橋本愛莉というおんな

まなづるるい

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第九章

62.

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「……あたしが……お兄ちゃんの妹じゃないから? だから柚留ばっかりになるの?」

 これじゃただのやきもちじゃん。

「……柚留も愛莉も俺の妹だよ」
「嘘」
「本当だよ」
「だったらあたしのこともみてよ!」

 お兄ちゃんはあたしを妹だと言いながらいっつも反対側を向いている。柚留ばっかり。本当にそう感じているなら平等にみないとだめでしょう。

「……まだあの日のことを引き摺ってるの?」
「え?」
「自分でなかったことにしたくせに、いつまでも引き摺ってるからわざとあたしを避けてるの?」
「……避けてなんかないよ」
「避けてんじゃん! あたしが家にいるから帰ってこないんでしょ? あたしが此処にきたから柚留を探しに行くふりして帰ってこないんでしょ?」
「それは……違うよ」

 間があった。それが答え。あたしがいるからお兄ちゃんがいなくなる。

「じゃあなんで藍子さんのところに帰ってくるの? 本当に柚留のこと探してる? 柚留を言い訳にしてるだけじゃない? もしかしてとっくに藍子さんと付き合ってたりして。お兄ちゃんには瑞穂さんがいるのにね。この浮気者!」
「藍子さんが此処にいていいって言ってくれたんだ。柚留を言い訳になんかしてないし、藍子さんとも付き合ってない」
「でもキスはしたんだよね」
「は?」
「夜な夜なキスして藍子さんをきもちよくさせてたんだよね」
「ちょっと待て、なんの話だ」
「藍子さんの話だよ」

 寝ている間にキスされたならまだわかる。だけどあんなふうに求めてくるなんて、絶対に覚えてないとは言わせないんだから。 

「もういいよ、橋本くん」
「え?」

 いままでずっとあたしとお兄ちゃんのやりとりを黙って聞いてた藍子さんが、ようやく口を開いた。

「ばれちゃったの、愛莉ちゃんに。だからもういいよ」

 沈黙が続く。沈黙は黒の証。つまり、お兄ちゃんには瑞穂さんがいるくせに藍子さんとキスした浮気者で確定ってわけ。

「……最低」
「愛莉」
「瑞穂さんに言うから!」
「愛莉」
「橋本くん、あのね」

 あたしの目の前でお兄ちゃんに耳打ちする藍子さん。耳打ちされた途端、困惑の色を隠せなくなったお兄ちゃん。ちょっと考える仕草をしたあと、あたしをみて言葉を濁すお兄ちゃん。

「あ……えと……あ、愛莉」
「なに?」
「その……間違えて、ごめん」

 ああ、あの日のことを聞いたんだ。お兄ちゃんがあたしと藍子さんを間違えた日。お兄ちゃんがあたしの唇を塞いできもちよくした日。あの日のことをまた、間違いだって言ってるの?

「……も、やだ……」
「え?」
「あたしは何度なかったことにすればいいの……」
「愛莉?」
「間違いだなんて言わないでよ!」

 むかついた。すんごくむかついた。
 あの日のことをなかったことになんてできない。忘れたいと思っているのはお兄ちゃんだけで、あたしは一日たりとも忘れたことはなかったんだ。

「兄妹揃って嘘ばっかり」
「は?」
「愛莉ちゃんだって嘘、吐いてるよね?」
「嘘なんて吐いてないけど」
「だって愛莉ちゃん、柚留ちゃんが何処で誰となにをしてるのか知ってるよね?」

 は?
 柚留のことは誰にも話してないのに、どうしてあんたがそれを知ってるの?

「あは、どうして私がそんなことを知ってるんだって顔してる」

 怖くてお兄ちゃんの顔がみれない。ハッタリだとしても許さないからな、てめぇ。

「橋本くんがこんなに毎日懸命に柚留ちゃんを探しているのを知っていながら、よくもまぁ知らないふりができるよね」

 お兄ちゃん、いま、どんな顔してるの。どんなふうに考えて。

「その上、橋本くんのことは疑って嘘吐き呼ばわりしてる。いくらなんでもそれじゃあ橋本くんが可哀想だよ」

 怒ってる?
 驚いてる?
 悲しんでる?
 お兄ちゃん、なんか喋って。沈黙が怖すぎる。

「愛莉ちゃんから言えないなら、私から教えてあげてもいいけど」
「て、適当なこと言わないでよ。お兄ちゃんが驚いてるじゃん」
「適当? なにが? 私はあまりにも橋本くんが可哀想だから事実を教えてあげただけだけど?」
「じゃ、じゃあ柚留は何処にいるっていうの?」
「もう、愛莉ちゃんてばテンパりすぎ。だからさっきも言ったでしょ? 愛莉ちゃんから言えないなら、私から教えてあげてもいいよって」

 そんなの許すわけないでしょ。許したらあることないこと言うでしょ。お兄ちゃんが信じちゃったらどうすんのよ。適当につつけば勝手にボロがでるとでも思ってんの?
 部外者のくせに、あたしとお兄ちゃんの関係を壊そうとしないでよ。
 あたしはこの場から逃げだそうとした。だけどそれを藍子さんは許してくれなかった。

「逃げんな!」

 藍子さんってそんなに大きい声、だせるんだ。あたしは驚きのあまり思わず立ち止まってしまった。
 藍子さんはあたしに近づくと、ぼそぼそとなにかを喋りだす。

「愛莉ちゃん、加賀くんとも会ってるよね」
「……え?」

 息が止まるかと思った。どうして藍子さんが加賀の存在を知ってるの?

「加賀くんも頭おかしいよ。大好きで堪らない橋本くんを作りだして、それを餌に愛莉ちゃんを誑かしてるんだもん」

 藍子さんは何処まで知ってるんだろう。なにもかも知ってるなんておかしいよ。柚留のことも加賀のことも知ってるとか、世界があまりにも狭すぎて嫌になる。

「ね、橋本くんとの性行為はどうだった? あれは橋本くんだと思わされて、橋本くんの偽物とした感想は?」

 そんなの、あんたに言うわけないでしょう。あれがお兄ちゃんだと言っているのは加賀だけで、本当のお兄ちゃんは此処にいる。
 だとすればあの日死んだと思っていたお兄ちゃんは誰なの?
 お兄ちゃんのそっくりさん?
 もう誰を信じたらいいのかわからないよ。

「逃げるなら愛莉ちゃんの罪を告白してからにしなよ」
「あたしの、罪?」
「これはお兄ちゃんだと思いながら他の人と最後までしちゃってごめんなさいって」

 高鳴る心音。あたしの罪。あたし、こんなにもお兄ちゃんが好きだと謳いながら、他の人とした。浮気……したんだ。

「お、おにい、ちゃん」
「なに?」
「あ、たし……あたし、ね」

 胸の辺りが痛い。これは誰のきもち?
 あたしの中に違うあたしがいて気持ち悪い。早く消えてほしい。
 あたしが罪を告白すれば楽になれる?
 あたしが泣いて謝ればお兄ちゃんは笑って許してくれる?
 そんなの知らねぇよ。なんであたしの心がこんなに騒がしいの?
 なんでこんな女の言葉に左右されてんの?
 なんであたしが罪を告白しなくちゃいけないの?

「す、好きでもない人と最後までしちゃった……でもね、あたし、お兄ちゃんが好きだよ……すっ、好き……大好き……だ、だから……生きててよかった……でっ、でも、お兄ちゃんは、あたしよりも柚留が大事なんだよね……あたしの好意は、困るんだよね」

 ねぇ、黙らないでよ。なんか言ってよ。お兄ちゃんてばいつもそう。あたしがなにか言ってほしい時に限って黙ってる。

「……ごめん」

 ねぇ、それはなんのごめんなの?
 きもちに答えてあげられなくてのごめんなの?
 柚留の方が大事なんだのごめんなの?

「……ばいばい、お兄ちゃん」

 どんな意味のごめんなのか怖くて聞けないよ。あたし、お兄ちゃんに振られたんだ。こんなことなら藍子さんの提案に乗っておけばよかったかな。藍子さんがお兄ちゃんと付き合って、あたしが藍子さんのふりしてお兄ちゃんと。
 どうして素直に罪を告白したんだろう。藍子さんの言葉なんて無視して逃げてくればよかったのに。
 あたしは藍子さんの家を飛びだすと、誰もいない家へと戻ってきてしまった。
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