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4/I'm in love
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◇◇◇
「あぁ、そう」
皐は、特に興味もない、というように言葉を吐いた。
だいたいの予想はついていた。そんな風にも捉えることはできる言葉の吐き方だったように思う。実際、ここまで引きずるような話でもないのだ。
俺はそんな態度に、まあ、普通にそうだよな、という感情を抱く。大したことがないという自覚についてはしていたはずなのに、どうして俺は皐が多大な反応をしてくれることに期待をしていたんだろう。
「話ってそれだけ?」
「……うん、まあ、それだけ」
「へぇ……」
皐は食卓に広がっているお土産の中で、俺が買ってきたクッキー菓子の缶をあけながら、適当そうに呟く。いや、それが通常の反応であることは理解しているけれど、それでも拍子抜けしている自分がいる。
「……もっと、こう、ないのか?」
「……こう、って?」
「いや、祝福というかなんというか」
そう言われてもなぁ、と皐は呟いた後、付け足すように言葉を吐く。
「翔兄、別に祝福されたところで嬉しさとか感じないでしょ」
「……」
……よく俺のことを理解していると思った。
俺は別に報告をしたことで祝福を得たいわけでもない。単純な事実を報告したい、というそんな気持ちで、言葉を吐いただけだ。そこに俺の感情の波は関与しない。なんなら、皐には話さなくてもいい事項だと思った。特に誰かに話すことでもない。世間話の中の一部でいいだけの話。それでも報告したのは、愛莉がそうするべきだから、と帰り道の中で呟いていたからだ。
「愛ちゃんに言われたんでしょ。報告しようって」
「……ご名答」
俺は、力が抜けたように言葉を吐く。気負い過ぎて損をした、という感じだ。
わかってはいた、わかってはいたけれども、実際にそのまんまだと、何とも言えない感情になる。
「ま、よかったね」
とりあえず、と言わないばかりに皐は付け足していく。
どこか、慰められているような感じだ。彼女にそんな意図はないだろうけれど、それでもそんな風に感じずにはいられない。
「それじゃあ私、もう寝るね」
皐は、そう言葉を残して、お土産を手に抱えた。手に抱えなくてもいいのに、いちいち広げたすべてを拾い集めるようにして、そうして居間から消えていく。
静けさ、静けさ、静けさ。
……なんか、すべてが馬鹿らしいな。
そんなことを、俺はその時に思っていた。
◇◆
今思えば、皐の言葉の節々には、俺にしか気づけない感情の機微があったように思う。
感情の動作を気づかれないように、彼女はあえて普遍性を演出していた。自然な行動を、自然な言葉を、自然な会話を、自然な妹としてのふるまいを、確実に演じ切ることに集中していたと思う。
当時の俺は、それには気づけなかった。愛莉とのことで頭がいっぱいだったから。
思春期の頭の中なんて、それでいっぱいになる。
幼馴染という関係性から、恋人という関係性に変わって、俺たちにどういう変化があるのだろう。そんな、どうでもいいと思えることをどこまでも考えていたから、皐の感情の機微には気づけなかった。
──皐の言葉の中にはない、声音にだけあった毒があった。
彼女は、よかったね、と言葉をかけてはいたものの、それ自体は祝福にはならない。
これは、兄妹だからこそわかる感覚だ。
皐は、確実に俺と愛莉のことを祝福してはいない。
妹として、そう振舞うべきだから、そう振舞った。機械仕掛けのように、哲学的ゾンビのような、そう振舞うことを定義された生き物のように、振舞いの中に彼女の意識は存在していなかった。
静かに吐くからこその毒がある。浸透する毒がある。毒は毒だと気づかれないからこその毒なのだ。あとから致命傷になるからこその毒なのだ。
彼女は毒を吐いていた。言葉の節々に、祝福などなく、まるで敵意のようなものを含めて、そうして毒として吐き出していた。
そんなことに、終わった後に気づいてしまうのだ。
◆◆◆
ぬくもりがあった。
確かに心地がいいと感じるぬくもりがそこにはあった。
布団の中にいるような、そんな身近にある温もりではなかった。それはひどく湿気を漂わせている。水気があるとも言えるかもしれない。物理的な湿度の違いを考えている間に、俺はその温もりに飲み込まれようとしていた。
別に、不快感はなかった。
俺が求めていたぬくもりはそこにあったような気がした。だから、それが夢見心地の中であるという誤認をして、そうして意識をまどろみのなかに消した。
そうすることが自然だった。
◆◆◆
ぬくもりがあった。顔にぬくもりがあった。心地がいいというよりはくすぐったいといえるような、そんなぬくもりが顔にちらついていた。
濡れている感触があった。眠気に絆されて、そうして頬に垂れる唾液のような感触を、なぜか感じてしまっていた。別に、俺はそこまで睡眠にひたっていないのに。こうして現実的な思考をまわすことができているというのに、それが確かにあった。
──呼吸が、しづらかった。
口にねじこまれるぬるい感触があった。鼻からしか呼吸は許されず、鼻から行われる呼吸でさえも、一部分をふさがれているように酸素がおぼつかなかった。
口の中にねじこまれたそれは、触手のようにうねりをあげた。うねりをあげるたびに、眠気に絆されたときのような唾液が口の端に垂れていくのを認識した。
酸素が足りなくて、そうして口を広げてみた。吸いこもうとした空気のなかに、確かな粘液が口に運ばれて咽てしまいそうになった。咽るための酸素を吸うために、俺は目を開けた。
──皐が、いた。
「……起きちゃったんだね」
彼女は、静かに、そう呟いた。
「あぁ、そう」
皐は、特に興味もない、というように言葉を吐いた。
だいたいの予想はついていた。そんな風にも捉えることはできる言葉の吐き方だったように思う。実際、ここまで引きずるような話でもないのだ。
俺はそんな態度に、まあ、普通にそうだよな、という感情を抱く。大したことがないという自覚についてはしていたはずなのに、どうして俺は皐が多大な反応をしてくれることに期待をしていたんだろう。
「話ってそれだけ?」
「……うん、まあ、それだけ」
「へぇ……」
皐は食卓に広がっているお土産の中で、俺が買ってきたクッキー菓子の缶をあけながら、適当そうに呟く。いや、それが通常の反応であることは理解しているけれど、それでも拍子抜けしている自分がいる。
「……もっと、こう、ないのか?」
「……こう、って?」
「いや、祝福というかなんというか」
そう言われてもなぁ、と皐は呟いた後、付け足すように言葉を吐く。
「翔兄、別に祝福されたところで嬉しさとか感じないでしょ」
「……」
……よく俺のことを理解していると思った。
俺は別に報告をしたことで祝福を得たいわけでもない。単純な事実を報告したい、というそんな気持ちで、言葉を吐いただけだ。そこに俺の感情の波は関与しない。なんなら、皐には話さなくてもいい事項だと思った。特に誰かに話すことでもない。世間話の中の一部でいいだけの話。それでも報告したのは、愛莉がそうするべきだから、と帰り道の中で呟いていたからだ。
「愛ちゃんに言われたんでしょ。報告しようって」
「……ご名答」
俺は、力が抜けたように言葉を吐く。気負い過ぎて損をした、という感じだ。
わかってはいた、わかってはいたけれども、実際にそのまんまだと、何とも言えない感情になる。
「ま、よかったね」
とりあえず、と言わないばかりに皐は付け足していく。
どこか、慰められているような感じだ。彼女にそんな意図はないだろうけれど、それでもそんな風に感じずにはいられない。
「それじゃあ私、もう寝るね」
皐は、そう言葉を残して、お土産を手に抱えた。手に抱えなくてもいいのに、いちいち広げたすべてを拾い集めるようにして、そうして居間から消えていく。
静けさ、静けさ、静けさ。
……なんか、すべてが馬鹿らしいな。
そんなことを、俺はその時に思っていた。
◇◆
今思えば、皐の言葉の節々には、俺にしか気づけない感情の機微があったように思う。
感情の動作を気づかれないように、彼女はあえて普遍性を演出していた。自然な行動を、自然な言葉を、自然な会話を、自然な妹としてのふるまいを、確実に演じ切ることに集中していたと思う。
当時の俺は、それには気づけなかった。愛莉とのことで頭がいっぱいだったから。
思春期の頭の中なんて、それでいっぱいになる。
幼馴染という関係性から、恋人という関係性に変わって、俺たちにどういう変化があるのだろう。そんな、どうでもいいと思えることをどこまでも考えていたから、皐の感情の機微には気づけなかった。
──皐の言葉の中にはない、声音にだけあった毒があった。
彼女は、よかったね、と言葉をかけてはいたものの、それ自体は祝福にはならない。
これは、兄妹だからこそわかる感覚だ。
皐は、確実に俺と愛莉のことを祝福してはいない。
妹として、そう振舞うべきだから、そう振舞った。機械仕掛けのように、哲学的ゾンビのような、そう振舞うことを定義された生き物のように、振舞いの中に彼女の意識は存在していなかった。
静かに吐くからこその毒がある。浸透する毒がある。毒は毒だと気づかれないからこその毒なのだ。あとから致命傷になるからこその毒なのだ。
彼女は毒を吐いていた。言葉の節々に、祝福などなく、まるで敵意のようなものを含めて、そうして毒として吐き出していた。
そんなことに、終わった後に気づいてしまうのだ。
◆◆◆
ぬくもりがあった。
確かに心地がいいと感じるぬくもりがそこにはあった。
布団の中にいるような、そんな身近にある温もりではなかった。それはひどく湿気を漂わせている。水気があるとも言えるかもしれない。物理的な湿度の違いを考えている間に、俺はその温もりに飲み込まれようとしていた。
別に、不快感はなかった。
俺が求めていたぬくもりはそこにあったような気がした。だから、それが夢見心地の中であるという誤認をして、そうして意識をまどろみのなかに消した。
そうすることが自然だった。
◆◆◆
ぬくもりがあった。顔にぬくもりがあった。心地がいいというよりはくすぐったいといえるような、そんなぬくもりが顔にちらついていた。
濡れている感触があった。眠気に絆されて、そうして頬に垂れる唾液のような感触を、なぜか感じてしまっていた。別に、俺はそこまで睡眠にひたっていないのに。こうして現実的な思考をまわすことができているというのに、それが確かにあった。
──呼吸が、しづらかった。
口にねじこまれるぬるい感触があった。鼻からしか呼吸は許されず、鼻から行われる呼吸でさえも、一部分をふさがれているように酸素がおぼつかなかった。
口の中にねじこまれたそれは、触手のようにうねりをあげた。うねりをあげるたびに、眠気に絆されたときのような唾液が口の端に垂れていくのを認識した。
酸素が足りなくて、そうして口を広げてみた。吸いこもうとした空気のなかに、確かな粘液が口に運ばれて咽てしまいそうになった。咽るための酸素を吸うために、俺は目を開けた。
──皐が、いた。
「……起きちゃったんだね」
彼女は、静かに、そう呟いた。
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