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もうそれは、必要ありませんよね
ベルンハルトの思い出 1
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ベルンハルトとリーゼロッテが別々で食事をする為に、使われなくなった食堂はいつだって人気もなくガラんとしていて、しみひとつないテーブルクロスの白さが、更に寒々しさを増させる。
『一緒に夕食を』とリーゼロッテが誘ってくれていたのはいつまでだっただろうか。
夕食の誘いがお茶となり、その誘いに乗るようになってからは、夕食に誘われることは無くなってしまった。
ベルンハルトが自室で食事をとるならと、リーゼロッテも私室に運び入れるようになり、食堂は使われないまま、その時が止まっているようにも見える。
使用人達もそれぞれの部屋へと戻り、もう残っているのはまだ用を残している者か、今晩の見張りぐらいのものだろう。
ベルンハルトは一人、薄暗い食堂でこれまでを思い返した。
自分の正体を知られたくなくて、見られたくないもの、触れられたくないものをそのままにしておいて欲しくて、自分の保身のままに何度もリーゼロッテを傷つけた。
家族との関係がよくないのを知りつつ、バルタザールが結婚を進めた意図も承知しつつ、その状況に甘えて幾度となく冷たくあしらった。
それでも、寄り添って、笑いかけて、『ロイスナーの役に立てる』とそう言ってくれるリーゼロッテに、何を返せるだろうか。
レティシア、アルベルト、ヘルムートにはその希望を叶えることで、返すべきものを返せたはずだ。
だが、たった一人、最愛の人に、何もできていない自分がいる。
何事にも煩わされることなく、ただただ幸せになって欲しいと、そう望んでいた。
(私のことなど、ロイスナーの事情など、何も考えずに幸せになって欲しかった)
結局、ベルンハルトとの結婚は、リーゼロッテから魔力を奪い、この辺境の地に縛り付けただけ。
考えても考えても結論の出ない問いに、既に何日費やしただろうか。
間もなく冬が訪れれば、このように考えることもできなくなるぐらい多忙になるだろう。
その前に、どうにか結論を見つけなければ。
「ベルンハルト様? このようなところにいらっしゃったのですか? 何かご入り用ですか?」
「アルベルト。いや、ちょっと考えごとをしていてな。こういう場所の方が、落ち着くこともある」
「そうですか。それでも、そろそろ夜は冷え込みますから。お部屋にお戻りください」
城中を探して回ったのかもしれないアルベルトの額には、言葉とは裏腹に汗がにじんでいて、手間をかけさせたと罪悪感がよぎる。
「悪い。もう、戻る」
「お戻りで? よろしいですか?」
ここ数日のベルンハルトの動向を把握しているアルベルトの顔が、にやにやと嫌な笑い顔を作る。
「なぁ、アルベルト。私が気づいていないものとは、何だろうか」
「はい? 気づいていないとは?」
「以前、ヘルムートが『リーゼが気づいて、気を配っていることがある』と、そう言っていた。どういう、ことだろうか」
「奥様が気づいて? 奥様が気を配っていらっしゃることがあるのは、間違いないかもしれませんね」
「それに、私が気づけていないと?」
「そのようなこと、いくつもあるでしょう?」
「だが、まるで私がそれを知るべきだとでもいいたげだった」
「それは、奥様ご本人か、父上にお聞き下さい。私では、誤ったことを申し上げてしまうかもしれませんから」
アルベルトの言うことは間違ってはいない。
ヘルムートに、いや、リーゼロッテに直接尋ねるべきことであろう。
「私は、リーゼに何を返すべきだろうか」
ベルンハルトの言葉は、アルベルトへの問いかけのようでもあったし、ただの独り言のようにも聞こえる。
アルベルトに回答を尋ねたわけでもないし、そう口に出したからといって、解決策が思い付くわけでもない。
もう何日も頭の中で繰り返していた言葉を、ただ声に出しただけだ。
「奥様に、何かお返しになるのですか?」
「あ、あぁ。これまで私がリーゼにしてきたこと、彼女がロイスナーのためにしてくれたことを思えば、詫びと礼をしなくてはならないからな」
「奥様が、そのような見返りを求めているとは思えませんが……どうしてもというのであれば、一緒にお食事をと、お誘いになったらいかがですか?」
「食事……」
「はい。この場におられるということは、多少なりともそのつもりがあったのではありませんか?」
「だが……」
「もちろん、軽食ではなく、きちんとお食事をとられるのであれば、今のままではご不便かもしれませんね」
アルベルトの言いたいことは痛いぐらいにわかっている。未だにリーゼロッテの前で外すことのない仮面。
それを外して、食事をしろということだ。
「私の素顔を見せては、リーゼは怖がったりしないだろうか。ぶ、不気味に思ったりするのではないだろうか」
「奥様は、そのようなことを気になさるとは思えません。心の広い方でいらっしゃいますし。それに……」
「それに?」
「いえ。ベルンハルト様のことを、思ってくださっていますから」
アルベルトに飲み込んだ言葉があるのはわかる。だが、それを口にはしてくれないだろう。
(私が気づいていないというのは、こういうところか)
レティシアにも、アルベルトにも、ヘルムートにもやれるだけのことをした。
何をすれば良いのか、どうすれば喜ばせることができるのか、何も思い描くことのできない相手。
それでも、何かできれば。自分のできることで、笑ってくれるリーゼロッテが見たい。
(あぁ。私は、私に笑いかけてくれるリーゼが見たかっただけだ)
自分の願望を叶えるために動くのであれば、胸に抱いた微かな望み、それを叶えようとしてもいいのではないか。
それでもし、いつかのような結果が待ち受けていたとしても、その時は諦めた人生の道をたどって行けば良い。
どうしようもないことを考えるより、自分のしたいことをすればいい。
もうこの地の将来を、気に病む必要はないんだから。
「アルベルトすまない。もう少し、やるべきことができた」
「はい。それでは、私は戻らせていただきますね。くれぐれも、暖かい場所でお休みになられますよう」
「わかった」
アルベルトが出て行き、再び一人になった食堂を、ベルンハルトもまた、後にした。
『一緒に夕食を』とリーゼロッテが誘ってくれていたのはいつまでだっただろうか。
夕食の誘いがお茶となり、その誘いに乗るようになってからは、夕食に誘われることは無くなってしまった。
ベルンハルトが自室で食事をとるならと、リーゼロッテも私室に運び入れるようになり、食堂は使われないまま、その時が止まっているようにも見える。
使用人達もそれぞれの部屋へと戻り、もう残っているのはまだ用を残している者か、今晩の見張りぐらいのものだろう。
ベルンハルトは一人、薄暗い食堂でこれまでを思い返した。
自分の正体を知られたくなくて、見られたくないもの、触れられたくないものをそのままにしておいて欲しくて、自分の保身のままに何度もリーゼロッテを傷つけた。
家族との関係がよくないのを知りつつ、バルタザールが結婚を進めた意図も承知しつつ、その状況に甘えて幾度となく冷たくあしらった。
それでも、寄り添って、笑いかけて、『ロイスナーの役に立てる』とそう言ってくれるリーゼロッテに、何を返せるだろうか。
レティシア、アルベルト、ヘルムートにはその希望を叶えることで、返すべきものを返せたはずだ。
だが、たった一人、最愛の人に、何もできていない自分がいる。
何事にも煩わされることなく、ただただ幸せになって欲しいと、そう望んでいた。
(私のことなど、ロイスナーの事情など、何も考えずに幸せになって欲しかった)
結局、ベルンハルトとの結婚は、リーゼロッテから魔力を奪い、この辺境の地に縛り付けただけ。
考えても考えても結論の出ない問いに、既に何日費やしただろうか。
間もなく冬が訪れれば、このように考えることもできなくなるぐらい多忙になるだろう。
その前に、どうにか結論を見つけなければ。
「ベルンハルト様? このようなところにいらっしゃったのですか? 何かご入り用ですか?」
「アルベルト。いや、ちょっと考えごとをしていてな。こういう場所の方が、落ち着くこともある」
「そうですか。それでも、そろそろ夜は冷え込みますから。お部屋にお戻りください」
城中を探して回ったのかもしれないアルベルトの額には、言葉とは裏腹に汗がにじんでいて、手間をかけさせたと罪悪感がよぎる。
「悪い。もう、戻る」
「お戻りで? よろしいですか?」
ここ数日のベルンハルトの動向を把握しているアルベルトの顔が、にやにやと嫌な笑い顔を作る。
「なぁ、アルベルト。私が気づいていないものとは、何だろうか」
「はい? 気づいていないとは?」
「以前、ヘルムートが『リーゼが気づいて、気を配っていることがある』と、そう言っていた。どういう、ことだろうか」
「奥様が気づいて? 奥様が気を配っていらっしゃることがあるのは、間違いないかもしれませんね」
「それに、私が気づけていないと?」
「そのようなこと、いくつもあるでしょう?」
「だが、まるで私がそれを知るべきだとでもいいたげだった」
「それは、奥様ご本人か、父上にお聞き下さい。私では、誤ったことを申し上げてしまうかもしれませんから」
アルベルトの言うことは間違ってはいない。
ヘルムートに、いや、リーゼロッテに直接尋ねるべきことであろう。
「私は、リーゼに何を返すべきだろうか」
ベルンハルトの言葉は、アルベルトへの問いかけのようでもあったし、ただの独り言のようにも聞こえる。
アルベルトに回答を尋ねたわけでもないし、そう口に出したからといって、解決策が思い付くわけでもない。
もう何日も頭の中で繰り返していた言葉を、ただ声に出しただけだ。
「奥様に、何かお返しになるのですか?」
「あ、あぁ。これまで私がリーゼにしてきたこと、彼女がロイスナーのためにしてくれたことを思えば、詫びと礼をしなくてはならないからな」
「奥様が、そのような見返りを求めているとは思えませんが……どうしてもというのであれば、一緒にお食事をと、お誘いになったらいかがですか?」
「食事……」
「はい。この場におられるということは、多少なりともそのつもりがあったのではありませんか?」
「だが……」
「もちろん、軽食ではなく、きちんとお食事をとられるのであれば、今のままではご不便かもしれませんね」
アルベルトの言いたいことは痛いぐらいにわかっている。未だにリーゼロッテの前で外すことのない仮面。
それを外して、食事をしろということだ。
「私の素顔を見せては、リーゼは怖がったりしないだろうか。ぶ、不気味に思ったりするのではないだろうか」
「奥様は、そのようなことを気になさるとは思えません。心の広い方でいらっしゃいますし。それに……」
「それに?」
「いえ。ベルンハルト様のことを、思ってくださっていますから」
アルベルトに飲み込んだ言葉があるのはわかる。だが、それを口にはしてくれないだろう。
(私が気づいていないというのは、こういうところか)
レティシアにも、アルベルトにも、ヘルムートにもやれるだけのことをした。
何をすれば良いのか、どうすれば喜ばせることができるのか、何も思い描くことのできない相手。
それでも、何かできれば。自分のできることで、笑ってくれるリーゼロッテが見たい。
(あぁ。私は、私に笑いかけてくれるリーゼが見たかっただけだ)
自分の願望を叶えるために動くのであれば、胸に抱いた微かな望み、それを叶えようとしてもいいのではないか。
それでもし、いつかのような結果が待ち受けていたとしても、その時は諦めた人生の道をたどって行けば良い。
どうしようもないことを考えるより、自分のしたいことをすればいい。
もうこの地の将来を、気に病む必要はないんだから。
「アルベルトすまない。もう少し、やるべきことができた」
「はい。それでは、私は戻らせていただきますね。くれぐれも、暖かい場所でお休みになられますよう」
「わかった」
アルベルトが出て行き、再び一人になった食堂を、ベルンハルトもまた、後にした。
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