橋本愛莉というおんな

まなづるるい

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第七章

52.

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 いつもと同じ平和な午後。お昼ご飯を食べたあとの授業はとても眠く、うとうとしながら先生の話を聞いてる生徒が数人。
 だけど今日は一味違う。これを聞けば誰だって目が覚める魔法の放送。
 それはなんの前触れもなく始まった。

『……橋本さん、お兄さんがいなくなって情緒不安定なのね』
「可哀想な橋本さん。仕方がないからこの程度の無礼は許してあげます。いまは一人で暮らしているんですよね。毎晩、淋しくてしょうがないんでしょう」
『あの時は可哀想だからお金を恵んであげましたけど、天涯孤独だからってなにをしても許されるなんて思わないことね』
『ああ、貴女には確か血の繋がりのない妹がいたわね。まぁ、その子もいまとなってはいないも同然……いえ、いてもいなくても同じでしょう』
『はぁ? それが教師に向かって言うセリフかぁ?』
『橋本さん? そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔してどうしたの?』
『まさかとは思うけど、この程度で体罰だとでも言うつもり? こんなの、貴女が私にしようとしたことに比べれば、どうってことないでしょう?』
『こんなの、行儀の悪い生徒を軽く小突いただけじゃない』
『……そうね。橋本さんはいい子だから、休憩がてらにそこで自分でシテみてよ、なんて下品な発言しないわよね?』
『そうよね貴女はしないわよね。でも、私は貴女じゃなくて橋本さんに言ってるの。ねぇ、聞こえているんでしょう、橋本さん』
『私は橋本さんと話がしたいのに、貴女が邪魔で話せないの。私の言いたいこと、わかります?』
『貴女はこのクラスに必要ないのよ。だからとっとと消えなさい』
『……うざ』
『朝からぶりっこお疲れ様です、橋本さん。いきなり挨拶なんてどうしたの? 普段は見向きもしないくせに』
『そうですか。ならもう今日は帰りなさい』
『聞こえなかったんですか? 帰りなさいって言ってるの』
『貴女がいると空気が汚れるんだよ、害虫』

 流とあたしの血と汗と涙の結晶が、学校中に響き渡る。鷺沼先生の声だけを切り取って繋いだ世界にひとつしかない音声データ。
 あの日。あたしが変だった日。流がたまたま録音していたお陰でこの音声データが作れたの。これさえあれば、鷺沼先生をこの学校から追いだすことができるはず。
 思った通り、全校生徒はざわつき始め、各クラスの先生方が緊急職員会議を開いた。鷺沼先生は職員室に呼ばれ、あたしは被害者だからそのまま教室に待機するよう言われていまに至るってわけ。

「鷺沼おわったな」
「誰があんなの録音したんだろ?」
「授業ないなら帰りたいんだけど」
「橋本さん、大丈夫?」
「害虫とか言われて可哀想」

 皆、好き勝手に喋ってた。あとはこいつらが勝手に噂を流してくれる。あたしは鷺沼先生に暴言を吐かれた可哀想な子として振る舞えばいい。
 あれから一時間ほど経っただろうか。ようやく会議がおわったらしく、鷺沼先生は本日をもって退職することが決まったと名前も知らない男性教師から聞いた。
 人のこと害虫呼ばわりしといて自分が害虫駆除されてやんの。
 あたしは悲劇のヒロインぶりながら学校を背に歩く。
 隣には流がいて、勝利の味を噛み締めていた。

「まさかこんなに上手くいくなんてねぇ」
「あたしだけじゃ証拠不十分で退職まで追い込めなかったよ。ほんと、流のお陰」

 持つべきものは友とはまさにこのこと。あたしが録音しとけばよかったと悔やんでいた時、流の咄嗟の行動があたしの未来を切り開いてくれたんだ。

「害虫駆除なら任せてよ。他には誰かいる?」
「いまのところはいないかなぁ。もしまたでてきたらその時はお願いするね!」

 鹿児島さんのためにも学校を綺麗にしなきゃ。あたしと流で鹿児島さんを守るんだ。

「ねぇ、これから鹿児島さんに会いに行かない? 最近行ってなかったし」
「あ、あたしはいいかな」
「そう? じゃあちょっとだけ行ってくるね!」

 もう、流ってば。鹿児島さんを守れるのはあたしと流しかいないのに、いつまであんな態度でいる気なの?
 二人には仲良くしてほしいのに、なかなか上手くいかなくてもやもやする。
 でもむりに言っても拗らせるだけだから、時間が解決してくれるのを待つしかないよね。
 病院に着くと、鹿児島さんの病室が移動したことを知って驚いた。もうあんなところにいなくてもいいくらいに回復したんだね。そうだよね、鹿児島さんはもうすぐ学校に行くんだもん。回復して当然だよね。
 みたことのない看護婦さんに病室を案内される。二階の一番手前の四人部屋に鹿児島さんはいた。

「鹿児島さん! 部屋、移動になったんだね!」
「……声が大きい」
「あっ、ごめん」

 久しぶりにみた鹿児島さんは、なんだかいつにも増して綺麗にみえた。あたしは窓際にある丸椅子に座ると、鹿児島さんに会ってない間にあった出来事をぺらぺらと語りだす。

「……鷺沼は私も知ってる。酷い女。私が貴女に嫌がらせされてるの知っててなにも言わないの」
「そうなんだ、でももう大丈夫! あいつはもういないから!」

 鹿児島さんはちらりとあたしの方をみると、一瞬だけ口元を緩ませた。

「え! か、鹿児島さん! いま、笑った?」
「……声が大きい」
「あっ、ごめん」

 鹿児島さん、笑うと可愛いな。ていうか笑ったところ初めてみたし、鹿児島さんって笑うんだ。普段から笑えばいいのに。笑ったらモテそう。

「ねぇ」
「は、はい!」
「高松とは付き合うの?」
「えっ? ど、どうだろう? 付き合おうとか言われてないし」
「付き合おうとか言われたら付き合うの?」
「うーん……多分?」

 自分のことなのに疑問形になってしまう。あたしが好きなのはお兄ちゃんで、お兄ちゃんがいなくなったところでそれはいまでも変わらないはずなのに加賀さんにふらついて、いまは高松に寄り添おうとしてる。
 あたしの言う、お兄ちゃんが好きなんて上辺だけで、本当はただのビッチだったりして。誰でもいいから彼氏がほしくてふらふらしてるただの痴女。
 だけど共通して言えるのは、その人にお兄ちゃんを重ねてるところ。
 あたしはきっとお兄ちゃんの代わりがほしいんだ。甘えて、やりたかったことをやって、愛されていたいだけ。それのなにがいけないの。
 そして、その対象は男女問わず。例えばそれが鹿児島さんだっていいわけで。

「多分なんだ。自分のことなのに疑問形で変なの」

 鹿児島さんなら頼りになるし、見た目も申し分ないし、全然アリ。

「あ、はは。あ、そうだ。鹿児島さんはいつから学校にくるの?」
「そうだね。とくに時期は決まってないよ」
「そっかぁ。でも部屋が移動になったってことは、退院に一歩近づいたってことだよね?」
「どうだろね」
「鹿児島さん、あたし、鹿児島さんのことが好きなんだ。だから早く一緒に学校に行けたらいいなって思ってる。まだまだ不安かもしれないけど、あたしと流が鹿児島さんを守るからね」
「……ありがとう」

 大丈夫、きっと上手くやれるよ。
 歯切れの悪い鹿児島さんを他所に、あたしはそう信じて疑わなかった。
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