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第二部
呼び出し
しおりを挟む避暑から戻ってしばらくしたある日、フェイ宛に一通の手紙が届いた。
分厚い封筒に箔押しされた紋章。
見た瞬間、私でも分かるくらい「高級」とか「格式」とか、そういう言葉が頭に浮かぶ。
フェイはそれを手にとるなり、苦い顔をした。
「……またか」
小さくつぶやいて封を切ると、便箋が何枚も入っていた。
紙面いっぱいにぎっしり書かれた文字をフェイは無言で追っていく。
あまりに沈黙が長くて、息をするのもはばかられるくらいだった。
やがて読み終えたフェイは、大きなため息をついて頭を抱える。
「実家に顔を出せ、だってさ」
聞けば、こういう手紙はこれまでも何度か届いていたらしい。
でも数年にわたって無視してきた、と言うのだ。
「それは……さすがにダメだと思う」
思わず私は口を挟んだ。
フェイは何か言いたげにもごもごしていたけれど、結局は私の言葉に折れて、実家に行くことを決めた。
ただし条件付きで。
「リズも一緒に来てくれるなら、だけど」
驚いた私が言葉を探していると、彼は照れくさそうに笑いながら「いずれ親に紹介したいと思っていたから……ね」と呟いた。
照れたように笑うフェイの顔を見て、私は黙って頷くことしかできなかった。
返事を出してしばらく後。
フェイはついに重い腰を上げて実家へ帰ることになった。
馬車に揺られてたどり着いたその屋敷を目にした瞬間、私は思わず息をのむ。
大きい――そんな言葉では足りない。
これまで仕えてきたどの貴族の屋敷よりも立派で、重厚で、ただの建物なのに人を圧倒する威圧感を放っていた。
こんな家に生まれた人だったんだ……
フェイの背中を呆然と見つめながら、改めて自分との距離を思い知らされる。
「フェイ様おかえりなさいませ!」
屋敷の中に入ると大勢の使用人がすぐさま駆け寄ってきた。
荷物は自然と手から引き取られ、上着は脱がされて綺麗にたたまれる。
ただ玄関から数歩進んだだけなのに。
……幼少期からこんな生活を送っていたら、家事がまったくできないのも無理ないのかもしれない。
――そんなことを思ったときだった。
「フェイ!」
澄んだ声が廊下に響き渡り、私と同じくらいの年頃の少女が一直線に駆けてきた。
まるで絵本から抜け出したように整った顔立ちのその子は、ためらいもなくフェイに抱きつく。
「フェイ、帰って気てくれるのずっと待っていたのよ!お手紙も出したのに返事がなくて……心配で心配で!」
抱きついたまま、きらきらした瞳で見上げる少女。
「久しぶりだねノーナ」
フェイは眉を下げて小さく笑い、その少女の名を呼んだ。
「覚えていてくださって嬉しい!もう何年もお会いしていなかったから、忘れられたのではないかと……! あ、少し背が伸びられましたね?でもお顔は昔のまま……わたくし、今でも夢に見るんです、フェイと――」
矢継ぎ早にあふれ出る言葉。
息をつぐ間もなく次々と愛情を注ぎ込む様子は、まるで何年も溜め込んできた想いが一気に溢れているかのようだった。
「ノーナ落ち着いて」
フェイは苦笑しながら、彼女の頭をぽんと撫でる。
「昔から君はよくしゃべるな」
「だって……だって本当に嬉しいんですもの!」
ノーナはさらに身を寄せ、甘えるように腕を絡めてくる。
「フェイがいない間、わたくしどんなに寂しかったか……! 今日こうしてお会いできて、心臓が破裂しそうなくらいで……!」
「大げさだね」
「大げさなんかじゃありませんわ!本気ですのよ!」
呆れたように笑いつつも、フェイの態度には驚きも動揺もなかった。
どうやら、こういう調子は“いつものこと”らしい。
――いつものこと。
その言葉が胸の奥にひっかかった。
フェイにとっては慣れたやり取りでも、私には強く胸を突き刺す。
彼女が向ける独占欲のこもった視線、甘えるような声音――どれも私の知らない彼を呼び覚ましている気がして、居心地が悪くなる。
けれどその矢継ぎ早の言葉は、やがて鋭い調子に変わっていった。
ノーナの視線がふとこちらに移り、冷たい光を宿す。
「――そちらの方は?」
まるで挑むような声音で、私を射抜くように見据えてきた。
「フェイとは……どういう関係ですの?」
あまりの圧に言葉が詰まる。
「彼女はリズ。僕の家で使用人として働いてくれているんだ」
私は弾かれたようにぺこりと頭を下げる。
ノーナは答えを聞いた瞬間、すっと表情を変えた。
――安堵?
いや、見下すような色だった。
「使用人……そうですの」
吐き捨てるような小さな声。
そして、まるで「相手にならない」とでも言うように、つまらなさそうに視線を逸らした。
「彼女はノーナ。僕の従姉妹なんだ」
通学の関係でここに住んでるんだよ、とフェイが説明を足す。
「初めまして。ノーナ・アストリアですわ。――フェイとは将来を誓い合った仲ですの」
彼女はそういうとフェイの腕に自分の腕を絡める。
「ノーナやめないか。何年前の話をしているんだい」
「ノーナと結婚するって言ってくれたのは本当のことじゃない」
「そう言わないと家に帰らせてくれなかっただろう?」
「でも!」
応酬が続く二人。
私は二人の間でただその様子をポカンと眺めることしかできない。
「――ノーナ様。そろそろバイオリンのレッスンのお時間です」
先生がお待ちですよ、と使用人の一人が困ったように言う。
「むう……!仕方ありませんわね」
彼女は「ごきげんよう」と言い残し、くるりと華麗なターンで廊下の奥へと去っていった。
残されたのは、気まずさと居心地の悪さ。
フェイもわたしもタジタジになって、どうしようもなく目を見合わせる。
同時に、なんとも言えない苦笑いが漏れた。
「フェイ様、旦那様が応接間でお待ちです」
「……わかった。リズ、行こうか」
「……はい」
フェイの表情が一気に引き締まる。
「――旦那様、フェイ様をお連れしました」
「ふむ、入りなさい」
通された応接間にいたのは、いかにも貴族といった威厳に満ちた男性。
フェイのお父様――今回手紙を送ってきた張本人だ。
「久しぶりだな」
重い声に、フェイは私が今まで見たことのないほど緊張した表情を見せる。
父と子の会話は淡々と進んだ。
今の生活について問われ、フェイは短い言葉で返す。
いくつかやりとりが続いたあと、父が低く咳払いをした。
「――それで、いつまで夢を追いかけているつもりだ?」
その一言で、フェイの顔はさらに硬くなった。
「もうお前もいい歳だ。いつまでも芽が出ない作家業にしがみつくくらいなら、兄を支えるために帰ってきたらどうだ」
真っ青な顔でぐっと拳を握るフェイ。
反論しようとしたその声を封じるように、父は続けた。
「あと1年だ。それ以上は待たん」
フェイは言葉を失った。
私はその横で、ただ見守ることしかできなかった。
「……失礼します」
部屋を出たとき、フェイは深いため息をついて「……あんなところを見せてすまなかった」と力なく笑った。
その笑みに、胸がきゅっと痛む。
「芽が出ない、なんて……そんなことない。フェイの書く文章は、編集局の方々だって認めているもの。もちろん、私も」
必死にそう伝えると、フェイはわずかに微笑んで「味方でいてくれてありがとう」と返してくれた。
けれど、私の心には影が差していた。
――あと1年。
思わぬかたちで突きつけられた期限。
穏やかだった日々に、暗い雲が立ち込めていくのをひしひしと感じずにはいられなかった。
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