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終章 終焉への幕開け

第七十二話 ラズの二人

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「気にいらないねえ‥‥‥」
 帝都へと護送さえたラズ高家の三人を待っていたのは引き離されたライナとニーエ母娘だった。
 共に帝都内にあるハーベスト大公家の別宅というにはあまりにも広大すぎる屋敷内にいるが、本妻と側室。
 ついでにラズ高家の王女としての貴族籍を持つライナと庶民へと下がったニーエ。
 その子供のエリオスに至っては何の爵位の授与がされていないとはいえ既に大公の名が与えられている。
 その為、帝都に着くなり帝室扱いとなり三者バラバラに軟禁。
 正式な婚儀が開かれるまでの人質という見方もできた。
「そうぼやかれましてもな。
 ある意味、私が一番の被害者なのだが」
 帝国宰相ユンベルトは書斎の来客用ソファーを朝から陣取りーー
 足を投げ出してドレス姿で寝そべるライナに困っていた。
「先程の王国の大使殿もひそやかにとうとう愛人を持たれましたか、しかし、あれでは‥‥‥。
 まるで野生の虎のようではなどど」
「聞こえてたよ、ユンベルト様。
 閣下の御趣味があのような野生児に首輪をつけて飼いならすのであればどうたらこうたら。
 あたしは閣下の養女よりはまだ、品性があると思いますけどねー」
 ほら、お菓子と紅茶寄越しなよ。
 と、臨時につき従うように言われた憐れな従僕の少年が取りにかけていく。
 それを横目にして本日何度目かのため息をユンベルトはつくことになる。 
「ユニスはいや我が女大公様はあれでもライナ、お前よりは謙虚で智謀にも長けているがな?」
「何が女大公様だか。
 ユンベルト叔父様、あの殿下様の頭の中の古さと来たら。
 まるでニーエに輪をかけて堅物だ。
 しかも、同じ男を愛して未だにその影に生きているなんてーー」
 お待たせ致しましたと従僕が、各種のお菓子だのお茶を楽しむ一式をカートに乗せて運んで来る。
「ああ、お前はいいからお下がり。
 また呼ぶよ」
「は、はい‥‥‥」
 ここ数日でとりあえず、言われた通りにしておけばこの虎の尾は踏まずに済む。
 そう悟ったのだろう、従僕は慌てて部屋を出て行った。
「苛烈さではどちらもヒケを取らない気がするがね、ライナ。
 ついでに想い人を自分からではなく、他人に段取りされて側に与えられた。
 そういう怒りも含んでいるようだが?」
 シェイルズのことを言われてライナはむすっとした顔になる。
「そりゃー五年近く待っても花や手紙は寄越すくせに。一度も姿すら見せないし」
 これを聞いて宰相はつい笑ってしまった。
「そんな、なにも笑うことは」
「いやいや、すまん。
 それはお前のおおきな勘違いだ」
「勘違い!?」
「シェイルズは殿下、そうグレン様とこの帝都に戻られる度に‥‥‥。
 今回のライナの誕生式の衣装はこれだった、あれだった。そう語っていた。
 あれは姿を見せずにお前とニーエを見てきたのだろうなあ、この数年間。
 父親が閉門を頂いた六年前に、本当はシェイルズも東へと行くはずだった。
 頑として拒んだのは理由くらいはそろそろ察してやれ」
 ライナはそれを聞いて姿勢を元に戻す。
「でも叔父様。
 帝国は最後は全てを奪い取る気でしょ?
 あの女大公に貸し与えているのもハーベスト大公家の軍勢。
 シェイルズを養子にするのは王家の血筋を入れることになるからそれでいい。
 第五のブルングド大公にエリオスを推したのも叔父様、その後ろから陛下が支えている。
 あの女大公を陛下の御側にあげてその後ろで操る。
 それにしても、この十年が限界でしょ?
 陛下も叔父様ももう若くない。それにグレンはもう死んだ‥‥‥」
 そういえばそんな話になっていたな、宰相は思い出す。
 先程の王国大使もグレン殿下も栄誉の戦死を王国を代表してなどと言ってきた。
「それはどこから出回ったのか」
「あの女大公でしょ?
 誰だっけ?
 実の異母妹に会いに王国まで足を運んで伝えたとか。
 その場にいた、大公家宰相といやに仲良くしていた、なんて噂まで流れてるけど。
 ここに来る間の兵士がそんな話をしてたよ」
「ほう、そんな下にまで話が降りているとは」
 ユニスめ、なかなかやるわ、そうユンベルトは感心したが、ライナの判断は違っていた。
「陛下の側室に上がり、数年まてば叔父様も陛下も御年で崩御。
 そうなってもおかしくない御年齢。
 女大公は帝国の黒い鷹を誘惑し、白い鷹を亡き者にしたうえで、この先、長い年月を女帝として支配する。
 なんて、噂までね」
 どうするんですか、陛下の御耳に入ったら、そうライナは問いかける。
「でもなんだい、さっきからのこの鈴みたいな音色は??」
「さてな、その質問は直接されてはどうだ、ライナ?」
「直接、誰に?」
 そして部屋の片隅にある物置の扉が開き、ある人物がそこに現れる。
 別の女性と共に。
「ようこそ、皇帝陛下ならびに皇后様」
 その扉を次回から使うときはもう臣下の礼は取りませんぞ。そうユンベルト前回の来訪時に釘を刺していた。
 危険なことをして臣下を困らせるなら、旧友として同列にしますから、と。
 だから、彼は席を立たない。
 慌てて片足を立てて付すライナと、ユンベルトの態度の違いに皇后は多くを理解したらしい。
「ああ、いいのよ、立ちなさいーーラズのライナ王女。
 どうせ、あの回廊は危険だなどとユンベルトに言われて怒らせたのでしょう、あなた?」
 ここに繋がる扉をくぐる前に、ホウキを先に差し入れていたのはこういうことか。
 皇后はまた親友を困らせましたね?
 そう、皇帝を睨みつける。
「あ、あのなあ?
 ここは家臣の前、だろう妻よ?」
「ええ、そうですね陛下。
 あの夜にもし、心が他に行けばわたくしに帝国の全てを渡してもいい。
 そう言われたのを思い出しましたわ、ねえ、ユンベルト?」
 数人掛けのソファーではなく、個別の方に、裏切り者はそこに座りなさい、と命じる皇后。
 それに黙って従う皇帝は先日からの皇后の怒りがまだ続いているものと思っているようだった。
「皇后様、あまり陛下をーー」
 宰相はいさめようとするが、
「あら、あなたも今回の件を夫に入れ知恵した点では提督と同罪だわ」
 そう言われ、黙らざるを得ない。
 ライナはもはや、何も発言できなくなっていた。
「さて、あなた。
 どうされるおつもりですか?
 政治ごとに女が口を挟む気などありませんけれど、孫が出来て、更にそれを息子の元婚約者に命すら救われた。
 あのイズバイアがこれほどまでに遊んだ、では済まない事態ではありませんか?
 それに、ニーエ王女は廃嫡をしてでも、エリオスを助けたい。新しい大公家を立ち上げてどうするのです?」
 なんとか言え、皇帝はそうユンベルトに視線を送るが彼はそれから目を反らした。
 こういう時の皇后は誰よりも怖いのだ。
「いや、それはな。グレンが戻れば、帝国はあれの兄の北の大公と、グレン、エリオスの三派に別れる。
 その前に封じておけば、帝室とハーベスト大公家で監視が、だな‥‥‥あの島は広すぎるのだ」
「ですが、それは王国との間の要害にエリオスを置いて常に戦わせるようなもの。
 それならば、ユニス殿下に与えられた方がいいでしょう?
 ハーベスト大公家にエリオスを迎える‥‥‥は、また帝室の血がどうこうと揉める訳ですか?」
「分かっているなら言うな、そこにはライナもいるのだぞ?」
「それが何か?
 まだ王女のままでは?」
「いいえ、皇后さま。
 ライナ王女は第五の大公家をまずシェイルズ。
 現ブルングド侯爵が戦功を上げたということでその爵位に上げり、その後にライナ王女を正室に。
 ニーエ様を側室に。エリオス様を養子にと。三段構えでお守りする形に」
「つまりー‥‥‥エリオスの将来のためにそれだけの絵図を描き、さらにあのエニシス半島まで?
 これはお前の指図なのユンベルト?
 陛下はそこまで細かくは動かないわ。あの会合あってこその今の帝室。
 半島攻略の絵図なんて前回はまったく話にも‥‥‥」
 不可解な顔をする皇后。
 皇帝以外でそれほどの軍勢を動かした件についても、軍の内容は多くがハーベスト大公家。
 ユンベルトの指揮下にあるものだからだ。
 だがユンベルトは首を振る。
「残念ながら、数日前のエンバス要塞陥落、その後のエニシス半島全土への、提携した王国軍の管理。
 これはあの会に出ていた人間誰もが、知らないうちに行われていたものでした」
 本当に?
 と皇后は皇帝を見る。
 彼は、本当だ、と渋い顔をした。
 その表情を見て、ではそれを出来る人間は?
「グレンがあの女大公ユニス様を裏で動かしていると?」
 ここで初めてライナが口を開いた。
「いいえ、皇后さま。
 すでにグレン殿下は死亡していると。女大公は黒き鷹と策謀して帝国をーー」
「それは違うぞ、ライナ」
 黙っていた皇帝が口を開いた。
「違う、とは‥‥‥?」
「要塞が落ちる数日前に黒のシェイルズの父親の元をグレンは訪れている。
 その数日後、枢軸を待ち受けていた帝国軍が見たのは、雪原の大地でその数を半数に減らし逃亡する敵軍だった。
 これはグレンの仕業だ。
 いま、あの黒が自ら追いかけているわ、全く‥‥‥半島攻略もエシャーナ侯の報告でな。
 すべてあの、女大公の考えだと。そう言ってきた。
 稀代の大軍師ではないかーー」
「では陛下、あの女大公が帝位簒奪の汚名を着る覚悟でなぜ殿下が、イズバイアが死んだなどと」
 グレンだ!
 そう皇帝は叫んだ。
「陛下、このライナには陛下の御意思がわかりかねます‥‥‥」
 これにはなんでわからん、同じ女だろう?
 そう皇帝が驚いた。
 ユンベルトが横から口を挟む。
「グレン殿下に半島の権利は奏上するそうだ、ライナ」
「奏上? 同じ殿下同士でですか?」
 ユンベルトは打ち明けてもいいですか、そう皇帝を見る。
 皇帝は静かにうなづいた。
「ライナよ、もう、殿下は一人になった。
 当家のユニスは全ての爵位を、そう。帝位継承権をグレン殿下に、半島の管理権も含めて奏上されるそうだ。
 ハーベスト大公家には、(行方不明になっていた)、エイシャ様が上がられる。
 ブルングドの領土はエリオス様のブルングド大公家に。
 エシャーナ侯が切り取ってきた土地を以って、エシャーナ侯はそのまま公爵に。
 ブルングドの島にユニスが持っていた土地と女大公の権限でニーエ様に伯爵位を。
 ライナ、お前にはシェイルズの婚儀と大公家の妻という地位が与えられる。
 ニーエ様がもしシェイルズの側室を望まなくても、元の王女と同列。誰も手出しはできない」
 つくづく損をしたのは、我がハーベスト大公家とエシャーナ公爵家だけだ。
 そう、ユンベルトは悲しんでいた。
「待ってよ!
 あ、いえ‥‥‥お待ちを。
 では、ユニス様は?
 なぜ、あの晩餐会で放逐となったエイシャ様が?」
「それはなあ、なんともめんどくさい話だがーー」
 皇帝がぼやき始める。
「ユニスは王国の逸材にフラれたのだ。
 あの銀鎖の魔導師を夫にしていたエイシャをその地位に迎えればーー
 あのまま半島の管理権を与えておくだけで良い抑止力となった。
 ところが離縁されたとエイシャがやって来てな。
 その代わりに王国の北角と銀鎖、両団の団長からの全権委任を持たされてだ。
 北部全域を管理する騎士団二団からの委任はもはや、国対国の外交交渉と同じ。
 逆に最低三万の兵の駐留を依頼されて、北への防壁にされたわ」
「そうですな陛下。
 その三万は我がハーベスト大公家の二万と闇の牙の一万。
 これで帝国内でユニスを討とうにも動けなくなりましたな。
 残る蒼い狼はエシャーナ公の領土の安定と国境監視に。
 闇の牙の一万とハーベスト大公家の六万の内の一万がブルングドの島に。
 ハーベスト大公家の所領を守るのはたった二万。
 見事に切り崩されましたな」
 そう宰相は寂しそうに言う。
 その仕草が皇后には理解出来なかった。
「しかし、女大公はまだ健在、妹があなたのユンベルトの家を継いだのならユンベルトは養子を迎えればよし。
 エシャーナ公はユニスを側に置き、娘と再婚して子を為すもよし、新たに婿を迎えればいいではないですか?」
「いや、妻よ。
 もう決まっているのだ、エイシャの再婚相手はな」
「決まっている?」
 皇帝とユンベルトは二人して重いため息をついた。
「何があったのですか、あなた」
「その銀鎖の魔導師だがなあ。
 北を固める案を離縁した妻に成立させたら、そのまま全軍を引き連れてなあ」
「まさかの、王都とゲイル第四王子の根拠地である城塞都市シアードを同時挟撃するとはな。
 しかもブルングドの島に残しておいた王国国営軍の大半がだ。
 それに呼応して現国王が第四王子の廃嫡まで決める始末。
 おまけにグレンの婚約相手とあの第四王子ゲイルが推していた亡きエバース大公の王女。
 あれをそのまま格上げしてその後見人にエルムンド侯が座り大元帥に。
 まったく、やり過ぎだ。あちらもこちらもな。
 で、ユンベルト。
 お前は稀代の魔導師を再度、養女の婿入りさせることを許したのか?」
「それはもう、王国の血筋すら入るのであれば。
 北部全域の統治権すら彼は持っているのですから。我が家はこれで安泰。
 まあ、もう隠居させて頂きたいですな。心臓が持ちません」
 皇后はそれを聞いて過去を思い出しため息をついた。
「なにもかもが誰かの手のひらの上で踊っているようですわね、陛下。
 まるであの結婚当時を思い出しますわ。
 あの時のあなた様はあれほどに雄々しかったのに。
 いまでは側室を待つ始末]
 そろそろ逃げ出す準備を、そうユンベルトはライナに倉庫への入り口を目配せする。
「そ、それはすまん‥‥‥。もう何度も謝ったではないか」
 そんな皇帝をその場において、二人はそっと隠し通路に逃げ出した。
「あら、逃げられましたわね、まあいいです。
 それで陛下、ユニスとグレンは?
 ニーエはどうなさるおつもりですか?」
「あいつら、本当に逃げ足だけは早いな‥‥‥。
 ああ、グレンはまだ見つかっていない。
 黒が追いかけたままだ。先週からな。
 ユニスはそれらの全権限をユンベルトに委譲していった。
 ニーエはしばらく、息子とこの王宮で心を休ませるつもりだ。
 会って話をしてきたが、夫などよりも安息が欲しいと言っていた。
 グレンにはもう未練よりも、会いたいという願いがない、とも言われたからな。
 あの愚息のしでかした罪は、親が背負うしかあるまい。
 孫にも、義娘にも嫌われたくはないものだ、うちには女がいなかったからな。
 お前はどうなのだ?」
 怒り半分の皇后はそれでも少しは気を良くしたらしい。
「我が家の問題というよりは、あのグレンの不始末ですが。
 もう帝位継承権まで譲られては再度、次期皇帝とするしかありませんね。
 ですが、ニーエはそれは本心でしょうか?
 ユニスがここまでしたのは、あのイズバイアへの恩返しかそれともより大きな野心か。
 どちらにしても、グレンの側におけば問題になるとわたしは思います」
 困りましたね、そう皇后は言うが、皇帝にはなにか納得がいかない。
「なあ、それはどこまでが本音だ?
 わしとユンベルトの中では、最後はあのユニスが死ぬのではないか。
 そう思っている。
 だから帝位継承権も与えたのだ」
 本当に愚かな殿方たち。
 そう皇后は呆れ果ててしまう。
「ならば、先に婚約の宴を催して正式に帝室に迎えればよかったものを。
 もしくは、グレンを追い出してユニスの婿に婿入りさせれば良かったのです。
 そこまで言われるのであれば。
 その後に側室を設ける、そういえばわたくしも何もまあ、陛下を怒るので済んだのです」
 結局、わしが叱られるのではないか‥‥‥
 皇帝は理不尽だ、そう思うが声には出さない。
「で、ユニスはどこに?」
 この質問が皇帝には一番答えづらかった。
「陛下??」
 皇后がどうしたのですか?
 そう問いかける。
 皇帝は重苦しそうに口を開いた。
「ユニスは‥‥‥あの半島の条約締結などバタバタしている間に。
 白、黒と揃って‥‥‥行方不明だ」
 この返答に皇后はめまいを覚えた。

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