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第六章
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「こんにちはぁ! 加賀さんいますう?」
あたしは加賀さんの働いている喫茶店に行くと、開口一番、加賀さんを指名した。
「……いらっしゃいませ」
加賀さんは今日も最高に格好良かった。いつもの席に案内されると、加賀さんはこちらをちらりとみる。
「ご注文は?」
「あ、えっと、此処って食べるものありますか?」
「お食事ですと、パスタくらいしかありませんが」
「あ、じゃあパスタでお願いします!」
「お飲み物はなにに致しますか?」
「えっと、加賀さんのおすすめで!」
「かしこまりました」
なんでもいいから早く口に入れたかった。お腹が空きすぎて落ち着かないあたしは、ひたすらに髪を弄り倒していた。
しばらくして運ばれてきたパスタは、ミートソースのパスタだった。あたしはそれを五分程度で完食した。
食欲が満たされたからか、急に眠くなってきた。うとうとしていると加賀さんがあたしの前にきて、「眠いですか?」と聞いてくる。
「あ、はい。なんだか食べたら眠たくなってきちゃいました」
「そうですか。なら眠ってもいいですよ。むしろ、きみは眠った方がいい」
「へ?」
眠った方がいいってどういう意味だろう。ああもうだめ、さっきから欠伸ばかりでてくる……。
「ゆっくり寝て、落ち着きを取り戻してください。起きた時にまた話を聞いてあげますから」
最後の方はよく聞こえなかった。あたしは強い睡魔に襲われて、そのまま眠ってしまったらしい。
目を覚ますと向かいの席に加賀さんがいた。いまは接客中ではないのだろうかと辺りを見回してみると、あたし以外、誰もいなかった。
「おはようございます、愛莉さん」
「え……あ、おはようございます……あれ、あたし寝て……え、お客さんは?」
「もう他のお客様はお帰りになりましたよ」
「えっ、あたし、どのくらい寝てました?」
「さぁ?」
さぁ? じゃないでしょ……と思いつつ、スマホで時間を確認すると、すっかり夜になっていた。
信じられない。加賀さんのお店で夜まで爆睡するなんて。あたしがお兄ちゃんの妹だから怒られなかっただけで、普通なら出禁になるところだよ。
「……ご、ごめんなさい。あたし、かなり迷惑な客ですよね」
「まぁ、生きていれば色々とあるでしょうから」
「え?」
「またなにかあったんですよね。此処にきた時の愛莉さんは、やけにテンションが高かったので」
参ったな。加賀さんにはなんでもお見通しなんだ。
「……学校に、柚留ちゃん……あたしの妹がきたんです」
あたしは加賀さんの好意に甘えてぽつりぽつりと話し始めた。
「あ、妹って言っても血は繋がってないんですけどね。それで、柚留ちゃんが学校にきて、あたしに何度も死ねって言ってきたんです……あたし、ずっとスマホの電源切ってて、柚留ちゃんからの連絡無視してて……」
一度蓋を外してみると、抑えていた感情がどばどばと溢れだす。あたし、こんなに我慢してたんだ。話しているうちにだんだんと早口になっていく。
加賀さんはそんなあたしの話しを遮ることなく、黙って聞いてくれていた。
「柚留ちゃんはあたしのことが嫌いなんですあたしがお兄ちゃんを恋愛対象としてみてるから他人のくせに家にいて妹面してお兄ちゃんの傍にいるんだからそう思われても仕方のないことなのにあたしが勝手に傷ついてそれでもあたしには此処しかないんだって居座り続けた結果がこれですよきっかけは柚留ちゃんがでていったからだけど柚留ちゃんがでていくきっかけになったのはあたしであたしがお兄ちゃんの傍にいるから柚留ちゃんはずっと不快なきもちを抱いててそれを吐きだす居場所もなくてあたしが柚留ちゃんの居場所を奪ってたそんなことにも気づかないであたしはまた勝手に傷ついて柚留ちゃんが怒るのもむりないのに何通も何通も柚留ちゃんからメッセージがきてなんでまだ生きてんのって早く死ね早くでていけ部外者がって何通も何通もくるからそれが嫌でスマホの電源を切ったんですだけどあたしの心はとっくに限界で薬に頼らないと落ち着かない身体になっちゃってそういう病院にも行って眠れないんですって嘘まで吐いて薬を貰ってただけど薬を飲んでも効かないから落ち着かなくて学校に行ってもそわそわそわそわさっきまであんなに楽しかったのに流にまで嫌われちゃったあ流っていうのはあたしの友達でとにかくまた楽しいきもちになりたくて薬を飲んで帰ろうとしたら柚留ちゃんが学校にきてまだ他の生徒も何人かいるのに死ねって言われて馬鹿って言われてなんでまだ生きてんのって言われて家に帰ったら帰ったで部屋中の壁に死ねって書かれててあたしもうむりで耐えられなくてさっきよりも沢山薬を飲んでそしたらそこからの記憶がなくて気づいたら部屋中滅茶苦茶になっててあたしの身体にも無数の痣ができててだけど気分は最高でやっと薬が効いたんだと思うと嬉しくてそれでお腹が空いたから加賀さんのいるお店に行こうと思ってそこでパスタを頼んで食べたら眠くなっていつの間にか寝ちゃってて目が覚めたら夜になってたんです」
何処で息継ぎをしていたのか自分でもわからないくらい、あたしはひたすらに言葉を並べていた。
全部話しおわると喉が渇いたあたしは、テーブルの上においてある透明のコップに入った水を一気に飲み干した。
「……いきなりこんなこと聞かされても困りますよね」
自分で思っている以上に喉が渇いていたらしく、久しぶりの水分に身体は喜んでいるようだった。
こんなに水がおいしいと思えるなんてね。
ちらりと加賀さんの方に視線を向けると、加賀さんはなにかを考えているようだった。
「……加賀さん?」
加賀さんを困らせてしまったのだろうか。
そりゃそうか。いくら心の広い加賀さんでも、これだけ一方的に喋られたらどう返していいのかわからなくなるに決まっている。そんなことにも気づかないなんて、ほんとどうかしてるよね。
「あ、あの、困らせるつもりはなかったんです。ただあたしの話を聞いてほしかっただけで、アドバイスがほしいとか、助けてほしいとかそういうのは求めてないんです」
このしんとした空気が嫌で、あたしはなんとかフォローしようと懸命に言葉を紡いだ。
「……それで愛莉さんのきもちは楽になりましたか?」
「え?」
「いくら話しても話し足りないんじゃないですか?」
言われてみれば確かにそうかもしれない。あんなに話したはずなのに、あたしはまだ話したがっている。
そうか、これがストレスなんだ。ストレスが溜まりすぎるといくら話しても話し足りなくて、滝のように永遠と愚痴がでてきてしまう。こんなことは初めてだった。
「……そう、ですね。あんなに話したはずなのに、全然話し足りないです」
「愛莉さんは他に頼れる人がいないから此処にきたんですよね」
あたしは黙って頷いた。
「なら、僕が愛莉さんを救わないと」
寝たらきもちもすっかり落ち着いたみたいで、落ち着いた頭で改めて加賀さんをみていると、加賀さんがあたしの救世主のように思えてきた。
『なら、僕が愛莉さんを救わないと』
頭の中で加賀さんの言葉が繰り返される。いきなりきてパスタを食べて夜まで爆睡しただけでもかなりの迷惑客だろうに、滝のように止まらない愚痴を聞かせてもなお、あたしの味方でいてくれるなんて、加賀さんはいい人すぎるよ。
「す、救うって、どうやって?」
あたしはなんだか気恥ずかしくなって、加賀さんから不自然に視線を逸らしてしまう。
「例えば僕が、愛莉さんの心の支えになるとか」
加賀さんはさらりと言ってるけど、そういう言い方すると勘違いする子もいると思うからやめた方がいいよ。あたしみたいに心が弱ってる子にはとくにね。
「そ、そんな言い方じゃ、勘違いされちゃいますよ?」
「勘違いって?」
加賀さんがあたしの目をじっとみつめている。あたしの胸が、勝手にドキドキし始める。
「か、加賀さんが……あたしのこと、好き……とか……」
だめだよ愛莉、あたしにはお兄ちゃんがいるのに。死んでもなお、あたしの心の中に居続ける存在。それがお兄ちゃんのはずでしょう?
なのに他の男の人にドキドキするとか、そんなの……だめ。
加賀さんは否定も肯定もしないまま、意味深にふわりと笑ってみせた。
「それでね、愛莉さん」
「は、はい!」
思わず声が上擦った。いったいなにを言われるのかと、緊張で背筋がピンとなる。
「愛莉さんを、僕の家に招待したいんだけど」
「へ?」
その提案は流石に想定外だった。出会って間もないあたしをいきなり家に呼ぶなんて、加賀さんてば大胆なんだから。
「あ、でも荷物とか色々ありますよね。一度おうちに戻っていただいていいですよ。そして準備ができたらまた此処にきてください」
「へ、ぁ、ひゃい」
言われるがままに間抜けな返事をしてしまい、なんとなくお店から追いだされたような感じで外にでると、あたしはそのまま踵を返して、きた道を戻るように歩いていた。
なんだかまだふわふわしてる。まさか加賀さんの家に行く日がくるとは夢にも思わなかったもの。
着替えとアイロンと化粧水と乳液と……それからシャワーも浴びてきた方がいいよね。
あたしの心臓はさっきからずっとドキドキしっぱなしで、お兄ちゃんのことなんかいちみりも考えていなかった。これが俗に言う浮気というものなのかもしれない。
家に帰るとまず洗面台で髪を整える。足の踏み場のないあたしの部屋から綺麗めな服をチョイスして、普段は着ないような女の子らしいパジャマと、セクスィーな下着を……ああでも加賀さんはセクスィーな下着よりも可愛い下着の方が好きそうだな。
なら両方持っていこうかな。持っていって、加賀さんにどっちが好きか聞いてみようかな。
なんて阿呆なことばかり浮かんでは消え、浮かんでは消え。
加賀さんと今日の今日でどうにかなるとは思わない。思わないけど、もしものために心の準備をしておこう。
あたしだけが浮かれていないといいけど。
ううん。こんなふうに考えてる時点で、あたしだけが浮かれているのかも。
とりあえず、浮ついた心を落ち着かせるためにもシャワーを浴びよう。シャワーを浴びたら歯磨きをして、清い身体で加賀さんに会いに行くんだ。
いつもより念入りに身体の隅々まで洗うと、綺麗めな服に着替えて髪を整える。
「よし、行こう」
スマホの充電器も持ったし、忘れ物はないはず。
一歩外にでたあたしの表情は、恋する乙女そのものだった。
あたしは加賀さんの働いている喫茶店に行くと、開口一番、加賀さんを指名した。
「……いらっしゃいませ」
加賀さんは今日も最高に格好良かった。いつもの席に案内されると、加賀さんはこちらをちらりとみる。
「ご注文は?」
「あ、えっと、此処って食べるものありますか?」
「お食事ですと、パスタくらいしかありませんが」
「あ、じゃあパスタでお願いします!」
「お飲み物はなにに致しますか?」
「えっと、加賀さんのおすすめで!」
「かしこまりました」
なんでもいいから早く口に入れたかった。お腹が空きすぎて落ち着かないあたしは、ひたすらに髪を弄り倒していた。
しばらくして運ばれてきたパスタは、ミートソースのパスタだった。あたしはそれを五分程度で完食した。
食欲が満たされたからか、急に眠くなってきた。うとうとしていると加賀さんがあたしの前にきて、「眠いですか?」と聞いてくる。
「あ、はい。なんだか食べたら眠たくなってきちゃいました」
「そうですか。なら眠ってもいいですよ。むしろ、きみは眠った方がいい」
「へ?」
眠った方がいいってどういう意味だろう。ああもうだめ、さっきから欠伸ばかりでてくる……。
「ゆっくり寝て、落ち着きを取り戻してください。起きた時にまた話を聞いてあげますから」
最後の方はよく聞こえなかった。あたしは強い睡魔に襲われて、そのまま眠ってしまったらしい。
目を覚ますと向かいの席に加賀さんがいた。いまは接客中ではないのだろうかと辺りを見回してみると、あたし以外、誰もいなかった。
「おはようございます、愛莉さん」
「え……あ、おはようございます……あれ、あたし寝て……え、お客さんは?」
「もう他のお客様はお帰りになりましたよ」
「えっ、あたし、どのくらい寝てました?」
「さぁ?」
さぁ? じゃないでしょ……と思いつつ、スマホで時間を確認すると、すっかり夜になっていた。
信じられない。加賀さんのお店で夜まで爆睡するなんて。あたしがお兄ちゃんの妹だから怒られなかっただけで、普通なら出禁になるところだよ。
「……ご、ごめんなさい。あたし、かなり迷惑な客ですよね」
「まぁ、生きていれば色々とあるでしょうから」
「え?」
「またなにかあったんですよね。此処にきた時の愛莉さんは、やけにテンションが高かったので」
参ったな。加賀さんにはなんでもお見通しなんだ。
「……学校に、柚留ちゃん……あたしの妹がきたんです」
あたしは加賀さんの好意に甘えてぽつりぽつりと話し始めた。
「あ、妹って言っても血は繋がってないんですけどね。それで、柚留ちゃんが学校にきて、あたしに何度も死ねって言ってきたんです……あたし、ずっとスマホの電源切ってて、柚留ちゃんからの連絡無視してて……」
一度蓋を外してみると、抑えていた感情がどばどばと溢れだす。あたし、こんなに我慢してたんだ。話しているうちにだんだんと早口になっていく。
加賀さんはそんなあたしの話しを遮ることなく、黙って聞いてくれていた。
「柚留ちゃんはあたしのことが嫌いなんですあたしがお兄ちゃんを恋愛対象としてみてるから他人のくせに家にいて妹面してお兄ちゃんの傍にいるんだからそう思われても仕方のないことなのにあたしが勝手に傷ついてそれでもあたしには此処しかないんだって居座り続けた結果がこれですよきっかけは柚留ちゃんがでていったからだけど柚留ちゃんがでていくきっかけになったのはあたしであたしがお兄ちゃんの傍にいるから柚留ちゃんはずっと不快なきもちを抱いててそれを吐きだす居場所もなくてあたしが柚留ちゃんの居場所を奪ってたそんなことにも気づかないであたしはまた勝手に傷ついて柚留ちゃんが怒るのもむりないのに何通も何通も柚留ちゃんからメッセージがきてなんでまだ生きてんのって早く死ね早くでていけ部外者がって何通も何通もくるからそれが嫌でスマホの電源を切ったんですだけどあたしの心はとっくに限界で薬に頼らないと落ち着かない身体になっちゃってそういう病院にも行って眠れないんですって嘘まで吐いて薬を貰ってただけど薬を飲んでも効かないから落ち着かなくて学校に行ってもそわそわそわそわさっきまであんなに楽しかったのに流にまで嫌われちゃったあ流っていうのはあたしの友達でとにかくまた楽しいきもちになりたくて薬を飲んで帰ろうとしたら柚留ちゃんが学校にきてまだ他の生徒も何人かいるのに死ねって言われて馬鹿って言われてなんでまだ生きてんのって言われて家に帰ったら帰ったで部屋中の壁に死ねって書かれててあたしもうむりで耐えられなくてさっきよりも沢山薬を飲んでそしたらそこからの記憶がなくて気づいたら部屋中滅茶苦茶になっててあたしの身体にも無数の痣ができててだけど気分は最高でやっと薬が効いたんだと思うと嬉しくてそれでお腹が空いたから加賀さんのいるお店に行こうと思ってそこでパスタを頼んで食べたら眠くなっていつの間にか寝ちゃってて目が覚めたら夜になってたんです」
何処で息継ぎをしていたのか自分でもわからないくらい、あたしはひたすらに言葉を並べていた。
全部話しおわると喉が渇いたあたしは、テーブルの上においてある透明のコップに入った水を一気に飲み干した。
「……いきなりこんなこと聞かされても困りますよね」
自分で思っている以上に喉が渇いていたらしく、久しぶりの水分に身体は喜んでいるようだった。
こんなに水がおいしいと思えるなんてね。
ちらりと加賀さんの方に視線を向けると、加賀さんはなにかを考えているようだった。
「……加賀さん?」
加賀さんを困らせてしまったのだろうか。
そりゃそうか。いくら心の広い加賀さんでも、これだけ一方的に喋られたらどう返していいのかわからなくなるに決まっている。そんなことにも気づかないなんて、ほんとどうかしてるよね。
「あ、あの、困らせるつもりはなかったんです。ただあたしの話を聞いてほしかっただけで、アドバイスがほしいとか、助けてほしいとかそういうのは求めてないんです」
このしんとした空気が嫌で、あたしはなんとかフォローしようと懸命に言葉を紡いだ。
「……それで愛莉さんのきもちは楽になりましたか?」
「え?」
「いくら話しても話し足りないんじゃないですか?」
言われてみれば確かにそうかもしれない。あんなに話したはずなのに、あたしはまだ話したがっている。
そうか、これがストレスなんだ。ストレスが溜まりすぎるといくら話しても話し足りなくて、滝のように永遠と愚痴がでてきてしまう。こんなことは初めてだった。
「……そう、ですね。あんなに話したはずなのに、全然話し足りないです」
「愛莉さんは他に頼れる人がいないから此処にきたんですよね」
あたしは黙って頷いた。
「なら、僕が愛莉さんを救わないと」
寝たらきもちもすっかり落ち着いたみたいで、落ち着いた頭で改めて加賀さんをみていると、加賀さんがあたしの救世主のように思えてきた。
『なら、僕が愛莉さんを救わないと』
頭の中で加賀さんの言葉が繰り返される。いきなりきてパスタを食べて夜まで爆睡しただけでもかなりの迷惑客だろうに、滝のように止まらない愚痴を聞かせてもなお、あたしの味方でいてくれるなんて、加賀さんはいい人すぎるよ。
「す、救うって、どうやって?」
あたしはなんだか気恥ずかしくなって、加賀さんから不自然に視線を逸らしてしまう。
「例えば僕が、愛莉さんの心の支えになるとか」
加賀さんはさらりと言ってるけど、そういう言い方すると勘違いする子もいると思うからやめた方がいいよ。あたしみたいに心が弱ってる子にはとくにね。
「そ、そんな言い方じゃ、勘違いされちゃいますよ?」
「勘違いって?」
加賀さんがあたしの目をじっとみつめている。あたしの胸が、勝手にドキドキし始める。
「か、加賀さんが……あたしのこと、好き……とか……」
だめだよ愛莉、あたしにはお兄ちゃんがいるのに。死んでもなお、あたしの心の中に居続ける存在。それがお兄ちゃんのはずでしょう?
なのに他の男の人にドキドキするとか、そんなの……だめ。
加賀さんは否定も肯定もしないまま、意味深にふわりと笑ってみせた。
「それでね、愛莉さん」
「は、はい!」
思わず声が上擦った。いったいなにを言われるのかと、緊張で背筋がピンとなる。
「愛莉さんを、僕の家に招待したいんだけど」
「へ?」
その提案は流石に想定外だった。出会って間もないあたしをいきなり家に呼ぶなんて、加賀さんてば大胆なんだから。
「あ、でも荷物とか色々ありますよね。一度おうちに戻っていただいていいですよ。そして準備ができたらまた此処にきてください」
「へ、ぁ、ひゃい」
言われるがままに間抜けな返事をしてしまい、なんとなくお店から追いだされたような感じで外にでると、あたしはそのまま踵を返して、きた道を戻るように歩いていた。
なんだかまだふわふわしてる。まさか加賀さんの家に行く日がくるとは夢にも思わなかったもの。
着替えとアイロンと化粧水と乳液と……それからシャワーも浴びてきた方がいいよね。
あたしの心臓はさっきからずっとドキドキしっぱなしで、お兄ちゃんのことなんかいちみりも考えていなかった。これが俗に言う浮気というものなのかもしれない。
家に帰るとまず洗面台で髪を整える。足の踏み場のないあたしの部屋から綺麗めな服をチョイスして、普段は着ないような女の子らしいパジャマと、セクスィーな下着を……ああでも加賀さんはセクスィーな下着よりも可愛い下着の方が好きそうだな。
なら両方持っていこうかな。持っていって、加賀さんにどっちが好きか聞いてみようかな。
なんて阿呆なことばかり浮かんでは消え、浮かんでは消え。
加賀さんと今日の今日でどうにかなるとは思わない。思わないけど、もしものために心の準備をしておこう。
あたしだけが浮かれていないといいけど。
ううん。こんなふうに考えてる時点で、あたしだけが浮かれているのかも。
とりあえず、浮ついた心を落ち着かせるためにもシャワーを浴びよう。シャワーを浴びたら歯磨きをして、清い身体で加賀さんに会いに行くんだ。
いつもより念入りに身体の隅々まで洗うと、綺麗めな服に着替えて髪を整える。
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