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番外編 神谷 響・鮎川 隆二・藤ヶ谷 潤 ①
しおりを挟む《男子生徒 視点》
昼休み。
それは、日中、この一種の監獄のような空間に閉じ込められている俺達高校生にとって、唯一の休息の時と言ってもいい数十分間の名である。
ここは学内でも、『大学進学』という人生のほぼ初期に行われる、そして今後の運命をなぜか強制的に確定させられてしまうマジキチイベントのために、貴重な青春時代を勉強に全振りしている悲しき子供が集う教室。1組 特別進学クラス。
何を隠そうこの俺も、それに組する者の1人であった。
天から鳴り響く鐘の音ひとつで、立って、座って、飯を食って…。ああ、俺たちは正しくこの学校で社会の奴隷となるために着々と洗脳されているのだ…。なんて、齢16にしてこの世の真理を悟ったような顔をしながら、俺はいつものように食糧片手に真後ろへと椅子を反転させる。
そして、俺が振り向いた席に座す友人――神谷響君と向かい合わせに座ると、「食べよ食べよ」と俺は母が拵えた弁当の蓋を早々に開いた。
整髪料などを全くつけていない黒髪と、少し長めの前髪。着崩しなど一切ない制服。几帳面に整えられた鞄の中身。
俺の友人の神谷響君は、ザ・大人しめの優等生といった風貌の男子生徒であった。
俺達の出会いは、まだ記憶に新しい高校入学初日に遡る。
勉強をすることしか取り柄の無い根っからの陰キャだった俺は、入学式直後に顔合わせと自己紹介を兼ねて案内された教室で、そこを悠々と闊歩する名も知らぬ陽キャ達に勝手にビビり散らし、凍死寸前の人間のように震えて誰にも声をかけることが出来ないでいた。
そんな中、(恐らく)俺と同じ状況に陥り、ポツンと取り残されている者の中で一番席が近く、話しかけやすそうだったのが響君だ。
その時、好きな漫画の話で意気投合したことから始まり、目立たず細々と生きながらえたい陰の者同士何となくウマが合って、それからずっと親しくしていた。
響君が、既に箸を手に持つ俺を見て「早いよ」と控えめに笑いながら、自身の弁当を準備しかけていたところで、
「神谷くん」
テレレッ! 【女子が あらわれた!】
普段近くで耳にすることが少ない女子の声に、俺達はそろってビクリと身体を揺らす。
俺なんかは響君と違って名前を呼ばれたわけでもないのに。多分本能に染みついた反射か何かだと思う。
急に話しかけてきた女子に、響君は緊張したように「な、何?」と用向きを窺っていたが、どうやら用があるのはその女子本人ではないらしかった。
「呼んでるみたいだよ」と女子が指し示した、この教室の前方にある扉に視線をやると、そこには、扉から教室内を覗き込むようにして、響君に向かって満面の笑みで手を振る小柄な男子生徒が立っていた。
彼は、何故か前髪全てを女子っぽい髪飾りでバイナップルの房のように頭上でひとまとめにしており、普通の人ならまず真っ先にその奇抜な見た目の方に目が釘付けにされてしまうところだろうが、俺は違った。
俺は、その男子生徒を視界に入れたゼロコンマ1秒後にはもう既に、彼の気質を正確に感じ取っていた。
学校指定の白いシャツの上から、やや大きめの黒いカーディガンを着こなし、完全アウェイな他クラスを訪問していながらも戸惑いひとつ感じさせない堂々とした態度、そして笑顔!
立ち振る舞いから見ても間違いない。彼は、完全なる陽キャだ!
「ヨシ!!」と工事現場で指さし確認をするネコのキャラクターが俺の脳内で彼を指し示したと同時、前方で椅子がガタガタと動かされる音がして今度はそちらに目をやる。
視線の先、椅子から立ち上がった響君は、俺が今まで一度も見たことの無い据わった目つきをしていた。
え、あなたは、本当に俺の知っている響君ですか?
響君は、はあ~~っと大きくため息を吐いて、俺に「先に食べてて」と一言言い置いてから、元気に手を振り続けるちょんまげ男子の方へゆっくりとした足取りで向かって行く。
あ、あんな見るからにテンションの低い響君、初めて見た。小心者の俺はうっすら恐怖心のようなものすら感じた。
――それにしても、あのちょんまげ男子。
見るからに、俺や響君のような陰の者とは関わりのなさそうな人間だけど、響君に一体何の用だろうか。
…響君、ため息吐いてたけど、…いじめ、とかじゃないよな?大丈夫だよな?
……会話を聞いて、もしなんか危なそうだったら友達の俺がちゃんと助けてやらなきゃ!!
俺は小刻みに震えながらも、そんなもしもの時のためにと、彼らの会話にじっと耳を澄ませる決意をした。後は逃走経路の確認などを行った。
俺が出来ることといえば、響君と一緒に逃げることだけなので。
「で」
ちょんまげ男子のいる所までたどり着いた響君が、たった一文字、言葉を発する。
すると次の瞬間、相対する彼はその笑顔をパッと真剣な表情に入れ替えると、おもむろに何か教科書のようなものを両手で前に差し出して、
「いっっしょーーのお願い! 数学の問題写させてくださいっ!!」
勢いよく頭を下げた。
続けて彼は、そのままの姿勢でぽつぽつと事情を語りだす。
何でも、彼はこの昼休み明けにある数学の授業で、自分が先生に当てられる順番が来ていたにも関わらず、それを忘れて必要な課題をやって来なかったらしかった。
俺達が属する特進クラスでは、他のクラスより授業の進行スピードが早いので、響君ならもう終わっているだろうとここまで聞きに来たというのが、今回の呼び出しの顛末だったようだ。
理不尽ないじめなどではなさそうな理由に、俺はほっと一安心する。
なんだ。
じゃあ、優しい響君が彼の要求する問題の答えを見せたら終わる話か。
これはもう聞き耳を立てる必要も無さそうだ、と先ほどの響君の言葉に甘えていそいそと弁当に手を付けようとしていた俺だったが、
ふいに見えた、どこか冷たさを纏った響君の知らない横顔に、思わず動きを止めてしまった。
「それが本当に一生のお願いならお前は既に10回以上は転生していることになる。 …やらないお前が悪い! 勝手に怒られとけ!」
「えーー!? 頼むよー! 先生怖いよーー!」
「やめろ鬱陶しい!!」
アメーバのように縋りつくちょんまげ男子を、普段の大人しい様子からは想像も出来ない激しい言葉遣いで響君が押し退ける。
それに俺が目を瞬かせていると、
「神谷って、潤と友達だったんだ?」
急に普段あまり話す機会の無い、爽やか系陽キャに声をかけられる。
俺はヒッと少し委縮しながらも、表面上には出来るだけそれを出さないようにして、彼から発せられた2人分の名前の、知らない一方について首を傾げた。
「じゅ、じゅん?」
「あいつの名前。 藤ヶ谷潤。 俺陸上部で一緒なんだよね。
めっちゃ明るくて良い奴だけど、運動部の賑やかな奴らとつるんでるイメージだったから、正直神谷と一緒に居るとこ見んのは不思議な感じだわ」
彼は俺が何も知らない情報弱者であることを察したのか、それだけを言って笑って、自身の爽やかな風薫るグループの元へと帰っていった。
ふう、陽キャの急な戯れは心臓に悪いんだぜ。
僅かに滲みだしていた額の汗をぬぐいつつ、俺はもう一度扉前で響君に泣きつくちょんまげ男子を見る。
やはり、彼――藤ヶ谷潤は、運動部の賑やか元気系陽キャグループに所属する一軍だったか…。
まあでも、『友達100人作る』とかを地でいきそうな根明っぽいし、響君ともどっかで仲良くなる機会があったんだろう。ああいうタイプはどんな奴とでも一定のコミュニケーションをとれるのが凄い。…影で、「あいつマジ陰キャw」とか笑う人間じゃなきゃ良いけど。
あ、そんな裏の顔想像したら怖くなってきた。
勝手に怯える俺をよそに、響君と藤ヶ谷2人は「見せて!」「見せない!」の攻防を続けていたのだが、そこに接近する新たな影が一つ。
「どったのデコ助」
「誰がデコ助じゃい!」
のそりという感じで2人の元に現れたのは、ズボンのポケットに手を突っ込んで気怠そうに立つ、無気力な目をした男だった。
彼は、耳たぶにシンプルなシルバーのリングピアスを付け、ネクタイの見当たらないシャツの上には絶対に俺らみたいなやつが選ばないだろう薄ピンクのカーディガンをゆるりと羽織っている。
テレレッ! 【不良が あらわれた!】
彼は藤ヶ谷の曝け出された額を、女子のようにカーディガンからちょこんと飛び出した指先でぺチリと叩いた。
藤ヶ谷は、そんな男の行動で「あっ、女子に遊ばれたんだった。どうりで視界が爽快だと思ったー」などと今気づいた風に笑って、自身の髪を束ねていた可愛らしい髪飾りを取り払う。
ふいにその背後から、「隆二ー?」(どうやら彼の名前らしい)と、恐らく彼の友人であろうグループの中に混じった女子から、キャラキャラ笑いながら催促のお声がかかった。
彼は「何してんの~」と楽しそうに笑う女子達に「先飯食ってて」と先を促して、何故かその場に留まる。
あ、あれは…、女遊びの噂飛び交うイケイケ男子グループ…!!
彼はそこに属している紛れもない一軍の人間!!
グループに顔面偏差値の高いギャル系女子が入り浸ることがあって、いつもスマホを片手に持ってる感じの気だるげなイマドキ男子で、ピアス開けてる不良で、多分髪も染めてて?…っくそ、俺では彼の一軍ポイントを正確に把握することが出来ない!!
とにかく、強そうなことだけはわかるが!!!
な、何なんだろう。藤ヶ谷の友達か?
あんな不真面目で冷たそうなチャラチャラしたやつとも仲良くなれるんだな…。コミュ力凄いな藤ヶ谷潤…!
完全なる不良のオーラに己が震源地の局所地震を発生させながら、教室前方の扉前に集った3人に注視していると、
次に『隆二』に声をかけたのは、まさかの藤ヶ谷ではなく響君の方だった。
「呼んでないけど」
「呼ばれてないけど」
「なら何故来た!? もー散れ! 解散! お前らと居ると必要以上に目立つから嫌なんだよ!」
「もしかして:目立つのは響の声のデカさ」
「待って待ってーー! 散るから! 速やかに後腐れなく散るからせめて数学の課題の答えだけ写させてー!!」
「お前のためにならないだろ! 自業自得。 潔く怒られろ」
気怠そうな無表情のまま、淡々と響君に言葉を返す隆二をよそに、
とにかく懇願に必死な藤ヶ谷は、しっしと手で追い払うような動きをする響君を引き留めんとさらに追い縋る。
そんな藤ヶ谷と響君のやり取りを見て大体の事情を察したらしい隆二は、藤ヶ谷の広げた教科書をチラリと覗き見ると、
「ここの問題なら、さっき俺らやったけど」
「……ほんと?」
「うん」
藤ヶ谷の動きが止まり、希望がふんだんに含まれたキラキラしい視線が隆二に向けられた。
響君は己の眼前で行われるそのやり取りに、呆れた顔を隠そうともしない。
「うつさせてくれる…?」
「いーよ」
「ぃやっはーー!!! 聞きました響ちゃん!? 神様何様隆二様~~!! ありがとう!そしてありがとうーー!!」
「ちゃん付けするな。 てか隆二、甘やかすなよな」
「情けは人のためならずって言葉知ってる? 響ちゃん。
あい、丁度持ってる。 感謝の意を歌にして示せ」
恐らく隆二は、移動教室、それも件の数学の授業から戻るところだったのであろう。
彼は細めのペンケースと共に手に持っていた、数学用のノートを藤ヶ谷へと差し出す。
それを恭しく受け取った藤ヶ谷が、幸せそうな顔で隆二が要求する感謝の歌を奏で始めた。
「バンザーイ! 君に~会えてよかった~! このままずっと~ずっと~寝るまでハッピ~!」
「もうちょい長く余韻残せねぇの?」
「朝までハッピ~」
「そこが俺の数学ノートの限界っ…」
「バカ2人、迷惑だから早く戻れ」
「「え~響ちゃ~ん」」
「だからちゃん言うな」
テンション高く(一方は殆ど表情が変わっていないが)ひゃひゃひゃと笑う二人に、響君がうんざりと脱力した声でツッコんでいるが、彼らが言うことを聞く様子はない。
藤ヶ谷に至っては、早速中身を見分しようと隆二のノートをその場で開き始めた。
響君が「もーーー何で今見る……帰れ」と力なく言ったのを聞いて、何か育児疲れする母親を見ているみたいだな…とそんな所感を俺が抱いていると、
しばし何かを確認するようにページを捲っていた藤ヶ谷が、「……待って」の言葉と共に、先程まで輝かんばかりだった笑みをその顔から消す。
響君と隆二が何事かと首を傾げて、そんな藤ヶ谷に視線を向けた。
「何も書いてない」
その言葉と共に隆二の眼前に突き付けられたのは、今日の日付と数行の数式が申し訳程度に書き認められた、ほぼ白紙のノート見開きだった。
よく見ろとばかりに、段々近づいてくる自身のノートの圧に押されたようにして首をのけ反らせていた隆二は、少し思考を巡らせて、
「……あー、……そういや答え写してなかったかも。 わり。 ……痛っ!」
授業中何してたんだ?と思われるようなことを素直に言った後、片手を上げて軽く謝罪した。
藤ヶ谷は、自分が慈悲を賜る立場なのにも拘らず、そんな隆二に非難の目を向けたかと思うと、彼の腹あたりにズビシ!とノートを突き返す。心なしか舌打ちのようなものも聞こえた気がする。
そして、再び響君の目の前で神に祈りを捧げるみたいに指を組んで、眉の下がった庇護欲をそそる目で縋った。
「響ぃ~…」
「潤お前今舌打ちしたなオイ」
「……ぅ、」
隆二は先程の藤ヶ谷のやや横暴な態度を糾弾しているが、藤ヶ谷は響君に全力で懇願するのに忙しいらしく、彼のことはひたすらにガン無視だ。
そして響君はといえば、藤ヶ谷の捨てられた子犬のような瞳に、さっきまでの即断は何だったのかと思えてしまうくらいに押され気味の表情でたじろいでいた。
嘘だろ響君!!
それはちょっとチョロすぎやしないか!?
甘い表情一つでそれはチョロ過ぎないか!?大丈夫!?
「…ひびき~♪」
「ひびき~♪」
「「ひ~び~き~♪」」
「ハモるな。 そんで無駄に上手いのが腹立つ。
……あーもうわかった! ……言っとくけど、いやこれ毎回言ってるけど! 写させるのはこれで最後だからな! …次はちゃんと自分でやれよ」
「!! やるやる! やります!! ありがとう響~!!」
結局、響君は藤ヶ谷の要望を受け入れたらしかった。
うん、でも、毎回最後とか言ってんだ。
それでも懲りずに藤ヶ谷は響君の元に来ていると。
…そう考えると、もうツンデレのテンプレ台詞のようにしか聞こえないよ響君。
俺の心を代弁するかのように、少しだけ不機嫌そうに口を曲げた隆二が言う。
「『来週にはまた来る』に俺の姉貴」
「肉親を賭けるな。
――ていうか、わざわざこっちまで来なくても同じクラスの友達に写させてもらえよ。潤にはいっぱいいるだろ」
「皆やってないんだって。 俺がパイオニア!」
「それ意味わかって言ってるか? ややイングリッシュ? いや、流石にクラスメイトの誰かはやってるだろ。 女子とか。 …やってるよな?」
「あ~…でも、響のことしか思いつかなかった!」
にぱっ!そんな効果音が聞こえてきそうな程に、藤ヶ谷が満面の笑みを浮かべて、その瞬間――、彼の顔から発せられる、見えるはずのない光の幻覚が見えた。
え!!眩し!!!何????
響君は俺と同じく?同じくなのか?この幻覚は全人類共通なのか?…わからんが。眩しそうに(見える顔で)目を細めていた。
隆二はいつの間にかサングラスを装着していた。え?サングラス常備してるの?
何かピアスとか明るい髪とか、外見の先入観のせいで怖いイメージしかなかったけど、もしかして結構愉快な人なのか?
「『響は来週もまた潤にノートを見せてやる』に正文」
「だから肉親を賭けるな。あと分かり難いから父親って言え」
ていうか響君。
藤ヶ谷は、なんていうか、ヒモの才能があると思うんだ。そして響君はそんな彼に簡単に搾取される存在になりそうな気がするんだ。
…気をしっかり持ってくれ。
――当初とは全く別の意味で、響君のことが心配になっていた俺だった。
ロッカーから取り出した数学ノートを響君が藤ヶ谷に貸した後、3人は少しだけ雑談のようなものをしていて、
俺にはもう詳しい内容は聞こえていなかったのだが、最後は「じゃあまた夜にー!」という藤ヶ谷の挨拶を合図にそれぞれ解散していったようだった。
疲れたような、しかしどこかスッキリしたような顔をして戻ってきた響君に「先に食べてて良かったのに!」と驚かれて、俺は箸を持ったまま動いていなかった手を無意味に振ってごまかした。
そうして、何も無かったように一緒に昼食を食べ始める響君に、俺は遂に好奇心を抑えきれず、先ほどの2人のことを話題に出す。
心なしか、教室内にいる全員がその話に聞き耳を立て、この室内だけがより一層静かになったような気がした。
あ、何かちょっと緊張しちゃう。
「さっ、きの2人と仲良いね。 どういう関係?」
「え、別にそこまで仲良いってわけじゃ…。 ただの幼馴染」
「なるほど幼馴染! また夜にって、今日何かあんの?」
「ああ、潤の――小さい方の家でゲームする約束したってだけだよ」
多分、俺達のこの会話を聞いた響君以外の全員が思っただろう。
「(仲良っ…!)」
響君、ゲームとかやるんだ…。
そんなことをぼんやり考えながら、彼の知らなかった一面をこの数分で浴びる程見せられた俺は、「何のゲームやるの!?」なんて、意外にまだ未知の多かった響君への情報収集に身を乗り出した。
応援ありがとうございます!
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