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第一部
思い
しおりを挟む昨日のやり取りから、なんだか空気が変わってしまった。
坊ちゃんの屋敷の住所が書かれた紙。
衣服に残る甘ったるい香水の残り香。
感情を露わにして私を問い詰める声。
フェイ様は、焦りの混じった表情と扉を閉める後ろ姿だけを残してそのまま書斎にこもってしまった。
置き去りにされた私はただ呆然と立ち尽くすだけ。
翌朝。
食卓に並べた朝食を前にしても、フェイ様はほとんど口を開かなかった。
「……塩加減、変わった?」
ようやく出た一言も、それだけ。
私は思わず笑顔を作って答える。
「いえ、いつも通りのはずです」
それ以上、言葉は続かない。
ナイフとフォークが皿に触れる小さな音だけが、妙に耳に残る。
彼が私を避けているのか、それともただ考え込んでいるだけなのか。
分からない。
分からないけれど、胸の奥がちくりと痛む。
掃除をしているときも、ふと視線を感じて顔を上げれば、彼がこちらを見ていて。
けれど目が合った瞬間、そらされる。
まるで「君に興味なんてない」とでも言うように。
……いや、本当は逆なのかもしれない。
興味を持ってはいけないから、視線を逸らすのだろうか。
「……あの、何か……」
思わず声をかけてしまったが、返ってきたのは短い言葉だった。
「いや、別に」
冷たいはずのその声が逆に苦しそうに聞こえてしまうのは、私の気のせいだろうか。
そんな風に勝手に考えてしまう自分が、少し情けない。
私は彼にとって資料のための存在。
役割を果たすだけの「お手伝いさん」でしかないはずなのに。
夜。
台所を覗くと、フェイ様がカウンターテーブルに突っ伏していた。
珍しくお酒を飲んでいたらしい。
「フェイ様……お水をお持ちしましょうか?」
そっと声をかけると、ゆっくり顔を上げた。
「......ん、いや......大丈夫」
赤らんだ目が私をとらえ、震える指先が空を彷徨う。
伸ばされたその手は、何かを求めるようで、けれど掴むことをためらっているようで。
「……君に触れられないのが、苦しい」
ぽつりと吐き出された言葉に、息が詰まる。
「……触れられない、だなんて……」
ようやく絞り出した声は震えていた。
フェイ様は苦笑し、グラスに視線を落とす。
「でも……もし仕事と割り切れなくなったら、君を苦しめることになる」
そう言ってグラスをあおる仕草は、逃げるようで、弱さを隠そうとしているようで。
私はもう、見ているだけではいられなかった。
椅子を引き、彼の隣に腰を下ろす。
「……苦しめるなんて、そんなこと……」
言いかけて、胸が詰まる。
ーーでも、今度は飲み込まない。
そっと伸ばされた彼の手がまた退こうとした瞬間、私は勇気を振り絞ってその手を握った。
「私は、フェイ様のことをもっと知りたいです」
小さな声。
でも精一杯の気持ちだった。
彼の肩がわずかに震える。
「……知ったら、君は後戻りできなくなるかもしれない」
「それでもいいんです」
真っ直ぐ見つめて言葉を紡ぐ。
「私はもう、フェイ様から目を逸らしたくありません」
静かな沈黙。
やがて、フェイ様は掴まれた手をぎゅっと握り返した。
「……リズ。君の言葉は、ずるいくらい真っ直ぐだな」
かすかに笑みを浮かべる。
けれど、その目は揺れていた。
「少し……時間をくれないか。気持ちを、整理したいんだ」
その声には、先ほどまでの弱さとは違う、確かな熱が宿っていた。
私は黙って頷き、彼の手を握り続けた。
離したくないと願うように。
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