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第6話
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――寄るな! 役立たずが!
父はそう言って俺を突き飛ばした。
――お前など生まれたときに殺しておけばよかった! この忌み子が!
申し訳ありません。父上。
――優れた才があって跡取りとして育てていたものの……、肝心なところでお前は私を裏切った!
申し訳ありません。父上。この世に生を受けて。
俺は生きていていい人間ではありませんでした。そんな人間が、今まで人として生きていられたのは、父上の慈悲のおかげです。
――お前は用済みだ。シュシャオを跡取りとする。いいな。
父上がそう仰るならば。
嗚呼、俺が今まで耐えてきた全ては。
跡取りとしての教育という名のもとにあった酷い日々は、何も報われなかった。
どんなに傷を負っても、どんなに戦場で戦果を挙げようと父上は俺を認めてくださらなかった。
俺に■があったから。俺が生まれたときから不出来だったから。
父上は俺より劣っている弟を認めた。
弟は俺より劣っていたとしても、ただ生きているだけで上出来だったから。
俺の生きる意味はなくなった。
もうこの家にはいられない。直に追い出されるだろう。
だったら自分で出て行ったほうがましだ。
夜に荷物をまとめ、家を出ようとした。
しかし。
――シーリュウ。
誰かが呼んだ気がして振り返った。
庭の廟から聞こえる。家宝が祀られているから絶対に入ってはならないときつく言われていた。
気が付くと廟の前に立っていた。
手は自然と扉に貼ってある呪符を破り、扉を開けて中に入る。
夜中であるというのに、どういう仕組みかほのかに明るい。
祭壇が赤く照らされている。
――シーリュウ。
また声が聞こえる。呼んでいる。俺を。
祭壇に目をやると、青銅の器が祀られていた。
器には饕餮の模様が彫られている。
饕餮とは、渾沌、窮奇、檮兀と合わせて四凶と呼ばれる悪神。
羊の体に曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔を持つ怪物。
財産も食物も貪り、何でも食べることから魔を食らうと、いつしか魔除けの神として奉られるようになった。
その青銅の器は異様な形をしていた。
中から二本の手が生えているのである。
虚空を掴むように伸ばした指には、真紅の光を放つ指輪が嵌められている。
美しい。今まで見たどんな上等な染物より、夕焼けより、血より、鮮やかな赤。
何かに操られるように器に手を伸ばし、その指輪を抜き取った。
十個の指輪を手のひらに乗せて見つめていた。
そのとき、声が聞こえた。
――憎いか。
声は問うた。
父は不出来な俺を生んだ母を詰って毒を煽らせた。
父が叶えられなかった帝に仕えるという望みを俺に託し、ただ強く、優秀であることだけを際限なく求めた。
後妻の生んだ異母弟のシュシャオだけを可愛がっていた。
シュシャオは並の人間だった。悪くはないが人より秀でたところもない。
父に求められるままに修練を積み、勉学に励んで結果を出した俺よりも劣っているシュシャオが跡取りとなった。
俺の人生は何だったのだ。
母の顔も知らず、父に優しい言葉の一つもかけられず、シュシャオだけ幸せそうに笑っている。
振り返ってもいい思い出の一つもない。苦しい日々だけが続いていた。
いつか父上に認められると。そう思って耐えてきたというのに。
――憎いか。
声は再び問う。
いつしか外は雷雨になっていた。激しい雨と雷は何かが怒り猛っているようだ。
俺は指輪を一つずつ指に嵌めていった。
まるで自分に誂えられたかのようにぴたりと嵌まる。
指輪を嵌めるたびに雷鳴が響いた。
そして、残り一つになったとき。
――何をしている!
廟の入り口から父が怒鳴った。しかし、なぜか廟には入ってこない。
――やめろ! それを外せ!
そんなことを言われても。もう捨てる家族の言うことを聞き入れる義理もない。
最後の指輪を嵌めると、廟に雷が落ちた。
父がひい、と悲鳴を上げて腰を抜かした。
指輪を通して体に力が湧いてくる。
――請賜予我辟邪的力量――。
そう告げろと声が聞こえる。
「請賜予我辟邪的力量」
声に従うままにそう口上を述べると、指輪が強く光り輝いて俺の体は鎧に包まれた。
――と、饕餮号……! まだ、これを纏える者がいたというのか……! やめろ、それを纏ったが最後、気が狂って死ぬぞ!
父は饕餮号を纏った俺の姿を見てそう言った。
――憎いか。
声は三度尋ねる。
俺に何も報いてくれなかった父を見た。その顔は恐怖に歪んでいる。
――是を纏う者。才に溢れた者に非ず。憎悪を持つ者こそ、饕餮号を纏うに相応しい。憎悪こそ饕餮号の力の源。西の魔境より来たる怪魔を憎悪を以て討ち滅ぼさん。シーリュウ、お前は何を憎む。
俺は父に歩み寄った。
父は、俺を道具としてしか見ていなかった。役に立たないとわかれば用済みとして塵屑のように扱った。
俺はこれからどうすればいい。何のために生きればいい。
――憎め。憎め。その憎みを怨敵に向けて鏖殺せよ。
声が聞こえる。
俺は。
俺は――。
父はそう言って俺を突き飛ばした。
――お前など生まれたときに殺しておけばよかった! この忌み子が!
申し訳ありません。父上。
――優れた才があって跡取りとして育てていたものの……、肝心なところでお前は私を裏切った!
申し訳ありません。父上。この世に生を受けて。
俺は生きていていい人間ではありませんでした。そんな人間が、今まで人として生きていられたのは、父上の慈悲のおかげです。
――お前は用済みだ。シュシャオを跡取りとする。いいな。
父上がそう仰るならば。
嗚呼、俺が今まで耐えてきた全ては。
跡取りとしての教育という名のもとにあった酷い日々は、何も報われなかった。
どんなに傷を負っても、どんなに戦場で戦果を挙げようと父上は俺を認めてくださらなかった。
俺に■があったから。俺が生まれたときから不出来だったから。
父上は俺より劣っている弟を認めた。
弟は俺より劣っていたとしても、ただ生きているだけで上出来だったから。
俺の生きる意味はなくなった。
もうこの家にはいられない。直に追い出されるだろう。
だったら自分で出て行ったほうがましだ。
夜に荷物をまとめ、家を出ようとした。
しかし。
――シーリュウ。
誰かが呼んだ気がして振り返った。
庭の廟から聞こえる。家宝が祀られているから絶対に入ってはならないときつく言われていた。
気が付くと廟の前に立っていた。
手は自然と扉に貼ってある呪符を破り、扉を開けて中に入る。
夜中であるというのに、どういう仕組みかほのかに明るい。
祭壇が赤く照らされている。
――シーリュウ。
また声が聞こえる。呼んでいる。俺を。
祭壇に目をやると、青銅の器が祀られていた。
器には饕餮の模様が彫られている。
饕餮とは、渾沌、窮奇、檮兀と合わせて四凶と呼ばれる悪神。
羊の体に曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔を持つ怪物。
財産も食物も貪り、何でも食べることから魔を食らうと、いつしか魔除けの神として奉られるようになった。
その青銅の器は異様な形をしていた。
中から二本の手が生えているのである。
虚空を掴むように伸ばした指には、真紅の光を放つ指輪が嵌められている。
美しい。今まで見たどんな上等な染物より、夕焼けより、血より、鮮やかな赤。
何かに操られるように器に手を伸ばし、その指輪を抜き取った。
十個の指輪を手のひらに乗せて見つめていた。
そのとき、声が聞こえた。
――憎いか。
声は問うた。
父は不出来な俺を生んだ母を詰って毒を煽らせた。
父が叶えられなかった帝に仕えるという望みを俺に託し、ただ強く、優秀であることだけを際限なく求めた。
後妻の生んだ異母弟のシュシャオだけを可愛がっていた。
シュシャオは並の人間だった。悪くはないが人より秀でたところもない。
父に求められるままに修練を積み、勉学に励んで結果を出した俺よりも劣っているシュシャオが跡取りとなった。
俺の人生は何だったのだ。
母の顔も知らず、父に優しい言葉の一つもかけられず、シュシャオだけ幸せそうに笑っている。
振り返ってもいい思い出の一つもない。苦しい日々だけが続いていた。
いつか父上に認められると。そう思って耐えてきたというのに。
――憎いか。
声は再び問う。
いつしか外は雷雨になっていた。激しい雨と雷は何かが怒り猛っているようだ。
俺は指輪を一つずつ指に嵌めていった。
まるで自分に誂えられたかのようにぴたりと嵌まる。
指輪を嵌めるたびに雷鳴が響いた。
そして、残り一つになったとき。
――何をしている!
廟の入り口から父が怒鳴った。しかし、なぜか廟には入ってこない。
――やめろ! それを外せ!
そんなことを言われても。もう捨てる家族の言うことを聞き入れる義理もない。
最後の指輪を嵌めると、廟に雷が落ちた。
父がひい、と悲鳴を上げて腰を抜かした。
指輪を通して体に力が湧いてくる。
――請賜予我辟邪的力量――。
そう告げろと声が聞こえる。
「請賜予我辟邪的力量」
声に従うままにそう口上を述べると、指輪が強く光り輝いて俺の体は鎧に包まれた。
――と、饕餮号……! まだ、これを纏える者がいたというのか……! やめろ、それを纏ったが最後、気が狂って死ぬぞ!
父は饕餮号を纏った俺の姿を見てそう言った。
――憎いか。
声は三度尋ねる。
俺に何も報いてくれなかった父を見た。その顔は恐怖に歪んでいる。
――是を纏う者。才に溢れた者に非ず。憎悪を持つ者こそ、饕餮号を纏うに相応しい。憎悪こそ饕餮号の力の源。西の魔境より来たる怪魔を憎悪を以て討ち滅ぼさん。シーリュウ、お前は何を憎む。
俺は父に歩み寄った。
父は、俺を道具としてしか見ていなかった。役に立たないとわかれば用済みとして塵屑のように扱った。
俺はこれからどうすればいい。何のために生きればいい。
――憎め。憎め。その憎みを怨敵に向けて鏖殺せよ。
声が聞こえる。
俺は。
俺は――。
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