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第二部
風邪と温かいスープと
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朝から風が冷たい日だった。
窓の隙間から吹きこむ空気が刺さって、思わず大きなくしゃみをひとつ。
「……は、はっくしゅん!」
その音に反応して、台所の椅子が引かれる音がした。
フェイが眉を少しひそめた顔で廊下に出てきたのだ。
「リズ、今のくしゃみ」
「ちょっと寒かっただけ」
「顔、赤いよ」
フェイが近づいてきて、迷いもなく額に手を当てた。
冷たい指先が触れた瞬間、身体の奥に隠れていた熱が一気にあぶり出される。
「やっぱり熱がある。ベッドに戻って」
「でも、まだ掃除の途中だし――」
「リズ」
名前を呼ぶ声に、有無を言わせない響きがあった。
彼の瞳がいつもより心配そうに揺れている。
「今日は休んで。僕が代わりにやるから」
「……フェイが?」
「うん。大丈夫、簡単なことくらい出来る」
どうにも怪しい自信に不安を覚えながらも、彼の言葉の端ににじむ優しさがうれしくて、私は素直に頷いた。
「……わかった。じゃあ、お願いするね」
「いい子」
その言葉に思わず頬が熱くなり、視線を逸らす。
熱のせいか、彼の笑顔がやけに眩しかった。
――それから、どれくらい眠っただろう。
まどろんでいると台所の方から何やら「ガタン!」という音が響いた。
嫌な予感がする。
毛布を跳ねのけて廊下に出ると、案の定、台所はまるで小さな嵐でも通ったあとみたいになっていた。
「フェイ!」
床には転がった缶詰、粉まみれの布巾、机に積みあがる皿。
その中心で、フェイがスプーンを片手に肩を落としている。
「……リズ」
「何があったの!?」
「昼の支度を……しようとしたんだけど」
しゅんとした声が、どこか子どもみたいで。
笑いを堪えきれず、私は小さく吹き出した。
「ふふっ……ありがと。すごい惨状だね」
「言わないでくれ。努力はしたんだ」
フェイはそう言って頬をかき、苦笑する。
髪の先には粉が少しついていて、その不器用さが愛しかった。
昼過ぎ。
ノックの音がして、フェイがトレイを手に入ってきた。
「お昼、持ってきたよ。……見た目はあれだけど、味は大丈夫だと思う」
「ありがとう。わ、いい匂い」
ベッド脇の小さな台に置かれたトレイには、湯気を立てるスープと、いびつな形に切られた果物。
スープの香りはどこか懐かしくて、胸の奥まで静かに染み込んでくる。
「フェイが、いちから作ってくれたの?」
「うん。僕が作れる数少ない料理のひとつでね」
そう言って、フェイは少し照れくさそうに、けれどどこか誇らしげに微笑む。
「子供の頃、風邪をひくたびに母さんが作ってくれたんだ」
その声は柔らかくて、思い出を大事に撫でるみたいだった。
……と、その時。
ふと、フェイの手元に目が留まった。
私から見えないように、指先を軽く引いている。
「……フェイ、手どうしたの?」
「え?」
一瞬だけ、言葉が詰まった。
「果物を切るのに……ちょっと手こずっただけ。問題ないよ」
そう言いながらも、視線が泳ぐ。
私はそっと彼の手首を取った。
「だめ。隠さないで、見せて」
「本当に大したことじゃ――」
観念したように差し出された指先には、うっすらと血が滲んだ跡。
皮をむく途中で切ったのだろう。
「……指、切ったんだ」
「情けないよな」
「そんなことない」
私は首を振って、引き出しから絆創膏を取り出す。
フェイの指に触れると、少し驚いたように肩が揺れた。
大きくて、あたたかい手。
その温もりがこちらに伝わってきて、胸の奥がじんわり熱を持つ。
「ね、せっかくだから冷める前に食べてみてほしいな」
「うん、そうだね」
促されて、私はスプーンを手に取った。
ひと口。
舌に広がるのは、やさしい塩気と野菜の甘み。
それ以上に――不器用なくらい真っ直ぐな、フェイの気持ち。
「このスープ、優しい味だね。なんか……あったかい」
フェイは少し考えるようにしてから、ゆっくりと話し出した。
「昔、母さんに言われたんだ。病気の時は“温かいものと、人の気持ち”が一番だって」
「……人の気持ち?」
「うん。料理にこもる気持ちは、食べる人に伝わるんだってさ」
そう言って、フェイは照れたように視線を伏せた。
「そっか。……こういうのが、たぶん“愛情”ってことなんだね」
私がポツリとつぶやいたその言葉に、フェイの動きが止まる。
ゆっくり顔を上げて、私をまっすぐ見た。
「愛情……」
噛みしめるように、低く繰り返す。
「僕は……ずっと、もっと大きなことだと思ってた」
「大きなこと?」
「何かを守るとか、結果を出すとか……そういう、ちゃんと“形になるもの”」
そう言って、フェイは自分の手のひらを見る。
さっき私が絆創膏を巻いた、その指先を。
「でも、これは……」
言葉を探すみたいに、一度息を吸った。
「上手くもないし、役にも立たないし」
「そんなこと——」
「いや」
フェイは小さく首を振る。
「でも、リズが食べてくれて、あったかいって言ってくれて」
胸元に、そっと手を当てる。
「ここが、変になるんだ」
「……」
「満たされた、っていうのとは違う。でも、離れたくないし……もう一度、って思ってしまう」
少し困ったように、けれど逃げずに私を見る。
「……これが“愛情”なら」
「うん」
「僕は、今までずっと、取り違えてたのかもしれない」
そう言って、ふっと笑った。
少し照れて、少し戸惑って、それでも確かに安心した、そんな表情で。
「教えられたわけじゃないのに」
「……」
「リズが食べてくれたから、わかった」
その言葉に、私の方が恥ずかしくなってしまい、視線を逸らす。
カーテン越しの光が、彼の横顔をやわらかく縁取っていた。
翌朝。
熱もすっかり下がって、私はいつものように部屋を出た。
……そして、立ち止まる。
屋敷は――見事に散らかっていた。
微妙に歪んだカーテンに倒れかけの花瓶、少し焦げた鍋。
昨日の奮闘の跡がそこかしこに残っている。
「ふふっ……ほんと、可愛い人」
ちょうどそのとき、寝ぼけたフェイが廊下から現れた。
髪はぐしゃぐしゃ、シャツは裏返し。
それでも、目元にはどこか安心した色がある。
「おはよう、リズ。もう大丈夫?」
「うん。ありがとう、フェイ」
「なら良かった」
互いに微笑みあう。
散らかった部屋の中で、朝の光がやけに澄んで見えた。
今日も、きっと悪くない一日になる。
そう思えたことが、何よりの幸せだった。
窓の隙間から吹きこむ空気が刺さって、思わず大きなくしゃみをひとつ。
「……は、はっくしゅん!」
その音に反応して、台所の椅子が引かれる音がした。
フェイが眉を少しひそめた顔で廊下に出てきたのだ。
「リズ、今のくしゃみ」
「ちょっと寒かっただけ」
「顔、赤いよ」
フェイが近づいてきて、迷いもなく額に手を当てた。
冷たい指先が触れた瞬間、身体の奥に隠れていた熱が一気にあぶり出される。
「やっぱり熱がある。ベッドに戻って」
「でも、まだ掃除の途中だし――」
「リズ」
名前を呼ぶ声に、有無を言わせない響きがあった。
彼の瞳がいつもより心配そうに揺れている。
「今日は休んで。僕が代わりにやるから」
「……フェイが?」
「うん。大丈夫、簡単なことくらい出来る」
どうにも怪しい自信に不安を覚えながらも、彼の言葉の端ににじむ優しさがうれしくて、私は素直に頷いた。
「……わかった。じゃあ、お願いするね」
「いい子」
その言葉に思わず頬が熱くなり、視線を逸らす。
熱のせいか、彼の笑顔がやけに眩しかった。
――それから、どれくらい眠っただろう。
まどろんでいると台所の方から何やら「ガタン!」という音が響いた。
嫌な予感がする。
毛布を跳ねのけて廊下に出ると、案の定、台所はまるで小さな嵐でも通ったあとみたいになっていた。
「フェイ!」
床には転がった缶詰、粉まみれの布巾、机に積みあがる皿。
その中心で、フェイがスプーンを片手に肩を落としている。
「……リズ」
「何があったの!?」
「昼の支度を……しようとしたんだけど」
しゅんとした声が、どこか子どもみたいで。
笑いを堪えきれず、私は小さく吹き出した。
「ふふっ……ありがと。すごい惨状だね」
「言わないでくれ。努力はしたんだ」
フェイはそう言って頬をかき、苦笑する。
髪の先には粉が少しついていて、その不器用さが愛しかった。
昼過ぎ。
ノックの音がして、フェイがトレイを手に入ってきた。
「お昼、持ってきたよ。……見た目はあれだけど、味は大丈夫だと思う」
「ありがとう。わ、いい匂い」
ベッド脇の小さな台に置かれたトレイには、湯気を立てるスープと、いびつな形に切られた果物。
スープの香りはどこか懐かしくて、胸の奥まで静かに染み込んでくる。
「フェイが、いちから作ってくれたの?」
「うん。僕が作れる数少ない料理のひとつでね」
そう言って、フェイは少し照れくさそうに、けれどどこか誇らしげに微笑む。
「子供の頃、風邪をひくたびに母さんが作ってくれたんだ」
その声は柔らかくて、思い出を大事に撫でるみたいだった。
……と、その時。
ふと、フェイの手元に目が留まった。
私から見えないように、指先を軽く引いている。
「……フェイ、手どうしたの?」
「え?」
一瞬だけ、言葉が詰まった。
「果物を切るのに……ちょっと手こずっただけ。問題ないよ」
そう言いながらも、視線が泳ぐ。
私はそっと彼の手首を取った。
「だめ。隠さないで、見せて」
「本当に大したことじゃ――」
観念したように差し出された指先には、うっすらと血が滲んだ跡。
皮をむく途中で切ったのだろう。
「……指、切ったんだ」
「情けないよな」
「そんなことない」
私は首を振って、引き出しから絆創膏を取り出す。
フェイの指に触れると、少し驚いたように肩が揺れた。
大きくて、あたたかい手。
その温もりがこちらに伝わってきて、胸の奥がじんわり熱を持つ。
「ね、せっかくだから冷める前に食べてみてほしいな」
「うん、そうだね」
促されて、私はスプーンを手に取った。
ひと口。
舌に広がるのは、やさしい塩気と野菜の甘み。
それ以上に――不器用なくらい真っ直ぐな、フェイの気持ち。
「このスープ、優しい味だね。なんか……あったかい」
フェイは少し考えるようにしてから、ゆっくりと話し出した。
「昔、母さんに言われたんだ。病気の時は“温かいものと、人の気持ち”が一番だって」
「……人の気持ち?」
「うん。料理にこもる気持ちは、食べる人に伝わるんだってさ」
そう言って、フェイは照れたように視線を伏せた。
「そっか。……こういうのが、たぶん“愛情”ってことなんだね」
私がポツリとつぶやいたその言葉に、フェイの動きが止まる。
ゆっくり顔を上げて、私をまっすぐ見た。
「愛情……」
噛みしめるように、低く繰り返す。
「僕は……ずっと、もっと大きなことだと思ってた」
「大きなこと?」
「何かを守るとか、結果を出すとか……そういう、ちゃんと“形になるもの”」
そう言って、フェイは自分の手のひらを見る。
さっき私が絆創膏を巻いた、その指先を。
「でも、これは……」
言葉を探すみたいに、一度息を吸った。
「上手くもないし、役にも立たないし」
「そんなこと——」
「いや」
フェイは小さく首を振る。
「でも、リズが食べてくれて、あったかいって言ってくれて」
胸元に、そっと手を当てる。
「ここが、変になるんだ」
「……」
「満たされた、っていうのとは違う。でも、離れたくないし……もう一度、って思ってしまう」
少し困ったように、けれど逃げずに私を見る。
「……これが“愛情”なら」
「うん」
「僕は、今までずっと、取り違えてたのかもしれない」
そう言って、ふっと笑った。
少し照れて、少し戸惑って、それでも確かに安心した、そんな表情で。
「教えられたわけじゃないのに」
「……」
「リズが食べてくれたから、わかった」
その言葉に、私の方が恥ずかしくなってしまい、視線を逸らす。
カーテン越しの光が、彼の横顔をやわらかく縁取っていた。
翌朝。
熱もすっかり下がって、私はいつものように部屋を出た。
……そして、立ち止まる。
屋敷は――見事に散らかっていた。
微妙に歪んだカーテンに倒れかけの花瓶、少し焦げた鍋。
昨日の奮闘の跡がそこかしこに残っている。
「ふふっ……ほんと、可愛い人」
ちょうどそのとき、寝ぼけたフェイが廊下から現れた。
髪はぐしゃぐしゃ、シャツは裏返し。
それでも、目元にはどこか安心した色がある。
「おはよう、リズ。もう大丈夫?」
「うん。ありがとう、フェイ」
「なら良かった」
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散らかった部屋の中で、朝の光がやけに澄んで見えた。
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