神滅の翼カイルダイン

冴吹稔

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幕間1

敗残

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「げ、げふっ……何とかたどり着いたぜ。ひどい目にあった」

『騎士崩れ』エルゴンが野営地に戻ったときには、もう夜になっていた。彼は負傷した左足をかばって剣を杖替わりにつき、3千タラットの道のりを這うように歩いてきたのだった。
 
 地中から現れた、あの銀の護令械ルーティンブラスが拳打を放った瞬間、エルゴンは操縦籠クレイドルの鞍から飛び上がって天井に張り付き、かろうじて圧潰を免れていた。そして次の瞬間、敵の腕が降り上げられるのを見て、とっさに操縦籠の右隅に身を縮めてもぐりこんだのだ。
 きわめて優れた危険回避能力というべきであったろう。

 そこからは運任せだったが、幸いにも銀の護令械はエルゴンを放置し、空へ飛び上がった。械体の胸部が地面に落下した時に左足を折ったが、それで済んだのはむしろ奇跡といっていい。

 修道僧を殺すために動員した二百人ほどの部下たちは、あの護令械に恐れをなしたのか、荒野に散り散りになってしまったようだった。

「まったく、情けない奴らだ! たやすく改心するくらいなら、そもそも流賊になどならずに飢え死にでも身売りでもすればいいものを……」

 あたりは暗く、不吉なことに血の臭いがした。あちこちに黒々と盛り上がるのは輜重械バルクラストの残骸だろうか。してみると、あの護令械ルーティンブラスはここまで来たのだ。

「クソがっ……残らず潰していきやがった! 頭目ラワジートのやつもこの分じゃあ」

 エルゴンはその時、違和感に気が付いた――野営地の奥がほんのりと明るい。残骸が見えたのは、闇の奥に灯る明かりが薩陀サートゥバ樹の葉裏に反射していたためだったのだ。

「灯りがともってる……誰か帰ってきてるのか?」

 水源にしている泉のそばに、誰かがいる。疑心暗鬼にかられながら、ゆっくりと近づいた。

「誰だ!?」

 叫ぶつもりが、喉から出たのは絞るような弱々しい声。エルゴンは軽い自己嫌悪に陥った。こんな声では、帰ってきたのがだれであろうとこの先舐められてしまうに違いない――二年前まで王都に住まい騎士身分にあった彼は、落ちぶれればこそなおのこと己のプライドに固執していた。

 灯火の主は彼の誰何に応えなかった。その代りに、ぶつぶつと独り言をつぶやいていた。意外なことに、それは若い女の涼やかな声だ。

「どうにも、無造作に殺したものだな……まだ扱いなれていないからか、それとも思いのほか残酷な男なのか? まあ、水源を汚さなかったのは褒めてやるべきか」

 エルゴンは声のほうに向かって目を凝らした。薩陀樹の手前にうずくまった人影が、ちょうど立ち上がるところだった。その左手に提げた角灯から、石蝋特有の甘ったるいにおいが漂ってくる。
 灰色のフード付きマントを身に着けた、やや小柄な姿。振り向いたその顔は、目以外は黒い布の覆面で覆われていた。

「誰だと問う、お前は誰だ――いや、説明しなくてもわかる。この野営地をねぐらにしていた流賊だな? 命があるなら、落とさないうちに立ち去れ」

 エルゴンは度を失った。相手が誰であれ、一敗地にまみれた後であれ、こうも簡単に安値を付けられるのは気に食わない。
 杖にしていた剣を抜き、鞘だけをあらためて杖替わりにつく。剣尖を向けると、相手も腰から細い刀を抜いた。

「片足で戦うつもりか」

 女の眉がひそめられ、目にかすかな憐れみが浮かんだように思えた。それがエルゴンの最後の自制を断ち切った。

「キェエエエエエエツ!」

 鞘を杖についた左腕と、無事な右足。廃墟からここまでを歩いてきた体に残った全力を振り絞って跳躍し、マントの人影に迫る。体の後ろに隠すように構えた剣を斜め下から振り上げた。

 女はそれを拳一つほどの間合いを開けてかわした。エルゴンが間髪入れず振り下ろした二撃目は、あっけなく女の刀に受けられ、絡めとられる。女はそのままエルゴンの右腕外側に歩を進め、ひざ裏を刈って地面に倒した。

「ぐはっ!?」

 背中を強打してエルゴンの呼吸が一瞬止まる。右手の剣はどこかへ消えていた。仰向けに伸びた彼の喉元に刀が突き付けられ、彼は完膚なきまでの敗北を悟った。

「なかなかの闘志だ。長く培われた素養もある。だが鍛錬を怠っていたようだな」

「な、何者だ、貴様……」

「答える意義はない――命は取らずにおいてやる。自分の運命は自分で決めろ」

 ふざけるな。そう叫ぼうとしたが、息が続かず声が出せない。

「分かるか? 幸せなことなんだぞ、それを自分で決められるのは」

 女がひどく優しい声で言った。足音が遠ざかっていく。


 エルゴンはそのまま、意識を失った。


         * * * * * * *


 女は野営地を後にし、星明かりの下を歩いていた。右手は小馬ほどの鳥――騎雉の手綱を引いている。流賊が使っていた乗り物だが、泉に水を飲みに来たところを捕えたのだ。

「どう、どう……だめか。なかなか扱いにくい乗騎だな……」

 鞍がつけられたままだったが、なかなかいうことを聞かないし乗せてくれない。

「馬は絶滅したと見える。あの頃はこんなものはいなかったからな。だが、これではまるで……」

 女は覆面の陰で苦笑した。馬がいたころから、いったいどれほどの年月が経っているのか? 文明はむしろ退行している。流賊たちの護令械はまるで、できそこないのガラクタのようだった。

「もうすこし進歩しているかと期待したんだが。こうも環境が違っては文明の発達も同じようにはならん、というわけか」
  ため息が覆面の生地を通して漏れ、寒さで白くなった。東の空が次第に明るくなってくる。日の出が近い。

 瞳孔に差し込む光に気が付いたのか、騎雉が一声するどく「ケケェ」と啼いた。次の瞬間、驚いたことに騎雉は足を折り身をかがめて、女のほうに首をめぐらせた。

「なんだ、乗せてくれるのか? ……そうか、朝になったからか。夜はものが見えなくて怖かったんだな」

 鐙に足をかけ、巨鳥の背中にまたがると、今度はゆっくりと立ち上がる。

「お前、案外かわいいところがあるじゃないか。よしよし、では行こう」

 あの男を追いかけなければ。

 赤い大地に二つの太陽がのぼり、空がエメラルドの輝きを取り戻していく。荒野に深々と残って連なる巨大な足跡を追って、女を乗せた騎雉は次第に速度をあげて疾駆しはじめた。 

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