橋本愛莉というおんな

まなづるるい

文字の大きさ
27 / 97
第四章

27.

しおりを挟む
 お兄ちゃんが帰ってから数時間が経った頃。トイレに行きたくなったあたしは、ナースコールを押さずに自力で行こうと立ち上がった。立つだけなら楽ちんで、なんてことなかったのでそのまま歩きだす。
 あとちょっとで室内にあるトイレに辿り着きそうだったのに、通りすがりの看護婦さんに、「トイレに行きたくなったらナースコールを押してくださいって言われたでしょう」と怒られた。
 別に一人でも行けるのに。
 思っても口にしてはいけないだろうと判断したあたしは、素直に看護婦さんの手を借りることにした。
 だけどいざトイレのドアを開けてくれてもらうと、なんだか介護されてるみたいで恥ずかしいと思った。いくら女の人とはいえ、トイレしてるところをみられるなんて。

「あ、あの。おわったら呼ぶので、外で待っていてくれませんか?」
「だめよ。トイレ中に倒れたりしたら大変でしょ」
「そんな急に倒れたりしませんよ」
「いいから早く済ませちゃって」

 なんとかトイレを済ませると、看護婦さんが車椅子を持ってきた。

「移動する時はこれを使って」

 わ、凄い。これならナースコールを押さなくても自分で移動できそう。

「あ、ちなみにだけど、この車椅子は自分じゃ動かせられないようになってるから。使う時はナースコールで呼んでね」

 なんだ、自分じゃ動かせられないのか。残念。
 とはいえ、好きな時に好きなタイミングで移動できないのが嫌なくらいで、ご飯は問題なく食べれたし、スマホも使えるからそんなに生活には困らなかった。
 消灯時間になると急に辺りが静かになって、いまなら勝手に動いてもばれないんじゃないかと思ってしまう。
 夜の病院って幽霊とかでそうだよね。探検とかしてみたいな……。病院で寝泊まりするなんてそうそう経験できないだろうし、ちょっとだけその辺うろうろしたら戻ってこよう。
 あたしはベットから足を下ろすと、スリッパを履いてゆっくりと立ち上がった。
 ゆっくりと一歩ずつ、廊下を目指して歩いていく。
 ゆっくり、ゆっくり、着実に前へと進んでいると、廊下を誰かが歩いているみたいでドキリとした。
 消灯時間になると患者さんは基本、病室からでないはずなので、看護婦さんか警備の人か。どちらにせよ、みつかったら厄介なのは間違いない。
 どうしよう、戻ろうかな。いや、この位置ならまだトイレに行こうとしてただけにみえるよね。
 幸い、あたしは部屋の真ん中にいる。万が一ばれたとしても言い訳は通用するはずだ。

「……なにやってんの?」
「ひぃっ」

 思わず声がでた。よくよくみれば、目の前にいる人は看護婦さんでも警備の人でもない、此処にいるはずのない人だった。

「……か、鹿児島さん?」

 そう、鹿児島さんだ。鹿児島さんがあたしの目の前にいる。
 え、これは夢?
 だって鹿児島さんは鍵のかかった部屋にいるはずでしょう。こんなところにいるはずがないよ。
 あたしは右手で自分の頬を引っ張った。

「いてて」
「……なにやってんの?」
「い、いぁ。夢かとほもっへ」
「馬鹿ね。で、なんで貴女はこんなところにいるの?」 
「あ、あたし、あのあと三階から飛び降りて……死に損ないました……」

 理由はよくわからないけど、こうして鹿児島さんに会えてよかった。

「あ、あの……生きててごめんなさい」

 鹿児島さんの目がじっとあたしをみつめている。鹿児島さんはいま、なにを考えているんだろう。全然わかんないや。
 沈黙がきつい。そろそろなにか言ってくれないと、余計なことまで喋ってしまいそうで嫌だ。それに、そのうち看護婦さんがきちゃうかも。

「……じゃあ私、そろそろ部屋に戻るから」
「えっ」
「なに?」
「あ……えと……鹿児島さんって、どうやってあの部屋からでてきたの?」

 てっきりなにか言ってくれるかと思ったのに、なにも言われなくて拍子抜けした。それに、どうやってあの部屋からでてきたのかも気になった。

「どうやってって?」
「だ、だってあの部屋、鍵がかかってるでしょ?」
「鍵なんてかかってなかったけど」
「え?」

 そんな馬鹿な。鹿児島さんの部屋に行く時はいつも遠山さんが鍵を使って開けたり閉めたりしてるのに、今日に限って鍵がかかってないなんてことありえるのだろうか。むしろこんな時間だからこそ、鍵はかけとくべきなんじゃ。

「か、看護婦さんが部屋からでてもいいって言ったの?」
「言われてないけど」
「え、じゃ、じゃあ勝手に部屋からでてきちゃったの? だめだよ、早く戻らなきゃ」
「そうだね。貴女も早く戻らないと」

 そうだった。あたしもこれから探検に行こうとしてたんだった。

「わ、わかったから鹿児島さんも早く戻って」

 鹿児島さんはあたしのことをじっとみつめている。まだなにかあるのだろうか。

「か、鹿児島さん?」
「……生きててよかったね」
「え?」
「じゃ、おやすみ」

 鹿児島さん、全然言葉が足りないよ。それってどういう意味で言ってるの?
 嫌味?
 それとも褒めてるの?
 それを聞いてあたしはどう感じたらいいの?
 ていうか、鹿児島さんはなにしに此処にきたの?
 鍵がかかってないなんてことある?
 この時間だけ鍵がかかってないんだとして、その理由は?
 ううん、やっぱりおかしいよ。鹿児島さんは嘘を吐いている。理由はわからないけど、こっそり鍵を開けて夜な夜な病院を徘徊してたりして。
 だけどそんなことをすればすぐに警備の人がくるはずだし、それに監視カメラだって。
 鍵のかかった部屋に監視カメラ。
 このふたつの謎さえ解ければ……解けてしまったら、ひとつの疑問が生まれてしまう。
 知らない方がいいかもしれない。今更知ったところでどうにもできない。鹿児島さんはあの日、学校にきたのかもしれないなんて、思いたくない。
 でも、流の手首に傷なんてなかった。そうだよ。だから少なくとも流を傷つけてはいないんだ。だったらその仮説は成り立たない。
 いまならまだ追いつける。鹿児島さんを追いかけて、本当に鍵がかかってないのか確かめて、それから。
 確かめてどうするの?
 鹿児島さんか流のどちらが嘘を吐いているのかを確かめて、どちらが嘘を吐いていたとしてもあたしはそれに傷ついて、失望して、その負のきもちを飲み込んで、なかったことにして。あたしが勝手に。勝手に。勝手に。
 世の中には知らない方がいいこともあるよ。わかっていても、あたしの足は動いていた。
 廊下をでると、鹿児島さんはまるであたしがくるのを待っていたかのように、廊下をゆっくりと歩いていた。あたしは壁際にある手摺りに捕まりながら、一歩ずつ鹿児島さんに近づいていく。もしも途中で誰かにみつかったら、鹿児島さんもいると言えばいい。
 そんな悪知恵を使う場面もこないままようやく鹿児島さんの部屋の前まで行くと、鹿児島さんは普通にドアを開けて中へと入っていってしまった。
 本当にドアが開いてたんだ。
 ドアの前に立つと、あたしはドアノブに触れてみた。
 いまならドアが開くのかな。緊張で心臓がドキドキする。
 ドアノブを回してみると、カチッという音がした。
 あれ、いまの音、なに。
 あたしはもう一度ドアを開けてみようと試みた。

「……開かない」

 もしかして鍵を閉められた?
 それとも自動で鍵がかかったの?
 とにかく鍵は開いていた。だから鹿児島さんは部屋からでれた。それで解決。これ以上深堀りはしない。
 そう思っていたのに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

還暦妻と若い彼 継承される情熱

MisakiNonagase
恋愛
61歳の睦美と、20歳の悠人。ライブ会場で出会った二人の「推し活」は、いつしか世代を超えた秘め事へと変わっていった。合鍵を使い、悠人の部屋で彼を待つ睦美の幸福。 しかし、その幸せの裏側で、娘の愛美もまた、同じ男の体温に触れ始めていた。 母譲りの仕草を見せる娘に、母の面影を重ねる青年。 同じ男を共有しているとは知らぬまま、母娘は「女」としての業(さが)を露呈していく。甘いお土産が繋ぐ、美しくも醜い三角関係の幕が上がる。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写と他もすべて架空です。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

処理中です...