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第一章 灰色の現実

1-8 というわけでチュートリアルです

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 「というわけでチュートリアルです」

 「え、あ、はい」

 僕は昨日と同じように『空間』にいる。ただただ無限に広がる空間にいるけれど、そこにいるのは先生と僕だけ。今日は基礎的な魔法を教える、ということで他の皆は欠席させたということらしい。だから、慣れない学校への不法侵入には少し孤独を覚えながら、なんとかこの場にいることができている。

 「……というか、チュートリアルってなんですか?」

 「あれ?知らない?昨日ゲームのネタを振ったら普通に答えていたから、少しは触れているのかなって勝手に考えていたのだけれど」

 家の経済状況についてはあまりよくないので、正直ゲーム関連というものは幼い頃に少しだけやっていたような、そんな記憶しか残っていない。それでも話をある程度飲み込めるのは、高校の友人らがそんな話をしていたのを、半部分ほど解釈して咀嚼したものであり、実際にはどういうものなのかも理解はしていない。

 「……まあいいや。チュートリアルっていうのは、端的に操作方法を覚えるための経験というかなんというか。

 ま、昨日言った通り、基礎的な魔法を今から君に教えるよってことだね」

 「それならそうと早く言ってください」

 僕は溜息を吐いた。

 今日に関しては僕と先生以外にはここに誰もいない。マンツーマンでの指導ということで、どこか力が抜けない感覚がする。

 ……いや、緊張をしているわけではないんだ、きっと。

 この先生と二人だと、正直不安なところが多いという感情が拭えないから、こうして心にわだかまりが残っているのかもしれない。

 「……それで、僕は何から教えてもらうんですか?炎?風?」

 昨日聞いた葵や明楽くんの聞いた魔法の名前を出してみるけれど、立花先生は、ちっちっち、と人差し指を振る。……妙に人を煽るよな、この人。

 「まず魔法が使えるようになるためには使う方法よりも、何で使えるようになるか、を理解するのが必要に決まっているじゃないか。

 見よう見まねでできる、って思ってそうだけれど、そんな簡単でもないんだよ。それとも一回見よう見まねでやってみるかい?」

 「……それはやめておきます」

 そこで思い浮かぶのは、葵が魔法を発動した時のリストカット。

 葵についてはもう慣れているからなのか、特にためらわずにそんなことを行うのだろうけれど、もともと血とか痛そうなものを見るのが苦手な僕にとっては、いざ真似をしろと言われても、すぐにそれが実践できるほどの精神力は持っていない。

 「それが無難だろうね。だからこそ順を追って説明していくから、きちんと聞いていてくれよ?昨日みたいに教育放棄とか言われたら心外だしね。

 今日はきちんと理解させようという心づもりで僕はここに立っているつもりだからさ」

 立花先生は、そうして言葉を続けた。

 「というわけで、早速魔法についての説明と生きたいところなんだけれども。その前にまず、君はどうやったら魔法とはどういうものだと君は思ってるのか聞いておこうじゃないか」

 そう言われて、一旦考えてみる。

 魔法、魔法。とりあえず、想像できるのは、というか葵の魔法を見た印象でしかないけれど。

 「なんか、手がぶわあっと炎出したり、風を出したり?」

 「……いや、そういったことを聞いたわけじゃないんだけれども。まあいいや。

 僕が君に聞きたかったのは、魔法についての概念をどう言うようにとらえているのか、という話だったんだ。

 確かに、葵ちゃんのように炎を出す魔法もある、もしくは風をまとう魔法もあるさ。でも、それを君はどう思うんだい?」

 「……どう思う、と言われても、なんかすごいなぁ、みたいなことくらしか」

 先生は苦笑した。

 「ボキャブラリーが足りないなぁ。そのすごい、という気持ちの裏を聞いているのにじゃあいいや、二択で聞いてみよう。君はあれを現実的なものだと思うか、そう思わないか」

 「まあ、それなら非現実的だなぁ、とは思いますよ」

 「そう。僕はそれを君から引き出したかったんだ」

 立花先生はにやりと笑う。

 「まず、魔法使いになる上では、『魔法が非現実的である』という観念を捨てなければいけない。日常にあるものと同じレベルでモノを考えなければいけない。煙草を吸うときにライターを必要と思うタイミングで、ライターと同じくらいの気持ちで炎の魔法を思い浮かべる。それくらいの気持ちでいなきゃいけない」

 ……いざ言われても、結構難しい話なのだけれど。

 「魔法って言うのは、自分が信じれば信じるほどに、その現実を”上書き”することができる。そんな性質だからこそ、非現実的だな、とそう思った時点で魔法は発動しない。

 いわば催眠術と同じだよ。催眠術を信じないようなやつには催眠術なんてかからないけれど、根っから信じているような連中には、ものすごく催眠術は効く。まあ、要は馬鹿になれってことだよ」

 「言いたいことはわかりましたけど……、それってそんなすぐに意識を変えるのって難しくはないですか?」

 「そこそこに難しいかもしれないけれど、嘘だと思っても思い込むのがポイントだよ。魔法使いは嘘を愛して生きているようなもんだ。君も嘘を愛せるようになれば、魔法への道は近づくんじゃないかな」

 なるほど、とは思うけれど、自分は冗談とか嘘とかが苦手だから、それを飲み込むまでには時間がかかりそうだな、という感情を抱く。それでも、そこから話は始まると思うので、とりあえず心がけるくらいはしておいた方がいいかもしれない。

 「というわけで、ようやく本題の話。お待ちかねだね。魔法の話さ。さあ、拍手をしなよ」

 「……一人しかいないのに?」

 「おいおい、大事なのは嘘を愛することだって言ったばかりなのに、現実的なことを言わないでくれたまえ。

 雰囲気づくりというか、ほら、僕のモチベーションがね?」

 先生のためかよ。

 ……拍手をしないと話が進みそうにないから、ぱちぱちと手で音を鳴らすと、先生は満足そうにうなずいた。

 「こほん、というわけで魔法の話。魔法を発動するには、非現実を現実だと思い込むことはもう説明したけれども、それだけじゃあ魔法は発動しない。魔法を発動するには何が必要かわかるかい?」

 「それなら、なんとなくわかる気がします」

 脳裏に想像できるのは、葵のリストカット。というか、魔法の印象は正直あれしかない。

 「自傷行為だと思っているのなら違うからね」

 ……違うのかよ。

 「自傷行為は、必要な動作というだけで、あれ本来は別に魔法の発動に必要なわけじゃない。

 さて、ここで残る結論とは何だろう」

 リストカットだけを想像していたから、この場合違うとなると……。

 「詠唱……、みたいなやつですか?」

 「お、半分正解かな。あと半分を君は答えていないけれど、まあいいや」

 先生は話を続ける。

 「魔法を発動する上で必要となるのは、”詠唱”と”血液”だ」

 「……血液」

 そんな言葉で思い出されるのは、確かに葵が魔法を発動した後、詠唱とともに、垂れていたはずの血液が何事もなかったかのように消え失せていたこと。

 「そう、血液だ。魔法使いの魔法には血液を代償にして魔法を、非現実的事象を発動する。

 魔法使いの血液って言うのは、前も言ったけれど特殊なものでね、巻き戻る性質が存在する。それも単純な性質などではなく、概念的なものだ。

 だからこそ、非現実的事象の概念的なところである魔法を発動するには、概念的な血液を代償に使うってところかな?」

 「じゃあ、普通の人間の血だと発動はできないんですか?」

 「ああ、できないね。普通の人間に魔法の発動することは、よほどの奇跡でも起こらない限り不可能だ」
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