歌声は恋を隠せない

三島 至

文字の大きさ
71 / 91
番外編

高嶺の花・ビオラ十五歳

しおりを挟む
 
 ビオラは、オーキッドを意識し始めた記憶を辿る。
 つんとしているグラジオラスが、歳相応の子供みたいに、無邪気にオーキッドを構うので、ビオラは彼のことが気になっていた。
 物心ついて対面したグラジオラスを、綺麗だとは思ったが、彫像のように動かない表情で見つめられるのは、若干怖いと思う。
 あのグラジオラスの表情を崩すのは誰だろう? 遠くから、楽しそうに過ごす二人を見る。グラジオラスとビオラは十歳差だが、その少年の方が、ビオラと歳は近いようだった。優しげな少年の事が気になったが、グラジオラスが少し怖くて、入って行けないでいた。

 ビオラは、オーキッドが一人の時を狙って話しかけた。五歳年上の彼は、丁寧な言葉遣いで、優しい声をしていた。
 態度が、兄というには固い気がしたが、日が経つにつれ、オーキッドが愛情を持って接してくれている事を、ビオラは確かに感じ取っていた。
 すっかり懐いたビオラは、段々とオーキッドに惹かれていった。グラジオラスと、オーキッド、ビオラの三人でいる事も多くなり、三人は仲良く育った。ビオラはその事を、オーキッドがレユシット家に来てくれたおかげだと思っている。彼がいて本当に良かったと、優しい横顔を眺めては思うのだ。

 優しいオーキッド。側にいたい。彼の一番になりたい。気付けばそう思っているビオラがいた。その感情に、後ろめたさは無かった。ビオラはまだ希望を持っていたのだ。ビオラとオーキッドの間に、血のつながりは無いのだからと、好きでいる事に罪悪感は覚えず、いつか彼と結婚したいとさえ思うようになっていた。

 オーキッドに女性の影が見え始めたのは、彼に縁談が来た時からだ。
 父親とオーキッドの仲が良くない事は、何となく分かっていたが、縁談は婿入りで、そうそうにレユシット家から追い出したいらしかった。勿論ビオラは反対した。婚約の話が出た時、家族の前で、ビオラは思わず叫んでしまった。

「駄目よ!」

 学校の制服を着た、十五歳のビオラが、椅子から立ち上がりながら言う。
 オーキッドは少し驚いて、苦笑している。グラジオラスは、ちらりとビオラに目を向けて、冷静な声を出した。

「何故駄目なんだ」

 その返しに、ビオラは言葉を用意しておらず、口ごもってしまう。

「だ、だって、キッド兄様は、私が……」

 そこまで言うと、ビオラは顔を赤くして黙った。
 部屋には、当主、グラジオラス、オーキッド、ビオラの四人がいたが、ビオラ以外の全員が、事情を察した。
 正確に言うと、オーキッドだけは、その態度を兄離れ出来ない妹だと思っていたようだが、他二人は、ビオラの気持ちをこの時しっかりと認識した。

 結局、ビオラが猛反対するので、この時の縁談は流れた。しかし、この頃から、オーキッドにそれとなく避けられているような気がしてきたのだ。

 状況を危惧した父親が、次にビオラの縁談を用意した。これもビオラは断った。
 父は焦っていた。彼は病床にあり、早く娘の縁談を纏めてしまいたいのだ。グラジオラスを溺愛し、何処までも甘い彼は、グラジオラスには無理強いをしなかったが、ビオラには何としても良い相手と結婚してほしいようだった。

「こんな縁談、私はお受けしません」

 ビオラはきっぱりと、父親に告げる。物分りのいい、我侭を言わない彼女は、オーキッドの事では決して譲らなかった。

「オーキッドの事があるからか? 本人にその気はないらしいが」

 父はこの件で、先にオーキッドに話をしてあると言った。オーキッドは、ビオラが誰と結婚しても構わないようだと、仄めかしている。暗に、脈は無い、諦めろと言われているようだった。

「何を……」

「今回断っても、縁談が無くなるわけじゃない。今はまだ聞いてやれるが……早めに覚悟は決めておけ」

 ビオラは、オーキッドとの結婚が簡単ではない事だと、その時やっと理解した。望んでいるのは、自分だけなのだ。そして、諦める準備をしなければならないのだと。

「グラジオラスがどうしてもと言うから、買い与えてやったが……やはり、引き取らなければ良かったか。あれは最後まで、私を恨むのだろうな……」

 オーキッドがいてくれて、本当に良かったのに、父はそうは思っていないという事が、ビオラは悲しかった。
 オーキッドの存在によって、ビオラが縁談に難色を示している事が、より父の癇に障るらしい。ビオラは知っている。溺愛する息子が、父親には決して見せない笑顔をオーキッドに向ける事も、彼には耐え難い事なのだ。オーキッドに対して、父は嫉妬していた。
 恨むのだろうな。最後の言葉は、弱弱しく聞こえた。彼はずっと、オーキッドとは分かり合えないと思っているのだろう。


 ビオラも焦っていた。諦めるつもりは毛頭無い。本人を捕まえておかなくては、いつ他の誰かと結婚させられるか分からない。
 何とか、オーキッドと恋人になりたいと思ったビオラは、彼との時間をなるべく逃さないようにした。

「お父様ったら、私の縁談を無理やり進めようとしてくるんです」

 オーキッドと二人になった時に、ビオラはそう切り出した。

「あの人の気持ちも分かるよ。もう先は長くないんだろう……娘の結婚を見届けたいんだよ。ビオラも、親孝行してもいいんじゃないかな」

 オーキッドの言葉に、甘い雰囲気はまるで無かった。それは、オーキッドとの未来を示唆する物ではなく、逆にやんわりと拒絶されているようだった。
 不穏な空気を感じ取ったビオラは、彼自身に、その言葉の意味を否定して欲しくなった。

「キッド兄様も、協力してくれますか?」

 足を組みかえ、本の頁を捲る音が、オーキッドの冷静さを表しているようだ。彼は少しも動揺していない。
 返ってきた言葉は、ビオラが望んだものではなかった。

「そうだなあ、式には出席するけど、縁談相手は、兄さんの方が見る目があると思うよ。兄さんが選んだ人なら間違いないと思う。きっとビオラに釣り合う人を探してくれるよ」

 それは完全な拒絶だった。

「……私は、キッド兄様みたいな人と結婚したいわ」

 絞り出した声は、掠れてしまう。“キッド兄様と”結婚したい、とは言えなかった。

「そう? 兄冥利に尽きるな。きっといるよ」

 オーキッドは、目を細めて、柔らかい笑みを浮かべた。
 出会った頃のような、優しい笑顔。
 “出会った頃に、戻ってしまったような”。

「俺は別に、あの人に望まれてないし、ビオラが結婚した後にでも、ゆっくり身の程に合った人を探すかな」

 初めて会った時から、オーキッドは優しかったけれど、本人はやはり遠慮して、距離を取っていたのだろう。
 彼にとっての、特別な表情を沢山見てきた後なら、その違いが分かる。
 今、彼は、ビオラと距離を取っている。
 明確に、追い討ちを掛けてくる。
 何でも無いことの様に装いながら、本心を見せず、拒絶してくる。

「……どうして」

 自分でも聞き取れないほどの声が、口から漏れたと思うと、急に溢れてきた。

「どうして……そんなことが言えるの? 嘘だって、分かっているのでしょう? “キッド兄様みたいな”、では駄目なの……私……兄様じゃなくちゃ――」

 段々、ビオラの声が大きくなる。最後の方は殆ど叫んでいた。
 態度では示してきたつもりだが、はっきりと口にしてはこなかった。だが、オーキッドが迷惑に思っていると、感じた事は無い。だから漠然と思っていたのだ、大丈夫だと。
 最後まで言い切る前に、オーキッドの静かな声が遮った。

「俺が、ビオラじゃ駄目なんだ」

 ビオラの気持ちを分かっていなければ、出ない言葉だろう。
 一度受け止めた上で、再度、受入れられない答え。
 もう決定的だった。

 いつの間にかビオラは、立ち上がっていた。呆然とオーキッドを見下ろす。彼は、ビオラと目線を合わせない。相変わらず、彼の目元は、本の頁に向いたままだ。

「どうして……どうして……」

 同じ言葉を繰り返すことしか出来ず、足元から、黒い沼に引きずり込まれていく。頭の中が真っ白というよりは、彼女は、どんどん体が黒に包まれていくような錯覚をした。
 真っ暗闇で、何も見えない。
 オーキッドとの未来が見えない。

 ビオラは、最初の失恋を経験した。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】 私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。 その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。 ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない 自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。 そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが―― ※ 他サイトでも投稿中   途中まで鬱展開続きます(注意)

裏切ったのはあなたですよね?─湖に沈められ記憶を失った私は、大公女として返り咲き幸せを掴みます

nanahi
恋愛
婚約者ウィルとその幼馴染ベティに罠にはめられ、湖へ沈められた伯爵令嬢アミアン。一命を取り留め、公女として生まれ変わった彼女が見たのは、裏切り者の幸せな家庭だった。 アミアンは絶望を乗り越え、第二の人生を歩む決意をする。いまだ国に影響力を持つ先の王弟の大公女として、輝くほど磨き上げられていったアミアンに再会したウィルは激しく後悔するが、今更遅かった。 全ての記憶を取り戻したアミアンは、ついに二人の悪事を断罪する。

物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜

丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。 与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。 専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、 失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。 そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、 セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。 「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」 彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、 彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。 嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、 広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、 独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。 栄養と愛情を取り戻したセレナは、 誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、 社交界で注目される存在となる。 一方、セレナを失った伯爵家は、 彼女の能力なしでは立ち行かず、 ゆっくりと没落していくのだった――。 虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

「帰ったら、結婚しよう」と言った幼馴染みの勇者は、私ではなく王女と結婚するようです

しーしび
恋愛
「結婚しよう」 アリーチェにそう約束したアリーチェの幼馴染みで勇者のルッツ。 しかし、彼は旅の途中、激しい戦闘の中でアリーチェの記憶を失ってしまう。 それでも、アリーチェはルッツに会いたくて魔王討伐を果たした彼の帰還を祝う席に忍び込むも、そこでは彼と王女の婚約が発表されていた・・・

処理中です...