橋本愛莉というおんな

まなづるるい

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第五章

31.

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 次の日の朝、学校に行くと高松がいた。こいつ、愛莉のことが好きなんだよな。いるよねたまにこういう奴。偽善者ぶってる女が好きなきしょい男。

「あ、おはよう橋本」
「……はよ」

 でもこいつってあれだよね。ちょっと顔がいいからってなんでも許されると思ってるタイプというか、まさにあたしの嫌いなタイプなんだよね。

「あのさ、高松ってあたしの何処が好きなの?」
「えっ……さ、最初にも言ったと思うけど、橋本ってなんか雰囲気変わったじゃん。前はちょっと近寄り難い感じだったけど、最近は可愛いなって」
「だからあたしとも仲良くなりたいと思ったんだ?」
「え、うん……えっと、橋本なんか怒ってる?」
「怒ってないよ? なんで?」
「だってなんか、雰囲気が」
「雰囲気が?」
「雰囲気がいつもと違うから」
「高松、あたし、思いだしたの」
「え?」
「高松が色んな女と遊んでるってこと」
「えっ……そ、そんなこと」
「あたしが記憶をなくしたって聞いて、ラッキーとでも思ったんでしょ? あたし、顔だけはいいもんね」
「あ、遊んでなんかないよ。美樹みきちゃんも美穂みほちゃんも可愛いし、すみれちゃんや愛香まなかちゃんだって可愛いし」
「うんうん、皆可愛いね。高松は無自覚なんだよね。遊んでるつもりなんてこれっぽっちもなくて、皆平等に好きなんだよね。だけどねあたしはそういう高松が嫌いなんだよね。だからごめんね、ばいばい」

 高松が後ろでなんか言ってた気がするけど、あたしにはなにも聞こえなかった。
 それにしても愛莉ってまじ馬鹿じゃん。あんなのに引っかかるなんて。あのまま口説かれてたら好きになってたんじゃないの?
 あたしの身体はお兄ちゃんのなんだから、他の男で上書きなんてしないでよ。
 結局、愛莉の味方なんて一人もいなかったな。考え方は変わっても根本的なところは変わってなかったもんね。
 もう二度とこっちにでてこられないように、愛莉がいままで築いてきた関係をぐちゃぐちゃに壊してやろうか。
 あたしは教室のドアを派手に開けると、果歩と流の姿を目視した。

「……愛莉?」

 とくに流。あんたはなにがしたいのかさっぱりわかんなかった。友達ごっこのつもりなの?
 一歩ずつ流に近づいていくと、あたしは流の髪を強く引っ張って椅子から引き摺り落としてやった。

「いたっ、いたたたたた! ちょっとぉ、いきなりなにすんのよ!」

 髪を押さえながら怒る流。それが当然の反応だ。
 それに対して果歩は流を心配するでもなく、あたしに怒りをぶつけるでもなく、ただじいっとあたしを観察している。

「……もしかして記憶が戻ったの?」

 果歩は昔からそうだよね。誰よりも冷静にまずは相手を観察してから分析をする。そしてそれは大抵当たってる。

「え、本当なの? 愛莉」
「……流石果歩。ちょっと流の髪を引っ張っただけでわかるなんて凄いね」

 あたしは果歩ににこりと笑ってみせた。

「……び、びっくりしたぁ。急に髪引っ張るからなにかと思ったよぉ」

 言いながらへらへらと笑う流。流のそれ、知ってるよ。空気を読んでくれてるんだよね。自分が虐めの対象にならないように。誰だって虐められるのは嫌だ。あたしもそう。だからあたしは人の上に立っている。
 上に立つことで自分を守っているうちに、上に立つことが楽しくなった。上からの景色は絶景で、もう二度と下には落ちたくないと思った。
 下にいた時にはみえなかった下の奴等の表情が、いまではこんなにもはっきりみえている。あたしの一挙一動に皆が怯えている様が最高に可笑しくて堪らないの。

「流」
「なに?」

 あたしは流の左頬を強く平手打ちした。
 もの凄い音がした。ぺちんなんて生易しい音じゃなくて、ばちんという強い音。
 凍る教室、なにが起こったのかわからない様子の流、冷静なままの果歩。あたしはとても退屈していた。

「……え、……っ、ど、どうしたの、愛莉」

 なんて弱々しい声なんだろう。混乱する頭で必死にどう立ち回るのが正解か考えているんだね。
 どうしてあたしが? って思っているでしょ。それでいいの。それがいいの。そうでなければ面白くないもの。

「流、桐原きりはらとキスして」
「……は?」
「はじゃなくて。いますぐ此処で桐原とキスして」

 やっぱり男女の絡みがあると盛り上がるよね。
 あたしは流と桐原を近づけると、二人を煽ってみせた。

「キース! キース! キース! キース!」
「え……ちょ、ちょっと愛莉、冗談きついってば」
「桐原もほら、男ならリードしてあげなよ」
「や、やだやだやめて! 桐原となんて嫌だ!」
「桐原が嫌ならぁ……増渕ますぶちでもいいよぉ?」
「い、嫌よあんなデブ!」
「じゃあ桐原でいいじゃん。顔は悪くないと思うけど?」

 もたもたすんなよ。中の上となら文句ないはずでしょ?
 それともイケメンとならするわけ?

「それとも高松とする?」
「た、高松は……愛莉のことが好きじゃん……」
「うん。でもさっき振ったから」
「え?」
「だから気にしなくていいよ。あいつイケメンじゃん。キスくらい簡単にしてくれるよ」
「……だ、だめ……」
「なんで? 高松とキスなんてしたら、ほんとに好きになっちゃいそ?」

 流の頬が真っ赤に染まる。どうやら図星だったらしい。だったら桐原とキスさせるより、高松とさせた方が面白いかな?

「よし、いまから一組に行こう」
「は? な、なんで」
「そんなの、高松とキスするために決まってんでしょ」

 愛莉のことが好きな高松が、あたしの目の前で流とキスするとか最高じゃん。
 ねぇ愛莉。あんたはいま、何処にいるの?
 あんたもあたしの視界を通してみてたりする?
 教えてあげる。高松って、誰とでもキスするんだって。あんたじゃなくてもいいんだって。
 あたしは流を連れて一組に行くと、開いてるドアから高松を目視して名前を呼んだ。

「高松!」
「……橋本? もうすぐ授業始まるのにどうしたの?」
「高松、ちょっときて」

 高松を廊下に呼ぶと、高松の目の前に流を差しだした。そして。

「高松、流とキスしていいよ」
「え?」
「流が高松とキスしたいってさ」
「え、ほ、ほんとに?」
「ほんとだってば。ね、流」

 流は少しの間、困ったような素振りをした。だけどやっぱり教室戻ろうとか言わない辺り、流もまんざらではないのだろう。本当に嫌ならこんなところまでついてこないし、いつでも逃げれたはずなのに。
 沈黙をいえすと捉えたのか、高松はあたしの方をちらりとみると、「橋本はそれでいいの?」と聞いてきた。

「流とキスするのにどうしてあたしの許可がいるの? 流がしたいって言ってんだからすればいいじゃん。あたしがいて恥ずかしいならあっち向いてるし」
「い、いや。橋本はそこにいてくれて構わないよ」

 まじかこいつ。仮にも自分の好きな女にその友達とキスしろとか言われてんのに、自分の好きな女にその友達とキスするところをみてほしいなんて変態かよ。

「えっと……そろそろ先生きちゃうし、サクッとしちゃおっか」
「え……っ、う、ん」

 ほら、ちゃんとみて。愛莉を好きだと言ってた男が躊躇いもせずに流とキスするところを。流なんか恋する乙女みたいになっちゃって可愛いね。
 高松と流の唇が微かに触れると、あたしはスマホを手にして写真を撮った。
 やった。あとはこれを皆にみせて晒しあげればいい。橋本愛莉に好意を寄せてた高松翔太は、橋本愛莉の目の前で坂上流とキスをしたってね。そうすればきっと炎上する。ああ、なんて楽しいんだろう。

「……あ、愛莉?」
「ん?」

 流が心配そうな表情であたしをみてる。そんなに心配しなくても、流は被害者なんだから気にしなくていいんだよ?
 炎上するのは高松だけ。無自覚な浮気野郎に制裁を下すんだ。

「どうして泣いてるの?」

 は?
 あたしが泣いてる?
 そんなわけないじゃん。流ってばなにを言ってるの?
 半信半疑で頬に触れてみると確かに冷たくて、そこで初めて自分は泣いているんだと気がついた。

「え……なにこれ……」

 これはあたしじゃない。あたしが泣いているんじゃない。だってあたしは悲しくない。むしろ楽しいと思ってる。だからこれはあたしじゃない。この涙は愛莉のだ。
 あは、ざまぁみろ。やっぱりそうなんだ。愛莉はあたしの中にいて、あたしの視界からこちらの世界を覗いてる。
 可哀想な愛莉。可哀想だからずっとそこでみてていいよ。そこは真っ暗で誰もいないから怖いでしょ。

「は、橋本、大丈夫?」

 そう言ってあたしに触れようとする高松の手をぺちんと振り払うと、あたしは教室へと戻った。
 気色悪い。流とキスしといてよく平気で愛莉の心配ができるよね。

「……これでわかったでしょ。高松はああいう男なんだよ」

 あたしは愛莉に言い聞かせるようにぽつりと呟いた。
 だけど愛莉に言い聞かせるように言ったはずなのに、あたしの心はあたしの意に反してズキズキと痛んでいた。
 心と身体がバラバラになったみたい。元はどちらもあたしのだったのに、愛莉が入ってきたことで心はあたしに、身体は愛莉になっちゃった。
 でも平気だよ。だって愛莉はそのうち消えるもん。そしたらもう、勝手に涙がでてくることも心が痛むこともなくなる。それまではそこで大人しくみてればいいよ。
 教室に戻ると、果歩が変な顔であたしのことをみつめていた。そんな苦虫を噛み潰したような表情でみなくてもいいのに。変な奴。

「なぁに果歩」
「……流と高松、キスしたの?」
「そりゃしたよ。してなかったら戻ってきてないし」

 あたしが得意気に答えると、果歩は大きな溜息を吐いた。

「は、やっとあたしの記憶が戻ったのになに浮かない顔してんの?」
「いや……あんたはそういう奴だったなと思って」
「あはは、なにを今更」

 歓迎されてないのはわかってる。愛莉を虐めてた果歩は楽しそうだった。そうだよね。普段はそんなことできないもんね。一瞬でも自分があたしより上に立ててきもちよかったんでしょ。
 どんなに底辺にいる人間でも、一度上に立てばそのきもちよさに酔いしれる。人間なんてそんなもんなんだから、甘い蜜を吸った果歩がそうなるのはしょうがないよ。
 でもそれももうおわり。あたしがきたからにはまたあたしが一番下まで蹴落としてあげる。上に立つべきなのはあんたじゃなくてあたしなんだって、ちゃんとわからせてあげなくちゃ。

「ねぇ果歩」
「なに?」
「果歩はさぁ、あたしに馬乗りになって、何度も何度も殴ったよねぇ」
「……え?」
「あたしね、記憶がなかった間もちゃんと覚えてるんだぁ。だから果歩があたしになにしたか、ちゃぁんと覚えてるよ?」

 果歩の表情が一気に青ざめていく。

「果歩さぁ、あたしの頬に傷つけたよね?」
「そ、それは愛莉があたしの顔を傷つけるからじゃん」
「でもさ、あたしの記憶がいつか戻るかもとは思わなかったの? 記憶が戻った時に頬に傷がついてたらあたしがどう感じるか考えなかった? そもそも記憶はなくても身体はあたしなんだから、傷つけちゃだめだとは思わない?」

 言い淀む果歩。言い訳もできないなら最初からしなければいいのにね。それとも記憶がないのをいいことに、やられたらやり返せばいいとでも思った?
 どいつもこいつも好き勝手しやがって。愛莉が築き上げてきた関係なんて、全部壊してやる。そうじゃないと気が済まない。
 あたしはずっと、この目を通してみてきたの。言いたいこともやりたいこともグッと我慢してみてきたの。やっとあたしの意思で動けるようになったんだから、全部壊してやらなきゃ気が済まないと思うのは当然でしょう。

「えと……ご、ごめ」
「まさかごめんなんて言わないよね? あれだけのことをしといて、謝ればあたしが許すとでも思ったの? 果歩ってそんなに馬鹿だったっけ? 違うよね?」

 愛莉の前ではあんなに気が強かった果歩が、あたしにちょっと言われただけで黙っちゃった。それが堪らなくきもちよくて、忘れかけていた感覚が蘇る。
 これでいい。これがいい。あたしが果歩や流と対等な立場にいるわけがないでしょう。あたしはもっと、高いところにいるんだから。
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