橋本愛莉というおんな

まなづるるい

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第十二章

84.

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 学校に行くと鹿児島さんがいたので、「今日も休まずきていて偉い」と言うと、いつものようにシカトされた。あたしにはこのやりとりですら楽しくて仕方がなかった。

「昨日ね、流に会ったんだ」
「そう」
「落ち着いたらまた学校くるって。そしたら三人でお昼食べようね」

 あんなに死にたいと思っていたはずなのに、誰がみても上機嫌なくらい今日のあたしは浮かれていた。心做しか、そんなあたしに鹿児島さんが一歩引いてるような気がしなくもない。
 教室に入ると高松と目が合った。そういえばこの間、高松と映画館に行ったんだっけ。また何処かに誘われたりするのかな。誘われても困るなぁ。
 なんて思っていると高松の方から、「おはよう」とあたしに声をかけてきた。

「……おはよう」
「なんか久しぶり、だね」
「う、うん」
「あの、さ。放課後、空いてる?」
「……空いてない」
「あ、えと、いつでもいいんだけど」
「これから先も、空いてない」
「あ……えっと……」
「なに?」
「あの、俺、なんか気に障るようなことしたかな。したならちゃんと謝りたいんだけど」
「してない。けど、謝らなくていい」
「橋本、俺、俺さぁ。橋本のこと、本当に好きなんだけど」

 どうしてこのタイミングで告白なんてするんだろう。とっくに席に着いてしまった鹿児島さんを横目でみながら、あたしは高松の言葉を右から左に受け流していた。

「……好きだよ、橋本……」

 だからどうしてこのタイミングなの。朝から告白されたって困るよ。いつだって困るけど。

「……あ、あの……あたしもう、高松のきもちに答えられないから」
「どうして? 俺のこと、嫌い?」
「嫌いじゃないけど、いまは誰とも付き合いたくないっていうか」

 どうしていまになってこんなに求めてくるの?
 押せばあたしが堕ちるとでも思ってんの?
 急速に縮まる物理的距離。高松があたしの両肩に触れると、いまにもキスしそうなくらい近づいてくるから。

「橋本」
「い、嫌!」

 流石に声が大きかったようで、教室中が一瞬でしん、となる。クラスの人達からみて、両肩を掴み距離を縮める高松と、身を捩り嫌がるあたしはどんなふうに映っているのだろうか。

「え、なにしてんの高松」
「なんか橋本さん嫌がってない?」
「なに、喧嘩?」
「朝からよくやるわぁ」

 一人一人の生徒の声が、刃となって高松を襲う。被害者はあたしで加害者は高松だと、皆が答えをだしたのだろう。

「あ……い、いや、俺は……ごめん……」

 周りからの目に耐えられなくなったのか、高松の手が離れていく。これでもうあたしには近づいてこないはずだ。だけどこの日を境に、あちこちから高松の陰口が聞こえるようになっていた。

「あれって無理やりキスしようとしてたんだって」
「きしょ」
「高松くん、そういう人だったんだ」
「橋本さん可哀想」
「死ねばいいのに」
「学校くんな」
「溜まってたんじゃねぇの?」
「やだぁ、さっき高松くんがこっちみてたんだけどぉ」
「あんたとキスがしたいんじゃない?」
「むりむり、ほんとむりぃ!」
「橋本が嫌がらなかったら朝から教室でキスしてたってこと?」
「まじかよ。みたかったぁ」
「変態がいまーす」
「さいてー」
「ぎゃはは」

 流石にいい気はしなかった。しなかったけど、自業自得だよね。あれは高松が悪いよ。それに変にあたしがフォローしたら、あたしまで噂されちゃうし。
 あたしはもうこれ以上、平穏な学校生活を誰かに乱されたくなかった。だからなにも言わないし、高松とも喋らない。
 それが正しい。それが正解。あたしはあたしを守るのにいっぱいいっぱいだった。人助けなんてしている場合じゃない。
 それなのに、どうしてこいつはいつまでもあたしに絡んでこようとするのかな。

「橋本」
「……高松……」

 あたしが一人になったタイミングで現れたのは、高松だった。

「待ち伏せなんてストーカーみたいだね」
「ストーカーじゃないよ。橋本が一人になるのを待ってただけ」

 それをストーカーって言うんだよ。
 どうする、逃げるか。逃げても追いかけてきたらどうする。仮に先生に助けを求めたとして、いまはよくてもまた待ち伏せされたりするのでは?
 だったら話だけでも聞いてあげるべきか。話せば納得してくれるのか。
 考えた末、とりあえず話を聞いてみようと姿勢を正す。

「なんの用?」
「どうして急に避けるの」
「避けてないよ。あたししばらく学校休んでたし、タイミングが合わなかっただけじゃない?」
「避けてるじゃん。俺が声をかけたら嫌そうだった」
「考えすぎだって。別に普通だし」
「普通じゃないよ!」

 急に高松が声を張り上げるからびっくりした。高松ってこんなにヒステリックだったっけ?
 あたしが固まっていると我に返ったのか、「ごめん」と謝られた。

「普通じゃ、ないよ。なにかあったんだろうなって、みてたらわかる」
「わかるならそっとしといてもらえるかな。あたしはもう、誰にも振りまわされたくないの。誰も好きになりたくない」
「どうして?」
「高松には想像もつかないようなことだよ。知らなくていい」
「俺は橋本のことが知りたいよ。言っただろう、俺はいまの橋本が好きなんだ」

 ああ、この人は愛莉じゃない、あたしを好きだと肯定してくれる人。
 嬉しいはずなのになんでだろうね。この人じゃない感がはんぱないのは。選り好みなんてしている場合じゃないのに、あたしの敵はあたしを必要としない人なはずなのに、どうして高松じゃいけないんだろう。

「……ごめんね。きみじゃむりなんだ。あたしが必要としているのはきみじゃない」

 どれほど酷い言葉を並べれば、この人は諦めてくれるだろうか。そんなことばかり考えている。
 そうやって傷ついた顔をするくせに、それでもまだ掴もうとする。自ら傷を負いに行っている。馬鹿な男。

「好きだよ」
「あたしは好きじゃない」
「どんなに拒絶されたって好きだ」
「じゃあ警察に言う。あんたにストーカーされてるって言う。接近禁止命令だしてもらう」
「警察に捕まったって会いに行くよ。それくらい好きなんだ」

 おかしいな。あたしが高松に傷をつけているはずなのに、これじゃあたしが高松に傷をつけられているみたいだ。
 ズキズキ、心臓の辺りが痛む。あたしだって、加賀さんにこれくらい愛されたかった。あたしだって、お兄ちゃんにこれくらい愛されたかった。
 あたしがほしかった言葉を高松が囁いている。だけど心に響かないの。高松じゃ響かない。好きってきもちがないと響かないんだ。あたしは高松を好きじゃないから響かない。だけど高松はあたしが欲していた言葉をこれでもかと並べるから、だからあたしの心が痛むんだ。
 もうやめてほしい。これ以上あたしを傷つけないで。あたしを好きなら傷つけないで。それが優しさってもんでしょう。

「やめて」
「やめないよ。好きな人に好きだと言ってなにが悪いんだ」
「迷惑だって言ってるの」
「迷惑じゃないよ。女は愛された方が幸せになれるって、聞いたことない?」
「それでもあたしはあんたに愛されたくないって言ってんの!」

 声を大にして言うと、高松の言葉が止まった。

「そんなに俺が嫌なんだ」

 まるであたしを責めるような口調で高松が言う。

「きみはあれだよね。誰かに死ぬほど愛されたいくせに、いざ愛をぶつけられると逃げだしたくなる人だよね」

 返す言葉もなかった。

「でも大丈夫、俺はそれでも受け止めるよ。俺はきみが好きだ。このきもちは一生変わらない」

 そう宣言すると、高松はあたしをおいて行ってしまった。
 高松があんなにストーカー気質だとは思わなかった。これから先も、こうしてあたしに自分の独り善がりなきもちをぶつけてくるのだろう。それがあたしにはストレスで、ストレスで、ストレスだった。

「ねぇ、ちょっと聞こえてる? ねぇってば」
「……あ、れ……鹿児島さん?」

 気がつくとあたしの手には薬がいくつもあって、あたしの腕を鹿児島さんが掴んでいた。

「なんか飲んでると思ったら。ねぇ、いくつ飲んだ?」
「……わかんない。どうやって教室まで戻ってきたのかもわかんない」

 なにも覚えていなかった。いつの間にか放課後になっていて、教室にはあたしと鹿児島さんしかいなかった。
 聞けば授業は普通に受けていたらしく、皆が帰ったあともずっと帰ろうとしないので、鹿児島さんが声をかけていたらしい。それでも反応がないので一度帰ろうとしたんだけど、やっぱり変だと思い様子をみに戻ったらあたしが薬を手にしていた、と。

「本当に覚えてないの?」
「うん」
「身体は平気? ぼうっとするとか、頭痛いとか」
「平気」

 手のひらには薬が六つ。ワンシート空になっているので、飲んだとしても六つだろう。あたしはそれを水もなしにぼりぼりと食べていたのだろうか。

「過剰摂取もほどほどにしなよ。脳がおかしくなっちゃうよ」
「うん」

 あたしの心は高松の愛の刃によってボロボロだった。さっきからなにを言われても反応が薄いあたしをみて、鹿児島さんの表情が曇る。

「ねぇ、本当に大丈夫? 目の焦点おかしくない?」
「うん、大丈夫」
「立てる?」

 鹿児島さんは優しいなぁ。鹿児島さんのきもちは受け入れられるのに、どうして高松のきもちは受け入れられないんだろう。どうして高松じゃいけないんだろう。どうして、どうして。
 考えてたらまたもやもやしてくるし、胸の辺りがズキズキと痛みだす。
 薬、もっと飲まなきゃ。飲めばきっと考えなくて済む。このもやもやも綺麗に消えて、楽しいきもちだけになる。
 だから飲まないと。飲まないとあたしがあたしでいられなくなる。あたしが泣いてるもん。傷つきたくないって泣いてるもん。
 廊下にでた辺りであたしは立ち止まる。あたしは廊下の一番奥をみつめながら、呪文のように繰り返し唱えていた。

「薬、飲まないと」

 あたしの瞳孔は開いていた。もはや人の形を成してなかったのかもしれない。
 流石にやばいと思ったのか、鹿児島さんが焦りだす。

「ちょ、ちょっと……しっかりしてよ。目ぇ怖いって」
「薬、飲まないと」
「だからだめだって。そんなもん飲まなくたっていいんだよ」
「薬、飲まないと」
「ああもう煩いなぁ。どうしたらいいんだよこれ」

 薬の過剰摂取は死に至ると鹿児島さんが教えてくれた。そんなの知ってるしと思いながら、あたしはまだ呪文のように唱えている。まるで心と身体が分離したみたいに、考えているのとは違うことを言っている。
 いい加減、鬱陶しくなったのか、鹿児島さんが薬を寄越せと言うので鞄のチャックを開けると、薬を奪い取り窓を開け、外へと放り投げられてしまった。

「えっ」

 まさか捨てられるとは思っていなかったあたしは、窓から身を乗りだして薬を拾う。

「す、捨てなくったっていいじゃん!」
「あんた、此処が三階でもそうやって窓から飛び降りて薬を拾う気?」

 此処は一階だ。だからなんともなかったものの、もしも二階だったら。ううん、三階だったらどうしてた?
 それでもあたしは迷わず窓から飛び降りていたかもしれない。
 なにも言い返せないあたしをみて、鹿児島さんは大きな溜息を吐いた。

「あんた、いつか死ぬんじゃない」

 その通りだと思った。あたしはいつか、目先のこと囚われて簡単に命を落とすだろう。消えたくないと願ったのはあたしなのに、いざ前に立つと消えたくなるの。意味不明。こんなことならあたしが消えればよかったって、何度思ったか。

「次は止めないから。死にたければ死ねば」

 友達になれたと思ったのに、突き放されたような気がしてまたもやる。あんたなんて言わないでよ。あたしには愛莉という名前があるの。
 それも借りものだけどね。
 煩い。愛莉はもういないんだ。だからこの名前はあたしが使うんだ。
 身体も名前も借りもので、借りものだから好き勝手に傷つけ放題。ちょっと傷ついたら薬を飲んで、内側から壊していく。そういうの、自傷っていうんだよ。
 違う。あたしは自分を守るためにそうしてるだけであって、傷つけたくて傷つけているわけじゃない。
 違くないよ。そうやって悲劇のヒロイン演じて、可哀想な自分に酔ってるの。可哀想だねって言われたいの。大丈夫って言われたいの。
 とにかくいまは、鹿児島さんに嫌われないようにしなきゃ。
 あたしをおいて先を行く鹿児島さんに大きな声で、「ごめん」と謝る。それでも止まってくれない鹿児島さんを追いかけるようにしてあたしは駆けだした。

「鹿児島さん!」
「……声が煩いよ」

 玄関まで走ると、鹿児島さんの正面に立つ。鹿児島さんの表情からは、負の感情が渦巻いているのが窺えた。

「ご、ごめんなさい……鹿児島さんが怒るのもむりないと思う」
「なにについて謝ってんの?」
「えっ、えと、あたしが危険を顧みずに窓から飛びだしたから、その、ごめんなさい」

 もしかして違うのだろうか。そういうことを言っているのではなくて、他にもっと言うべきことがあるのだろうか。
 薬が効いてきた頭で必死に考える。
 薬を沢山飲んでごめんなさい。薬に過剰反応してごめんなさい。他にはえっと、なんだろう。
 これ以上のことは考えてもわからなくて、どうしたものかと困っていると、鹿児島さんが靴を履き替えた。
 あっあっ、帰っちゃう。鹿児島さんが帰っちゃうよぉ。

「しんどいならしんどいって言えば。無意識に行動するくらい弱ってるくせに、なんでもないふりするからじゃあ死ねばって言っただけ。生きるか死ぬかはっきりしろよ」

 それだけ言うと、鹿児島さんは行ってしまった。あたしは手に持っている薬のシートをギュッと握り締めると、そのまま一人立ち尽くすことしかできずにいた。
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