貧乏メイド、官能作家に身体を資料として提供することになりました~資料のために抱かれ続けた私、いつの間にか彼の最愛に~

蜜井蜂

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第一部

過去のこと

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 「……面白いかい?」

今は昼休憩の真っただ中。
窓から柔らかい午後の光が差し込む中、私はフェイ様の原稿の綴りをめくっていた。
ページの隙間から香るインクの匂いが、どこか懐かしくて落ち着く。

「はい!恋しちゃいけない相手ってわかってるのに意識すればするほど好きになっちゃう、っていう心の揺れの表現とか本当に繊細で……!フェイ様の作品が女性から支持される理由がわかります!」

勢いよく言うと、フェイ様は少し照れたように笑った。

「そ、そうかい。そう言ってもらえると嬉しいよ」

その笑顔に、私の胸がほんの少しだけ弾む。
最近、こうした穏やかな時間が増えた気がして、単純に嬉しかった。




フェイ様がふと顔を上げ、純粋な好奇心を浮かべて訊ねてきた。

「ところで、実際のところ――こういうことって、起こりうるのかい?」


「うーんそうですね、まったくないわけじゃないですよ。実は私も――」

言いかけて、つい笑いを含ませる。
友達に愚痴を言うみたいに、軽く肩をすくめて。
けれど、話し始めた途端にフェイ様の手がぴたりと止まった。


「それはいったい……?」

その真剣な声に、私の口は一瞬固まった。
空気が急に張り詰める。
話しすぎたかも、と思いつつも、まあ別に隠すことでもないし――そんな気持ちで続ける。


「えっと、その、昔、とあるお屋敷でメイドをしていた頃に……坊ちゃんから迫られまして」

あ、これ絶対に引いてるやつだ。
と思ったけど、まあ隠すことでもない。
むしろ今だから笑える話のひとつ、くらいに思っている。





――記憶に、いくつもの場面が蘇る。

昼下がり、裏庭で干していた真っ白なシーツの陰。
「……坊ちゃん!」
「静かに」
片手で私の手首をさらい、もう片方で腰を抱き寄せられる。
「こうしていれば、君は僕だけのものだ」
顎を持ち上げられて見上げた先の瞳は、自信と甘さに満ちていて。
当時の私には、それが特別に見えてしまった。



次は食物庫。
棚の隙間に追い込まれ、肩越しに壁を叩かれる。
「君は他の誰にも触れさせない。僕だけが知っていればいい」
囁きながら頬を撫で、耳元に唇をかすめる。
「笑わないで……君が笑うと、僕はどうしようもなく欲しくなる」
言葉も仕草も、甘くて強引で。

「君が僕を拒むのなら、それでもいい。ただ……僕が君を求めていることだけは、忘れないで」
――今振り返れば、ただの遊びみたいなものだった。



そして夜。
廊下を巡回していた腕を捕られ、暗い部屋へ引き込まれる。
「どうして君は、そんなに僕から逃げるんだ」
「……逃げてなんて」
「嘘だ。僕は毎晩こうして君を想っているのに」
月明かりの下頬を撫で、髪を耳にかけながら熱っぽく囁く。

「ねえ、リズ。君さえ頷いてくれれば、僕は世界中を敵に回してもいい」
そんな芝居じみた言葉を、指先の震えと一緒に重ねられると、信じてしまった。
――本当に、愚かなくらいに。


「坊ちゃん……」
私の声は震えていた。
子どものように純粋で、何も知らない自分がそこにいた。

彼はそっと私の手を取ると、ものすごくゆっくりと、でも確実に距離を詰めた。
「君が怖がるなら、無理強いはしないよ」と言いながらも、その目は鋭くどこまでも熱い。


「僕は本気だよ、リズ。君の事もっと知りたいんだ」
「……私もです」
その一言は、自分でも驚くほどあっさり出た。
頷いた瞬間、彼の顔がぱっと輝いた。

「……リズ」
私の唇に落ちたキスは、驚くほど真剣で。
坊ちゃんの唇は柔らかくて、じんわり熱かった。

私は抵抗するどころか無意識に受け入れてしまっていた。
何もかもが初めてで、どう振る舞えばいいのかも分からないまま、彼の腕に寄りかかる。


「君の初めてをもらうんだ、僕は絶対に君を大事にするよ」
そんな言葉を何度も囁かれて、私の中の警戒心は少しずつ溶けていった。
彼の触れ方は優しく、でも確かに「特別扱い」されているという気分に満たされた。

その夜は、ぼんやりとした幸福と戸惑いで胸がいっぱいだった。
終わったあと、彼は私の頬を撫でながら「ありがとう、リズ」とだけ言った。
その声に私はまた頷いて、小さく笑った気がする。




「――“特別だ”なんて言葉を真に受けて、初めてをあげたのもその時です。でもまあ……結局は都合よく遊ばれただけで、飽きたらそのまま放置でした」

自嘲気味に笑って肩をすくめる。

「今思えば、なんとも間抜けですよね。あれでけっこう勉強になったので、まあ無駄じゃなかったかなって」

軽く流したつもりだった。
でも、フェイ様は絶句したまま、目を見開いて固まっている。

「……笑い事じゃない」

その一言は、私の喉に引っかかった笑いを飲み込ませた。
フェイ様の拳が机の縁に小さく触れて、指先が微かに震えている。


「い、いえ、もう随分昔のことですし」
慌てて言い繕う。
けれど、その言葉は私自身にもだんだん薄く感じられてきて、どこか居心地が悪い。

「……君を、そんなふうに扱った人間がいたなんて」

フェイ様の声は低く、苦悩と怒りが混ざっていた。
その口ぶりは、ただただ本当に悔しそうだった。


私にとっては「若気の至りの黒歴史」くらいのつもりだったのに。
――でも。

そんなふうに、真剣に悔しがってくれる人がいるなんて思ってもみなかった。
こんな風に感じるのはおかしいかもしれないけど、胸の奥が温かくなっていく。



「……この話はこれで終わりにしようか」
フェイ様はそういうと手元のクッキーを口へ運んだ。

その瞳には何も映っていなくて――なんだか少し怖かった。


「お茶、淹れ直してきますね」
私は部屋の重苦しい空気から逃れるように、ティーポットを手に取って足早に台所へ向かう。



……フェイ様はいったい何を考えていたんだろう。
何も映していない空洞みたいな瞳――あの表情が暫く私の頭を離れることはなかった。

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