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第5章 照り輝く「橙地」の涙雨

87.嵐のようなデート「邂逅」

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「げっ……ははは、どうも~、奇遇だなあ! 君達には運命的なものを感じるよ……」

 俺のよく知る人物……デートの心得を教えてくれた教師であるレインが、引きつった笑顔を浮かべて軽く右手を上げた。

「あ、あはは~、本っ当に奇遇ね! 流石だわ、エリーをデートに誘えるなんて……」

 フィーユの笑顔も同様に引きつっている。エリーというのが、レインと一緒にいる女性の名前らしい。

 夜空の色をしたツインテールを揺らし、彼女は振り返った。白昼の晴空の色をした大きな瞳が、俺達の姿を映す。

「あっ、フィーユちゃんだあ、ご機嫌よう!
 フィーユちゃんもデート中なの……って、ええぇ~っ!?」

 幼い少女のように、澄みながらも高く甘い特徴的な声質。小さく整った逆三角形の輪郭……顔全体で驚きを示し、エリーさんは弾かれたように立ち上がった。

 その視線は、俺の方を向いている。

 ど、どうしよう、初対面の相手だ……碧色の魔糸の持ち主だということ以外は、全く以て予測不可能……! 恐怖から、身体がぴしりと凍りついて動けない……!

 黒いワンピースの裾と、腰を飾る大きな碧いリボンを揺らして、彼女は軽やかにととんと前へ出た。

「うそうそ~っ、デートのお相手、『紅炎』さま!? きゃあーっ、お会いできてエリー嬉しい、ちょっぴり陰のある美貌、かっこいい~っ!

 あっ、いきなりごめんね? 可愛いうさちゃんの女の子もはじめまして、わたしはエリー! 苗字はその……ヴラッドレアっていうの、あんまり可愛くないからエリーって呼んで、ね?」

 上目遣いで俺達を見つめ、人差し指を唇に当て、ウインクぱちん。

 俺とティアは、辛うじて裏返らず済んだ声で挨拶と自己紹介を返し、忙しなくお辞儀した。最中、俺は恐怖以上に驚愕していた。

 この人物、隙が全くない。
 戦闘面においても、かなりの手練れであることは間違いない。

 それだけではなく、上手く言えないのだが……彼女の中には「自分」という存在に対する譲れないテーマがあって、佇まいや言動のひとつひとつに至るまでが、それをストイックに貫き通したもののような気がする。

「やだやだっ、エリーが出張してたせいで全然会えなかったけど、同じギルドの仲間なんだし、お互いオフなんだから~……もっとリラックス、しちゃお?」

 首を傾げる角度が完璧だ。恐らくは骨の髄まで染みついた動作、何度繰り返そうと全く同じ演出ができるのだろう。

 ……ん? ヴラッドレアという苗字、どこかで……そうだ、昨日返却した課題図書に記述があった!

 『橙地』の称号を戴いた『転生者』。シェールグレイ統一戦争時にこの地に拠点を築き、戦後に居住地としてカルカ村を整備した最古の英雄……エイガー・ヴラッドレア。

 カルカの町長はヴラッドレア家が世襲している。その子孫は偉大なる先祖を尊び、「エ」の音を生まれた名の最初につけるという伝統を保持している……

 レインがエリーさんの隣に並ぶ。大変可愛らしい女性と一緒なのに、何だかベルである時のようにドライな雰囲気だ。

「クロさんとティアちゃんの為に、僭越ながらオレから紹介させて貰いますが……彼女は当代カルカ町長の御息女です。『水攻魔導士・三級』のライセンスを持つ、ギルドの登録戦闘員でもあります」

「やーんっ、レインさまったら、お家のことバラさないでよお!
 確かにエリーのお父様はカルカの町長だよ? でもでも、跡を継ぐのはお兄様で、エリーはお兄様をとっても尊敬してる。だからエリーは、エリーらしくカルカに貢献したいの! その為に、もっともっと強く可愛くなっちゃえ~って思ってるんだ!」

 膝を小さく内側へと曲げ、両手を胸横でぎゅっと握り込んで、エリーさんは言った。

 不足を補い不常を癒す、前線に出て戦うのに向かない水属性で攻魔導士の称号を……サリヤ師匠と同じだ、血の滲むような努力を重ねたに違いない。話し方に癖はあるけれど、言葉の最後にこもった確かな熱……誠実な人柄のようだ。

 エリーさんは大きな瞳を更に見開いて、両手を口元へ持っていき、

「いっけなーい! エリー、レインさまとデート中だったんだ!
 3人もデート中、なんだよね? ふむふむ、うんうん、そっかそっか……!」

 真剣そのものの眼差しでフィーユとティアを観察した。そして満足げに大きく頷き、

「フィーユちゃん、受付窓口に立ってるときより、ラブパワーに満ちててす~っごく可愛い! ティアちゃんも、元々可憐な儚げ美少女なんだと思うけど、最っ高に輝いてるっ!」

「らっ、ラブパワー!?」
「てぃ、ティアが可憐で、輝いてるっ……!?」

 な、仲間達が圧倒されている……!

「えへへっ、エリーのセンサーが反応してるっ……2人なら収穫祭で、エリーの素敵なライバルさんになってくれる予感! これ以上お邪魔するのは悪いし、詳しいことはまた後日話そっ……それから『紅炎』さま!」

「ぐっ、あっ、はいっ!?」

 激しく狼狽しよろめく俺に、エリーさんはふっと瞳を細めて微笑して見せた。

「遅くなっちゃったけど、『大禍』からカルカを護ってくれて、ありがとう。今度、改めてお礼をさせてもらうね?
 それじゃ~みんな、またねっ! レインさま、行こっ?」

「うおっ……せ、折角のデートなんだからゆっくり歩こうぜ、エリーちゃん! 3人とも、また!」

 エリーさんはレインの手を素早く掬い取り、軽やかなステップで去っていった……長身の男性が引っ張られてよろめいたのだから、かなりの力だ。

 ……あ、嵐のような時間だったな。
 けれどあの方ならば、レインがデートの相手に選ぶのも頷ける。容姿端麗で名家の生まれで、人柄も朗らかで。

 フィーユが長く息を吐きながら、呟く。

「全く、きちんと間に合わせてくれたら良いけど。デートというよりは、身分の高い者同士の、砕けた会食みたいなものかしら?」

「? ……デートではない、のか?」

 どうやら独り言だったようで、フィーユは俺の問いかけにはっと肩を上げた。

「っ! え、ええ……エリーには幼い頃からずっと、一途に片想いしている相手がいるの。有名な話なのよ、本人が公言しているから。あのレインくんが知らない筈がないわ」

「こ、公言? 片想いしていると? ……そのお相手はどう思ってるんだろうか?」

「相手か……どうとも思わないでしょうね。だって、あの子が恋をしているのは『カルカ』……この街、そのものなんだから」

 フィーユの答えに、俺とティアは顔を見合わせた。生まれ育った街に片想いする……随分と詩的で、どんな感覚なのか分からなかったから。

 フィーユが、ぱんと両手を打ち鳴らした。

「さあ、デート再開!
 お腹もすいたし座りましょ、それに……よかったら『のんびり』聞かせて欲しいの。京さんのことを」

「あ、あたしも聞きたいですっ! ラピットさんじゃないときの、ケイちゃんさんのお話……!」

 京のこと……。
 特にフィーユとは幼少の頃の約束から、不安にさせない為に伝えてはいけないと自制していた。伝えられるようになったのかと、しみじみ思う。

 日除けの大きな大きな青いパラソルの下、俺達は円卓を囲んで座った。
 俺が選んだのは断面の美しいサンドイッチ。フィーユはサラダとポタージュのセットにフルーツタルトを併せて……ティアは蜂蜜がたっぷりかけられ、ベリーが添えられたパンケーキを注文した。

 花々や紅茶の香りを楽しみながら、俺は望まれた通りに話をした。自分の話をするのは得意ではないけれど、随分と沢山のことを伝えられた気がする。

 京の物語は悲劇で終わるけれど、最初から最後までそうだったわけじゃない……明るく光る思い出も、数えきれないほどに沢山ある。それに、見守ってくれる2人の眼差しが、温かかったから。
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