橋本愛莉というおんな

まなづるるい

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第七章

51.

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 朝、目が覚めると身体中が痛かった。
 あたしはどうして地面で倒れているんだっけ。思いだすまでに数秒、時間がかかってしまった。
 そうだ、昨日のあれは夢じゃなかったんだ。
 あたしはゆっくりと起き上がると、色々なところについた砂を手で払いながら昨日のことを考えていた。
 とりあえず加賀さんの家に荷物を取りに行こう。鍵がかかってるかもしれないし、加賀さんはいないかもしれない。それでもあたしはもうあそこには住めないから。
 加賀さんの家の前に着くと、ドアの外にあたしの荷物がだされていてドキッとする。あたしが取りにくることをわかっていてだしたんだろうか。こんなところにおいといて、誰かに盗まれたらどうするの。
 あたしはキャリーケースを引き摺りながら、加賀さんに心の中で別れを告げた。

「はーい、どちら様……愛莉?」
「よ! 行くとこなくなっちゃったから泊めてぇ」

 次にあたしが向かったのは流の家だった。流とはあれ以来、話してないけど、鹿児島さんのいる病院に寝泊まりするわけにもいかないので、嫌われる覚悟できてみたんだ。

「はぁ? いま何時だと思ってんのよ!」
「ごめんねぇ」
「……あんたどっちよ」

 どっちって、あたしの中身の話だろうか。流には嘘吐く必要ないか。

「あたしでぇす」

 流は深い溜息を吐きながら、あたしを中に入れてくれた。あたしが愛莉だったら入れてはくれなかったかもね。いまだけは愛莉の真似しなくて正解だ。我ながらナイス判断。

「で、なんで行くところがないの?」

 流の部屋はピンクに統一されていた。カーテンもピンク、ベットもピンク、カーペットもピンク。何処をみてもピンクばかりで、女の子らしい部屋。

「学校に柚留ちゃんがきたの。それで色々言われて、家の中も滅茶苦茶で……それで加賀さんに会いに行ったら、加賀さんが家に泊めてくれたの」
「ふむふむ」
「だけどそこに柚留ちゃんがいて、二人が愛し合ってたんだ」
「……は?」
「柚留ちゃんはペットなんだって。加賀さんは色んな女の人とよくするみたい。だからもう此処にはいられないなって」
「ちょ、ちょいちょい、ちょっと待ってよ。全然意味がわからないんだけど?」
「加賀さんは優しい人だと思ってたけど、ただの変態野郎だったの」

 要約して伝えたはずなのに、流の眉間に皺が寄っている。そんなに難しいことを言ったつもりはないんだけど。

「えーと、加賀さんが変態なのはわかったけど、どうして行くところがないの? 家が滅茶苦茶だろうが関係なくない?」
「家には監視カメラがあるの」
「なんで?」
「柚留ちゃんがあたしを監視してるから」
「なんで?」
「柚留ちゃんは、あたしが赤の他人のくせにいつまでもあの家にいるのが嫌なんだよ。だからあたしを監視して、沢山嫌がらせをしてくるの」

 一通り喋りおわると、流のシンキングタイムが始まった。
 むりもない。逆の立場ならあたしだってそうなるよ。
 柚留ちゃんはまだ加賀さんの家にいるのかな。柚留ちゃんは加賀さんのことが好きなのかな。もう柚留ちゃんとは和解できないのかな。仲良くなりたかったな。
 あたしの身体、穢れちゃった。お兄ちゃんだけの身体だったのに。
 しばらくするとシンキングタイムがおわったのか、流がぽつりぽつりと話し始めた。

「警察呼べば? 血は繋がってなくても家族なんだから、仲良くしろ……とは言わないけど、監視カメラは流石にやりすぎだと思う。実際、それで愛莉が家にいづらくなってるわけだし、嫌がらせってのもよくわかんないけど、証拠があるならだした方がいいよ。力になってくれるかどうかは向こう次第だけど」

 あたしのために色々考えてくれたんだなって、あたしにもわかるくらい流は丁寧に話してくれた。それが嬉しくて自然とにこにこしてしまう。

「……よかった」
「え?」
「絶対、流に嫌われたと思ってた」
「え、なんで?」
「だって、あたしが変とか言うし、それから全然話してくれないんだもん」
「あれはほら、ほんとに変だったし、関わりたくないなって思ったから」
「……酷い」
「いや、ほんとに変だったじゃん。朝からテンションがおかしかった。もしかして愛莉に戻ったんじゃないかって、ほんとにびびったんだから!」
「流は愛莉が嫌いなの?」
「きら……っ、ただ、あの言動にはついてけないだけよ!」

 なるほどね、それはわかる気がする。ああいう子がクラスにいたら、絶対に関わりたくないもん。問題は、ああいう子があたしだってこと。つまり、誰もあたしとは関わりたくないってこと。
 だからあたしだけは愛莉を受け入れてあげないと。じゃないと愛莉の居場所がなくなっちゃう。何処にも居場所がないのは、淋しいよ。

「……あたしね、愛莉みたいになろうかなって思うんだ」
「は? なんで?」
「このままじゃ愛莉が消えちゃうから……だからあたしが愛莉になって、愛莉の分まで此処で生きるの」
「愛莉は別に消えたりしないでしょ。それにわざわざ愛莉にならなくたっていいじゃん。あたしはいまの愛莉だから気兼ねなく一緒にいれるんだよ?」
「うん。でも、元々のあたしは愛莉の方だから。元の人格が事故で消えちゃうなんて可哀想だし」
「……馬鹿みたい……いまのままの方が、絶対いいのに」
「あたしのことより鷺沼先生のことなんだけど」
「鷺沼?」
「あたし、あの人ほんと許せないんだよね」

 邪魔な奴は絶対に消す。それが愛莉のやり方だった。
 だからあたしもそれにならって、邪魔な奴を消してやる。そうやってあたしにとっても愛莉にとっても住みやすい環境にしていくんだ。

「だからあたし、警察に連絡するよ」
「は?」
「鷺沼先生があたしに暴力を振るったって言うの」
「いや、あの程度で暴力とか言っても全然相手にされないんじゃないの?」
「なら相手にされるような暴力ならいいんでしょ?」
「まぁ、そうだけど」

 あたしは女優。痛いのなんてへっちゃらだもん。鷺沼先生に殴られちゃった!
 えーん!
 とでも言いながら涙を浮かべればいいんだわ。簡単、簡単。

「刺した刺されたみたいな物騒なことはやめてよ?」
「わかってるって」

 この日は流と夜中まで沢山色々な話をした。
 朝になると、学校まで流と一緒に登校した。いつもとは違う道にあたしはとてもわくわくしていた。
 教室に向かう途中の廊下で鷺沼先生をみかけたあたしは、愛莉としてのスイッチを入れる。

「鷺沼先生、おはよぉございまぁす!」

 鷺沼先生は気怠げにこちらをちらりとみると、小さな声でなにかを呟いた。

「えっ、なんですか先生ぇ? 聞こえなかったんでもう一度言ってください!」
「……うざ」

 へぇ、そういう態度でくるんだ。いまのもばっちり録音したからな?
 お前。

「え? 先生、いま、うざいって」

 あたしは精一杯、悲劇のヒロインを演じてみせた。

「朝からぶりっこお疲れ様です、橋本さん。いきなり挨拶なんてどうしたの? 普段は見向きもしないくせに」
「やだなぁ先生、挨拶は基本ですよ?」
「そうですか。ならもう今日は帰りなさい」
「え?」
「聞こえなかったんですか? 帰りなさいって言ってるの」
「えぇ? まだきたばっかりなのにぃ……帰れなんてひどぉい」
「貴女がいると空気が汚れるんだよ、害虫」

 は?
 害虫?
 害虫ってあたしのこと?
 害虫っていうのはもっとこう、瑞穂さんみたいな人のことでしょう?
 あたしは害虫なんかじゃない。

「え……害虫?」

 害虫とは、人間の生活に直接、間接に害を与える虫の総称。つまりあたしは虫。人前に現れただけですぐに殺される虫。

「そ、そこまで言わなくても……っ、ぐすん」

 いい感じにギャラリーも集まってきたし、そろそろいいかな。
 幸いにも此処は廊下で、右側には窓がある。廊下にはちらほらと生徒達がいて、ガラスの音は間違いなく皆の注目を浴びるだろう。

「きゃっ」

 突然パリンと大きな音を立てて割れた窓ガラスの音で、皆が一斉にこちらに視線を向けた。床には散乱したガラスの破片があり、あたしは腕を押さえていた。

「ぃ、た」

 痛い。本当に怪我をしたみたい。だけどこれでいい。
 ざわつく廊下。教室からでてくる野次馬達。誰かに呼ばれたのか慌ててこちらに向かってくる先生。騒げ騒げ。事件は大きければ大きいほど、こちらに有利なんだから。

「どうした橋本!」
「ぁ……先生が、急に」

 あたしは鷺沼先生に罪を擦りつけると、あとから駆けつけてきた女の先生に連れられて保健室へと向かった。
 鷺沼先生の顔、面白かったな。あんなにあたしのこと睨みつけてくるんだもん。これから職員会議かな?
 きっと先生は必死で弁明するだろうね。
 だけどどんなに先生がしらを切ったって無駄だよ。あたしにはこれがあるんだから。
 上手に繋ぎ合わせてあとで全校放送してあげる。そうなったらもう、誰もあんたを信用しなくなる。あんたの居場所はなくなるわけだ。
 あたしは保健室で傷の手当てを受けながら、鷺沼先生の不幸を心の中で笑った。
 傷は浅く、出血はすぐに止まった。手首に軽く包帯を巻くと、女の先生はふわりと微笑んだ。

「これでもう大丈夫」
「ありがとうございます。先生、傷の手当てもできるんですね」
「私、子供の頃から看護婦さんになりたかったの」
「え、そうなんですか?」
「沢山勉強して知識を身につけて、いまはまだ勉強中でね」
「じゃあ、夢が叶ったら学校はやめちゃうんですか?」
「子供は好きだからやめたくはないんだけどね」

 この人、名前なんだっけ。みたことない先生だ。やめたくないってことは、迷ってるってことなのかな。

「橋本さん、色々あって大変だと思うけど、生きていれば必ずいいことあるから。先生、応援してるね」
「あ、ありがとうございます」

 いいことってなに?
 お兄ちゃんが死んで、加賀さんと柚留ちゃんにあんなふうに言われて、この先いったいどんないいことが待ってるっていうの?
 適当なこと言わないでよ。
 怒鳴り散らしたくなったけど、名前も知らない先生に言ったってしょうがないと、文句を胸の内に仕舞い込む。
 少ししてから保健室をでると、高松と目が合った。高松は立ち止まったままあたしをじっとみつめると、口を開いて声を発した。

「……怪我したの?」
「あ、うん」
「……ふうん」

 会話はそれだけ。だけど、声をかけてくるとは思わなかった。思わなかったから、咄嗟に縋りたくなったんだ。

「た、高松!」

 ああこれはあたしの悪いくせだ。一度拒絶されたくせに、気紛れに声をかけられたからってすぐに甘えようとする。
 だけど。

「……なに?」

 だけど高松だって悪いよ。一度拒絶したくせに、あたしに声をかけるんだもん。本当にあたしのことが嫌いなら話しかけちゃだめなんだ。

「……あたし達、もう前みたいに話せないの?」

 沈黙が続く。そんなに考えなくてはならないほど、答えがでないものだろうか。話したいか話したくないか。ただそれだけなのに。
 沈黙が長ければ長いほど期待する。もしかしてと思ってしまう。これってしょうがないことだよね。嫌ならすぐに言えばいいのに言わないんだもん。
 高松だって、あわよくばと思ってるんじゃない?
 今度こそあたしと上手く行けば、ワンチャン欲が満たせるんじゃないかって。
 いまなら都合のいい女になってあげてもいいよ。そのくらい、あたしはあたしの居場所を作るのに必死なんだ。
 高松は答える代わりにこちらへと歩み寄ると、あたしの肩に軽くもたれかかってきた。

「……橋本、好き……」

 胸の奥がギュッとなる。ずっと誰かに言われたかった言葉をこんな形で聞くことになるなんて。

「高松、あのね」

 あたしは次の寄生先をみつけると、簡単に個人情報を開示していく。そうすることで、あたしは可哀想な子なんだと思われるようにしたかった。男はとくに、可哀想な子に弱いから。

「お兄ちゃんが死んじゃったの」

 不謹慎だっていい。そのためなら例えお兄ちゃんの死であっても使わせてもらうよ。使えるものは使わなきゃ。
 高松は最後まであたしの話を黙って聞いていた。
 一通り話しおわると、「そっか」と言ってまた黙る。
 それだけ?
 あたしはこんなに自分のことを話したのに、そっかの一言でおわりなの?
 本来であれば聞いてもらえただけでも感謝すべきなのに、あたしはそんなふうに思ってしまう。
 だって、あたしは高松に同情されたくて話したのに。あたしの話を黙って聞いてほしいなんてこれっぽっちも言ってないのに。それが優しさだとでも思ってるの?
 それであたしが満足して帰るとでも?
 ふざけんな。あたしはそんな安い女じゃない。
 考えれば考えるほど、高松に腹が立った。あんただって加賀さんみたく言えばいいんだ。

『なら、僕が愛莉さんを救わないと』

 あの言葉があったから、あたしは加賀さんについていこうと思ったんだ。なのにあんたはなにもないのかよ。
 「俺がいるからもう大丈夫だよ」とか、「泣きたい時は泣いていいんだよ」とかさ。
 なんでもいいよ、なんかあるだろ。なにもなくても絞りだせ。男だろ。あたしのことが好きならそのくらい言ってくれたっていいじゃんか。
 色々と頭では思うけど、それを口にしたらすぐにまた離れていってしまう気がして言えなかった。
 あたし達って、どういう関係?
 友達?
 恋人?
 まだ恋人じゃない?
 好きと言われてその手に縋ったくらいでは、まだ恋人とは言えないのかな。
 じゃあどういうのが恋人なの?
 好きです付き合いましょうと言えば恋人なの?
 高松があたしにそれ以上の言葉を伝えないのは、あたしとはそういう関係になる気はないってこと?
 それとも、言わなくてもわかるだろってこと?
 わかんないよ。わかんないからちゃんと言ってよ。あたしが必要だって言ってよ。
 なにも言わないまま教室へと戻っていく高松の背中をみつめながら、あたしは唇をキュッと噛み締めた。
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