おまさの歩 本郷将棋料理屋

白塚ゆき

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第二章 形見の駒

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   一

「組み合わせが決まったよ」
 八一屋に入るなり、戯作者の不鳴不飛が言った。
「あとで売りさばいてきまさ」
 もう一人の男が刷り物の束をかざした。
 かわら版売りの末吉すえきちだ。
 下っ引きだが十手も預かる本郷の名物男で、繁華な上野広小路まで出てかわら版を売りさばいている。 
「一枚買おう」
 一枚板の席で呑んでいた先客が右手を挙げた。
 剣術指南の松橋新之丞まつはししんのじょうだ。
 柳生新陰流やぎゅうしんかげりゅう免許皆伝の腕前で、二つの道場を掛け持ちで指導につとめている。
 剣術と将棋には相通じるものがあるというのが松橋の考え方で、八一屋の古い常連だ。
「へい、毎度」
 末吉がすぐさま動いた。
「ありがたく存じます」
 かわら版の文案づくりを手がける不鳴不飛が笑みを浮かべた。
 おまさが松橋新之丞に近づいた。
「気になるか」
 容子のいい武家が訊いた。
 三十になったばかりだが、まだ妻帯はしていない。役者でも通るようなご面相で、剣の達人らしく背筋がぴんと伸びている。六尺(約一八〇センチ)になんなんとする上背だから、町を歩いているとよく目立つ。「新さま」に懸想をしている女は一人や二人ではないとはもっぱらのうわさだ。
「ええ、やはり」
 おまさは控えめに答えた。
「読んでやってくだせえ」
 末吉がそう言って、かわら版を新之丞に渡した。
「おう」
 剣術指南の武家は短く答えると、一つ咳払いをしてから読みはじめた。

 江戸の女将棋指しのきそひの段取りが決まれり。
 選りすぐられしは、次の四人[よったり]なり。

   池田菊いけだきく
   大橋浪おおはしなみ
 八丁堀はっちょうぼりはる
 本郷まさ

 先の二人は武家の子女、後の二人は町場の女なり。ことに、本郷まさは八一屋といふ料理屋の娘にてまだ十四の若さなり。

「まあ、うちの引札になることを書いていただいて、ありがたく存じます」
 おたつが不鳴不飛に向かって頭を下げた。
「一本多めにつけてもらえれば」
 戯作者が笑みを浮かべた。
「そりゃあもう喜んで」
 おたつは二つ返事で答えた。
 松橋新之丞は続きを読んだ。
 
 きそひの場には、さる名刹の住職が手を挙げたり。寺方ゆへ精進なれど、料理も評判の寺なり。
 初めのきそひの組み合はせは、
 池田菊と大橋浪
 武家の子女同士のきそひなり。
 次なるきそひは、
 八丁堀はると本郷まさ
 こちらは町場の女同士なり。
 勝ち上がりし者同士が、再び戦ひ、頂点を目指すなり。
 見事、頂に至れる女将棋指しには、さる筋より褒美の金子と品が贈られる由。
 栄えある勝者はだれか、刮目して続報を待つべし。

「ご褒美が出るんですね」
 おたつが言った。
「それは気張ってやらないとな」
 かわら版を読み終えた松橋新之丞が言った。
「将棋で稼ぎになったらめでてえこって」
 末吉が笑みを浮かべる。
「さる筋とは、どういう筋でございましょう」
 おたつがたずねた。
「そりゃあまあ、伏せることになってるんで」
 不鳴不飛が唇の前に指を一本立てた。
「とにもかくにも、張り合いが出るな」
 松橋新之丞がおまさに言った。
「ええ。でも、ひどい将棋を指したら恥ずかしいので」
 おまさは少し首をかしげた。
「競いの日まで、研鑽だな」
 剣術指南の武家が白い歯を見せた。
「はい」
 おまさの表情が引き締まった。


   二

 八丁堀は町方の与力や同心が多く住まう町だが、町場もいくらかある。八丁堀はるはそこに住まう女将棋指しのようだった。
「どういう将棋を指すのか分かればいいんだがね」
 家主の善助が言った。
「宗与先生ならお分かりになるでしょうか」
 おまさが首をかしげた。
「将棋のことなら何でもご存じだから、宗与先生は」
 おたつが笑みを浮かべた。
「来てくださるようにお願いすればどうだい」
 善助は神棚のほうを手で示した。
「そうですね。こういうときは神頼みで」
 おたつが両手を合わせた。
 少し遅れて、おまさも続いた。
 二人の願いは叶った。
 二日後のひるさがり、駕籠屋の掛け声が少しずつ近づいてきた。
「あっ」
 おまさは小さく声をあげた。
 将棋指しだけあって、人より勘は鋭い。感じるものがあったのだ。
「宗与先生かしら」
 おたつも気づいた。
 二人は外に出た。
 
 はあん、ほう……
 はあん、ほう……

 駕籠が近づいてきた。
 その脇を、嚢を背負って小走りで駆けている若者がいた。
 宗与の弟子だ。
 おたつが目礼した。
 駕籠が止まる。
 若者は立ち止まって息をつくと、駕籠に向かって手を伸ばした。
「すまぬな」
 ひと声かけて、客がその手をつかんで立ち上がった。
「へい、お疲れで」
「手を貸しまさ」
 駕籠屋も手伝う。
 髷が白くなった老人が姿を現した。
 大橋宗与だ。
「いらっしゃいまし、宗与先生」
 おたつがていねいに一礼した。
「いらっしゃいまし」
 おまさも深々と頭を下げた。
「ああ、今日は風が強いね」
 宗与が言った。
 杖は用いず、おのれの足で歩く。
 歩みは遅いが、足どりは存外にしっかりしていた。
 ほどなく、宗与は弟子とともに八一屋に入った。


   三

「競いの場は、今戸いまど慈眼寺じげんじだ」
 宗与が言った。
「本郷からはいくらか遠うございますね」
 おたつがややあいまいな顔つきになった。
「当日に雨風になったら難儀ゆえ、前の日から泊まればよかろう」
 宗与はそう言うと、猪口の酒を呑み干した。
 すでに肴は出ている。
 鮎の塩焼きだ。
 座敷の端に控える若い弟子には茶が出ていた。このあとの指導に備えて、駒を一つずつていねいに拭いている。
「お寺に泊まるのでございますか」
 おまさが少し不安げに問うた。
「そうだ。落ち着いてよかろう。前の日は棋書でも読んでおればいい」
 宗与はそう言うと、ほぐした鮎の身を口中に投じ入れた。
「はい」
 おまさは頭を下げた。
 宗与が編んだ棋書はつねに枕頭ちんとうにある。
 棋書で戦術を学ぶばかりではいけない。詰将棋を解け。一日何問と決めて、必ず解くようにしなさい。
 宗与からはそう教えられた。
 おまさは来る日も来る日も詰将棋を解き、研鑽に励んだ。その成果が如実に出ていた。
「それで、お相手の方はどういう将棋を指されるのでしょうか」
 おたつがたずねた。
「わたしも対局したことはないのだが、力将棋のようだね。中盤から終盤にかけて力を出すといううわさだ」
 宗与が答えた。
「強敵ね」
 おたつが娘に言った。
「おのれの力さえ出せればと」
 おまさは引き締まった顔つきで答えた。
「それがいちばんだよ」
 宗与が言った。
「いまから心の臓がきやきやしますけど」
 おまさは胸に手をやった。
「いつもの心持ちでな」
 将棋の師が温顔で言った。


   四

 競いの日がだんだん近づいてきた。
 八一屋は中食が終わり、二幕目が始まった。
 早めに普請場が終わった大工衆が座敷に陣取り、干物を肴に呑んでいると、二人の男が急ぎ足でのれんをくぐってきた。
「おう、そろそろ将棋の競いだな」
 おまさに声をかけたのは、南町奉行所の定廻り同心、二本柳左近にほんやなぎさこんだった。
 定紋付きの羽織と格子柄の着流しがよく似合う男ぶりだ。
「はい、なんだか落ち着かなくて」
 おまさは胸に手をやった。
「強いんだから、おのれを信じてやんな」
 もう一人の男が言った。
 定廻り同心の手下てかで、十手持ちの不成ならず銀次ぎんじだ。
 銀は不成に好手あり、と将棋の格言にある。
 金に成れるところをあえて成らず、後ろへ引いて成る含みを持たせておくわけだ。
 その名のとおりの将棋好きで、八一屋の常連だ。おまさとも折にふれて対局する。なかなかの腕前で、不成の銀次の勘ばたらきには定評があった。
「そうするしかないかと」
 おまさはあいまいな笑みを浮かべた。
「気張ってやんな」
「おれらが気を送ってやるからよ」
「かえって迷惑だぜ」
 気のいい大工衆が口々に言う。
「ありがたく存じます」
 おまさが頭を下げた。
「まあ、余計なことを考えず、思案は盤上だけにしておくんだな。そうすれば道は拓けるだろう」
 二本柳同心が言った。
「それは、宗与先生からも言われていますので。盤上没我ばんじょうぼつがでやりなさい、と」
 おまさが引き締まった顔つきで答えた。
「おいらみたいに、ちらちらほうぼうを見てるようじゃ駄目だがな」
 銀次親分が言う。
「おめえはほうぼうに目を光らせるのがつとめだからよ」
 定廻り同心が笑みを浮かべた。
 ここでおたつが茶を運んできた。
「おう、すまねえな」
 二本柳左近がいなせに湯呑みを受け取った。
 見廻りの途中だから茶だ。
「親分さんはどちらで?」
 おたつが問うた。
「おいらもつとめだから、茶でいいぜ」
 不成の銀次が答えた。
「おいらたちが代わりに呑んでますんで」
「気張ってやってくだせえ」
 座敷の大工衆が言った。
「おう、ここんとこ、空き巣がほうぼうで出やがってるんで」
 銀次親分が言った。
「そりゃ剣呑で」
「ひっ捕まえてくだせえ」
 声が飛ぶ。
「おう、任せとけ」
 二本柳同心が力強く答えた。
「おいらの足と勘ばたらきで、ひっ捕まえてやるからよ」
 不成の銀次が腕をした。


   五

 いよいよ、その日が来た。
 七つごろ、八一屋は早じまいになった。
 おまさは支度を整え、今戸の慈眼寺へ向かうことになった。
「駕籠はおいらが」
 便利屋の大造が一枚板の席から腰を上げた。
「すみません。頼みます」
 おたつが頭を下げた。
「落ち着いてね」
 大造と呑んでいた人情家主の善吉が笑みを浮かべた。
「はい」
 おまさは一つうなずいた。
「負けたら何か取られるわけじゃないから」
 と、おたつ。
「わたしのほうが年下だから、教わるつもりで」
 おまさが言った。
「でも、勝負なんだから、勝つつもりでやらないと」
 おたつが拳を軽く握った。
 おまさがまたうなずく。
「おとっつぁんも向こうから見てくれてるだろうからね」
 善吉が指を上に向けた。
「御守も入れてあるので」
 おまさが胸に手をやった。
「何の御守だい?」
 家主が問うた。
「おとっつぁんが使っていた駒のうち、余っていた歩を一枚、御守代わりに巾着に入れてあるんです」
 おまさがそう明かした。
「そうかい……おとっつぁんが力を貸してくれるさ」
 人情家主はそう言って目をしばたたかせた。

 はあん、ほう……
 はあん、ほう……

 ややあって、掛け声が近づいてきた。
 駕籠だ。
「来たわね」
 おたつが言った。
 おまさは神棚のほうを見た。
 素早く柏手を打つ。

 どうか見ていて、おとっつぁん。
 そして、力を貸して。

 おまさは心の中で語りかけた。

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