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【ヴィラと過ごす時間】
12.要注意人物
しおりを挟むのんびりと本を読んで過ごしていた部屋に小さなノック音が聞こえた。コンッ……コンッと相手に時間を与えるようにゆっくりとしたノックは最近見慣れてきた人のものだ。
「こんにちは、ヴィラさん」
「……邪魔をする」
表情で損をしている人と梓が評価するヴィラは今日も無表情で、梓は微笑みを浮かべヴィラを見たあとまた本に視線を移す。ヴィラはそれになにか言うわけではなくドアを閉めたあと慣れたようにソファに横になって目を閉じた。
部屋はまた静かになる。
特に2人で楽しく話す訳ではない静かな時間。最近はそれが日常の光景になってきた。最初こそどんな時間になるかと気が重かったものだが、案外この時間は心地よく、2人とものんびりと過ごしていた。
ただ広いだけだった部屋にいくつかの家具が増えたのもよかったのかもしれない。広すぎて落ち着かない空間がほんの少し温かみのあるものになっている。
白那とヴィラと梓でした城下町でのお買い物。白那の功績であのあとヴィラは梓と2人で買い物らしい買い物をした。梓の部屋の家具や身の回りの物、あれば良いと思うものをヴィラが見繕ったのだ。しかも折角本人と買い物に来ているのだからとヴィラは梓の好みも聞きつつ買い物をした──そうできたはずだ。
そのはずだが……。
ヴィラはせっかくの休みに思い出すことでもないだろうと自分に溜息を吐きながら買い物の時のことを思い出す。
会話が苦手だと自覚があるなりに言葉を選びつつ積極的に問いかけたつもりだが、梓は困ったように微笑むことが多く、結局ヴィラには梓が喜んでいるのかどうなのか分からなかった。
自分がそうしたいからそうするだけなのだと言い聞かせて行動した訳だが、止めておけばよかったかもしれないと少し思う。反応がないというのはどうにも一番困るのだ。これは他でもない自分自身がよく言われることなのだが、梓を前にして初めてこういうことかと実感した。なにをすれば正解なのかまるで分からないのだ。
これならあの女たちのほうがよほどマシだ……。いや……どっちもどっちだな。
閉じた瞼の向こうに浮かぶ煌びやかな姿にヴィラの眉がぐっと寄る。口を開けば欲望を吐き出し勝ち誇った笑みを浮かべる女たち。笑い声は耳に残って時々幻聴まで聞こえる始末。
「ヴィラさん?」
「……っ!」
驚くほど近くで聞こえた落ち着いた声に目を開ければ、目をぱちくりとさせる梓の顔が近くに見えた。ヴィラの顔を覗き込んでいたらしく前屈みになっている梓の肩から髪が滑り落ちてくる。けれどいつまでも触れない感触にはっとしてヴィラはひとつ溜息を吐くとゆっくり身体を起こした。
「……なんだ」
「いえ、なにか凄い表情をしていたので見ていました」
「……そうか」
「ヴィラさん」
「なんだ」
「お茶でもどうですか?美味しいクッキーがあるんですよ」
「……もらおう」
微笑む梓に今度は先ほどとは違う溜息が出る。それはどこかホッとしたような、微笑みがこぼれるような溜息だ。
カチャリと食器が可愛らしい音を鳴らす。ヴィラはお茶会をするとき定位置になった椅子に腰かけながらお茶を淹れる梓を眺めた。灰色のカップに紅茶を注ぐ梓は穏やかなもので、この時間に感じる空気を持っているように思う。
「美味い」
「本当に。このクッキーは甘さ控えめですしオススメですよ」
梓のすすめにヴィラは素直に従って茶色い粒のようなものが入ったクッキーを食べる。アールグレイのクッキーで、なるほど美味しい。
梓は梓で無言でクッキーを食べ続けるヴィラをちらりと窺っていた。そしてこっそり笑みを浮かべる。ヴィラ自身は気がついていないのだろうが、無言でクッキーを食べ続けるヴィラの口元は緩やかにつりあがっていた。お気に召したのは間違いない。
ヴィラのことがなんとなく分かってきた梓は最近ヴィラのこういうところを見ては楽しんでいる。そんな楽しみ方を覚えたのはあの買い物があってからだ。
『お前がいらないとしても同じ部屋を使う身としてはこれが必要だ』
そういった類の言葉を最初に言って家具をピックアップし『どれが一番マシだ』と不器用に好みを聞いてきた姿を思い出す。自分が必要だと言う割には梓の身の回りを助ける家具ばかりを選んでいたヴィラは白那になにかを吹き込まれたとはいえ厚意からであることは間違いなく、梓は正直なところ困ってしまった。嬉しいなと思ってしまったことは勿論、要注意人物だったヴィラがいまでは不器用でオカシナ人になってしまったからだ。
──適当な距離感のある間柄でいたかったのになあ。
ヴィラが聞いたら眉をひそめそうなことを思う梓はなにやら疲れているらしいヴィラを見てふと思い出す。買い物のとき提示された家具からこのデザインのものがいいと選んだときヴィラは疑いと心配を混ぜた表情をしていた。
──気休めになったらいいな。
そんな気持ちを付け加えて梓はヴィラに話しかける。
「ヴィラさん、本棚とっても便利に使わせてもらっています」
梓にとってはなんてことのない雑談だった。だがヴィラは驚いて梓を見る。梓は紅茶を飲んでいて、見続けていると合った視線がぱちぱちと瞬いたあと少しだけ弧を描いていく。梓が手に持っていたヴィラと色違いの黄色のカップが机に置かれた。
「いらないと思ってたんですけどあるとやっぱり便利ですね。使い勝手もいいですしすっかりお気に入りです」
「……そうか」
「はい」
そしてまた、静かな時間。ペラッと梓が本をめくる音だけが聞こえる。耳を澄ませば風にのって兵士の訓練の声も僅かに聞こえてきたが、聞こえる音と言えばそれぐらいのもの。部屋に入ってきたときとそう変わったことはない。
けれどヴィラは先ほどの沈黙とは違ってどこか居心地の悪いような妙な気持ちを抱いてしまう。戦や魔物の狩りに出るときに沸く気の高ぶりのような……逆に、先ほどまでの静かな時間に抱いていた穏やかな気持ちのようななにか……ああ、そうか。
「喜んだのなら、なによりだ」
──俺は嬉しいのか。
ありえない感情の名前が分かってヴィラは自身のことなのにひどく驚いてしまう。更に驚くべきはつい漏れ出た心からの言葉だろう。
自己満足と言い聞かせ贈ったものだが実際に使って喜んでくれていた。それに子供のように喜んでいる自分がいる。
──こんなくだらないことで俺は喜んでしまっているのか。
なぜ。
そう思ったとき「この人天然だ……」と呟く梓の声が聞こえてはっとする。ヴィラはいつのまにか俯いていた顔を起こして梓を見、我が目を疑った。天を仰いでいた梓がヴィラの視線に気がついて顔をヴィラに向けるのは今までと変わりはない。けれど今回はその頬がなぜか赤く染まっていてた。そしてヴィラと視線が合うと照れ隠しをするように泳ぐのだ。
ヴィラは唐突にいつかの夜を思い出す。オレンジ色の蝋燭の光に揺れる梓の姿。睫毛に縁どられた瞳がゆっくりとヴィラを映し出していく。暗い影に浮かび上がる肌はゆらゆら手の届く場所を揺れていた。
「はい、えっと……そうです。だから、あー、ありがとうございます」
いつもとは違いしどろもどろな発言をする梓の声にヴィラは現実に引き戻される。オカシナ言動を続ける梓をヴィラは観察でもするようにじっと眺めた。これに参ったのは梓だ。
そもそもだ。梓は家具がいらないと言う自分に俺が必要だからとまで言わせて家具を買ってもらった身として、そんな行動をした自分に不安を抱いているようにみえたヴィラに感謝をしておきたかっただけだ。あとは気落ちしているヴィラの気分転換になる話題のひとつとして言っただけ。
『喜んだのなら、なによりだ』
それなのに表情を緩めて嬉しそうに微笑んだもんだから不意打ちを食らってしまった。
──仏頂面な人の微笑んだ顔ってギャップが凄いんだなあ。
自分にも乙女心があったのかと梓は熱い頬を手で仰ぎながら溜息を吐く。突き刺さる視線には気がついていないと言い聞かせながら目を閉じ、ヴィラへの評価を改めた。
視線はまだ突き刺さる。
「あ」
「……」
いつまでも逸らされない視線に焦れた手が大きな弾みをつけてしまって、机に置いていた本にあたった。同時に茶器が音を立てて揺れ、慌てた梓が手を伸ばす。
「……え?」
零れた紅茶がテーブルに広がる。
本は梓よりいちはやくヴィラに救われ難を逃れていた。梓は早く机を拭かないとと思いつつ、本の表紙に触れる指を眺める。
「……気をつけろ」
「あ、はい。……あ。すみません私が」
「終わった」
「……ありがとうございます」
本を受け取って梓が呆然としている間にヴィラは机に零れた紅茶を拭いて後片付けをしてしまった。梓がはっとしたときにはヴィラは紅茶を飲み干し、いつものようにソファに向かっていた。ソファに寝転がって見えなくなったヴィラから返事はない。とはいっても梓はそれどころではなかった。
──やっぱりヴィラさんは要注意人物だ。
梓はお互いの姿が見えないのをいいことに頭を抱える。
先ほど本に伸ばした手に感じたのは本の表紙になっている布の感触と、自分のものではない体温。うっすらと血管が浮かぶ手は見慣れた本がとても小さく見えるほど大きく、本に伸ばしたはずの梓の手はヴィラの手に重なった。
触れてしまった。
それはつまり、梓にとってヴィラはもう厭うものではないということだ。別にそれはそれでいいのだろうが、そんな魔法を使う大きなきっかけになった人物がこうも早く気を許すものになったことに梓は苦笑した。
そしてちらりとソファのほうを見る。相変わらず姿の見えないヴィラがなにを思ったか少し気になったのだ。しかし、少ししてどうでもいいかと梓は気持ちを切り替えてまた本を読み始める。
──静かで穏やかな時間。
同じ時間を共有しているはずのヴィラが熱を持つ顔を片手で覆い絶賛混乱中なのを梓は知る由もない。
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