70 / 91
番外編
高嶺の花・オーキッド②
しおりを挟むビオラへの恋情をはっきりと自覚した時、オーキッドは同時に、自身に向けられる気持ちにも気が付いた。
認めてしまえば、実に分かりやすい。彼女がオーキッドを見つめる眼差しは、兄に対するそれではなかった。
自覚が遅れたのは、感情を押し込めていたからだ。ビオラの事を、妹と思うことさえ躊躇っていた。
彼女には既に、立派な兄、グラジオラスがいる。オーキッドは常に劣等感に苛まれていた。
彼らとは、生まれが違う。オーキッドが特別優れているわけではない。
レユシット家にこの先も居続けていい理由が、彼には思い浮かばなかった。
ビオラと自分は、釣り合わない。
オーキッドは表面上は兄のように、丁寧に振舞ったが、心情としては、雇い主の子供に対する使用人のつもりで接していた。
相手はお嬢様で、オーキッドは今懐かれているだけの、使用人にすぎないと思うようにしていた。彼女は眩しい、穢れない存在だった。
グラジオラスの努力もあって、オーキッドはレユシット家に少しずつ馴染んだ。歳を重ねるにつれて、引き取られた当初のような、卑屈な考えはなりを潜めていると、オーキッドは思い込んでいた。だが根本的な部分は変わらない。最初の頃の記憶が、オーキッドを苦しめている。
無意識の心の奥底では、依然として、自分はレユシット家にふさわしくない人間だという気持ちが残っていた。
孤児院に入る前の記憶は、もうおぼろげだ。だが何らかのトラウマを抱えていたことは確かである。
彼は平民の中でも、貧しい部類で、恐らく、いつも空腹だった。それに加えて、日常的に暴力を受けていた。
オーキッドは実の両親の顔を思い出せない。母一人、片親だったような気がするが、時々何処からか殴りに来る男が、父親だったかもしれない。
オーキッドはこの頃、考えることをやめて、諦める事を覚えた。そうして日常をやりすごす。
病にかかった親が死んで、ようやくオーキッドは自分で行動を起こすようになったが、どちらかというと、されるがままの、受動的な子供になっていた。
オーキッドは、ろくな教育を受けてはいなかったが、生まれ持った頭の出来は悪くなかった。人づてに聞いて、孤児院を訪ねるくらいのことは出来た。
運良く、その孤児院の院長は、オーキッドにとって悪い人間ではなかった。行くあてのないオーキッドを、受入れてくれたのだった。
孤児院では、特に問題を起こす事もなく、静かに過ごした。言われた事はやるが、基本的に、自分から何かを欲しがったり、遊びに誘ったりはしない。
知識欲は、人よりあった。字を教われば本を読み、好きな事をしていいと言われれば、やはり、一人で本を読んだ。
オーキッドは子供の頃、殆ど独学で勉強していた。といっても、六歳までの事なので、大して難しい本ではなかったが。
オーキッドは、グラジオラスが彼の何を気に入ったのか、分からない。レユシット家の人間は、初めから友好的ではなかった。
グラジオラスはあの中で、異質だった。彼には、貴族、平民、という壁がなかったのである。
なるようになれ、と、流されたままでも良かったが、最初はグラジオラスを恨んだ。自分の中にまだプライドがあることを気付かされたからだ。
それは引き取られたときの事。
レユシット家当主であり、グラジオラスの父親である男は、オーキッドを明らかに見下していた。
彼の反応は珍しいものではなく、むしろ貴族としては一般的なものだったが、グラジオラスに熱烈な歓迎を受けたオーキッドは、その温度差に面食らった。
当主は、オーキッドの事を、扱いの良い奴隷か、ペットだと思っているように、オーキッドは感じた。息子に買い与えただけの、物として見られている気がした。養子として、レユシット家の人間として、最初から認められたわけではないのだ。
当主が非情な訳ではない。オーキッドは、自分の立場というものを、よくわきまえていた。だがその時、生まれて初めて、人生における格差に、惨めな気持ちになった。
知らなければ、経験しなければ、関係のない世界だったのだ。
グラジオラスに気に入られただけの、何の取り柄もないオーキッドは、居場所を得るためには、相応の努力をしなければならないと思った。一人の人間として、認めてもらいたかった。
もう辞めていった使用人で、執拗に嫌味を言ってくる者がいた。下級貴族出身で、出世欲が強い彼は、オーキッドのことが妬ましくて仕方ないらしかった。
どういう経緯でかは、オーキッドは知らないが、格上の相手との婚姻が成り、その使用人は職を辞したが、それまでは毎日、嫌な思いをさせられた。
分かっている、出自のことも、能力が高くはないことも。だから、わざわざ言わないでくれ。
でしゃばらないから、大人になって、力をつけたら、ちゃんと出て行くから。
放っておいてくれ。
オーキッドはいつしか、いずれはレユシット家を出なければいけないと思うようになっていた。
人並みに、異性との付き合いも経験したが、空虚なものだった。
女性たちは皆、物腰柔らかで容姿が整っているオーキッドを魅力的だと言ったが、オーキッドからは、ビオラ以上に魅力的な存在は見つけられなかった。
恋を自覚する前のオーキッドは、ビオラの事を考えなくて済むくらい、夢中になれる相手を欲していた。
気付きたくなかったから、押し込めて、覆い隠して、目を背けた。
ビオラは、成長しても穢れなかった。綺麗な存在だった。彼女の態度が変わる事は無く、いつまでも、「キッド兄様」と呼んで、笑いかけてくれた。
ビオラの中でずっと存在し続けたいという、願望が芽生える。彼女がいつか他の貴族男性と結婚して、価値観が変わってしまう事を恐れた。
この先彼女が変わらない保障は無い。その内、オーキッドに嫌気が差す所を、見たくはないと思うようになった。実質それは、彼女が他の男と結婚する所を見たくない、という事だ。
それでも、認めたくなかった。認めてはいけない感情だった。ビオラの瞳に、他の感情を見つけてはならない。気付いてはいけない、お互いに。
オーキッドは、女性と連れ立って歩く姿を、わざとビオラに目撃されるように行動した。さり気なく、ビオラを意識しているとは、悟られないように、自分には他に相手がいるのだと思わせた。そして自分にも。
それが逆効果になるとは、思っていなかった。
0
あなたにおすすめの小説
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない
鈴宮(すずみや)
恋愛
孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。
しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。
その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】
私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。
その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。
ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない
自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。
そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが――
※ 他サイトでも投稿中
途中まで鬱展開続きます(注意)
裏切ったのはあなたですよね?─湖に沈められ記憶を失った私は、大公女として返り咲き幸せを掴みます
nanahi
恋愛
婚約者ウィルとその幼馴染ベティに罠にはめられ、湖へ沈められた伯爵令嬢アミアン。一命を取り留め、公女として生まれ変わった彼女が見たのは、裏切り者の幸せな家庭だった。
アミアンは絶望を乗り越え、第二の人生を歩む決意をする。いまだ国に影響力を持つ先の王弟の大公女として、輝くほど磨き上げられていったアミアンに再会したウィルは激しく後悔するが、今更遅かった。
全ての記憶を取り戻したアミアンは、ついに二人の悪事を断罪する。
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる