失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第4章 北伐

52:出陣、エーデルシュタイン

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 ロザリアの第3月15日、エーデルシュタインの北伐軍は予定通りハーデンブルグを出立した。その数、正規兵21,000、ハンター4,000、輜重6,000の総勢31,000。総指揮は王太子リヒャルト、司令官コルネリウス・フォン・レンバッハが率いる、威容を誇る大軍である。

 その大軍の中央に位置する司令部に、1台だけ屋根付きの馬車が随行していた。馬車は飾り気の全くない堅牢で重厚な作りをしており、周りを小隊規模の騎士が取り巻いている。馬車には、4名の女性が乗車していた。

「ミカ様、レティシア様、そろそろ本日の野営地に到着する頃です。殿下のお呼びがかかるかと存じますので、お支度の程をお願いします」
「わかりました、カルラさん」

 カルラから声をかけられた美香は、半ば垂れさがっていた瞼を引き上げ、着ている服を整え始める。隣に座るレティシアが美香を気遣い、襟元を整えてあげていた。

 北伐という戦地への同行であるため、美香達は地味で動きやすい服装をしている。美香は灰緑色のチュニックを羽織り、腰のところで細い革ひもを回して結わえている。下は、暗い茶色のジーンズの様な厚手のパンツで包み、脛まで覆う革靴を履いていた。レティシアもお揃いのような服装を着、カルラともう一人の侍女マグダレーナも汚れが目立たないよう、茶色を基調とした上着とロングスカートに身を包んでいた。

 マグダレーナは31歳の、元々はハンターだった女性で、水の魔術師でもある。出自の関係もあり、礼儀作法については未だ及第とは言い難いが、今回の様な戦場への同行者としてはうってつけだった。特に今回は長期に渡って、大勢の男達の中で過ごさなければならない。女性ならではの機微な事情のためには、女性の「クリエイトウォーター」の使い手が必要不可欠だった。

 空が橙色に覆われ始めた頃、北伐軍は森の中にぽっかりと広がる草原に到着し、設営を開始する。簡単な堀と雨除け用の水路を掘り、奇襲の受けやすい茂み方向を中心にストーンウォールを建て、歩哨を配置した。

 やがて、馬車の方に騎士が一人駆け寄り、護衛隊の騎士と言葉を交わす。護衛隊の騎士は一つ頷くと、馬車をノックし、扉を開けた。

「失礼します。王太子殿下がお呼びでございます。ご足労願います」
「承りました。殿下にはすぐに参りますと、お伝え下さい」

 カルラが騎士にそう応えると、美香に馬車を降りるよう促す。美香は周りの騎士達に見られないよう、隠れてお尻をさすりながら、馬車を降りた。



「ミカ殿、レティシア殿、今日も長旅ご苦労だった。お体の調子は如何かな?」

 美香とレティシアを食事の席に招いたリヒャルトは、二人を気遣い、声をかける。二人は目を合わせ、この場は礼儀作法が行き届いたレティシアが、二人を代表して回答する。

「お気遣いありがとうございます。お陰様で、無理なく一日を過ごさせていただいております。むしろ殿下をはじめ、天に身を晒して行軍されております皆々様の方が、心配ですわ。どうか殿下こそ、ご自愛下さい」
「なんの。私は今、この3万を超える軍を一身に背負っているのだ。この程度の事でへたばってしまうような軟弱な体は、しておらん。のう、コルネリウス」
「その通りでございます。まだまだ先は長いのですから、この程度で音を上げてもらっては困ります」

 そうリヒャルトは闊達に笑い、コルネリウスが相槌を打った。

 なお、この場には王太子リヒャルト、司令コルネリウス、美香、レティシアの他には、ハインリヒが同席している。それ以外は、リヒャルトが手配した給仕だけだった。

 リヒャルトとコルネリウスの会話を耳にした美香は、素朴な疑問をぶつける。

「リヒャルト様、北伐はこの後、どの様な計画となっているのでしょうか?」
「うん?…そうだな。ハインリヒ、説明してくれ」
「畏まりました」

 そう言うと、ハインリヒは食事を中断し、手振りを加えて二人に説明する。

「まず、北伐の目的は大きく2つございます。第一に、エミリアの森を奪還する事。第二に、ガリエルを討伐する事です。優先順位としては、今述べた順となります。エミリアの森はガリエルの根拠地より南にございますので、ここを奪還する事は、ガリエルへの足掛かりにもなります。
 エミリアの森は、ここから北北東の方向へ約2ヶ月進んだ所にあると言われています。かつては人族の繁栄の地と呼ばれておりましたが、ガリエルの侵攻により陥落し、現在はハヌマーンをはじめとする魔物の巣窟となっています。まず今後約半月ほど北上を続け、過去の北伐で取り決められている集合場所で三国軍が合流します。その後、魔物を駆逐しながら北東へ進軍し、エミリアの森を奪還する事が、最初の目的となります」

 ハインリヒは、そう口で説明をしながら右手で宙の1点を指し、そこに向かって左手の3本の指を窄める様に移動させる。そして両手を下ろし、再び食器を手に取りながら、説明を続ける。

「ただ前提として、15年前をはじめとする過去の北伐で得られた情報を元に組み立てられておりますので、この15年間で何が変わったかによっては、行動に変更を加える場合があります。いずれにせよ、長く険しい戦いとなる事は否めません」
「そうだな。しかし私は、今度こそエミリアの森が奪還できるという確信を持っている。ミカ殿、あなたが持つロザリア様の力は、それほどまでに類まれなものなのだ。是非その力によって、我々を勝利へと導いてくれ」
「…ぜ、善処します」

 説明の途中でいきなり大の大人三人から期待を寄せられ、美香はしどろもどろになって返事をする。自分の力の凄さを知らない美香は、何故ここまで皆が楽天的になれるのか、理解できないでいた。



 リヒャルトの天幕の入口が開き、中から美香とレティシアの二人が出てくる。門番の騎士に一礼すると、向かいで待機していた三人の下へ、歩み寄って行った。

「お待たせしました。遅くなって、すみません」
「お帰りなさい、ミカ様。食事は美味しかったですか?」

 迎え出たカルラが、珍しく柔和な笑みを浮かべて、美香に質問をする。

「んー、…やっぱり緊張しちゃって、あまり味覚えていないや」
「そうでしたか。干し果実と紅茶をご用意しますので、お口直しにいかがですか?」
「あ、ありがとうございます。遠慮なくいただきます」

 美香の屈託のない笑顔を見て、カルラだけでなくマグダレーナも頬を綻ばせる。美香は顔の向きを変え、オズワルドに一礼した。

「オズワルドさん、ずっとお待ちいただいて、ありがとうございます」
「気にせずとも良い。今はこれこそが、私の仕事だからな」

 いつもと変わらない不愛想な返事を受け、それでも美香は嬉しそうな顔をする。その美香の横顔を、レティシアが生暖かい目で見つめていた。



 ***

「ヴェイヨの旦那、そっちだ。数は約30」
「あいよ」

 援軍を要請してきたハンターが指し示した方向を見て、ヴェイヨ・パーシコスキは両掌を後ろに向ける。すると、突然両掌から爆発音が響き、ヴェイヨは周りのハンター達を置き去りにして、前方に飛翔するかの様に飛び出した。

 やがて慣性に引き摺られ、長い轍を作りながら着地したヴェイヨは、ハヌマーンの群れの中央に独り躍り出る事になる。しかし、ヴェイヨは気にする事なく、両手を左右に広げて振り回す。

 途端、両の手から火炎放射器の様に炎が撒かれ、体毛に火が付いたハヌマーン達は身を捩り、火を消そうと地面を転げまわった。

 のた打ち回る同胞を尻目に、運良く火を浴びなかったハヌマーン達が、ヴェイヨへと次々に襲い掛かる。しかしヴェイヨは四方から襲い掛かるハヌマーン達を、足を使って避け、手甲を使ってあしらい、上手く躱しながら巧みに輪の中から抜け出す。そして、一方向に集まったところで、再度両手から炎を放射し、次々と燃え上がらせた。

 すると突然、背後の藪の中から鉄の槍が飛び出し、ヴェイヨの右腕を抉る。ヴェイヨの腕の半ばを切断させたハヌマーンは、勝利を確信して人族の様に笑みを浮かべた。しかし、ヴェイヨは焦る事なく左手をハヌマーンへと向ける。

「痛ぇよ」

 一言呟いたヴェイヨは左手から炎を放射し、顔面を焼かれたハヌマーンは槍を手放し、顔を手で覆う。そのハヌマーンの頭にヴェイヨは再び左手を翳すと、今度は地面から撒き上がって形成させた大きな石弾を撃ち込み、ハヌマーンの頭を潰した。

「…ったく、痛いのは勘弁してくれ。嫌いなんだ」

 ヴェイヨは辺りに立っているハヌマーンがいない事を確認しながら、左手で千切れかけた右腕を持つと、傷口同士をくっつける。するとものの数分のうちに傷口が塞がり、先ほどまでの重傷がなかったかのように、ヴェイヨは無造作に右腕を回した。

 傷口を付けているあたりから見ていたハンターが溜息をつき、ヴェイヨに近づく。

「まったく、相変わらず出鱈目な体ですね。戦い方も酷いもんだ」

 到底褒め言葉とは思えない感想を耳にしても、ヴェイヨは気にせず、口の端を吊り上げる。

「いいんだよ。細かい事は苦手なんだ。それに見てみろ、こんなに早く片付いた」
「片付いたというより、むしろ散らかしたんじゃないんですか?」
「揚げ足を取るんじゃねぇよ…」

 辺り一面に広がる、肉の焼ける音と匂いの中で、二人は軽口を叩き合った。

 ヴェイヨの持つ素質は2つ。「再生」と「四聖のかいな」である。「再生」は、常時発動型の自分限定の強力な治癒能力であり、「四聖のかいな」は射出限定ではあるが、地、水、火、風の4属性を両手で使用できる能力であった。特に「四聖のかいな」は強力で、射出限定とはいえ、その威力は「極めし者」に匹敵すると言われている。この攻防に効く2つの素質を駆使し、ヴェイヨは幾多の戦いを生き延びてきた。

 召還される前のヴェイヨは、単なる街のゴロツキだった。腕っぷしこそ強かったが、ただそれだけの、何の実力もない男だった。それがこの世界に召喚された事で、稀にみる強力な素質と、教会と王家の支援を得た。

 ヴェイヨは粗暴ではあったが悪党ではなかったので、教会と王家の期待に応えようと彼なりに努力した。腕っぷしに任せた喧嘩しか能がない男だったが、2年に渡る修練によって我流ながらも実戦に適う技術を身に着け、それが素質と融合した結果、歴代の召喚者の中でも有数の実力者と呼ばれるようになった。もちろん彼は万能ではなかったから、その過程で何度も苦境に陥った事がある。しかし、彼の持つ「再生」が彼を心身共に支え、結果、最後に立っているのは常に彼であった。

 結局、彼が旗頭となった前回の北伐は失敗に終わり、彼は三国の軍勢とともに這う這うの体で中原へと逃げ帰った。しかし、彼はめげずにハンターへと転身し、そして15年の時を経てついにS級へと上り詰めたのである。

 彼は、戦いが好きだった。酒も女も好きだった。そして、その全てを手に入れるために、喜んで戦場へと飛び込んで行った。今回の北伐も、彼にとっては娯楽の一つだった。戦いは、賭け事と同じだ。勝ちと負けの二択を迫られるカードゲームと同じだ。前回は無念にも負け、彼は素寒貧になった。しかし、その過程で体感したスリルと熱狂はかけがえのないものであり、とても楽しかった。

 それがまた始まった。15年ぶりに、でかい賭け事ができる。今度こそ勝ってみせる。そして、その勝利の余韻を味わいながら、旨い酒を飲み、良い女を抱きたい。彼は早々に滾る体を抱えながら、次の戦いを求め、剣戟の音と悲鳴が上がる方向へと走って行った。
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