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2. その先は心で
2.
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渋る父親を説得し、父親を介してシエナに求婚した。何故だかその時はそうしなければならないと、焦りにも似た気持ちでそう思ったのだ。
パーセル家からの返事を待つ日々の中で、ある夜晩餐を終えて自室で過ごしていたウォーレンの所へやって来たのは、姉のエレンであった。 エレンはこの社交シーズン中に結婚し、つい2ヶ月程前に侯爵家を出たところであったが、今日はどういうわけかハイド家に戻って来ていたのだった。今夜はこのまま此処に泊まっていくつもりのようだ。
部屋をノックする音に返事をする間も無く開けられたドアの隙間から、感情を抑えた目がウォーレンを睨め付けた。
口調だけは静かに、だがその目ははっきりとウォーレンを責めるもので、エレンは部屋へ入って来ると、話があるの、と告げたのだった。
「なんだよ、急に」
「いいから、座りなさい」
「わかったよ。でもなんの話だい、姉さんがわざわざ俺の部屋に来るなんて」
「……座って」
氷のように冷たい視線を浴びながら、ウォーレンは呼び鈴を鳴らして従者を呼んだ。ウォーレン付きの従者が用向きを訊きに来て、更に2人分のティーセットをメイドが運んで来るまで、エレンは無言であった。
普段は穏やかな姉がこのように怒りを露わにするのは珍しい。いや、子供の頃はしょっちゅう叱られた。ウォーレンがシエナを揶揄ったり、シエナが悲鳴をあげるような悪戯をする度に叱られた。
言われた通り、ソファに向かい合って座ったが落ち着かない。沈黙を紛らせるように運ばれて来た紅茶を飲む。ウォーレンはあまり紅茶は飲まないのだが、今は仕方がない。間を持たせるためだ。
エレンも心なしか冷静になろうとするためにカップに口を付けたように見えた。ひと口飲んで、エレンが口を開いた。
「シエナに求婚したんですってね」
「ああ、そのこと」
「貴方の強い希望だとお父様から聞いたけど」
「ああ……、まあね」
エレンの目付きが鋭くてたじろぐ。弟が幼馴染に求婚したというのに、エレンの表情はそれを喜ぶどころか明らかに詰るものだった。ウォーレンは怯むように何と無し歯切れの悪い言い方になってしまった。
「どういうつもり?」
「は?」
「どういうつもりで求婚したのかって訊いてるのよ」
「そりゃ、妻にするつもりで」
「そんなこと訊いてないわ」
「じゃあ何だよ」
「どうして妻にしようと思ったのかって訊いてるの」
エレンはウォーレンを睨み付けた。ウォーレンは何故このように詰問されるのか怪訝に思いながら努めて快活な声を作る。
「それは、その、幼馴染だし?気心知れてるっていうか、楽だろ?パーセル家も良く知る家だし。丁度いいと思ってさ」
「貴方、楽だからという理由で結婚相手を選べる立場じゃないでしょう」
「まあ、それはそうだけど。シエナの家なら仕事の付き合いもあるから、問題ないだろ?」
「それだけ?」
「は?」
「それだけの理由で求婚したの?今更?」
「それがどうしたんだよ」
「……そう。もしかしたらと思ったけど、やっぱり違ったのね」
「……何が言いたいんだ、姉さん」
そこでエレンがひたり、とウォーレンを見据えた。その静かな表情にウォーレンは何を言われるのかとたじろいだ。
「貴方、あの薬を誰に使ったの」
「え」
全く予想してなかった問いに、思わず声が掠れた。エレンの瞳が険しさを増した。
「私の部屋から持ち出したあの薬よ。あれを誰に使ったのか訊いてるの」
「………」
「私が気付いてないとでも?貴方が随分前からあれを持ち出していること位、知ってたわよ。元々そんなに沢山持つような物じゃないからね。でもこれまで貴方は何も言わないし、お相手と揉めてるような事も無さそうだから、気付かない振りをしていただけ」
「………」
「それが、急に幼馴染に求婚しただなんて。貴方もしかして、誰かと揉めて、それでパーセル家と結婚してその人から逃げようとしてるんじゃないでしょうね」
「そんなわけ無いだろ」
「じゃあ何なの?あれを使うって事は相手の方とそれなりのお付き合いをしていたんでしょう?娼館通いならこっちが用意する必要は無いものね。でも貴族の子女なら大抵はあの薬を持ってる。貴方が用意してたってことは、お相手は市井の方?」
「違う」
「じゃあ誰なの」
「姉さんには関係ないだろ」
「関係あるわよ!私は貴方の姉よ?もしこの先そのお相手の方がこの家に乗り込んで来たら、貴方この家やお父様の顔に泥を塗る事になるのよ。それを判ってるんでしょうね。それに貴方の身勝手に巻き込まれるシエナの身にもなってみなさい。シエナは私にとっても幼馴染なのよ。シエナを泣かせるようなことをしたら、許さないわよ」
「……そんな事にはならない」
「どうしてそう言えるのよ。貴方は不誠実なお付き合いをした尻拭いを、この家やシエナにさせようとしているのよ」
「だから、姉さんの思ってるような事にはならないよ」
「どういうことよ」
ウォーレンは姉と言い合いをした勢いを失くして項垂れた。はぐらかすことは出来そうになかった。ぽつりと呟く。
「……シエナだから」
「え?」
「あれ渡したの、シエナだから」
「………え?」
エレンが理解出来ないと言うように間の抜けた声を漏らした。目を瞠いている。
「それ、どういう……貴方達いつの間にお付き合いしてたの。そんなの一言も」
「付き合ってない」
「え?」
「付き合ってなんかない」
「え、どういうこと?付き合ってないのに、身体の関係はあるの?貴方、私の部屋から持ち出したの、1粒じゃないわよね?全部シエナに渡したの?あの子なら自分で持ってるでしょう?なんで?」
「だからっ……」
厳しく追及するエレンに、隠し通すことは無理だとウォーレンは悟った。疲れた声が出た。
「酔った勢いで……あいつを抱いた」
「なっ、……何てこと……」
エレンの顔が蒼白になるのを目の端に捉えて、観念してウォーレンは続けた。
「俺、あいつが嫌がらなかったのをいいことに……その、何回も……、だから」
「あんた……!」
やおら立ち上がったエレンがつかつかとウォーレンの前までやって来ると、項垂れる彼の頬を思い切り打った。乾いた音が響く。
頬がじんと熱を持った。
「何やってんの!」
エレンが普段の彼女からは想像も付かない剣幕でウォーレンを詰った。
「あんた、シエナの気持ちを何だと思ってるの!そりゃあの子は抵抗しないでしょうよ。あんたが相手だもの」
幼馴染の気の置けない関係を利用して迫ったのだと詰め寄られればその通りでしかなく、ウォーレンは顔を上げられなかった。だがエレンはまだ納まらないらしく、更に言い募った。
「あんた、シエナの気持ちを知っててそんなことするなんて最低ね。自分のことを好きで、抱かせてくれるからって、何でもしていいとでも思った?」
「え……?」
今、なんて言った。
俯いて床を力無く見詰めていた耳に飛び込んで来た予想もしなかった言葉に、ウォーレンは反射的に顔を上げた。
そんなウォーレンを尻目に、エレンは更に捲し立てた。口を挟む余地もない。
「あの子をいつでも抱かせてくれる都合のいい女扱いしておいて、何が求婚よ。あんたが心配しなくったって、あの子にはあんたなんかよりもっとふさわしい相手が現れるわよ」
「姉さん!」
とうとうウォーレンは声を上げてエレンを遮った。
「何よ!」
「あいつが、俺を好きだって……?」
「何よ、まさか抱いておいて気付いてなかったとか言うんじゃないでしょうね。それで罪が軽くなるとでも思ってるの?そんなわけないでしょう。あの子がいつからあんたのことを好きだったと思ってるの。今更気付かなかったじゃ済まさないわよ」
「姉さんは何で……」
「そんなの、見てたらわかるわよ。あんな風にいつもあんたのやることに怒りもせず嫌がりもせず嬉々として後を付いていって。だから私が代わりに怒ってやってたんでしょう」
「……っ」
今まで思いもかけなかった事実にウォーレンは硬直した。すぐには頭が回らない。その間にもエレンの詰問は続いていく。
「それで、求婚したってことはもしかして子供ができたの」
「いや、それはないと思う……」
「じゃあ何で求婚したのよ。『都合のいい女』にしておいて」
「そんなんじゃない」
「じゃあ何なの?」
「俺、あいつを泣かせてしまったから……だから責任を取ろうと思って」
「はあ?シエナは泣いて結婚を迫ったの?そんな子には見えないけど」
「そうじゃない。迫られたわけじゃない。だけどあいつ、泣いて嫌がったから……」
「嫌がってる女性に何で求婚するのよ」
「それは……」
「あんたね、一体シエナをどうしたいのよ」
エレンが明らかに呆れたという様子で吐き捨てた。
自分でも自分の行動を上手く説明出来ないのだ。だがどうしたいかと訊かれて浮かんだ答えは、情けない事にこれまでと変わらなかった。今更取り繕うことも出来ないし、その気力も浮かばない。結局口の端に乗せた言葉は、呻き声のようなものにしかならなかった。
「…………抱きたい」
「もう1度引っ叩いてあげましょうか」
エレンが声に一層の凄みを込めた。それを見てウォーレンは、もう何とでもなれと思いながら白状した。
「情けないよな、俺……こんなことしか考えられない。あいつを抱きたいんだ。抱きたくて堪らない。いつでも抱きたい。一日中抱きたい。ずっとあいつを腕に抱いていたいしずっとあいつに隣にいて欲しいって、そんなことしか考えられない。
泣かれるのも嫌がられるのも正直キツい。本当はあいつには俺の腕の中で笑っていて欲しいし俺が笑わせてやりたい」
「え…………?それって」
エレンがそれまでの表情から一転して驚きに目を瞬かせた。何度もまじまじと自分を覗き込んでくる。
ウォーレンは落ち着かず不貞腐れたような声が出てしまった。
「何だよ、頭がおかしいとかわざわざ言うなよな。自分でも変だと思うよ」
「頭がおかしいっていうより、それ……」
「いや、わかってるから。今更どの口があいつを笑わせたいとか言うんだって」
「そうじゃなくて、ウォーレン、貴方……」
エレンが何とも言えない複雑な顔をしていた。呆れとも驚愕ともつかない顔だ。何処と無く脱力しているようにさえ見えた。それを裏付けるように溜め息まで吐かれた。
「……それ、シエナには言ったの」
「抱きたくて堪らないって?本人に言うわけ無いだろう」
「そっちじゃなくて……隣にいて欲しいとか、笑わせたいとかの方よ」
「そんな小っ恥ずかしいこと言うかよ」
「姉の前では言ったじゃない」
「それはもう投げやりっていうか破れかぶれっていうか……」
もごもごと口籠るウォーレンに、エレンがさっきまで叱り付けていた顔とは打って変わって、出来の悪い弟を見守る姉の目になった。
「あのね、それはシエナに言わなきゃ。言わなきゃ伝わらない。それが、貴方の正直な気持ちなんでしょう?」
「……今更なんて言ったらいいんだ。あいつはずっと幼馴染だったし、それに……俺が泣かせた」
「あのね、本当なら気持ちを伝えてからその先に進むべきなのよ。それをあんたは後先逆にした挙句、そのままにして此処まで来てしまったの。言葉が足りないのよ。全然足りてない。それで今度も気持ちを伝えるより先に求婚して……それがどれだけあの子を混乱させることになるかわかる?
せめて今からでも出来る限り言葉を尽くすしかないわ」
「ああ……」
ウォーレンは項垂れた。全くその通りだと思う。自分がまず自分の気持ちに気付いてなかったからといって、先にしていい行動ではなかった。
エレンも声を落とす。期せずして2人とも同時に溜息が漏れた。
彼女が自分に好意を寄せていてくれたらしいと知って、自分のしてしまった事が余計に重く伸し掛かる。素直に喜ぶ気分には到底なれなかった。
「家を通した求婚だからパーセルのおじ様が断ることはきっとないでしょうけど……、あんたはこれからあの子に償って、あの子が幸せになれるように尽くさなきゃ駄目よ」
そうするよ、とウォーレンは力無く答えた。それでもこの時はエレンの言う通り、これからはシエナに笑って貰えるように自分の出来ることをしていこうと、思っていたのだ。
*
きっと自分はいつも彼女に甘えて、ずっと寄り掛かっていた。
最後の瞬間まで、頭のどこかでシエナはまたいつもみたいに笑って赦してくれるんじゃないかって思っていたのかもしれない。
だがそんな自分に都合の良い筋書きはないのだと、気付いた。
気付いたのは、彼女が自分から離れ、自分が彼女を失ったと思った瞬間だった。
失うも何も、自分は彼女を得ていたわけではなかったのに。傲慢にも自分のものの様に扱っていたことをもその時になって初めて思い知った。
掴んでいた手は、まるで縋るものを無くしたように、彼女の腕から離れた。
近過ぎて、そこにいるのが当たり前で、離れて行くなんて考えもしなかった。
何て言えば良かったのだろう。
涙に顔をぐちゃぐちゃにしたシエナを前にして、結局ウォーレンは心の中で自分を罵ることしか出来なかった。
伝えなければと焦る。だがぴったり来る言葉を見つけられない。自分のしたことは到底綺麗な言葉では表せられない。だからその奥の気持ちも上手く説明出来ない。
彼女の涙に思考が遮断される。笑わせるどころか泣かせることしか出来なかった。その事実がウォーレンから言葉を奪った。
──私はウォーレンの何だった?
失えば身の内からべりべりと音を立てて引き剥がされるような、ごっそりと半身を捥がれるような、そんな生々しい痛みを伴うものであるとはわかったのに。
伝えようとした想いは、形にならないまま、2人の間を彷徨っていた。
パーセル家からの返事を待つ日々の中で、ある夜晩餐を終えて自室で過ごしていたウォーレンの所へやって来たのは、姉のエレンであった。 エレンはこの社交シーズン中に結婚し、つい2ヶ月程前に侯爵家を出たところであったが、今日はどういうわけかハイド家に戻って来ていたのだった。今夜はこのまま此処に泊まっていくつもりのようだ。
部屋をノックする音に返事をする間も無く開けられたドアの隙間から、感情を抑えた目がウォーレンを睨め付けた。
口調だけは静かに、だがその目ははっきりとウォーレンを責めるもので、エレンは部屋へ入って来ると、話があるの、と告げたのだった。
「なんだよ、急に」
「いいから、座りなさい」
「わかったよ。でもなんの話だい、姉さんがわざわざ俺の部屋に来るなんて」
「……座って」
氷のように冷たい視線を浴びながら、ウォーレンは呼び鈴を鳴らして従者を呼んだ。ウォーレン付きの従者が用向きを訊きに来て、更に2人分のティーセットをメイドが運んで来るまで、エレンは無言であった。
普段は穏やかな姉がこのように怒りを露わにするのは珍しい。いや、子供の頃はしょっちゅう叱られた。ウォーレンがシエナを揶揄ったり、シエナが悲鳴をあげるような悪戯をする度に叱られた。
言われた通り、ソファに向かい合って座ったが落ち着かない。沈黙を紛らせるように運ばれて来た紅茶を飲む。ウォーレンはあまり紅茶は飲まないのだが、今は仕方がない。間を持たせるためだ。
エレンも心なしか冷静になろうとするためにカップに口を付けたように見えた。ひと口飲んで、エレンが口を開いた。
「シエナに求婚したんですってね」
「ああ、そのこと」
「貴方の強い希望だとお父様から聞いたけど」
「ああ……、まあね」
エレンの目付きが鋭くてたじろぐ。弟が幼馴染に求婚したというのに、エレンの表情はそれを喜ぶどころか明らかに詰るものだった。ウォーレンは怯むように何と無し歯切れの悪い言い方になってしまった。
「どういうつもり?」
「は?」
「どういうつもりで求婚したのかって訊いてるのよ」
「そりゃ、妻にするつもりで」
「そんなこと訊いてないわ」
「じゃあ何だよ」
「どうして妻にしようと思ったのかって訊いてるの」
エレンはウォーレンを睨み付けた。ウォーレンは何故このように詰問されるのか怪訝に思いながら努めて快活な声を作る。
「それは、その、幼馴染だし?気心知れてるっていうか、楽だろ?パーセル家も良く知る家だし。丁度いいと思ってさ」
「貴方、楽だからという理由で結婚相手を選べる立場じゃないでしょう」
「まあ、それはそうだけど。シエナの家なら仕事の付き合いもあるから、問題ないだろ?」
「それだけ?」
「は?」
「それだけの理由で求婚したの?今更?」
「それがどうしたんだよ」
「……そう。もしかしたらと思ったけど、やっぱり違ったのね」
「……何が言いたいんだ、姉さん」
そこでエレンがひたり、とウォーレンを見据えた。その静かな表情にウォーレンは何を言われるのかとたじろいだ。
「貴方、あの薬を誰に使ったの」
「え」
全く予想してなかった問いに、思わず声が掠れた。エレンの瞳が険しさを増した。
「私の部屋から持ち出したあの薬よ。あれを誰に使ったのか訊いてるの」
「………」
「私が気付いてないとでも?貴方が随分前からあれを持ち出していること位、知ってたわよ。元々そんなに沢山持つような物じゃないからね。でもこれまで貴方は何も言わないし、お相手と揉めてるような事も無さそうだから、気付かない振りをしていただけ」
「………」
「それが、急に幼馴染に求婚しただなんて。貴方もしかして、誰かと揉めて、それでパーセル家と結婚してその人から逃げようとしてるんじゃないでしょうね」
「そんなわけ無いだろ」
「じゃあ何なの?あれを使うって事は相手の方とそれなりのお付き合いをしていたんでしょう?娼館通いならこっちが用意する必要は無いものね。でも貴族の子女なら大抵はあの薬を持ってる。貴方が用意してたってことは、お相手は市井の方?」
「違う」
「じゃあ誰なの」
「姉さんには関係ないだろ」
「関係あるわよ!私は貴方の姉よ?もしこの先そのお相手の方がこの家に乗り込んで来たら、貴方この家やお父様の顔に泥を塗る事になるのよ。それを判ってるんでしょうね。それに貴方の身勝手に巻き込まれるシエナの身にもなってみなさい。シエナは私にとっても幼馴染なのよ。シエナを泣かせるようなことをしたら、許さないわよ」
「……そんな事にはならない」
「どうしてそう言えるのよ。貴方は不誠実なお付き合いをした尻拭いを、この家やシエナにさせようとしているのよ」
「だから、姉さんの思ってるような事にはならないよ」
「どういうことよ」
ウォーレンは姉と言い合いをした勢いを失くして項垂れた。はぐらかすことは出来そうになかった。ぽつりと呟く。
「……シエナだから」
「え?」
「あれ渡したの、シエナだから」
「………え?」
エレンが理解出来ないと言うように間の抜けた声を漏らした。目を瞠いている。
「それ、どういう……貴方達いつの間にお付き合いしてたの。そんなの一言も」
「付き合ってない」
「え?」
「付き合ってなんかない」
「え、どういうこと?付き合ってないのに、身体の関係はあるの?貴方、私の部屋から持ち出したの、1粒じゃないわよね?全部シエナに渡したの?あの子なら自分で持ってるでしょう?なんで?」
「だからっ……」
厳しく追及するエレンに、隠し通すことは無理だとウォーレンは悟った。疲れた声が出た。
「酔った勢いで……あいつを抱いた」
「なっ、……何てこと……」
エレンの顔が蒼白になるのを目の端に捉えて、観念してウォーレンは続けた。
「俺、あいつが嫌がらなかったのをいいことに……その、何回も……、だから」
「あんた……!」
やおら立ち上がったエレンがつかつかとウォーレンの前までやって来ると、項垂れる彼の頬を思い切り打った。乾いた音が響く。
頬がじんと熱を持った。
「何やってんの!」
エレンが普段の彼女からは想像も付かない剣幕でウォーレンを詰った。
「あんた、シエナの気持ちを何だと思ってるの!そりゃあの子は抵抗しないでしょうよ。あんたが相手だもの」
幼馴染の気の置けない関係を利用して迫ったのだと詰め寄られればその通りでしかなく、ウォーレンは顔を上げられなかった。だがエレンはまだ納まらないらしく、更に言い募った。
「あんた、シエナの気持ちを知っててそんなことするなんて最低ね。自分のことを好きで、抱かせてくれるからって、何でもしていいとでも思った?」
「え……?」
今、なんて言った。
俯いて床を力無く見詰めていた耳に飛び込んで来た予想もしなかった言葉に、ウォーレンは反射的に顔を上げた。
そんなウォーレンを尻目に、エレンは更に捲し立てた。口を挟む余地もない。
「あの子をいつでも抱かせてくれる都合のいい女扱いしておいて、何が求婚よ。あんたが心配しなくったって、あの子にはあんたなんかよりもっとふさわしい相手が現れるわよ」
「姉さん!」
とうとうウォーレンは声を上げてエレンを遮った。
「何よ!」
「あいつが、俺を好きだって……?」
「何よ、まさか抱いておいて気付いてなかったとか言うんじゃないでしょうね。それで罪が軽くなるとでも思ってるの?そんなわけないでしょう。あの子がいつからあんたのことを好きだったと思ってるの。今更気付かなかったじゃ済まさないわよ」
「姉さんは何で……」
「そんなの、見てたらわかるわよ。あんな風にいつもあんたのやることに怒りもせず嫌がりもせず嬉々として後を付いていって。だから私が代わりに怒ってやってたんでしょう」
「……っ」
今まで思いもかけなかった事実にウォーレンは硬直した。すぐには頭が回らない。その間にもエレンの詰問は続いていく。
「それで、求婚したってことはもしかして子供ができたの」
「いや、それはないと思う……」
「じゃあ何で求婚したのよ。『都合のいい女』にしておいて」
「そんなんじゃない」
「じゃあ何なの?」
「俺、あいつを泣かせてしまったから……だから責任を取ろうと思って」
「はあ?シエナは泣いて結婚を迫ったの?そんな子には見えないけど」
「そうじゃない。迫られたわけじゃない。だけどあいつ、泣いて嫌がったから……」
「嫌がってる女性に何で求婚するのよ」
「それは……」
「あんたね、一体シエナをどうしたいのよ」
エレンが明らかに呆れたという様子で吐き捨てた。
自分でも自分の行動を上手く説明出来ないのだ。だがどうしたいかと訊かれて浮かんだ答えは、情けない事にこれまでと変わらなかった。今更取り繕うことも出来ないし、その気力も浮かばない。結局口の端に乗せた言葉は、呻き声のようなものにしかならなかった。
「…………抱きたい」
「もう1度引っ叩いてあげましょうか」
エレンが声に一層の凄みを込めた。それを見てウォーレンは、もう何とでもなれと思いながら白状した。
「情けないよな、俺……こんなことしか考えられない。あいつを抱きたいんだ。抱きたくて堪らない。いつでも抱きたい。一日中抱きたい。ずっとあいつを腕に抱いていたいしずっとあいつに隣にいて欲しいって、そんなことしか考えられない。
泣かれるのも嫌がられるのも正直キツい。本当はあいつには俺の腕の中で笑っていて欲しいし俺が笑わせてやりたい」
「え…………?それって」
エレンがそれまでの表情から一転して驚きに目を瞬かせた。何度もまじまじと自分を覗き込んでくる。
ウォーレンは落ち着かず不貞腐れたような声が出てしまった。
「何だよ、頭がおかしいとかわざわざ言うなよな。自分でも変だと思うよ」
「頭がおかしいっていうより、それ……」
「いや、わかってるから。今更どの口があいつを笑わせたいとか言うんだって」
「そうじゃなくて、ウォーレン、貴方……」
エレンが何とも言えない複雑な顔をしていた。呆れとも驚愕ともつかない顔だ。何処と無く脱力しているようにさえ見えた。それを裏付けるように溜め息まで吐かれた。
「……それ、シエナには言ったの」
「抱きたくて堪らないって?本人に言うわけ無いだろう」
「そっちじゃなくて……隣にいて欲しいとか、笑わせたいとかの方よ」
「そんな小っ恥ずかしいこと言うかよ」
「姉の前では言ったじゃない」
「それはもう投げやりっていうか破れかぶれっていうか……」
もごもごと口籠るウォーレンに、エレンがさっきまで叱り付けていた顔とは打って変わって、出来の悪い弟を見守る姉の目になった。
「あのね、それはシエナに言わなきゃ。言わなきゃ伝わらない。それが、貴方の正直な気持ちなんでしょう?」
「……今更なんて言ったらいいんだ。あいつはずっと幼馴染だったし、それに……俺が泣かせた」
「あのね、本当なら気持ちを伝えてからその先に進むべきなのよ。それをあんたは後先逆にした挙句、そのままにして此処まで来てしまったの。言葉が足りないのよ。全然足りてない。それで今度も気持ちを伝えるより先に求婚して……それがどれだけあの子を混乱させることになるかわかる?
せめて今からでも出来る限り言葉を尽くすしかないわ」
「ああ……」
ウォーレンは項垂れた。全くその通りだと思う。自分がまず自分の気持ちに気付いてなかったからといって、先にしていい行動ではなかった。
エレンも声を落とす。期せずして2人とも同時に溜息が漏れた。
彼女が自分に好意を寄せていてくれたらしいと知って、自分のしてしまった事が余計に重く伸し掛かる。素直に喜ぶ気分には到底なれなかった。
「家を通した求婚だからパーセルのおじ様が断ることはきっとないでしょうけど……、あんたはこれからあの子に償って、あの子が幸せになれるように尽くさなきゃ駄目よ」
そうするよ、とウォーレンは力無く答えた。それでもこの時はエレンの言う通り、これからはシエナに笑って貰えるように自分の出来ることをしていこうと、思っていたのだ。
*
きっと自分はいつも彼女に甘えて、ずっと寄り掛かっていた。
最後の瞬間まで、頭のどこかでシエナはまたいつもみたいに笑って赦してくれるんじゃないかって思っていたのかもしれない。
だがそんな自分に都合の良い筋書きはないのだと、気付いた。
気付いたのは、彼女が自分から離れ、自分が彼女を失ったと思った瞬間だった。
失うも何も、自分は彼女を得ていたわけではなかったのに。傲慢にも自分のものの様に扱っていたことをもその時になって初めて思い知った。
掴んでいた手は、まるで縋るものを無くしたように、彼女の腕から離れた。
近過ぎて、そこにいるのが当たり前で、離れて行くなんて考えもしなかった。
何て言えば良かったのだろう。
涙に顔をぐちゃぐちゃにしたシエナを前にして、結局ウォーレンは心の中で自分を罵ることしか出来なかった。
伝えなければと焦る。だがぴったり来る言葉を見つけられない。自分のしたことは到底綺麗な言葉では表せられない。だからその奥の気持ちも上手く説明出来ない。
彼女の涙に思考が遮断される。笑わせるどころか泣かせることしか出来なかった。その事実がウォーレンから言葉を奪った。
──私はウォーレンの何だった?
失えば身の内からべりべりと音を立てて引き剥がされるような、ごっそりと半身を捥がれるような、そんな生々しい痛みを伴うものであるとはわかったのに。
伝えようとした想いは、形にならないまま、2人の間を彷徨っていた。
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ティアリーゼは皇太子であるアルフレッドの幼馴染で婚約者候補の1人。趣味である薬草を愛でつつ、アルフレッドを幸せにしてくれる、アルフレッドの唯一の人を探して、令嬢方の人間観察に励むことを趣味としている。
これは皇太子殿下の幸せ至上主義である公爵令嬢と、そんな公爵令嬢の手綱を握る皇太子殿下の恋物語。
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