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第三章 開戦の幕開け

第五十九話 ユニスの秘密

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「おい、起きろ殿下殿!!」
 シェイルズに足蹴にされて、グレン皇太子は兵舎の自室で目を覚ました。
 あれ、俺は何故床に寝ているんだ?
 グレンはわずかな頭痛と共に上半身を持ちあげる。
 室内には酒瓶が転がり、同じようなの、半裸の男女が数組酔いつぶれていた。
「なんだ、この様は、おい殿下」
 夜勤の管理の交代から戻ってみればこれだ。
 シェイルズはその左眼をグレンの顔に寄せ付けた。
「いいか、またこんな奴を作りたくなければ!
 こんなバカ騒ぎをもうやめろ。
 ユニス様が可哀想ではないか‥‥‥」
 多分、皇太子であり、この兵舎。闇の牙の駐屯地の建物の主の婚約を祝して古い時代に上官だった者。
 いまは下官だが同期だった者。そういった気心しれた仲間が開いてくれたのだろう。
「まあ、それはそうなんだが。
 いざ、いきなり始められると、なあ。
 その目はーーすまん」
「まったく。
 どうせ、大佐あたりがそそのかしたんだろうが。
 商売女まで連れ込むな。こんな騎士団長室に。
 帝国本土に知れたら厳罰では済まなくなるぞ。
 まあ、どの師団でもやってることだがなーー」
 どこぞの騎士団のように、見習いや少年兵を襲うよりはまだましだが‥‥‥。
 騎士のたしなみとして、そういう文化は現実に存在する。
 戦場で数年もかかる戦地、近場に街などがないところならば当たり前にあった時代も存在したのだ。
 まあ、転送などで最低でも数日で行き来できる現代なら、そんな文化はもう廃れたが‥‥‥。
「しかし、ひどいなグレン」
 グレン?
 いつもならイズバイアと皇族でもない限り口にできない名を連呼するのに?
「なにがあった!?」
「何もない。
 だから言ってるんだ。
 おまけにこれだけ他人がいる中で呼べるか」
 シェイルズは扉を開けて手すきの騎士数名を呼び寄せる。
「さっさと運び出せ、ああ、それとーー
 ご婦人方にはこれを、な。
 丁重に綺麗にしてお返ししろ」
 懐から多めの金貨を渡して帰宅させる。
「相変わらず、心遣いが多いな、貴公は」
 グレンが嫌味を言うと、ああ、心配するな。
 そう、シェイルズは答えた。
「あれはお前の給金から引いておく。
 他の団は団長になれば好き放題に金を遣うようだがな。
 お前には定額しか渡さん。いるなら、皇室に言え。
 遊ぶ金をくれ、とな」
「おい、待て。それはないだろう!?
 ただでさえ、俺の公金口座を閉鎖させて将官並みの給金か?
 俺は皇太子ーー」
「いい加減にしろ。
 これもお前の為だ」
「なぜ俺の為なのだ。
 次期皇帝にそんなものがー‥‥‥ユニスか」
 ようやく気付いたか。
 シェイルズは片目で睨み返した。
「あの方は質素に生きて来られたのだ。
 お前のそんな面など見て欲しくはないな」
「しかしなあ、これは仕方が無かった‥‥‥」
 そこだ、そうシェイルズは指摘する。
「あのなあ、イズバイア。
 世の御婦人方が結婚したり恋愛する俺たち男から一番聞きたくない言葉。
 それが仕方なかった、だ。
 部下思いなのはわかる。だが、節度をわきまえろ。
 戦場やこの前の晩餐会でならまだそれもいい具合いに追い風になる時もある。
 女性は、感情で判断されるぞ。ニーエやライナとあれだけ親交があってまだ気づいてないのか?」
「あれはたった数年もなかったではないか。
 ニーエは子を持ち、屋敷にいる。ライナは水軍に興味深々だ。
 まあ、良き友人ではあったがな」
 心がけよう、そう言うグレンにシェイルズはハーベスト大公と似たため息をつく。
「良き友人、な。
 俺はそうだったがな‥‥‥ニーエは夫をあの戦乱で亡くし悲しみにあけて喪に服してもう五年だ。
 誰だったかは俺たちには教えてもくれないが、余程愛していたのだろうな。
 たまには見舞ってやったらどうだ?
 お前、ニーエが喪に服して以来、一度も挨拶すらしてないだろう?
 こんな近くにいながらだ」
「それはお前も同じではないか」
 シェイルズはため息をついた。
 皇族は身分というものを理解しているようでしていないから困る、と。
「俺は所詮、名乗れるなら伯爵だ。
 高家は侯爵。もしくは公爵でも通じる格式だぞ。
 おいそれと門などくぐらせてはくれん。お前は皇族だ。
 俺もその端くれにはいるが、所詮、端だ。
 真ん中にはいけん。理解しろ。ああ、それとーー」


 軍規違反だ。従僕と共に馬を洗え。
 副団長命令で、団長は従僕と共に馬小屋にいた。
「俺が誰だか、まったくーー」
 文句を言いながら馬たちを洗い、拭いて、磨き上げてやる。
 もう十年以上もしてきた慣れた作業だ。
 このまま、帝位などつかずに‥‥‥ユニスとだけいれればそれで満足なのに。
 グレンはそう思い、もう二週間以上も顔を見ていない年下の婚約者を思い出す。
「殿下、そろそろ戻られては?
 公務のお時間ですしーー」
 そう、見習の一人が笑いながら声をかける。
 さっきのぼやきを横で聞いていたからだ。
「陽が昇る前にこれをやらせる我が黒い鷹には本当に、頭が上がらんよ。
 すまんが、頼むぞ」
 そう言い残し、仕度を整えるとグレンは執務室兼団長室へと戻った。
 既に一日分の書類をシェイルズは用意して待っている。
 どこまでも休ませる気は、この副官にはないらしい。
 皇太子は諦めのため息を出した。
「イズバイア。
 帝国宰相殿はこの程度、早朝に済ませるぞ。
 それに宰相地位は交代制だ。 
 次のお前の代には東の大公様が来られる。
 あの御方は、ハーベスト大公程には何もせんだろうな」
 現宰相は既に五十代。東の大公は十年前に代かわりをしてまだ三十代後半。
 野心丸出しだと噂には聞いている。そう、シェイルズはグレンに伝えた。
「それもまた帝国の悩みの一つだな。
 お前が跡目を継いでくれればいいものを。まあ、それは無理な話か。
 なあ、シェイルズ。
 せめて、たまにはユニスと、な?」
 あれだけ昨夜遊んでおいてまだその口が動くのか。
 そう思い、なら、と切り出す。
「公女殿下とは夜半に自室で会話をされれば良いではないか。
 魔導が便利な手助けとなるだろう。お前ほどの腕があれば、な」
「分かったわかった。
 ではそうするとするよ。ああ、ニーエだがな。
 ラズ高家の跡目が三男に替わるそうだ。
 その挨拶を兼ねてなら、行けるかもな。お前はどうだ、シェイルズ?」
 その手配はしておく。
 黒い鷹は簡潔に答えた。
「俺はいい。
 もう、ライナには未練はない。お前はどうかは知らんがな」
 この際、それを断ち切って来い。
 そう言われているような気分にグレンはなる。
「お前だって、あれほどーー」
「そのあれほどが、これを生んだのだ。
 俺はもう、私事では恋愛はせん」
 左眼を指差して彼は断言する。
 それはまだ十代の頃。
 二人と双子の姉妹が恋仲だった時。
 荒れる波間に遊び半分にグレンが入り、ニーエが入り。
 そして二人を助けようとシェイルズが飛び込んだ際に起きた不慮の事故だ。
「あれは、流れが激しくお前がいなければ。
 俺たちは死んでいただろうがな‥‥‥」
「なら、もう少し成長しろ。
 白い鷹を名乗るならな。二回目の傷は俺の勲章だ。
 恨んではいない」
 つまり、一度目はまだ根に持っている、そういうことか。
 その割に、この副官は自分に尽くしてくれる。
 感謝しか出ないグレンだった。
 だが、と二つほど気になることがあった。
「なあ、シェイルズ。
 ニーエが妊娠したと聞いたのはあの戦役の後だが。
 あれは二か月もなかった。出産したのは半年後だ。
 しかし、俺たちと遊んでいた頃に既に別の意中の男がいた、そういうことか?」
「さあな、それは本人しかわからんだろう。喪に服すと手紙が高家から来た後は何もわからん。
 ライナは会おうとしても、いつも外洋だとしか言わん。
 俺たちがなにかを言うこともすることももうやめろ。
 そういう意味だろう」
 高家の誇りの為、か。
 ああ、そうだ、もう一つーー
「ユニスとどう連絡を取ればいいんだ?
 あれは魔導など使えない」


 朝方の話しに呆れはててこの副官は宝珠の準備を下士官にさせた。
 恋人なら、秘密の宝珠くらい与えておけ、と。
 そう怒りたかったが、相手は皇太子。
 世間知らずな面も多々ある。わざわざアルフレッドという従僕をユニスにつけているという。
 その事実にも気づかないのだから。
 この現皇帝にも似た、遊び心の多い皇太子はニーエといい、ユニスといい。
 なぜ、真逆の献身的な女性に恵まれるのか。
「俺にはあいつのような、男勝りしかこんというのに‥‥‥」
 双子の片割れは未だにシェイルズの心の中で微笑んでいたーー
 夕刻が過ぎ深夜になる前。
 シェイルズに指摘され、アルフレッドを付けていることをグレンはようやく思い出した。
 アルフレッドに連絡を取り、ユニスに宝珠を渡すように伝える。
 数週間ぶりに見る、懐かしい顔がそこにあった。
「まあ、殿下。
 どうされたのですか、こんな夜半に。
 殿方が連絡をなさるお時間ではありませんよ?」
 この婚約者は年下なのに、こんなにも作法に厳しい。
 グレンは、まるでシェイルズに言われている気分になる。
「ああ、すまないニアム。
 その、いろいろと、な。
 忙しくてな。すまん」
 なぜか頭が上がらない。気分だ、その一言で済むはずなのに。
「そうですか?
 ユニスは殿下がお気持ちがある時で、文句はありません」
 そう言いながら不機嫌なのはなぜだろう?
 イズバイアという単語もニアムという呼び名も出てこない。
 忙しい、その一言がいけなかったか。
「気持ちは常に、ある。それは嘘ではないよ、ニアム」
 素直に気持ちを伝えてみる。しかし、まだ不機嫌な感じは治らない。
「殿下」
「な、何かな?」
 はあ、とユニスはため息を大きくついた。
「ニアムは側室でも、なんでも殿下の御心のままに。そう前から申しております。
 例え側室外の、城外に住む愛妾でも良いのです。すべてはお任せしたのですから。
 ですから‥‥‥イズバイアが心がある時に。
 その時に元気か、気になったと。それだけで、文句はありません」
 それはユニスの健気な本心だったが、グレンにはとんでもない地雷を踏んだ感覚だった。
「いま、いやずっとだ。
 気になっていた。ただー」
「ただ?」
 間抜けなことだが、そう前置きをして真実を話す。
「その、ニアムは宝珠を持っていないから、連絡を取れないと思っていてな。
 シェイルズに、なんのためにアルフレッドをつけたのだ、お前は。
 と叱られたばかりだ‥‥‥」
「はあ‥‥‥」
 そんな事にも気づかないで、悩んで連絡が出来なかった?
 それは多分、本音だろうが。
 呆れ半分、この御方で大丈夫かという心配半分。
 そんな感覚を味わってしまう。
「イズバイア、あなたは軍務以外では本当に‥‥‥」
「いや、言うな。
 それも叱られたばかりだ、あの黒に」
 黒? 黒い鷹?
 ああ、なるほど。白と黒。
 よくわかりやすい例えだ。
「ところで、質問なのだが。
 なぜ、船内のような光景が後ろにあるのだ?」
 グレンはよくよく見ると、背景にあるいつものユニスの自室とは違うことに気づく。
 ユニスはまだ連絡が宰相から行ってないものだと思い、つい喋ってしまった。
「ああ、これはラズ高家の代替わりの挨拶とニー‥‥‥いえ、なんでもありません」
 二―?
 変な発音をするものだ。
「ラズに来るのか?
 いつ頃につく予定だ?
 いま大公家にいないのでは、婚儀の披露宴が遅れるのではないのか?」
 こちらは予定通り行うつもりで準備していたのに、そうグレンは思った。
 しかし、皇太子とその正妃になる女性との婚約披露の日程をずらしてまで‥‥‥。
 このラズに寄越す意味がグレンには理解できない。
 高家の跡目相続の挨拶など、どちらが格式が高いかを考えればわかるはずだと。
 そう思っていた。
 画面の向こうにいる婚約者は少し困った顔をして、
「義父上様からの御命令ですから。仕方ありません。
 帰りは魔導? 転送ですか?
 あの手はずなどと言われておりました」
 ああ、それなら間に合うな。
 そうか、大公家としての初の仕事を任されたわけだ。
 つまり、いま来ている多くの他国からの婚約申し込みを詮議している。
 そういった事情は後回しになった。正式な養女として皇帝も認めたな。
 そう、グレンは考えた。
「転送か。
 なら、戻りは二人で戻ろう。
 船は数日後にはつくだろう?」
「それはまだ、そちらでの日程を義父上様に確認しないと‥‥‥」
 思わず、嘘らしくない嘘を言ってしまった。
 皇帝の側室を迎えに行く件は、この様子だと婚約者は知らない。
 命令の内容的に、今は語れない。そうユニスは判断する。
「まあ、それはそうだな。
 では、また教えてくれ」
 その後、いつ頃に着くなどの話を少しだけして通話は終わった。
 婚約者が思わず言いかけたニー、がなんなのか。
 妙な感覚を迎えながら、グレンはその夜を眠ることにした。
 
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