橋本愛莉というおんな

まなづるるい

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第四章

28.

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「昨日、私のあとをついてきたでしょ」
「え?」

 それは次の日のお昼過ぎに鹿児島さんに会いに行った時のことだった。ついさっきまで他愛のない話をしていたはずなのに、急に鹿児島さんに質問されたあたしはびっくりして鶴を折る手が止まってしまった。

「な、なに言ってんの」
「私が部屋に入ったあと、ドアを開けようとしたでしょ」
「……いいえ」
「鍵、閉めちゃってごめんね」

 やっぱり鹿児島さんが鍵を閉めたんだ。あたしがついてきてるのを知っててわざと閉めた。意地悪だ。
 どうしてそんな意地悪するの、ともやもやしていると、鹿児島さんが口を開く。

「わからなくていいんだよ」
「え?」
「わからないことはわからないまま蓋をして閉じるの。それが賢い選択」

 鹿児島さんにはきっと、誰にも知られたくない秘密があるのだろう。それをあたしが根掘り葉掘り聞いちゃだめなんだ。
 なら聞かない。聞かないけど、これだけは教えてほしい。

「……じゃあ、最後にひとつだけ教えて」
「なに?」
「生きててよかったってどういう意味?」
「そのままの意味だけど」

 ああそうか、鹿児島さんはそういう人なんだ。
 例えばあたしを心配してくれたとか、あんなこと言って本当は後悔したとかそういうのは一切なくて、あたしはただたんに額面通り受け取ればいい。良くも悪くも、鹿児島さんの言う言葉に深い意味なんてないんだ。だから傷つく必要も、それに従う必要もなかった。
 鹿児島さんはそういう人なんだと割り切るとなんだかすっきりした。あんなにあったもやもやが綺麗さっぱりなくなったみたい。
 あたしはなにも気にしなくていい。深く首を突っ込めば、後悔するのはあたしの方。だったらなにも知らずに笑っていたい。知らなくたって、友達でいられるし。

「できた! はい、鹿児島さん。今日の鶴!」

 ピンク色の鶴を鹿児島さんに渡すと、あたしはにこりと笑ってみせる。

「……千羽鶴を目指してるの?」
「千羽鶴にならないようにしてるの!」

 前のあたしはどうして鹿児島さんを虐めてたのか。鹿児島さんと話していると、本当にそれが疑問でしょうがない。
 だって鹿児島さん、声が小さいだけで普通に話してくれるし、あんまり笑わないけどそれが鹿児島さんのいいところだと思うから。
 だからあたしが鹿児島さんを虐めてたのは、本当にあたしの八つ当たりだったんだと思う。あたしなんかの言葉に左右されて、鹿児島さんが傷ついた。
 それなのにいま、こうしてあたしと仲良くしてくれている。鹿児島さんは優しいね。
 そんな鹿児島さんをあたしはもう傷つけたくない。

『思いださない方がいいよ』

 え?
 いまの声はなに?
 いつもなら過去の記憶がフラッシュバックしてたのに、いまのは違う。誰かがあたしに忠告してた。
 思いださない方がいい?
 それっていったいなんのこと?
 考えていると、突然ドアがコンコンとノックされた。

「お、お兄ちゃん? どうしてこの場所がわかったの?」
「部屋に行ったら愛莉がいないから看護婦さんに聞いたんだ。そしたら同じ病院に愛莉の友達がいるから、そこにいるんじゃないかって」
「そ、そうなんだ」
「……そこにいるのが鹿児島さん?」
「あ……うん」
「いまは安静にしてって言ったじゃん。なんで会いに行ってんの?」
「ご、ごめんなさい。でも、部屋にじっといるのも退屈だし、リハビリを兼ねて歩こうと思って」

 ふと、お兄ちゃんの声が小さくなった。

「……あいつが愛莉に死ねって言ったんだよな?」

 そんな言い方しなくてもいいのに。

「お、お兄ちゃんあのね」
「死ねって言われたから飛び降りて、結局あいつに言ったのか? 生きててごめんなさいって」

 言った。確かに言った。

「愛莉、あいつとはもう関わるな」
「え?」
「じゃないと愛莉が殺される」

 お兄ちゃんのきもちはわかるよ。わかるけど、そんな言い方しなくたっていいじゃん。あたしはあたしが鹿児島さんと話したいから話してるんだよ。あたしの友達をお兄ちゃんが決めないで。

「……誰?」

 背後から鹿児島さんの声がした。

「あ、あたしのお兄ちゃん」
「ああ……どうも」
「俺の妹に死ねとか言うの、やめてもらえます?」
「ちょ、お兄ちゃん!」

 ああもうどうしよう、鹿児島さんにいきなり喧嘩を売るなんて。
 空気が悪すぎる。できることならいますぐ此処から逃げだしたい。逃げないけど。

「……シスコン?」
「は? いまなんて言いました? よく聞こえなかったんですけど」
「やめてよお兄ちゃん、こんなところで! 鹿児島さんも、お兄ちゃんを煽らないで!」

 とにかく二人を引き離さないとと思ったあたしは、お兄ちゃんの身体をぐいぐいと押すけどお兄ちゃんはビクともしなかった。これが男女の力の差……なんか悔しい。

「あたしのことなら大丈夫だから、お兄ちゃんはもう帰って!」
「愛莉、友達は選びなさい。いまの愛莉ならいくらでも選びなおせるんだから」
「選びなおすとか意味わかんないから! それに例え選びなおしたってあたしは鹿児島さんを選ぶよ!」
「鹿児島さんはだめだ」
「は? なんでそんなことお兄ちゃんに言われなきゃなんないの?」
「だって愛莉は鹿児島さんに」

 あたしが鹿児島さんに、なんだというのだろう。

「……愛莉ちゃんのお兄さん」

 鹿児島さんが、いつの間にかあたしの背後に立っていた。それよりも驚いたのは、鹿児島さんがあたしのことを愛莉ちゃんと呼んだこと。お兄ちゃんの前だからだと思うけど、なんだかその呼び方はドキッとする。

「私、以前はどうであれ、いまは愛莉ちゃんと仲良くしてるので、お兄さんは口を挟まないでいただきたいです」
「……だめだ」
「お兄ちゃん!」
「きみだけはだめだ、鹿児島さん」

 どうしてお兄ちゃんはそんなに鹿児島さんを否定するの?
 もしかしてなにか知ってるの?
 知ってるんだったら教えてほしい。例え知らない方が幸せだったとしても。

『愛莉ちゃんは、どうして生きてるの?』
『は?』
『だって愛莉ちゃん、お兄さんに愛してもらえなかったんでしょう? 家族でもなければ恋人にもなれないなんて可哀想。なのにどうして生きてるの? 変な愛莉ちゃん』

 え?
 なに、いまの記憶。鹿児島さんがあたしにそんなこと言うわけないのに。

「お……にい、ちゃん」
「愛莉?」
「鹿児島さんは、あたしとお兄ちゃんのことを知ってるの?」
「え?」
「あたしは、変なの?」
「愛莉?」
「お兄ちゃんと結婚できないのに生きてるあたしは変なの?」
「愛莉、落ち着いて」
「あたし、鹿児島さんに変って言われて、それで」

 それであたしは鹿児島さんの髪を引っ張って、馬乗りになって。

『死ね!』

 そう言ったのに鹿児島さんは笑っていて。

「愛莉!」

 お兄ちゃんがあたしを強く抱き締める。

「……もう思いださなくていい……なにも思いだすな……」

 あたしが鹿児島さんに八つ当たりしてたわけじゃなかったんだ。鹿児島さんがあたしに変だって言ったから。だからあたしは鹿児島さんを敵視した。

「……鹿児島さん……」
「なに?」
「鹿児島さんは、あたしのことが嫌いなの?」
「うん、大嫌い」

 そういう時は笑うんだね。笑った顔、可愛いのに。
 鹿児島さん、あたしは鹿児島さんのことが好きだよ。クールで優しくて、一緒にいると楽しくて。
 だけど鹿児島さんは違ったんだね。あたしだけ、馬鹿みたい。

「……鹿児島さんは本当は学校に行ったの?」
「行ってない。だけど、二人の関係が壊れればいいと思ったよ」

 二人の関係。あたしと流の関係。
 流と鹿児島さんで示し合わせたわけではないけど、流の悪戯に鹿児島さんが便乗したんだ。そんなことも知らないであたしはまんまと踊らされて、本当なにやってんだろ。

「愛莉、部屋に戻ろう。もうこんなところにきちゃだめだ」

 もう抵抗する力は残っていなかった。お兄ちゃんに引き摺られながら部屋をでるあたしを、鹿児島さんは一度も止めてくれなかった。これが答えなんだと思った。
 もう嫌だ。もうなにも思いだしたくない。思いだしたってひとつもいいことないんだもん。
 部屋に戻るとあたしはベットの上でぽろぽろと泣いていた。お兄ちゃんはさっきから丸椅子に座って黙っている。
 あたしって鹿児島さんにも嫌われてたんだ。小長井さんや柚留ちゃんだけじゃなくて、鹿児島さんにも嫌われていたなんて。
 自惚れていた。
 そもそもあたしが鹿児島さんを虐めてたのに、どうして仲良くできてると思えたんだろう。そんなの、よく考えなくてもわかることなのに。

「……お兄ちゃん、ティッシュとって」

 鼻が詰まって苦しいから思いきり鼻をかんだ。それでもまだ息は苦しくて、何度も鼻をかむ。

「……苦しい」
「え?」
「鼻が詰まって、息が苦しい」
「……それは鼻が詰まってるからじゃなくて、心が苦しいんだ」

 心が苦しいなんて変なの。
 それから一週間後、あたしは退院した。あの日以来、鹿児島さんとは会っていない。お兄ちゃんにも会うなって言われてるし、もしかしたらもう二度と鹿児島さんとは会えないかもしれない。
 鹿児島さんはどうしてるかな。あたしがいなくてもなにも変わらないのかな。お別れの挨拶くらいしたかったな。
 会えなくても鶴は毎日折っていた。いくら折ったところで渡す機会はないんだけど。それでも折らないと落ち着かなくて、このままじゃ千羽鶴になっちゃいそうで。
 いつか千羽鶴になったら野に放とうかな。ごみを捨てるなって怒られちゃうかな。
 制服に身を包んだあたしは、リビングへと向かった。

「今日くらい休んだっていいのに」
「平気だよ。もう普通に歩けるし」

 心配性なお兄ちゃん。あたしの大好きなお兄ちゃん。あたしがこんなに好きなのに、ちっともこっちをみてくれないお兄ちゃん。
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