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3/Anxious in the Rainy noise
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◇
予報外れの雨に打たれていた。
歩くたびに水たまりを踏んでいるわけでもないのに、水音が靴底から響くような感覚がして気持ちが悪い。
そんな感触を覚えるのは、俺が歩いて前へと進んでいるからだ。
どうして俺は歩んでいるのだろう。
俺はどこに向かって歩いているのだろう。
俺は歩いてどこに向かうべきなのだろう。
俺の足は勝手には進んでくれない。無意識が足を進めるも、それは無秩序で出鱈目だ。
答えは定まることはない。定める気もない。理解する気もない。家にさえ帰りたくない。途方に暮れていたい。歩く道なりすべてが自分のものとは思えない。
自分のものはどこにもない。外にも内にも。
所有してはいけない。所有することは許されていない。そんなことはいつまでも許されない。許されていない。俺の罪は許されない。
俺は、あの夏から解放されないまま、生きることを余儀なくされている。
俺は──。
◇
「──ごめん」
俺は彼女に言葉を吐いた。
憂鬱が蔓延る彼女の空間。彼女だけの空間。それを同じく共有する沈黙の場所で、俺は言葉を吐きだした。
伊万里は俺に言葉を吐いてほしいように振舞った。沈黙を与えてくれた。俺が言葉を紡げるように、きちんと時間を与えてくれた。考える時間もあった。彼女はそのすべてを俺に許してくれていた。
彼女が暮れた時間の中、雨音だけが部屋に響いていた。
窓から見える外の景色は灰色からさらに陰って暗闇になっていた。もう皐に伝えていた時間になろうとしている。
俺は、どうすればいいのだろうか。彼女に言葉を吐きだすことは許されるのだろうか。
──許されるわけがない。
だがそれは、彼女の思いやりを、優しさを、正しさを否定することになるのではないだろうか。
俺はいつまでも正しさを求めている。正しさを求めたうえでの行動は肯定されるべきだから、俺は正しさを求めている。その上での行動であればすべて許されるはずなのだ。だから俺は正しさを求めて行動した。
そうしなければ、俺は許されないのだから。
行動をして結果を為すことはできないのだ。
──そんな俺が、彼女を否定していいのだろうか。
彼女が優しさで、正しさを求めて、思いやりをかけて、そうして俺を許してくれる行為に裏切るというのだろうか。
──嘔吐感が、嗚咽がどうしようもなく反響する。胃の中の空気が空になる感覚。現実に対しての拒絶反応が頭の中に靄を作り続け得る。大脳を触り続ける不可視の手がある。さわさわとまさぐり続けて、それは頭痛のように切り替わる。呼吸をするのが苦しい。息苦しい。彼女の呼吸を、彼女の答えを待つ間、そんな感情が俺の心にさまよい続ける。
「──そう、ですか」
彼女は諦めたように言葉を吐いた。
心底、呆れるような仕草だともとらえることができた。それでいて彼女はにこやかに笑っている。
それでもなお、俺の罪を許すというように。
──きっと彼女に言葉を紡げば、俺は彼女に許されるのかもしれない。伊万里の心に許されるのかもしれない。
でも、俺が許しを求める対象は伊万里ではない。
俺が許しを求めるべきは彼女ではない。
それが真だ。
それだけが、真なのだ。
──そんなときに思い浮かぶ、愛莉の顔。
彼女の顔。
愛をいつまでも振るまう、他人に分け隔てなく関わる彼女の顔。
それがよぎった瞬間に、俺は──。
「……俺、もう帰るよ」
静かに立ち上がる。
床に重心が傾いて軋む音が身体に響く。
彼女から声は聞こえなかった。だが、彼女に視線を移せば、口を開いている。きっと、小声で言葉を吐いていたのだろう。
でも、雨音がすべてをかき消しているのだ。何も言葉が聞こえることはない。
静かに、それでも騒然と。
声は聞こえなかったが、それでも彼女の言葉を拾うのなら、きっと台詞はこうだろう。
「ばか」
きっと、そうに違いない。
◆
誰かに会いたい。誰かに会いたい。
俺を知らない誰かに会いたい。俺を知っている誰かに会いたい。孤独を紛らわせたい。考え続ける思考の虚を、他人と関わることで埋まる関係性の何かで、俺は心を埋めてしまいたい。
俺の知らない誰かと会って、俺の言葉を聞いてほしい。勝手な言葉を紡ぐから、その言葉を耳に入れてほしい。高原翔也という名前をすべて捨て、そうして見知らぬ誰かとして、俺の言葉を聞き届けてくれないか。そうすることでしか、俺は言葉を吐きだせない。
俺を知っている誰かと言葉を交わしたい。いつも通りの会話でいい。関係性でいい。俺が高原翔也を演じるから、それに合わせて言葉を交わしてはくれないか。そうすることでしか俺は救われないんおだ。
俺は許されたい。誰でも、何もかも、あらゆるものにすべてを許されたい。
でも、許される術を持たない。
罪を意識する度に口から嗚咽が漏れて仕方がない。
寒くないはずなのに、雨粒がひどく体を冷やす感覚がする。
誰かに会いたい。誰かに会いたい。誰かに会いたい。
──こんな時に、愛莉の顔が浮かんで仕方がない。
俺は、携帯を取り出した。
予報外れの雨に打たれていた。
歩くたびに水たまりを踏んでいるわけでもないのに、水音が靴底から響くような感覚がして気持ちが悪い。
そんな感触を覚えるのは、俺が歩いて前へと進んでいるからだ。
どうして俺は歩んでいるのだろう。
俺はどこに向かって歩いているのだろう。
俺は歩いてどこに向かうべきなのだろう。
俺の足は勝手には進んでくれない。無意識が足を進めるも、それは無秩序で出鱈目だ。
答えは定まることはない。定める気もない。理解する気もない。家にさえ帰りたくない。途方に暮れていたい。歩く道なりすべてが自分のものとは思えない。
自分のものはどこにもない。外にも内にも。
所有してはいけない。所有することは許されていない。そんなことはいつまでも許されない。許されていない。俺の罪は許されない。
俺は、あの夏から解放されないまま、生きることを余儀なくされている。
俺は──。
◇
「──ごめん」
俺は彼女に言葉を吐いた。
憂鬱が蔓延る彼女の空間。彼女だけの空間。それを同じく共有する沈黙の場所で、俺は言葉を吐きだした。
伊万里は俺に言葉を吐いてほしいように振舞った。沈黙を与えてくれた。俺が言葉を紡げるように、きちんと時間を与えてくれた。考える時間もあった。彼女はそのすべてを俺に許してくれていた。
彼女が暮れた時間の中、雨音だけが部屋に響いていた。
窓から見える外の景色は灰色からさらに陰って暗闇になっていた。もう皐に伝えていた時間になろうとしている。
俺は、どうすればいいのだろうか。彼女に言葉を吐きだすことは許されるのだろうか。
──許されるわけがない。
だがそれは、彼女の思いやりを、優しさを、正しさを否定することになるのではないだろうか。
俺はいつまでも正しさを求めている。正しさを求めたうえでの行動は肯定されるべきだから、俺は正しさを求めている。その上での行動であればすべて許されるはずなのだ。だから俺は正しさを求めて行動した。
そうしなければ、俺は許されないのだから。
行動をして結果を為すことはできないのだ。
──そんな俺が、彼女を否定していいのだろうか。
彼女が優しさで、正しさを求めて、思いやりをかけて、そうして俺を許してくれる行為に裏切るというのだろうか。
──嘔吐感が、嗚咽がどうしようもなく反響する。胃の中の空気が空になる感覚。現実に対しての拒絶反応が頭の中に靄を作り続け得る。大脳を触り続ける不可視の手がある。さわさわとまさぐり続けて、それは頭痛のように切り替わる。呼吸をするのが苦しい。息苦しい。彼女の呼吸を、彼女の答えを待つ間、そんな感情が俺の心にさまよい続ける。
「──そう、ですか」
彼女は諦めたように言葉を吐いた。
心底、呆れるような仕草だともとらえることができた。それでいて彼女はにこやかに笑っている。
それでもなお、俺の罪を許すというように。
──きっと彼女に言葉を紡げば、俺は彼女に許されるのかもしれない。伊万里の心に許されるのかもしれない。
でも、俺が許しを求める対象は伊万里ではない。
俺が許しを求めるべきは彼女ではない。
それが真だ。
それだけが、真なのだ。
──そんなときに思い浮かぶ、愛莉の顔。
彼女の顔。
愛をいつまでも振るまう、他人に分け隔てなく関わる彼女の顔。
それがよぎった瞬間に、俺は──。
「……俺、もう帰るよ」
静かに立ち上がる。
床に重心が傾いて軋む音が身体に響く。
彼女から声は聞こえなかった。だが、彼女に視線を移せば、口を開いている。きっと、小声で言葉を吐いていたのだろう。
でも、雨音がすべてをかき消しているのだ。何も言葉が聞こえることはない。
静かに、それでも騒然と。
声は聞こえなかったが、それでも彼女の言葉を拾うのなら、きっと台詞はこうだろう。
「ばか」
きっと、そうに違いない。
◆
誰かに会いたい。誰かに会いたい。
俺を知らない誰かに会いたい。俺を知っている誰かに会いたい。孤独を紛らわせたい。考え続ける思考の虚を、他人と関わることで埋まる関係性の何かで、俺は心を埋めてしまいたい。
俺の知らない誰かと会って、俺の言葉を聞いてほしい。勝手な言葉を紡ぐから、その言葉を耳に入れてほしい。高原翔也という名前をすべて捨て、そうして見知らぬ誰かとして、俺の言葉を聞き届けてくれないか。そうすることでしか、俺は言葉を吐きだせない。
俺を知っている誰かと言葉を交わしたい。いつも通りの会話でいい。関係性でいい。俺が高原翔也を演じるから、それに合わせて言葉を交わしてはくれないか。そうすることでしか俺は救われないんおだ。
俺は許されたい。誰でも、何もかも、あらゆるものにすべてを許されたい。
でも、許される術を持たない。
罪を意識する度に口から嗚咽が漏れて仕方がない。
寒くないはずなのに、雨粒がひどく体を冷やす感覚がする。
誰かに会いたい。誰かに会いたい。誰かに会いたい。
──こんな時に、愛莉の顔が浮かんで仕方がない。
俺は、携帯を取り出した。
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