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Case.04 心情
東都 東地区α 四月一日 午後二時
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責任管理の地位に就いてから、大病院からの仕事は火急の用件以外は拒否していた。
今日から暫く身を置くこの病院からの依頼も例外ではなく、執刀医の手が足りない等でない限りはほとんど断ってしまっている。
今回は個人の依頼だからと引き受けたは良いが、依頼主の主人にあたる人物が入院中と聞き、結局自らが医師として入る方が早い結果となってしまった。
(しばらく来ない内に随分内装変えたんだな…前は趣味悪ィ置物とかもあった気がするが)
乳白色の壁に木目調の床。
調度品は落ち着いた色合いの物で統一されているが、その一つ一つは高価な物であることが一目でわかる。
医療用白衣を常時身に付けるような仕事は何年振りだろうか。ぼんやりと考えながら黒く染め上がった前髪を軽く払い上げ、部屋主を待つ。
「すまない待たせたね、新堂君」
「いえ、お久しぶりです。仲川院長」
「やだなぁやめてよ。院長業務は君の職歴と比べればまだまだ新米なんだから」
「医者として俺の先輩なのは事実でしょう?それに、こういう所の上下は弁えるモンですから」
青灰にも濃灰にも見える短い髪を上げた面長の男 - 仲川 恭久が頬を掻き、右手を差し出す。
左眼を僅かに細め、その手に異質がないかを確認して手を握り返せば、「相変わらずだね」と苦笑する。医学生時代と変わらぬその笑顔さえも疑わねばならない自身の身分に、少しばかり息苦しさを覚えながら口角を上げて見せて視線を周囲へと移した。
「院長室にいる時くらい気を休めて良いのに…。僕、一応これでも君の身分知ってる一人なんだよ?」
「この仕事、万一ってこともあるんで。必要なら俺らは家族友人も疑います」
「成程。じゃあそれ着けるだけで済ませてもらえるのは優しいほう?」
「まぁマシですよ。院内殆どに着けましたけど」
院内は既に透過率の高いフィルムタイプの媒体を設置し終えており、今日までの会話は事務所の記録用端末に保存されている筈だ。
席から再び聞こえた苦笑に疾風は片眉を下げ、微かに物が擦れる音を背に聞きながら、録音媒体となるフィルムシールを棚影へと貼り込んで携帯端末から起動。
画面に表示される集音率を確認し、伊達眼鏡を掛け直す。
作業完了を告げるように息を抜いて向き直れば、ネームホルダーと数枚の紙を並べられた机上の奥に座る仲川が筆記具を指先に遊ばせて笑い、首を傾いで署名を促してくる。
自分の提言した契約内容と病院側の臨時雇用契約条件に相違がない事を確認し、名札に書かれた同音苗字の偽名を書面へと書きつけて差し出すと、下の記名欄へ院長の名が連ねられた。
「改めてよろしくお願いします、仲川院長」
「こちらこそよろしく。君の請けた依頼が完遂するまでの期間、協力をする事は約束する。出来る限りフリーで動けるように手回しするから」
「助かります。ただ、雇用期間中は他の医師と同様に扱っていただいて構いません。人が足りない時は執刀でも何でもやらせてもらいますよ」
「うん。宜しく頼むよ、先生」
**********
白壁と淡灰の合成石質の床。
黒檀製の寝台座には良質のウレタンと綿素材で造られたマットレスが敷かれ、灰紫の髪を携えた血気のない青年が、多数の管に繋がれて懇々と眠る。
目前の光景は今日で九八六日目。
午前十一時にこの場所に来て窓を開く動作は今日で六百九十八回。寝台に横たわる主人が目を覚ます様子は無く、心電図の音だけが室内へ響く。
開けた隙間から入り込む中庭からの人声に下を見れば、車椅子に座る者と白衣を羽織った女性が何かを話している。
面会時間が過ぎるまでこの場で待機することは、誰の何の為にもならない事は、四〇八日前に演算結果として出ている。
それでも、と主人が目覚める日を三八五日ほど待機していたが、医師達は佐多への説明も何無く部屋を出入りするだけだ。
「………シンドウさんの連絡先、ちゃんと聞いておきゃ良かった」
二十三日前、自律的思考で動ける範囲に絞り、分かる限りで東都内の業務代行請負業にあちこち連絡を入れつづけた。
ようやく取り合って貰えたのが六日前。
シンドウと言う名字であったことだけは判るのだが、アップデートをしていない記録中枢にはどのような字であったかまでは記憶しきれていない。
同音の請負業者を検索して該当する者は居たが、それが本当に同じ人物であるかは確認出来ていない。そのため、次の行動プロセスに移すことが困難となっている自分が居る。
姿形こそはヒトと変わらぬと云うのに、指令無く動くことが覚束ない。
「…参ったもんだ」
自分の行動処理能力劣化に落とした言葉に重なって、病室の扉が二度叩かれる。
「佐多さん、少々宜しいですか?」
「はいはいどーぞ」
担当看護士の音声を認識し、その方向へと首を向けて待機。自動扉の僅かな駆動音と共に、二人の人物が室内へと入ってくる。
燻んだ橙髪の女性は担当看護士だが、レンズに映る黒髪の銀縁眼鏡を掛けた男性は検索を掛けても該当が無く、首を傾げてみせる。
「そちらさんは」
「前任・竪山 優より引継ぎ、本日より美南 龍弥さんの担当医となりました、進藤 疾風と申します。どうぞよろしくお願いします」
ネームホルダーを軽く上げて緩やかな動作で頭を下げた男性は、柔らに口角を上げて目を此方へ向ける。
視界に捉えた医師の網膜をカメラに写し収め、佐多は集音機能を起動させたまま記憶領域から人物情報を捜す。
「───っ、あ、アンタは」
「…いかがしましたか、佐多さん」
先程までの挨拶よりも半音低い音が聴覚器官を巡ると同時、網膜情報から弾き出された回答が自らの視界に映る。
並べ立てた言葉を音にしようとしたが、医師の血圧上昇を感知し、彼が何らかの感情を此方に向けたと認識した佐多は、開けた口をそのまま閉じた。
今日から暫く身を置くこの病院からの依頼も例外ではなく、執刀医の手が足りない等でない限りはほとんど断ってしまっている。
今回は個人の依頼だからと引き受けたは良いが、依頼主の主人にあたる人物が入院中と聞き、結局自らが医師として入る方が早い結果となってしまった。
(しばらく来ない内に随分内装変えたんだな…前は趣味悪ィ置物とかもあった気がするが)
乳白色の壁に木目調の床。
調度品は落ち着いた色合いの物で統一されているが、その一つ一つは高価な物であることが一目でわかる。
医療用白衣を常時身に付けるような仕事は何年振りだろうか。ぼんやりと考えながら黒く染め上がった前髪を軽く払い上げ、部屋主を待つ。
「すまない待たせたね、新堂君」
「いえ、お久しぶりです。仲川院長」
「やだなぁやめてよ。院長業務は君の職歴と比べればまだまだ新米なんだから」
「医者として俺の先輩なのは事実でしょう?それに、こういう所の上下は弁えるモンですから」
青灰にも濃灰にも見える短い髪を上げた面長の男 - 仲川 恭久が頬を掻き、右手を差し出す。
左眼を僅かに細め、その手に異質がないかを確認して手を握り返せば、「相変わらずだね」と苦笑する。医学生時代と変わらぬその笑顔さえも疑わねばならない自身の身分に、少しばかり息苦しさを覚えながら口角を上げて見せて視線を周囲へと移した。
「院長室にいる時くらい気を休めて良いのに…。僕、一応これでも君の身分知ってる一人なんだよ?」
「この仕事、万一ってこともあるんで。必要なら俺らは家族友人も疑います」
「成程。じゃあそれ着けるだけで済ませてもらえるのは優しいほう?」
「まぁマシですよ。院内殆どに着けましたけど」
院内は既に透過率の高いフィルムタイプの媒体を設置し終えており、今日までの会話は事務所の記録用端末に保存されている筈だ。
席から再び聞こえた苦笑に疾風は片眉を下げ、微かに物が擦れる音を背に聞きながら、録音媒体となるフィルムシールを棚影へと貼り込んで携帯端末から起動。
画面に表示される集音率を確認し、伊達眼鏡を掛け直す。
作業完了を告げるように息を抜いて向き直れば、ネームホルダーと数枚の紙を並べられた机上の奥に座る仲川が筆記具を指先に遊ばせて笑い、首を傾いで署名を促してくる。
自分の提言した契約内容と病院側の臨時雇用契約条件に相違がない事を確認し、名札に書かれた同音苗字の偽名を書面へと書きつけて差し出すと、下の記名欄へ院長の名が連ねられた。
「改めてよろしくお願いします、仲川院長」
「こちらこそよろしく。君の請けた依頼が完遂するまでの期間、協力をする事は約束する。出来る限りフリーで動けるように手回しするから」
「助かります。ただ、雇用期間中は他の医師と同様に扱っていただいて構いません。人が足りない時は執刀でも何でもやらせてもらいますよ」
「うん。宜しく頼むよ、先生」
**********
白壁と淡灰の合成石質の床。
黒檀製の寝台座には良質のウレタンと綿素材で造られたマットレスが敷かれ、灰紫の髪を携えた血気のない青年が、多数の管に繋がれて懇々と眠る。
目前の光景は今日で九八六日目。
午前十一時にこの場所に来て窓を開く動作は今日で六百九十八回。寝台に横たわる主人が目を覚ます様子は無く、心電図の音だけが室内へ響く。
開けた隙間から入り込む中庭からの人声に下を見れば、車椅子に座る者と白衣を羽織った女性が何かを話している。
面会時間が過ぎるまでこの場で待機することは、誰の何の為にもならない事は、四〇八日前に演算結果として出ている。
それでも、と主人が目覚める日を三八五日ほど待機していたが、医師達は佐多への説明も何無く部屋を出入りするだけだ。
「………シンドウさんの連絡先、ちゃんと聞いておきゃ良かった」
二十三日前、自律的思考で動ける範囲に絞り、分かる限りで東都内の業務代行請負業にあちこち連絡を入れつづけた。
ようやく取り合って貰えたのが六日前。
シンドウと言う名字であったことだけは判るのだが、アップデートをしていない記録中枢にはどのような字であったかまでは記憶しきれていない。
同音の請負業者を検索して該当する者は居たが、それが本当に同じ人物であるかは確認出来ていない。そのため、次の行動プロセスに移すことが困難となっている自分が居る。
姿形こそはヒトと変わらぬと云うのに、指令無く動くことが覚束ない。
「…参ったもんだ」
自分の行動処理能力劣化に落とした言葉に重なって、病室の扉が二度叩かれる。
「佐多さん、少々宜しいですか?」
「はいはいどーぞ」
担当看護士の音声を認識し、その方向へと首を向けて待機。自動扉の僅かな駆動音と共に、二人の人物が室内へと入ってくる。
燻んだ橙髪の女性は担当看護士だが、レンズに映る黒髪の銀縁眼鏡を掛けた男性は検索を掛けても該当が無く、首を傾げてみせる。
「そちらさんは」
「前任・竪山 優より引継ぎ、本日より美南 龍弥さんの担当医となりました、進藤 疾風と申します。どうぞよろしくお願いします」
ネームホルダーを軽く上げて緩やかな動作で頭を下げた男性は、柔らに口角を上げて目を此方へ向ける。
視界に捉えた医師の網膜をカメラに写し収め、佐多は集音機能を起動させたまま記憶領域から人物情報を捜す。
「───っ、あ、アンタは」
「…いかがしましたか、佐多さん」
先程までの挨拶よりも半音低い音が聴覚器官を巡ると同時、網膜情報から弾き出された回答が自らの視界に映る。
並べ立てた言葉を音にしようとしたが、医師の血圧上昇を感知し、彼が何らかの感情を此方に向けたと認識した佐多は、開けた口をそのまま閉じた。
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