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それから、数日間。
蓮とは、また連絡を取らないまま過ごした。
——「気持ちって、案外伝わってないものよ」
マスターの言葉は、確かに胸に残っている。
けれど、だからといって自分から頻繁に連絡するのは違う気がした。
重い女だと思われるのは、どうしても嫌だった。
……そのくせ。
蓮からの着信が来ていないか、
気づけば何度もスマホの画面を確かめている自分がいる。
ばかみたいだ、と内心で笑いながら、
それでも指は勝手に動いてしまう。
そうこうしているうちに、気づけば二十九日。
明日で、仕事納めだ。
「はあ……」
昼休み。
会社近くのカフェで、今日何度目かわからない溜め息をついた。
「年下くんと、その後どう?」
向かいの席で、真理が心配そうにこちらを見ている。
「特に……なにもないよ」
無理に口角を上げて、そう答えた。
「……だといいけど」
真理は誤魔化されなかったらしく、じっと私を見つめる。
「完全に、恋してる顔してる」
「えっ……」
思わず声が裏返る。
恋……?
そんな大層なものじゃない。
私と蓮を繋いでいるのは、
もっと単純で、もっと率直な——欲。
そう言い聞かせながら、
胸の奥が、少しだけちくりと痛んだ。
そのときだった。
テーブルの上に置いていたスマホが、ぶるりと震える。
——蓮。
心臓が、一拍遅れて跳ねた。
「……ちょっと、ごめん」
真理にそう断って、カップを置く。
私は慌てて店の外に出て、電話にでた。
「もしもし」
『まどか。今、大丈夫?』
耳に届く声に、胸の奥がじんわり温かくなる。
「うん、大丈夫」
『あのさ』
一拍、間があった。
『大晦日から、二泊三日で温泉行かない?』
「……温泉?」
思わず聞き返すと、蓮は少し早口になる。
『先輩がインフルでさ。予約してた宿、行けなくなったから譲ってくれるって』
一瞬、言葉が出なかった。
「……行きたい」
そう答えた途端、自分でも驚くほど声が弾んだ。
『よかった』
電話の向こうで、ほっとしたような気配がする。
『じゃあ、大晦日の十二時に、まどかの家まで車で行く』
『それまでに準備しておいて』
「うん……わかった。ありがとう」
これは現実なんだろうか。頭がふわふわする
『……まどか』
「なに?」
名前を呼ばれて、息を止める。
『……いや、なんでもない』
言いかけて、やめた沈黙。
『じゃあ、大晦日に』
「うん」
通話が切れても、しばらくスマホを耳に当てたまま、動けなかった。
胸の奥で、
何かが静かに動き出した気がしていた。
ぼうっとしたまま、私は席に戻った。
「……年下くんから?」
顔を上げるより先に、真理がそう言った。
確信めいた声だった。
「うん」
それだけ答えると、真理はふっと小さく笑った。
「その顔じゃあ、もう何言っても無駄ね」
「……ごめん」
反射的に口から出た言葉に、真理は首を振る。
「謝らなくていいよ」
穏やかな声だった。
「まどかの人生なんだから」
そう言って、残っていたコーヒーを一気に飲み干す。
「ほら、行こ」
立ち上がりながら言う。
「昼休み、終わっちゃう」
私は頷いて席を立つ。
胸の奥に残る熱を、コートで隠すようにしながら。
午後の仕事は、どうにも集中できなかった。
頭の片隅に、さっきの電話の余韻がずっと残っている。
——温泉。二泊三日。
画面を見つめながら、ふと現実的なことが浮かぶ。
(……下着、どうしよう)
さすがに、いつものじゃだめな気がする。 旅行に行くなら、せめて新しいものを買っておきたい。
それから——ムダ毛処理も。
そんなことまで考えている自分に、少し驚く。
意識してなかったはずなのに、体は正直だ。
定時のチャイムが鳴り、私は急いでデスクを片付けた。
今日は寄りたい店もある。
そのまま会社を出ようとして、廊下の角で人と鉢合わせた。
「……あ」
翔太だった。
軽く会釈して、そのまま通り過ぎようとした、その瞬間。
ぐっと、腕を掴まれる。
「え……?」
反射的に立ち止まる。
「何……?」
「ちょっと、相談したいことがあるんだ」
真剣そうな顔。
でも、今はそれに付き合う余裕がなかった。
「ごめん、急いでるんだけど……」
「五分でいい」
離さない手に、力がこもる。
「本当に、五分だけだから」
逃げ場を塞がれるような距離。胸の奥で、さっきまでの浮ついた気持ちが、すっと冷えていった。
そのまま、ほとんど引きずられるように近くのカフェに入った。
翔太は何も言わずにコーヒーを二つ注文し、窓際の席に腰を下ろす。
私も仕方なく向かいに座った。
「……里奈のことなんだけど」
前置きもなく、翔太が切り出す。
「なんか、最近変なんだよ」
嫌な予感がして、私は黙ったまま聞いていた。
「情緒不安定っていうかさ」
「急に泣き出したり、怒鳴ったり……前は、そんなことなかったのに」
運ばれてきたコーヒーに口をつけ、翔太は小さく息を吐く。
「クリスマスもさ」
「最初は会えないって言われてたのに、結局会えたの深夜で……」
——それは、劇場にいたから。
喉元まで出かかった言葉を、私はコーヒーと一緒に飲み込んだ。
言ったところで、何も良くならない。
「なあ」
翔太が顔を上げる。
「里奈、なんか隠してると思わない?」
「まどかは先輩として、何か聞いてない?」
その言い方に、胸の奥で何かが切れた。
「あのね」
私は、ようやく口を開く。
「それ、まず言う相手が違うから」
翔太は、はっとしたように目を見開いた。
「元カノに聞く話じゃない」
「情緒不安定だろうが、深夜に帰ろうが」
一拍置いて、はっきりと言う。
「妊娠させたんでしょ」
「だったら、ちゃんと責任取りなさいよ」
翔太は何も言わず、視線を落とした。
私は財布を開き、千円札を一枚抜き取る。
「これ、コーヒー代」
テーブルに置いて、バッグを抱える。
立ち上がると同時に、もう振り返らなかった。
外に出ると、夜の空気がひやりと頬を撫でる。
今から行けば、まだ下着屋は開いているはずだ。
私は少しだけ息を切らしながら、 ネオンに照らされた百貨店の方向へ、足早に走り出した。
蓮とは、また連絡を取らないまま過ごした。
——「気持ちって、案外伝わってないものよ」
マスターの言葉は、確かに胸に残っている。
けれど、だからといって自分から頻繁に連絡するのは違う気がした。
重い女だと思われるのは、どうしても嫌だった。
……そのくせ。
蓮からの着信が来ていないか、
気づけば何度もスマホの画面を確かめている自分がいる。
ばかみたいだ、と内心で笑いながら、
それでも指は勝手に動いてしまう。
そうこうしているうちに、気づけば二十九日。
明日で、仕事納めだ。
「はあ……」
昼休み。
会社近くのカフェで、今日何度目かわからない溜め息をついた。
「年下くんと、その後どう?」
向かいの席で、真理が心配そうにこちらを見ている。
「特に……なにもないよ」
無理に口角を上げて、そう答えた。
「……だといいけど」
真理は誤魔化されなかったらしく、じっと私を見つめる。
「完全に、恋してる顔してる」
「えっ……」
思わず声が裏返る。
恋……?
そんな大層なものじゃない。
私と蓮を繋いでいるのは、
もっと単純で、もっと率直な——欲。
そう言い聞かせながら、
胸の奥が、少しだけちくりと痛んだ。
そのときだった。
テーブルの上に置いていたスマホが、ぶるりと震える。
——蓮。
心臓が、一拍遅れて跳ねた。
「……ちょっと、ごめん」
真理にそう断って、カップを置く。
私は慌てて店の外に出て、電話にでた。
「もしもし」
『まどか。今、大丈夫?』
耳に届く声に、胸の奥がじんわり温かくなる。
「うん、大丈夫」
『あのさ』
一拍、間があった。
『大晦日から、二泊三日で温泉行かない?』
「……温泉?」
思わず聞き返すと、蓮は少し早口になる。
『先輩がインフルでさ。予約してた宿、行けなくなったから譲ってくれるって』
一瞬、言葉が出なかった。
「……行きたい」
そう答えた途端、自分でも驚くほど声が弾んだ。
『よかった』
電話の向こうで、ほっとしたような気配がする。
『じゃあ、大晦日の十二時に、まどかの家まで車で行く』
『それまでに準備しておいて』
「うん……わかった。ありがとう」
これは現実なんだろうか。頭がふわふわする
『……まどか』
「なに?」
名前を呼ばれて、息を止める。
『……いや、なんでもない』
言いかけて、やめた沈黙。
『じゃあ、大晦日に』
「うん」
通話が切れても、しばらくスマホを耳に当てたまま、動けなかった。
胸の奥で、
何かが静かに動き出した気がしていた。
ぼうっとしたまま、私は席に戻った。
「……年下くんから?」
顔を上げるより先に、真理がそう言った。
確信めいた声だった。
「うん」
それだけ答えると、真理はふっと小さく笑った。
「その顔じゃあ、もう何言っても無駄ね」
「……ごめん」
反射的に口から出た言葉に、真理は首を振る。
「謝らなくていいよ」
穏やかな声だった。
「まどかの人生なんだから」
そう言って、残っていたコーヒーを一気に飲み干す。
「ほら、行こ」
立ち上がりながら言う。
「昼休み、終わっちゃう」
私は頷いて席を立つ。
胸の奥に残る熱を、コートで隠すようにしながら。
午後の仕事は、どうにも集中できなかった。
頭の片隅に、さっきの電話の余韻がずっと残っている。
——温泉。二泊三日。
画面を見つめながら、ふと現実的なことが浮かぶ。
(……下着、どうしよう)
さすがに、いつものじゃだめな気がする。 旅行に行くなら、せめて新しいものを買っておきたい。
それから——ムダ毛処理も。
そんなことまで考えている自分に、少し驚く。
意識してなかったはずなのに、体は正直だ。
定時のチャイムが鳴り、私は急いでデスクを片付けた。
今日は寄りたい店もある。
そのまま会社を出ようとして、廊下の角で人と鉢合わせた。
「……あ」
翔太だった。
軽く会釈して、そのまま通り過ぎようとした、その瞬間。
ぐっと、腕を掴まれる。
「え……?」
反射的に立ち止まる。
「何……?」
「ちょっと、相談したいことがあるんだ」
真剣そうな顔。
でも、今はそれに付き合う余裕がなかった。
「ごめん、急いでるんだけど……」
「五分でいい」
離さない手に、力がこもる。
「本当に、五分だけだから」
逃げ場を塞がれるような距離。胸の奥で、さっきまでの浮ついた気持ちが、すっと冷えていった。
そのまま、ほとんど引きずられるように近くのカフェに入った。
翔太は何も言わずにコーヒーを二つ注文し、窓際の席に腰を下ろす。
私も仕方なく向かいに座った。
「……里奈のことなんだけど」
前置きもなく、翔太が切り出す。
「なんか、最近変なんだよ」
嫌な予感がして、私は黙ったまま聞いていた。
「情緒不安定っていうかさ」
「急に泣き出したり、怒鳴ったり……前は、そんなことなかったのに」
運ばれてきたコーヒーに口をつけ、翔太は小さく息を吐く。
「クリスマスもさ」
「最初は会えないって言われてたのに、結局会えたの深夜で……」
——それは、劇場にいたから。
喉元まで出かかった言葉を、私はコーヒーと一緒に飲み込んだ。
言ったところで、何も良くならない。
「なあ」
翔太が顔を上げる。
「里奈、なんか隠してると思わない?」
「まどかは先輩として、何か聞いてない?」
その言い方に、胸の奥で何かが切れた。
「あのね」
私は、ようやく口を開く。
「それ、まず言う相手が違うから」
翔太は、はっとしたように目を見開いた。
「元カノに聞く話じゃない」
「情緒不安定だろうが、深夜に帰ろうが」
一拍置いて、はっきりと言う。
「妊娠させたんでしょ」
「だったら、ちゃんと責任取りなさいよ」
翔太は何も言わず、視線を落とした。
私は財布を開き、千円札を一枚抜き取る。
「これ、コーヒー代」
テーブルに置いて、バッグを抱える。
立ち上がると同時に、もう振り返らなかった。
外に出ると、夜の空気がひやりと頬を撫でる。
今から行けば、まだ下着屋は開いているはずだ。
私は少しだけ息を切らしながら、 ネオンに照らされた百貨店の方向へ、足早に走り出した。
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