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第二部
夜の星に願うのは
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海辺のコテージに滞在してから、すでに一週間が過ぎていた。
避暑のために――なんて理由から始まった滞在だったけど、フェイとゆったり過ごせるこの時間は私にとって何よりの宝物になっていた。
その日の午後、フェイがぽつりと言った。
「小説で書きたいシチュエーションがあるんだ。情報収集も兼ねて、ちょっと外に出よう」
そう言われれば断れるはずもなく、私は素直に頷いた。
コテージの近くの街に着いてからのフェイは、やけに忙しなかった。
最初に入ったのはパン屋。
ガラスケースにずらりと並んだバゲットやクロワッサンに目移りしている私をよそに、フェイは迷わず焼き立てのバゲットを二本抱えていた。
「……多くない?」とつい口を挟むと、「余ったら明日の朝食にすればいい」と涼しい顔をしている。
次に立ち寄ったのはチーズとハムの専門店。
棚に並んだ円盤状のチーズを前に、フェイは真剣な眼差しで熟成具合を店員に尋ねていた。
「……詳しいんだね」
「前に料理がテーマの小説を書いたことがあってね。気が付けば詳しくなっていたよ」
得意げに返され、思わず苦笑する。
果物屋では、紫に輝くぶどうや、甘い香りを放つベリーを次々に選んでいく。
籠に詰められていく瑞々しい果物を見ながら、「……まるでピクニックにでも行くみたい」と言うと、彼は「かもね」とだけ返して、一つベリーを追加した。
小さな紙片を片手に、次から次へと店に入っては品物を確かめ、抱えきれないほど買い込んでいく。
荷物が増えていくにつれて、彼の表情はますます満足げになっていった。
最後に立ち寄ったのは雑貨屋。
キャンドルの棚の前で真剣な顔をして一本一本香りを確かめるフェイの姿は、まるで絵画のようで思わず見惚れてしまう。
「キャンドルまで……誰か来客とか?」
そう問いかければ、彼はにやりと笑って「さあ、どうだろうね」とだけ。
その表情が子供っぽくて、からかわれているような気分になる。
結局、彼の紙片にチェックマークが埋まるころには、フェイは両手いっぱいの袋を抱えていた。
その表情はどこか誇らしげで、まるで宝物を手に入れた子供のよう。
一方の私はというと、頭の中はますます「?」で埋まっていくばかり。
「――これで準備完了かな」
そう言って満足げに笑うと、彼は私の手を取って街の外れへと歩き出した。
辿り着いたのは、波の音だけが響く静かな海辺。
茜色に染まる空の下、フェイは抱えていた荷物を次々と取り出し、砂浜の上に器用に並べていく。
木の板を広げて即席のテーブルを作り、その上にパンとチーズ、ハム、果物を彩りよく置いていく姿は、どこか舞台の準備のようで見ていて楽しい。
やがて小さなキャンドルに火が灯ると、橙の光が潮風に揺らぎ、私たちだけの小さな食卓を包み込んだ。
「……これって」
「そう、海辺でディナー。ずっとやってみたかったんだ」
目を丸くする私を見て、フェイはどこか誇らしげな表情を見せる。
どうやらフェイが私を外に連れ出した理由はこれだったらしい。
「――じゃあ、乾杯」
カチンと澄んだ音が夜の海に溶けていく。
潮風にあたりながら食べる料理は、特別な味がした。
焼き立てのバゲットをちぎってチーズをのせ、潮風に吹かれながら口に運ぶと普段の何倍もおいしく感じられた。
ハムの塩気に果物の甘みが加われば、それだけで立派なごちそうになる。
ふと、グラス越しに見る彼の横顔に目を奪われる。
キャンドルの灯りに縁取られて――いつもよりさらに美しい。
目を離せなくなるくらいに。
フェイは私の視線に気付いたのか、こちらを見てフッと微笑んだ。
それだけで心臓が跳ね、胸の奥にまたひとつ新しい思い出が刻まれていくのを感じた。
食後は、二人で砂浜にラグを敷いて、そのまま寝転がった。
「……わあ」
頭上には、夜空いっぱいに広がる星の海。
潮騒と風が、子守唄のように穏やかに耳に届く。
「……子供の頃、よく一人でここに寝転んで、星を数えてたんだ」
フェイが、少し懐かしそうに呟いた。
「夜が寂しくて、でも空を見上げてると、ちょっとだけ勇気が湧いてきてさ」
横顔にかかる月明かりがやわらかくて、いつもより儚げに見える。
「僕の大切な場所に君を連れて来られて……嬉しい」
フェイがそう言って、私の手をぎゅっと握る。
胸の奥がきゅっと切なくなって、呼吸が浅くなる。
言葉にしたいのに、うまく出てこない。
――その時、夜空を一筋の光が横切った。
「……あっ!」
思わず声がこぼれる。
「流れ星だね」
フェイが笑ってこちらを見た。
「リズ、お願い事はしたかい?」
「もちろん」
「一体どんな――」
フェイに問われ、私はクスクスと笑って「内緒です」とだけ答えた。
彼はわざと不満そうに口を尖らせて、子供っぽく私を覗き込んでくる。
「僕のことじゃないの?」
「どうでしょう?」
わざと曖昧に返すと、フェイはじっと私を見つめたまま小さく笑った。
もう一度、夜空を仰ぐ。
満天の星が瞬いている。
けれど、それ以上に隣にいるフェイの温もりの方が確かで、まぶしい。
潮騒が寄せては返すたび、握った手のぬくもりもまた胸に染みこんでくる。
私はもう一度、星に向かって静かにお祈りした。
――こんな日々を、どうか、ずっとこれからも。
避暑のために――なんて理由から始まった滞在だったけど、フェイとゆったり過ごせるこの時間は私にとって何よりの宝物になっていた。
その日の午後、フェイがぽつりと言った。
「小説で書きたいシチュエーションがあるんだ。情報収集も兼ねて、ちょっと外に出よう」
そう言われれば断れるはずもなく、私は素直に頷いた。
コテージの近くの街に着いてからのフェイは、やけに忙しなかった。
最初に入ったのはパン屋。
ガラスケースにずらりと並んだバゲットやクロワッサンに目移りしている私をよそに、フェイは迷わず焼き立てのバゲットを二本抱えていた。
「……多くない?」とつい口を挟むと、「余ったら明日の朝食にすればいい」と涼しい顔をしている。
次に立ち寄ったのはチーズとハムの専門店。
棚に並んだ円盤状のチーズを前に、フェイは真剣な眼差しで熟成具合を店員に尋ねていた。
「……詳しいんだね」
「前に料理がテーマの小説を書いたことがあってね。気が付けば詳しくなっていたよ」
得意げに返され、思わず苦笑する。
果物屋では、紫に輝くぶどうや、甘い香りを放つベリーを次々に選んでいく。
籠に詰められていく瑞々しい果物を見ながら、「……まるでピクニックにでも行くみたい」と言うと、彼は「かもね」とだけ返して、一つベリーを追加した。
小さな紙片を片手に、次から次へと店に入っては品物を確かめ、抱えきれないほど買い込んでいく。
荷物が増えていくにつれて、彼の表情はますます満足げになっていった。
最後に立ち寄ったのは雑貨屋。
キャンドルの棚の前で真剣な顔をして一本一本香りを確かめるフェイの姿は、まるで絵画のようで思わず見惚れてしまう。
「キャンドルまで……誰か来客とか?」
そう問いかければ、彼はにやりと笑って「さあ、どうだろうね」とだけ。
その表情が子供っぽくて、からかわれているような気分になる。
結局、彼の紙片にチェックマークが埋まるころには、フェイは両手いっぱいの袋を抱えていた。
その表情はどこか誇らしげで、まるで宝物を手に入れた子供のよう。
一方の私はというと、頭の中はますます「?」で埋まっていくばかり。
「――これで準備完了かな」
そう言って満足げに笑うと、彼は私の手を取って街の外れへと歩き出した。
辿り着いたのは、波の音だけが響く静かな海辺。
茜色に染まる空の下、フェイは抱えていた荷物を次々と取り出し、砂浜の上に器用に並べていく。
木の板を広げて即席のテーブルを作り、その上にパンとチーズ、ハム、果物を彩りよく置いていく姿は、どこか舞台の準備のようで見ていて楽しい。
やがて小さなキャンドルに火が灯ると、橙の光が潮風に揺らぎ、私たちだけの小さな食卓を包み込んだ。
「……これって」
「そう、海辺でディナー。ずっとやってみたかったんだ」
目を丸くする私を見て、フェイはどこか誇らしげな表情を見せる。
どうやらフェイが私を外に連れ出した理由はこれだったらしい。
「――じゃあ、乾杯」
カチンと澄んだ音が夜の海に溶けていく。
潮風にあたりながら食べる料理は、特別な味がした。
焼き立てのバゲットをちぎってチーズをのせ、潮風に吹かれながら口に運ぶと普段の何倍もおいしく感じられた。
ハムの塩気に果物の甘みが加われば、それだけで立派なごちそうになる。
ふと、グラス越しに見る彼の横顔に目を奪われる。
キャンドルの灯りに縁取られて――いつもよりさらに美しい。
目を離せなくなるくらいに。
フェイは私の視線に気付いたのか、こちらを見てフッと微笑んだ。
それだけで心臓が跳ね、胸の奥にまたひとつ新しい思い出が刻まれていくのを感じた。
食後は、二人で砂浜にラグを敷いて、そのまま寝転がった。
「……わあ」
頭上には、夜空いっぱいに広がる星の海。
潮騒と風が、子守唄のように穏やかに耳に届く。
「……子供の頃、よく一人でここに寝転んで、星を数えてたんだ」
フェイが、少し懐かしそうに呟いた。
「夜が寂しくて、でも空を見上げてると、ちょっとだけ勇気が湧いてきてさ」
横顔にかかる月明かりがやわらかくて、いつもより儚げに見える。
「僕の大切な場所に君を連れて来られて……嬉しい」
フェイがそう言って、私の手をぎゅっと握る。
胸の奥がきゅっと切なくなって、呼吸が浅くなる。
言葉にしたいのに、うまく出てこない。
――その時、夜空を一筋の光が横切った。
「……あっ!」
思わず声がこぼれる。
「流れ星だね」
フェイが笑ってこちらを見た。
「リズ、お願い事はしたかい?」
「もちろん」
「一体どんな――」
フェイに問われ、私はクスクスと笑って「内緒です」とだけ答えた。
彼はわざと不満そうに口を尖らせて、子供っぽく私を覗き込んでくる。
「僕のことじゃないの?」
「どうでしょう?」
わざと曖昧に返すと、フェイはじっと私を見つめたまま小さく笑った。
もう一度、夜空を仰ぐ。
満天の星が瞬いている。
けれど、それ以上に隣にいるフェイの温もりの方が確かで、まぶしい。
潮騒が寄せては返すたび、握った手のぬくもりもまた胸に染みこんでくる。
私はもう一度、星に向かって静かにお祈りした。
――こんな日々を、どうか、ずっとこれからも。
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