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第十二話
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ルルススは椅子に座り、箪笥の上の時計をじっと見ていた。
木彫りのもので、前髪だけを生やした美しい青年が彫られている。
幸運を司る神だ。
今日は色々なことがあったが、この手は本当に幸運を掴んでいるのだろうか。
時計の針が重なり合い零時を指す。朝にはまだ遠い。
視界の端で動くものを認めて目をやると、コスティが寝返りを打つところだった。
ルルススは音を立てないように気をつけながらベッドまで歩いていき、コスティにずれた毛布をかけ直してやった。
彼のシャツの首元から紐が覗いている。
初めて会ったときに、お守りだと言って首から何かを下げていたのをルルススは思い出した。
昨日会ったばかりのこの青年は、どうして自分に着いてきたのだろう。
賊に殺されそうだったところを助けたからか。
自分でなくても、彼は恩返しと言って誰かと道を歩んだだろうか。それは彼にしかわからない。
会って間もないこの青年に、どうして自分の事情を話すつもりになったのだろう。
それははっきりとしている。
彼は正直だった。
――何か困ってるなら話を聞かせてくれ。力になりたい。
その言葉は嘘偽りのない言葉に聞こえた。
――実のところ、まだ怖いんだ。
その言葉もまた、嘘偽りなく聞こえた。
少しの縁があったとはいえ、会って間もない人間に自分が何を思っているのかさらけ出すのは勇気の要ることだ。
それが恐怖であるなら尚更だ。
近くにいれば誰でもよかったのかもしれない。
しかし、自分が誰かに必要とされたのはこれが初めてだった。
体が文字となった頃、自分はただの黒い塊だった。
これでは駄目だ。
人間と話すためには人間と思われなくてはいけない。
鎧を体の代わりとしたが、いかなるときも顔を見せない自分に人々はいい顔をしなかった。
どこかの街で石像の頭部を手に入れ頭に据えた。
人とまともに話せるようになったが、自分のことを詳しく話す勇気はなかった。
体もなく、記憶もない。自分の存在する証が立てられないのに、その上で他人に化物などと否定されたらと思うと怖くて何も言うことができなかった。
そうしている間にも自分を構成する文字が、少しずつ六文字に還元されていく。
言葉と言葉が混ざり合い、意味のない文字列となっては消えていく。
朧気な記憶が霧散していく。
このままでは、自我すらも。
しかし、見つからない。
この世に咲き誇る数多の事物の中で、自分を指す名前だけが見つからない。
背後に絶望が立っていることを知りながら、知らないふりをして歩き続けた。
それを絶望と知った瞬間に自分が立てなくなることを知っていたからだ。
長い月日が経ち、彼と会い、彼の言葉を聞いた。
彼になら話せる。そう思い、初めて他人に自分のことを明かした。
彼はわからないと言いながらも話を聞いてくれた。
それだけでも十分だというのに、彼は自分の手を握ってくれた。
――お前が助けた奴の手だ。恥じることはねえ、しっかり握れ。
その言葉が空虚に他ならない自分に響いた。
いや、空虚だったからこそよく響いた。
――お前の名前を見つけよう。俺はお前のことを、本当の名前で呼んでみたい。それが俺の恩返しだ。
なんと、優しい響きだったろう。
助けたのは自分だったはずなのに、今や彼は自分のことを助けようとしてくれている。
その期待に応えなければと思った。
だが、今は。
わずかな手がかりを目の前に、自分は怖気づいている。
もし。
もし、自分の名前が見つかり、どういう人間であったか思い出したなら。
自分は彼の隣にいるに値する人間だろうか。
木彫りのもので、前髪だけを生やした美しい青年が彫られている。
幸運を司る神だ。
今日は色々なことがあったが、この手は本当に幸運を掴んでいるのだろうか。
時計の針が重なり合い零時を指す。朝にはまだ遠い。
視界の端で動くものを認めて目をやると、コスティが寝返りを打つところだった。
ルルススは音を立てないように気をつけながらベッドまで歩いていき、コスティにずれた毛布をかけ直してやった。
彼のシャツの首元から紐が覗いている。
初めて会ったときに、お守りだと言って首から何かを下げていたのをルルススは思い出した。
昨日会ったばかりのこの青年は、どうして自分に着いてきたのだろう。
賊に殺されそうだったところを助けたからか。
自分でなくても、彼は恩返しと言って誰かと道を歩んだだろうか。それは彼にしかわからない。
会って間もないこの青年に、どうして自分の事情を話すつもりになったのだろう。
それははっきりとしている。
彼は正直だった。
――何か困ってるなら話を聞かせてくれ。力になりたい。
その言葉は嘘偽りのない言葉に聞こえた。
――実のところ、まだ怖いんだ。
その言葉もまた、嘘偽りなく聞こえた。
少しの縁があったとはいえ、会って間もない人間に自分が何を思っているのかさらけ出すのは勇気の要ることだ。
それが恐怖であるなら尚更だ。
近くにいれば誰でもよかったのかもしれない。
しかし、自分が誰かに必要とされたのはこれが初めてだった。
体が文字となった頃、自分はただの黒い塊だった。
これでは駄目だ。
人間と話すためには人間と思われなくてはいけない。
鎧を体の代わりとしたが、いかなるときも顔を見せない自分に人々はいい顔をしなかった。
どこかの街で石像の頭部を手に入れ頭に据えた。
人とまともに話せるようになったが、自分のことを詳しく話す勇気はなかった。
体もなく、記憶もない。自分の存在する証が立てられないのに、その上で他人に化物などと否定されたらと思うと怖くて何も言うことができなかった。
そうしている間にも自分を構成する文字が、少しずつ六文字に還元されていく。
言葉と言葉が混ざり合い、意味のない文字列となっては消えていく。
朧気な記憶が霧散していく。
このままでは、自我すらも。
しかし、見つからない。
この世に咲き誇る数多の事物の中で、自分を指す名前だけが見つからない。
背後に絶望が立っていることを知りながら、知らないふりをして歩き続けた。
それを絶望と知った瞬間に自分が立てなくなることを知っていたからだ。
長い月日が経ち、彼と会い、彼の言葉を聞いた。
彼になら話せる。そう思い、初めて他人に自分のことを明かした。
彼はわからないと言いながらも話を聞いてくれた。
それだけでも十分だというのに、彼は自分の手を握ってくれた。
――お前が助けた奴の手だ。恥じることはねえ、しっかり握れ。
その言葉が空虚に他ならない自分に響いた。
いや、空虚だったからこそよく響いた。
――お前の名前を見つけよう。俺はお前のことを、本当の名前で呼んでみたい。それが俺の恩返しだ。
なんと、優しい響きだったろう。
助けたのは自分だったはずなのに、今や彼は自分のことを助けようとしてくれている。
その期待に応えなければと思った。
だが、今は。
わずかな手がかりを目の前に、自分は怖気づいている。
もし。
もし、自分の名前が見つかり、どういう人間であったか思い出したなら。
自分は彼の隣にいるに値する人間だろうか。
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