12 / 61
第10話
しおりを挟む……コンコン。コンコン。
いつもの朝だ。私は、扉を叩く音で目を覚ます。
きっとメイドのアンナだろう。
「お嬢様、お目覚めのお時間にございます」
薄暗い寝室に響く声。それをベッドの上で聞くと、私は上体を起こして返事をした。
「入ってちょうだい」
やはりアンナが扉を開け、一礼して入ってきた。
「おはよう、アンナ」
「おはようございます、マリアンヌお嬢様」
「……ねぇ、アンナ。私、昨日どうやって帰ってきたのかしら?」
朝の挨拶の後、私はベッドから出ながら、いつもと同じように寝室のカーテンを開け始めたアンナへ声をかける。
「どうやって……、とは? 普通に、旦那様と奥様、坊ちゃまと一緒にお戻りになられましたよ? その後もいつも通りのご様子で湯浴みもされて、ご自身でベッドに入られたではないですか」
「そう……」
「……体調はいかがですか? ご気分が悪いとかはありませんか?」
すっかり明るくなった寝室で、アンナが水差しからグラスに水を入れて渡してくれる。一口飲めば、冷たすぎない温度のミント水が喉を通って体に染み渡った。
「大丈夫よ。どこも悪くないわ」
「……そうでございますか。では、お着替えをお持ちいたします」
私が答えれば、アンナはホッとしたような表情を見せる。そして私からグラスを受け取るとそう言って、アンナは衣装部屋へと入って行った。
その姿を見送ってから、私もナイトガウンを脱ぎ、パジャマの前ボタンに手を掛ける。
「……昨日、デビュタントだったのよね」
プツリプツリとボタンを外す。途中、なんとなく、その言葉が零れ出た。
「…………っ……!!」
寝ぼけた脳が稼働し始めるにつれ、思い出されるのは昨夜の事だった。自分の失態ともいえる行動に、言いようのない口惜しさが我が身を襲う。
(……ああああぁ! 私としたことが! やっっってしまいましたわ! いきなり初対面の殿方と二曲続けて踊ってしまうなんて! 最低でも二、三人の方と踊ってみようと思っていましたのにぃぃ!)
思わず頭を抱え、私は蹲った。
(あ、でも、相手はあの大公閣下よ? お父様だって条件でいえばトップクラスとおっしゃっていた方じゃない。むしろ願ってもない相手なのかしら? うん、そうよ! 大丈夫! ノープロブレム! 無問題だわ! ……それに、とても素敵な方だったじゃない。女嫌いでもないとおっしゃっていたし。まぁ、たしかにパッと見は無表情で怖い印象だったけれど、話をしてみれば普通、いや、むしろ優しい方だったのではないかしら?)
そう、昨夜の相手となったのは例のガルシア大公閣下だった。
何故か突然ダンスの相手を申し込まれ、あれよあれよで二曲踊ってしまったというのが事の顛末だ。
もちろん未だ頭の整理はつかないし、戸惑いも大きい。だが、私自身、心惹かれるものがあったのも事実だった。
(……アレクサンドル様……)
その名と共に、腰に回された手に感じた安心感や、閣下の美しいグレーの瞳を思い出す。
途端に、泣きたくなるほどの切ない気持ちになるのは何故なんだろうか。
(それにしても、……どのようなおつもりなのかしら? 閣下ならば、二曲続けて踊る意味をご存知ないはずないわよね。……二曲目は閣下から望まれたように感じたけれど、でも、……本当に? ……あの方が私を……?)
考えただけでじわりと頬に熱が集まる。きっと顔だけでなく、耳まで真っ赤だろう。
色々な感情が綯交ぜになり、私は堪らず顔を両手で覆った。
「お嬢様?! どうされました?!」
しばらく蹲ったまま悶えていれば、私の様子に気付いたのだろう、叫ぶような声が聞こえてアンナが駆け寄ってきた。
「アンナぁ~~!」
「……ッッ?!!」
アンナへ縋りつく。涙目で見上げると、アンナは一瞬面食らったたように目を見開き、そしてすぐに目を逸らしてしまった。
「……ア、アンナ?」
その様子を不思議に思って呼びかけると、ガシッと肩を掴まれ、キッと睨まれた。
(え? なんか怒って…「……お嬢様」
「は、はいっ」
アンナの低い声に、無意識に背筋を伸ばす。
「そんな着替え途中のあられも無い姿で、人にそんな顔を向けてはいけません。そういう顔は好きな男性の前だけでして下さいと前々から言っているでしょう?」
「そ、そういう?」
「……もう、まったく。……危うく今度こそ落ちそうになったではないですか。本当に、私にソッチの趣味がなくて良かったところですよ?」
「待って。落ちるって、どこに? え? え?」
――コンコン。
私が頭にたくさんのハテナを浮かべていると、不意に扉をノックする音が部屋に響いた。
「ハイ」
すぐさまアンナが反応する。そして、「とりあえずこれを」と落ちていたナイトガウンを肩にかけてくれると、アンナは立ち上がった。扉へ向かい、少し開けて要件を聞く。
「お嬢様、旦那様が書斎でお待ちです。準備をいたしましょう」
戻ってくると、アンナはそう言った。
「お父様が? 書斎で?」
(王家主催の舞踏会は疲れるから、次の日は一日サボ……じゃなかった、ゆっくり過ごすって、いつもおっしゃっているのに……)
「……分かったわ。とりあえず、準備します」
私はそう答えると、父の書斎へ向かう為、急いで準備に取り掛かった。
*
「お父様、マリアンヌですわ」
扉をノックした後に顔を覗かせると、ソファに座って何かを読んでいた父が、パッと顔を上げた。
その手元を見る。難しい顔で父が読んでいたのは、一通の手紙のようだった。
「マリー、よく来た。……まぁ、座りなさい」
父に促され、テーブルを挟んで対面に座る。私が来ることを伝えていたのだろう、メイドがすぐに紅茶を用意してくれた。
手紙をテーブルに置き、用意された紅茶を父が飲む。
私は同じように口をつけると、父が話を始めるのを待った。
「ガルシア大公から手紙が届いた」
父が、紅茶からテーブルに置かれた手紙へと視線を移し、そう言った。
途端に、ドキン。と、心臓が大きく跳ねる。
「……はい」
(……なんの手紙かしら? 難しい顔をして読んでいらっしゃったようだけど……。ああ、やっぱり、お断りのお手紙なのかしら。閣下は何かとても悩んでいるご様子だったし、あのダンスは……ただの気の迷いだったのかも……)
そう思うと何故か心が沈み、涙が出そうになる。それを必死に堪える為、私はスッと鼻から息を吸った。
「……昨日のダンスは間違いだった。という、謝罪のお手紙でしょうか?」
「ん? 間違い? 何故そうなる?」
「え。だって、お父様、難しい顔で読んでらしたし……」
「んん? あ。ああ、いやいや、すまない。違うんだ。……ついにこの時が来てしまったと思ってね。こんなに早く娘を手放さないといけないなんてとても寂しいなと、そう思いながら読んでいただけだよ」
「……てばなす? ……それって……」
(……まさか、本当に?)
「ああ、そうだとも。ガルシア大公閣下から、正式な婚約の申し込みが来た」
未だ混乱する私の前で、父がそう言い切る。
「マリアンヌ、よく聞きなさい。あの方は、お前の夫となる者として全く申し分ない男性だ。それは私が保証する。……大丈夫。きっと、お前を幸せにしてくれるよ。それに、あの大公と縁が繋げるなんて我が侯爵家としても願ったり叶ったりだ。……ありがとう、マリアンヌ。感謝するぞ」
柔らかな笑顔を浮かべながら父はそこまで話すと、フッと息を吐き、すこし寂しげな表情となって私を見据えた。
「だからな、マリアンヌ。ここからはシュヴァリエ侯爵家当主として命ずる」
真剣な父の瞳に、息を飲む。
「マリアンヌ、…………この婚約を、受けなさい」
――嗚呼、嗚呼。
――この胸に広がる感情は、安堵か、歓喜か。
溢れそうになる涙に瞼で蓋をして、私はゆっくり頭を下げて礼をした。
「はい、お父様。……謹んでお受け致します」
そうして。
私とガルシア大公の婚約は、正式に決まったのだった。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~
流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。
しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。
けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる