いた。氷像と化した赤兎に構わず、先生は目を伏せたまま懺悔の言葉を連ねていく。

『先生は、教師として失格です。あなたが一生癒えようのない傷を抱えているのを知っていながら、その苦悩を汲み取ろうともせず、世間からの批判に耐え切れなくなって逃げるように教師の職を辞してしまった。あなたがどれだけ苦しんでいたか、どれだけ将来を悲観していたか、それを理解しようともせず、自分の身の可愛さのあまり職務を放棄し、雲隠れしてゲームの中に逃げてしまったのです。この事は、誰から何と言われようとも言い逃れる事のできない、私の過ちです』

 俯いたままの先生の瞼が震え、体の前で組まれた指先に力が籠められる。「私」達はホームの中に広がる先生の震えを前にして身動きもできず、ただひたすら、先生の言葉に耳を傾けた。

『…先生になる事は、私の夢でした。恩師に恵まれ、幸せな学生生活を経て成人式を迎える事ができた私は、その恩を次代に返したいと思い、教師を志したのです。成績の良し悪しに囚われる事なく、その子の美点を伸ばし、本人が思い描く夢に向かってどのように進んで行くべきか指し示し、一人ひとり真摯に向き合い、その人生に一時でも寄り添ってあげたい。私はそれを目指して中学教師となり、実践したつもりでした…』

 突然先生は顔を上げ、目を見開いた。先生は赤兎に向かって体を折り、胸に手を当てて体の中に溜まるごうを無理矢理吐き出すかのように身を捩り、目に涙を浮かべ悔恨の言葉を繰り返す。

『…だけど、私の志は上辺だけだった!苦境を前にして、なおも、あなたに寄り添う事が出来なかった!あなたが手足が動かず、夢を断たれ苦しんでいたのに!私はあなたの何の力にもなれず、あなたの苦悩を晴らす事も新たな目標を指し示す事もせず!ただただ力のない自分を慰めるために、頭を下げ続けた!私の謝罪など、あなたにとって何の希望にも慰めにもならないのに!真に教師を志した者であれば、どんな険しい道のりであっても生徒に進むべき希望を指し示すべきなのに!…私は…それを、為し得なかった…』

 体の中の苦悩を絞り出した先生は、胸に手を当てて嘔吐えずくように深呼吸を繰り返しながら、言葉を続ける。

『…週刊誌に私の記事が載り、世間の追及と批判に耐え切れなくなった私は教師を辞め、逃げるように家を出ました。流れ着いた先で私は新たな職に就きましたが、世間の目を恐れて極力外へ出ようとせず、このゲームに逃げ込んだのです。
 …ゲームの中で、私は生まれ変わった気持ちになりました。あの事故の事を忘れ、新たな出会いを得て、このゲームで出会った人達に色々な事を教え、手助けする事ができました。それは、教師という職業から逃げ出した私が決して望んではいけない、代償行為だったのです。
 ――― 私は教師と呼ばれるに値しない、卑怯な女です』



『――― 違います、先生!あれは、先生のせいじゃないんですっ!』

 先生が頭を下げようとした途端、凍り付いていた赤兎を覆う氷が割れ、彼は弾かれたように先生の許へと飛び出した。彼は先生の手を取り、頭を下げる先生の視界に割り込むように下から見上げながら、2年間溜め込んできた想いを打ち明ける。

『あの事故は、先生のせいじゃありません!先生はあの時、私にできる限りの事をしてくれました!自身も怪我を負いながら、バスの中で木に挟まれたまま気を失った私を介抱してくれ、病院のベッドから片時も離れず、着の身着のままで何日も付き添ってくれました!私が子供だったんです!先生のせいじゃないのにっ!突然自由を奪われ、絶望へと突き落とされた自分の運命を受け入れられず、私が周囲に当たり散らしただけで!先生は何も悪くなかったんです!謝るのは、私なんです!ごめんなさいっ…先生、ごめんなさい…!』
『朝比奈さん、違うの。私が…』
『違くないよ!先生っ!』

 先生が下から覗き込むように告白する彼を宥めすかそうとするが、赤兎が先生の制止の声を遮った。彼は先生の背中に手を回して抱きつくと、わんわんと泣き出してしまう。

『先生は、素敵な先生だった!まだ幼稚な事しか考えていなかった私達の悩みにちゃんと向き合い、真剣に考えてくれた、素晴らしい先生だった! 
 …私、先生が居なくなってから、一生懸命考えたんです。確かに私は、あの事故で左手足を失いました。だけど、それは終わりじゃないんです!新たな、左手足が動かない自分という、始まりなんです!
 私の左手が役に立たないからって、そんなの、何の罪にもならない!私の左足が動かないからって、誰にも非難される謂われはない!だから私は、正々堂々、動かない左手足と共に、人生を謳歌してやる!ただ単に、開き直っているだけかも知れない!だけど、それで好いんです!だって、
 ――― だから、先生も開き直って下さい。事故を後悔し、クラス担任としての責任に苛まされ世間の追及から逃れようとする頼子よりこ先生ではなく、人に物事を教え相談に乗る事が好きな、北川 頼子として!今から!今日から!開き直って下さい!』



 それは、強烈な自己肯定だった。自分の事だけを考えた、自己愛の塊だった。

 ――― そして、それこそが、「りある」におけるだった。



 私達は「げーむ」の中で何度殺されようと、何度手足を失おうと、次に目が覚めた時には元の健康な体に戻っている。それが、私達が生きる「げーむ」の世界のやり直しだ。だけど、「りある」の世界は違う。殺されたらもう生き返れないし、失った手足も戻って来ない。だから、「りある」の世界ではやり直しは決して起き得ないと、私は思っていた。

 だけど赤兎のマスターは、やり直せると言い切った。元の自分に戻るのではなくて、違う自分としてやり直せると。それは詭弁なのかも知れないけれど、それでも私は正しいと思った。だって、元の自分だって、新しい自分だって、どちらの道も確実に未来へと繋がっているんだから。

 戻れないなら、別の道に進めばいい。ゴールは違っても、前に進めるんだから。



『朝比奈さん…』
『先生、一緒に行こうよ!このゲームの中だけでも好いからさ!私、まだ、何処にも行けてない!先生にこのゲームの事色々教えて貰って、一緒に色んな所へ行きたい!楽しく、笑いながらさぁ!だって、コレ、ゲームだもん!楽しまなきゃ、つまんないじゃない!』
『…うん、うん、そうだよね、朝比奈さん…あなたの言う通りね…』
『先生!』

 抱き締められていたままだった先生の両手が赤兎の背中へと回り、二人は互いを強く抱き締め、涙を流す。先生は静かに、赤兎はわんわんと声を上げて。そんな二人の姿を眺めていたガーネットが目尻を指で擦りながら、ヤマトに囁いた。

『良かったね、仲直りできて』
『そうだな』

 ガーネット達の傍らで、「私」マスターは腕を組んで仁王立ちしたまま、抱き合う二人を眺めていた。ガーネット達の会話に口を挟むわけでもなく、下着を見せびらかすわけでもなく、腕を組んでふんぞり返ったまま、口の端を吊り上げて面白そうに二人を眺めている。その、まるで舎弟を褒め称える親分みたいな傲慢な立ち姿に、私はマスターの素直ではない、だけど赤兎を気遣う心を見つけ、操られた体の中で一人微笑んでいた。



『…朝比奈さん、一つ提案があるのだけど…』
『なぁに、先生?』

 二人が落ち着きを取り戻し、お互いを立ち上がらせようとしたところで、先生が赤兎に話を持ち掛けた。目を瞬かせる赤兎の顔が間近に迫り、先生が思わず頬を染め、目を逸らしながら提案を口にする。

『…先生の事、家庭教師に雇わない?』



『…え?』

 再び赤兎が目を瞬かせ、先生が顔を真っ赤にして、あたふたしながら身振り手振りを交え説明している。

『ほ、ほら!朝比奈さん、何ヶ月も入院していて、3年生の勉強、ちゃんと出来なかったじゃない!?これから高校を受験するにしろ、高卒認定試験を目指すにしろ、必要だから。先生、今、週4で塾の講師やっているんだけど、結構時間に融通が利くのよね』
『…』
『…あっ!報酬なんて要らないから、安心して!中学レベルなら一応全科目教えられるし、高校レベルも英語なら任せて!理数系は流石に無理だけど、文系なら他の教科も朝比奈さんと一緒に勉強しながらアドバイスするから…』
『…』
『…駄目?』



『――― 駄目じゃないよぉ!』

 先生、涙目で上目遣いとは、あざとすぎる。

 俯き加減でぼそぼそと尋ねる先生の姿に、赤兎が泣き笑いを浮かべて覆い被さった。嗚呼、この二人、「ろぐあうと」後に悶絶するだろうな。自分が幾度も経験した黒歴史を思い出して諦観の念を浮かべる私を余所に、二人はひしと抱きしめ合う。

『本当にっ!?私、また先生の授業受けられるんだね!?無償とか言わないで!ちゃんとお父さんとお母さんを説得して、お給料払うから!だから、いっぱい私に勉強を教えて!』
『勿論よ、朝比奈さん。何だったら、宿題もいっぱい出してあげるわよ?』
『それは無しの方向で…』

 すでにかつてのわだかまりなど、微塵の欠片も見られない。傍目から見れば仲の良い姉妹…外見は完全に耽美だけど…の姿に、「私」達は顔を綻ばせる。

 こうして無事仲直りを果たした先生と赤兎は「えすえぬえす」を交換して連絡を取り合う事になり、「ろぐあうと」後の支度部屋では二人の男性の絶叫が響き渡るのであった。



 ***

 こうして先生と赤兎、二人のマスターの新しい生活が始まった。

 二人の「ろぐいん」時間は以前に比べて明らかに少なくなり、昼間「ろぐいん」している姿をほとんど見かけなくなった。元々私のマスターも夜間しか「ろぐいん」して来ない事もあって、私達は「ろぐあうと」の間に行きつけの店でよく落ち合い、互いのマスターの話に花を咲かせる事が多くなった。赤兎も先生も、自分達のマスターに対し深い愛情を注いでいる。そのマスター達が以前より明るく、楽しそうに「ろぐいん」して来る姿を見て、二人共とても嬉しそうだった。

 そうして1ヶ月が経過し、その日も「私」達がギルドホームでお喋りをしていると、頭の中にいつものメッセージが流れた。



 ///// 【ギルドマスター:姜尚】が、ログインしました /////



『あ、先生、おはよう』
『オッス、先生』
『先生、おはよう』



『――― 朝比奈さんっ!』



 ギルドホームに顔を出した先生の表情は、鬼気迫るものだった。昨日までの朗らかな笑顔を捨て去り、その瞳には、突如訪れた事態に臆さず立ち向かおうとする、戦いの炎が宿っていた。その突然の変貌に「私」達は不吉な予感を覚え、身構える。「私」達が一斉に黙り込む中、赤兎のマスターが恐る恐る先生に問い掛けた。

『…先生、何があったんですか?』



『――― 朝比奈さん、あなたの手足、もしかしたら治るかも知れない』
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