橋本愛莉というおんな

まなづるるい

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第四章

29.

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「いってきます」

 久しぶりの学校はなにも変わっていなかった。教室に入るとシンとして、一斉に皆があたしに視線を向ける。そしてその中心には流がいた。流が小長井さんと一緒にいた。

「……なんで小長井さんと一緒にいるの?」

 本当になんで?
 流はあたしの味方なんじゃなかったの?
 小長井さんのこと、格好悪いって言ってたじゃん。必死すぎてきしょいって言ってたじゃん。なのにどうしてあたしがいない間に二人が仲良くなってるの?
 おかしいよ。おかしいでしょ。おかしいじゃん。

「あたしが誰と一緒にいようと関係ないじゃん。愛莉はずっといなかったんだし」

 至極真っ当な意見だと思う。だけどさ、そうじゃないじゃん。そんなんだからあたしは。

「もう……流がなに考えてるのかわかんないよ……」

 柚留ちゃんに嫌われて、小長井さんにも嫌われて、鹿児島さんにも嫌われて……あたしにはもう、流しかいないのに。
 わけわかんないことしないでよ。流だけがあたしの味方だったのに。
 感情がぐちゃぐちゃになる。立て続けにあたしという存在を否定されてるみたいで胸が痛い。

「は? 意味わかんないんだけど」

 苦しいよ、お兄ちゃん。あたし、上手に息吸えてる?

「愛莉ぃ、久しぶりじゃん!」

 わざとらしく笑顔を作ってあたしの肩にぽんと触れる小長井さん。そしてあたしの耳元で囁くのだ。

「ざまぁみろ」

 ほらね。優しいふりして皆あたしに酷いこと言うの。わかってるんだから。もう騙されない。もう信じない。学校にいる奴等は皆、敵だ。

「ね、なんで学校くんの? あんたの居場所なんて何処にもないのに」

 でる釘は引っこ抜いてやらないといけないのに、いくら抜いたってこいつは生えてくる。こんな奴がいるからあたしの居場所がなくなるんだ。こいつさえいなければ。こいつさえ、こいつさえ、こいつさえ。

「きゃああああああっ」

 教室中に黄色い悲鳴が響き渡る。あたしの手には、いつの間にかカッターが握られていた。

「……っ」

 小長井さんは左腕を押さえている。まるであたしにカッターで切られたみたいに痛みで顔が歪んでいる。

「……あ」

 切られたみたいじゃなくて、あたしが切ったんだ。皆がいる前で小長井さんに制裁を。

「なに……すんだよ……」

 可哀想に。痛みと恐怖で声が震えてるよ。まさかこんなところであたしにカッターで切りつけられるなんて夢にも思ってなかったでしょ。

「……はは、ざまぁみろ♡」

 当然、教室の空気は凍るわけで、あたしが小長井さんをカッターで傷つけたという噂は一瞬にして広まった。
 ただでさえいきなり事故で記憶をなくして目立っているのに、学校で傷害事件を起こすなんて悪目立ちもいいとこだ。
 あれからあたしはすぐに担任に呼びだされて、碌に事情も聞かれないまま、何故かあたしに同情された。
 橋本さんは記憶をなくして混乱してるからしょうがないよ。
 こんなに沢山の人達がいれば、喧嘩だってするだろうし、ましてや相手は小長井さんだから。
 でもまぁ、向こうも軽い怪我だから。橋本さんがそんなに気にする必要はないから。
 云々。
 あたしがなにをしたって全部、記憶をなくして混乱してるからしょうがないよで済まされる。
 ましてや相手は小長井さんだからってなに?
 確かに小長井さんはあんまり学校にきてなかったけど、それだけで問題視するのは担任としてどうかと思う。軽い怪我だから気にしなくていいとかよくわかんないし。怪我が軽かろうが重かろうが関係なくない?
 人を傷つけたんだから重罪じゃない?
 カッター没収しなくていいんですかって聞いたのに、それは自分の身を守るために持っておきなさいってなに?
 あんたそれでも担任かよ。こんなのあたしに持たせといたらまた誰かを傷つけるかもとか思わないの?
 もやもやとしたきもちを抱えたまま職員室からでると、あたしをみるなりひそひそと話す知らない女子生徒達がいた。
 あの子が友達を怪我させたんだって。
 教室でカッターを振り回したってほんとかな?
 同じクラスじゃなくてよかったぁ。
 あの人ってあれでしょ、事故で記憶をなくしたとかって。
 煩いなぁ。全部聞こえてるよ。
 こんなに噂が広まってるんだから、きっと高松ももう知ってるよね。いきなりカッターを振り回すような女なんて軽蔑するに決まってる。
 あたし、本当に独りぼっちになっちゃった。 記憶をなくしただけなのに。ううん、例え記憶をなくさなかったとしても、あたしは独りぼっちになっていたのかな。

「……帰ろ」

 どうせ教室にいたって白い目でみられるんだから帰ったっていいよね。高校は義務教育じゃないんだし。あたしが鞄を持って教室をでていく間も、誰もあたしを止めてはくれなかった。
 そうだよね、知ってたよ。流でさえもあたしに声をかけてくれないんだ。
 クラスは騒がしいまま、ドアを閉めればクスクスと誰かの笑い声がする。
 あたしはそのまま、学校から逃げるようにして帰った。
 家に帰るとお兄ちゃんがリビングにいた。いつものようにソファに座って、スマホを弄りながら寛いでいる。

「おかえり、愛莉」
「……ただいまお兄ちゃん」

 学校ではあんなに荒れてるのに、家に帰ればいつもと変わらないお兄ちゃんがいてほっとする。本当は甘えたいけど、今回はあたしが悪いので黙っておこう。もしかしたらあとで担任から電話がくるかもしれないのに悪知恵が働いた。
 そういえば、最近柚留ちゃんをみかけなくなった。
 柚留ちゃん、元気かな。
 あたしは久しぶりに柚留ちゃんの部屋の前までくると、ドアをコンコンとノックした。
 反応はない。
 嫌われてたっていいから生存確認がしたかった。
 いや、もし柚留ちゃんになにかあればお兄ちゃんが黙っているはずはないんだけど。

「柚留ちゃん? ドア、開けるよ?」

 ドアを開けると言った時に慌てた様子で、「開けるな!」と言われることを予想してたけど、それでも反応のないことに違和感を覚えた。
 嫌な予感がした。もしかして中で倒れてたりしないよね?
 キィ、とドアを開けると、あたしの予想を遥かに超える光景が目の前に広がっていた。

「柚留……ちゃん……?」

 柚留ちゃんがいない。というよりも、塵ひとつ落ちていない。柚留ちゃんも柚留ちゃんの物もなにひとつ見当たらない。
 あたしが知らないだけで、最初からこうだった?
 そんなはずないよね。新居と変わらずベットも机もない部屋で生活するなんてむりだもん。
 だとしたら柚留ちゃんは何処に行ったの?
 もしかして家出?
 お兄ちゃんはこのこと知ってるの?
 玄関に行くと、柚留ちゃんの靴はなかった。
 いつからなかったんだろう。全然気がつかなかった。
 お兄ちゃんに知らせなきゃ。柚留ちゃんがいなくなったって。知ってたならどうして教えてくれなかったのって文句言ってやる。

「お兄ちゃん、柚留ちゃんが……っ」
「柚留? 柚留がどうしたの?」

 別に言わなくてもいいんじゃない?
 お兄ちゃんが知っていようがいまいがどうだっていいじゃん。せっかく二人きりになれたんだし、わざわざ連れ戻してどうすんの。
 それにいくら普段部屋に引きこもってるからっていままでいないことに気がつかなかったってことは、いてもいなくても同じってことじゃん。
 いてもいなくても同じならいなくたっていいじゃん。ううん、むしろいない方がいい。これでやっと……やっと、柚留に邪魔されなくて済むんだから。

「……ううん、なんでもない」

 あたしはにこりと笑顔を浮かべると、何事もなかったかのようにソファで漫画を読み始めた。 
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