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椿

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16 虜にさせる吸血鬼

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目を覚ますと、母がリビングのソファーでうつ伏せに横たわっていました。


「えっ、何ごと?」


欠伸の名残りがある潤んだ目を擦りながら、直立の状態からそのまま前へと倒れたような姿勢の母を何度見かする。一向に変わらないそれは、見間違いでもなんでもないみたいだった。
いつもなら平日のこの時間、キッチンで忙しなく動いているところなのに。肌触りのよさそうな薄緑のパジャマを着替えもせず、まるで死人のように横たわる姿は非常に珍しい。

戸惑いの視線で母を凝視しつつ、しかし声をかけていいものか迷った俺は、息を殺してその場を通り過ぎる。ダイニングテーブルでは、陸が1人黙々と自分で用意したんだろうチーズトーストを齧っていた。

「…母さんどしたの?」

内緒話をするように小声で問うと、陸は「近い」と鬱陶しそうに身体を傾けてこちらを睨む。朝から鋭さ全開のそれに悟った顔をしているところで、しかし質問に答える気はあったらしい陸が、無言である一方向へと指を差した。
目で追った先は、母が俯せているソファーの前、電源が付けられたままのテレビ画面。

煌々と光を発するそこには、

──世界的モデル、有瀬 楽ありせ らくの急死を知らせるニュースが、何度も繰り返し映し出されていた。




有瀬楽。
きっと今日本中で、彼を一度も目にしたことのない人は居ないんじゃないだろうか。
街中でスカウトされ男性モデルとしてデビューした直後から、誰もを魅了する美しさとそれを熟知したような魅せ方の技術で、その年のあらゆる賞を総なめにしたという実力派のモデル。その魅力はもはや日本だけに留まらず、世界各国にもその名声を轟かせている、正に世界規模のスーパーモデルだ。
今の年齢は確か、40歳とかそこらの筈だが、引き締まった肉体と老いを感じさせない若々しい見た目はデビュー当時からの美しさを保ち続けている。度々、年齢不詳と騒がれているくらいだ。きっとこれがプロのモデルの努力がなせる技なのだろう。
しかし、そんな人気絶頂の彼が、若くしてこんなにも呆気なく亡くなってしまうなんて……。
母は、俺が生まれる以前からの熱烈な有瀬楽ファンらしいから、きっと想像も出来ないくらいにショックを受けたはずだ。

…今はそっとしておいてあげよう。

よく見ると、肩を震わせているように見える母から咄嗟に目を逸らして、俺は自分の分の食パンをトースターに入れた。






「失礼しまーす……」

講義終わりに来た事務所。
玄関に見慣れない革靴を確認して、声を潜めながら中へと足を踏み入れる。今日は、いつかの三枝さんみたいに「扉」以外からの来客のようだ。

既に行われているであろう話の邪魔にならないように、と俺は出来るだけ足音を立てずに事務室へ近づく。しかし、いざ覗き込んだ室内には予想と反して人影が一つしかなかった。

いつもの応接用のソファーに悠然と腰掛けているのは、ミルクティー色の明るい長髪を緩く束ね、大きめの眼鏡をかけた男性だ。全体的にスラリと細身で、しかし程よく筋肉がついた健康的な体型をしている。長い脚を組みその片膝に両手を重ねた、何とも優美な客人へと思わず目を奪われているところで、
あれ?故白さんは?と、漸く姿の見えない上司に意識が向きかける。


その時、
眼鏡のレンズ越し、件の客人に視線を向けられた気がして、

入り口からコソ泥みたく中を覗き込んでいた俺は、弾かれたように慌てて入室した。

「すっすみませんお茶も出さず! えっと、故はっ、じゃなくて、上司は事務所に居るはずだったんですけど…! その、俺今探して──、」

ワタワタと言い訳をしている途中で、探し人は案外簡単に見つかる。

客人が座っている場所とは対面にある、玄関側からは背しか見えないソファー。その死角、つまり背に隠れたソファーの上に、

故白さんはうつ伏せで横たわっていた。



「──ックリしたあ…っっ!!
ちょっと故白さん! お客様の前でなに寝そべってるんですか!!」

急に視界に入り込んだ人物に心臓をバクバクとさせられながら、すぐさま俺は彼の身体を大きく揺らす。見たことのある姿勢に一瞬今朝の母の姿が頭を過ったが、故白さんに関しては普段の怠惰な印象が強く、ただ惰眠を貪っているだけだと信じて疑わなかった。

しかし、俺がいくら強引に身体を揺らそうとも一向に彼が目を覚ます気配はなく、また、いつもなら罵声の一つや二つ飛んできそうなものなのにそれもない。

ま、まさか──、

「し、死んでる!?」
「……殺すな」

故白さんから、力ない搾りカスのような声が返って来た。一応息はあったらしい。

そんな時、背後でクスッ、と控えめな笑い声が聞こえて、


「──ふふっ、笑ってごめん」


俺はその時、初めてこの男性の顔をはっきりと目に映した。

酷く、美しい顔立ちをした男だった。女性的なのかというとそうではない。生物として、完成された美の概念を体現しているような人だった。
左右対称の精悍な眉、スッと通った高い鼻、皺の無い陶器のような白い肌、形の良い桃色の唇。そして何より、大きめの眼鏡をしていてさえ隠しきれない、甘く魅力的なそのピンクゴールドの瞳。それらの各パーツがこの世の黄金比を突き詰めたかのように完璧に配置されているさまは、正に圧巻だと言っていい。

しかし、その相貌を褒め称えるよりも先に、俺は彼に震える指を差し向けざるを得なかった。

「あ、」
「あ?」

だって彼の顔は、

「あ、あ、あああ、
──有瀬楽!?!?」



今朝、テレビの中で何度も繰り返し見た、
急死したはずの有名人と全く同じものだったのだから。



「知ってくれてるんだ」



少しの躊躇いもなく肯定してみせた彼に、俺は言葉を失う。

え?どういうこと?死んでなかったってこと?本物?いやいやそれより、客として此処に来たってことは──、

急速で脳を埋め尽くす思考に混乱した俺が吐き出したのは、「母がファンなんです!!」という、どう考えても今必要が無いだろう情報だった。そんな俺にも、対面の有瀬楽──有瀬さんは「そうなんだ。 ありがたいな」と真摯に対応してくれる。その姿に、画面越しに見るのと実物とではやっぱりインパクトが違う、と目を細めたのも束の間、

彼は何の前触れもなく身を乗り出し、俺の頬に片手を添えて言った。


「──でも、君は違うの?」


一瞬、時間が止まったんじゃないかと本気で錯覚した。何が起きているのか自分でも良くわからなかったからだ。
触れられた肌がじわじわと熱を増していくのを自覚した時にはもう遅くて、至近距離でこちらを覗き込む赤割の瞳に自分の真っ赤な顔が映っているのを確認した後、俺は堪らず床へ力なく座り込む。
自分の意思とは関係なく心臓がバクバクと騒いで、全身を揺らしているような感覚を覚えていた。
しかし、そんな異常事態の最中でも心を占めるのは、有瀬さんが自分だけを見てくれているという、泣きたい程の歓喜だ。

続く言葉は、まるで台本でも用意されているんじゃないかと思うくらい自然に俺の口から飛び出す。

「お、俺の方がもっとふぁんで、しゅ……」
「そう? 嬉しいな。 いつも応援ありがとう」
「はひ」

近距離での甘く蕩けるような笑みに、頭が砂糖漬けの果物みたくぐずぐずに溶かされてしまいそうだった。特に言語中枢の被害は甚大らしい。
腰砕けとはこういうことを言うのだろう。
言うことを聞かない震え混じりの湯だった体で、俺が眼前の美をただただ呆然と眺めることしか出来ないでいると、

「……そうなるだろ」

背後から、覇気の無い故白さんの呟きが吐き出された。
どうやら、圧倒的な美の暴力(仮に『ーム』とでも呼ぼう)を俺より先に体験した結果が、あの現状だったらしい。



今回の依頼人は、急死したはずの世界的有名モデル、有瀬楽。



彼は、吸血鬼だった。

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