聖女と魔王の白い結婚

星ふくろう

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第二章 王女と海神の英雄

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 ロラン!! 
 青年はそう声をかけられてうしろを振り返った。
 そこにあった顔が懐かしく、また愛おしい誰かのものだと、彼は声だけで理解していたからだ。

「マーシャ。
 神官様がそんな大声をあげてはならないよ?」
「でも、ロラン。
 こんなにあなたの顔を間近に見れるときなんて、滅多にないのよ?」
「マーシャ‥‥‥」

 すまないな。
 そう続けると、ロランと呼ばれた彼は、挨拶代わりにしては深い抱擁を彼女に授けた。
 神官? いや女神官といったほうがいいだろう。
 天井が深い海溝の底にあるこの神殿の中で、陽光は差し込まないはずなのに明るく昼間のように建物の中を照らし出している。

「マーシャ、人に見られてしまうよ?」
「いいのよ、どうせ、おばあさんと呼ばれるのが嫌いな、御姉様ばかりだから」
「マーシャ、それは聞こえるとあまり宜しくないな?」

 ロランは抱き着いて離れない女神官を軽々と抱き上げると、軽やかにその辺りを舞ってみた。
 その様は恋人同士がじゃれあっているように、普段会えない者同士が語り合うように周囲からは見えて仕方ないのだが、ロランはどの視線も知らん顔を貫いていた。
 ここは、海神エストを奉じるラズ王朝の海底に位置する大神殿。
 マーシャはその中でも高位の女神官でり、自分は数世紀ぶりに選ばれたエストの英雄。
 彼の神の神具である、三叉の槍を扱う身でもある。
 誰にも、仮に相手が大神官であっても、二人のこの幸せな瞬間を邪魔させる気はなかった。

「まって、ロラン!?
 それはだめ――」
「え、なんだ?」

 強く振り回し過ぎたか?
 子供の頃に親にされたような、あやすようにしかしていないんだが‥‥‥?
 マーシャの様子にロランはそう不安を覚えて慌てて回転を止めると、彼女は真っ青な顔で床にすわりこんでしまう。

「すまない‥‥‥マーシャ。
 君がこうなるなんて僕は知らなくて。
 ほんとうに済まない‥‥‥」
「いい、いいの‥‥‥。
 少し待てば落ち着くから、お願い。まって‥‥‥」

 マーシャが苦しそうに顔をゆがめているのを見て、ロランは回復魔法をかけようとする。
 だが、女神官はそれをかたくなに拒否していた。

「なぜだ、マーシャ?
 こんな初歩的な魔法で君が困ることなど‥‥‥?
「はあ‥‥‥っ。
 いいの、もう――大丈夫」

 マーシャは一呼吸おいて落ち着いて頂戴と、心配するロランに語り始めた。
 これは病気じゃなくて、感覚の問題なの、と。

「ロラン、高山や海底にいくとき。
 この神殿に来るときもそうだったと思うけど。
 気圧‥‥‥わかる?
 地上とここでは私たちが生きている空気の質が違うの。
 だから上から下にくると苦しくなるでしょ?」
「ああ、それは知っている。
 だがあの程度、抱いて舞っただけで君が吐きそうになるのはあきらかに何かがおかしい。
 異常だ。
 そうだろ、マーシャ?」
「あのね、ロラン。
 私は地上でもこうなの。
 急な運動や、どうしようもなく驚くと感覚がおかしくなるの。
 これは試練だと思っているわ。
 魔法で治せるかもしれない。それがどこかの感覚の欠損ならね?」
「つまりー‥‥‥君は生まれつきその感覚だからそれが正常だ、と?
 だが、手足が無い者に新たに生やすこともできるじゃないか?
 君の酔い癖だって――」

 もう、とマーシャは口を尖らせる。
 ロランが自分のことをまるで酒乱のように言ったからだ。

「酷い人ね!?
 私はお酒程度では酔いません!
 でも‥‥‥忘れていない? あなたは海神様の英雄。
 その膂力も、感覚も、例えばその一歩にかかる力の強さだって常人を軽く凌駕しているのよ?」
「つまり、さっきのは全部‥‥‥僕が悪い、と?」

 ショックを受けた顔をする英雄はまるで子供のようだ。
 母親から叱られて行き場をなくした、そんな子供みたい。マーシャは笑いながら、違うわよ、と返事をする。

「あなた、治癒魔法なんて誰かにかけたことがあるの?」
「‥‥‥え??
 あ、いや。
 そう言われれば‥‥‥」
「ない、が正しいでしょ?
 十三年前のあの魔王リクト一行を襲撃したとき以来、大した戦闘には携わってないはずよ?
 そんな人が治癒魔法なんてかけたらどうなると思う?」
「いや、どう‥‥‥なる?
 僕の力は確かに膨大な魔力だから――やりすぎるかもしれない?」
「そうね、ロラン。偉大なる海神エスト様の英雄。
 あなたは帝国の勇者ユリウス様と双肩をなす人類の至宝よ。
 私なんかに力を使ってはだめ。
 ね?」
「うん‥‥‥」

 英雄と勇者。
 そのどちらに選ばれても成長が止まり、偉大なる神力を得ることになる。
 ユリウスは二十一で、ロランは十六歳でその栄光の存在に選ばれた。
 彼の心は‥‥‥それから幼いままのようにも思えるようで、マーシャは少しそこに不安を感じていた。

「それにしてもあなたは若いまま。
 私なんて、もう三十前のおばさんよ、ロラン?」
「だが、僕の大事な女性には変わりないよ‥‥‥マーシャ。
 それは本当だ」

 そう‥‥‥?
 マーシャは言葉にできない疑問をそっと口にしていた。
 私は老いて行き、あなたは変わらないまま。
 いつかはそっと去っていくのではなくて?
 
「ええ、ありがとう、ロラン。
 今夜はどうなさるの?
 すぐに戻るということはないのでしょう?」
「ああ、大丈夫だよ。
 マーシャ。
 僕は今週いっぱい、とはいってもあと三日だが。
 エスト様より直々に、この神殿にいるようにと勅命を頂いている。
 いや、神託。
 そう言うべきかな」
「週内?
 だって、あなた普段は数か月単位で王国とこの神殿を行き来していたのに‥‥‥??」

 そうは言っても、王国へと続く神殿の入り口はたった数キロ西に行けばラズ王国の王都へと帰還できる。
 人知を超えた能力を持つロランにとって、それは散歩にでるていどの距離でしかなかった。

「なにか下知があるらしい。
 僕にはそれに質問できるほどの権限はないから、ね。
 言われたままに海神の敵を討つ。
 それが、僕の役割だ」
「そう。
 私にはエスト様は何もおっしゃらないけれど、まあ、女神官に下されるのは海運の向き不向き等ですから。
 そうですね‥‥‥あなたが」
「僕が、何か?」

 ふふっ、と微笑みマーシャはなんでもないですよ、と首を振る。
 あの時は互いに同じだ年齢、同じ外見だったのに。
 十三年の月日は私だけに老いの死神を舞いこませる。
 辛いなあ、それがいつまでも若いロランに対するマーシャの印象だった。
 そして彼は今夜も求めるのだ。
 今更若くない、この身体を。
 あの若いとき、まだ英雄になる前に慰みあった恋人同士のように。

「では、ロラン様。
 今宵は私の寝所に参られるまでに、なるべく――」
「ああ、いや。
 そんな気はまるでないよ、僕は――」

 バツが悪そうにロランは、二人を遠巻きに見ている女神官の数人から、同じような視線を受けていることに気づき顔を伏せていた。
 まだ若く、少女かと見間違われるほどに美少年だった彼はそのままで生きている。
 この外界との接点の薄い海底の神殿で生涯を過ごす女たちにとって、憧れであり、許されるならば良き関係を持ちたい。
 そう願うのも、マーシャには理解出来なくはなかった。

「年増が独り占めしては若いものたちも悔しがりますし、恨みに思われても困りますから。
 なるべく、お早く」
「うん‥‥‥」

 本当は他の女の残り香を残して来たら、その喉笛を噛みついて裂いてやりたいくらい。
 マーシャは蒼い尾と緑の髪、黒眼に‥‥‥その頭部に蒼いふさふさの耳を持つ蒼狼族出身の神官だったから人間の多いこの神殿では肩身が狭い。
 ただ、黙ってかつての恋人を待つだけが彼女に許された、唯一の贅沢だった。
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