神滅の翼カイルダイン

冴吹稔

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幕間2 二人の「ゲイルウィン」

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 ブルゼンの城門を市民たちの一隊が出ていく。その動きはここ数日でピークに達している。

 輸送用の大型輜重械バルクラストに家族と使用人、資産を満載した富裕な商人の行列から、体の大きな騎雉の上で身を寄せ合う若い夫婦者まで、移動できるものはこぞって町を離れようとしていた。

 焦熱期の夏――いうところの「大夏たいか」を前に、その余裕があるものは大がかりな準備を整えて北方の街へ生活の拠点を移す。恒例のこととはいえ、今年は人々の動きがやや早まっていた。
 邪神に憑依された領主と保存護令械によってホムタラ神殿が倒壊に至ったことが、その機運を助長しているようだ。

――何か、不吉なことが起こるのではないか。

 北辺の事情はいまだこの地にはっきりと届いてはいなかったが、にもかかわらず漠然とした不安がすでにして人々を駆り立てていた。

「ふぅ……」

 アースラは朝から三度目の深いため息をついた。眼を開くと、執務机の上に積み上げられた山のような書類と、どんよりした顔でその前に座った騎士ペイリスが見えた。

「姫様。どうあっても私はここに残らねばなりませぬか」

 ペイリスがうんざりした声で問う。

「うむ。すまんが頼む」

 愚問であった。
 彼の渉猟械ストラトヴァンダーザインガルスは械匠ギルドの人員をほとんど総動員して修復中だ。そしてロランド亡き後をかりそめにも任せられるものといえば、随員の中にペイリスをおいては他にない。
 ガラヴェインは武辺一辺倒の男であるし、アースラに対して良くいえば忠実、悪くいえば盲信的に過ぎる。
 彼ではアースラの留守中に、命令なく独自の判断を取ることは難しい。だが、ブルゼンの市政はそれでは困るのだ。
「そのように情けない顔をするでない。械匠ギルドから出向させた事務方が三人ほど、間もなくこっちへ参る。煩雑な書類仕事は奴らに任せておけばよい」

「は、心がけまする」

 アースラは二日前、ブルゼンに王国直轄領への編入を宣した。正式に代官が派遣されるまではペイリスがその任につく。場合によってはそのままペイリスが代官に収まり続ける可能性もあるのだから、彼には政治向きの仕事にも慣れてもらうしかない。

「……姫様は一両日中にもお発ちにならねばなりませんな。あの市民たちはおそらく街道の途中で、辺境の異変を知るでありましょう」

「うむ。それを考えると気が重いのじゃ」

 張り出した山脈に遮られ、北へ向かう街道は一度大きく西へ迂回する形をとる。その先は今回の作戦行動での本命となる、モルテンバラの荒野だ。

 ボルミ辺境伯領が妖魔王と戦端を開いたとの知らせが王都に届いて、すでに一か月。その後続報は届いていない。
 ボルミは陥ちた、とアースラは見ていた。ブルゼン以南の各地から北部の避暑地群へ向かう人々は、おそらくその途上で凶報に接することになるだろう。その時に彼らの混乱をおさめ代替地へ向かわせるには、自分とサーガラックがその場に立つしかない。

「……今年ばかりは移動を差し止めるべきだったか。だが、ロランドがあの様では、市民を説得する手伝いも頼めなんだのう」

 もとよりできぬこととは承知しながら、アースラはうめいた。大夏の酷暑の中で普段通りに市内に市民があふれていては、疫病の発生や渇水など深刻な事態を免れない。

 大夏に伴う移動の前後には、持ち運びきれぬ備蓄の穀物や燃料を富裕層が安く放出し、それらが市場に流れる。つまり大夏とは都市の貧民にとって、最も暮らし向きが楽になる季節でもあった。

 王国の経済も文化も、生活の一切は大夏と、対をなす厳寒期の冬「大冬」を念頭に営まれている。しかしそれは今、妖魔王の侵攻によって崩されつつあるのだ。

 宿として使い続けている邸宅の風通しのいいテラスから、街の様子が見える。
 銀色の装甲に陽射しを反射させ、ヴォルターの『護令械ルーティンブラス』カイルダインが歩いている。屈みこんで瓦礫を拾い上げ、市壁の外へ丁寧に移動させているらしい。

「ヴォルター・カイルダイン……奇妙な男よの」

「さようですな。あれほどの護令械を操る――高位の騎士に比肩する力を持ちながら、その身分はどうやらメレグの修道僧、とは」

「だが恐らくはそのどちらでもあるまい。メレグ僧は少女を連れて旅などせんし、騎士はあのように護令械を持ち出して普請の手伝いなどせん」
「……我らの使う護令械はそもそも、造営、作事さくじに使うようにできておりませぬ」
「そうさの」

 騎士が手の汚れる仕事を嫌う風潮をさして暗に非難した、というわけではなかったが、アースラはそれについては触れることを避けた。自分を含めた騎士、貴族の意識の問題はこの際どうでもよいのだ。彼女の目はひたすら、カイルダインに釘づけになっていた。

(あれはやはり、相当に古い――保存護令械に指定されているものに匹敵する。いや、さらに古いかもしれぬの……)
 ロランドは邪神の肉を寄生させたモルドヴォスを神械アロイと称した。だが、共闘を経てみればアースラにははっきりとわかる。そう呼ぶとするならば、カイルダインこそが『神械』であろう、と。

 そして彼が何者であれ、ヴォルターには騎士の身分を正式に与えないわけにはいくまい。

 彼女の思いを読み取ったように、ペイリスが再び口を開いた。
「あの二人、いかがなさいます? パキラ・フロインダウトのほうは確か、械匠資格を求めておりましたが」
「おう」

 アースラは物思いを中断されびくんと身を震わせた。

「……それで思い出したわ。引っかかっておったが……フロインダウトとはダンバーの械匠ギルドで鍛冶司かじのつかさを務める、名工ダールハムの家名ではないか。ヤムサロ壊滅の直後に、ボルミの防備のために招聘されたはずじゃ」

 うわあ、と叫んでアースラは頭を抱えた。

「なんと。それはまずもって無事とは思えませぬな。どうなさいます」
「うぐぐぐ。王国の行く末を思えばあの二人に協力を求めぬわけにはいかん。悪い言い方をすれば利用せざるを得ん……しかしダールハムのことは、さすがに妾の口からは伝えられぬ」
「そんなお心弱いことでは――」
「うっさい!」

 おもわず十七歳の年齢相応、素の反応が出てしまう。

「ああ、いやすまんペイリス。不当であるし、お主に当たっても何にもならぬの。どれ、ここは思案のしどころ……そうじゃな、こうするか」

 言いながら彼女は執務机に椅子をもう一脚引き寄せ、キリアン麻の上質紙をペイリスの手元から数枚ひったくった。公文書用のインクと葦のペンも。

 数行さらさらとしたためてサインをすると、乾かしてくるりと巻き、飾りひもでくくって封蝋を施し、印章指輪を押し付けた。

「姫様、その印章は」
「かまわん。いずれわかることだ――ガラヴェインを呼べ!」

 数タルンの後、ガラヴェインが執務室に駆け込んできて拱手の礼をとった。

「姫様、お呼びとうかがい、まかり越しました」
「うむ。そちに重要任務を与える。この書状を携え、ヴォルターたちを連れてダンバーへ向かえ。書状はそこの械匠ギルドへ届けよ。妾の署名入りの推薦状じゃ。ただし」
「ただし?」
「ここまでたどった山中の道を逆にたどり、渉猟械マーガンディを修理させよ。それをあの娘への械匠試験としよう」
「なるほど、ご明断です」

「ではく参れ。西方での任務を終えたら妾もダンバーへ向かい、合流して王都へ帰る」

「ははっ」

 深々と頭を下げるガラヴェインを、アースラはもう見ていなかった。 
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