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番外編
高嶺の花・ビオラ十五歳
しおりを挟むビオラは、オーキッドを意識し始めた記憶を辿る。
つんとしているグラジオラスが、歳相応の子供みたいに、無邪気にオーキッドを構うので、ビオラは彼のことが気になっていた。
物心ついて対面したグラジオラスを、綺麗だとは思ったが、彫像のように動かない表情で見つめられるのは、若干怖いと思う。
あのグラジオラスの表情を崩すのは誰だろう? 遠くから、楽しそうに過ごす二人を見る。グラジオラスとビオラは十歳差だが、その少年の方が、ビオラと歳は近いようだった。優しげな少年の事が気になったが、グラジオラスが少し怖くて、入って行けないでいた。
ビオラは、オーキッドが一人の時を狙って話しかけた。五歳年上の彼は、丁寧な言葉遣いで、優しい声をしていた。
態度が、兄というには固い気がしたが、日が経つにつれ、オーキッドが愛情を持って接してくれている事を、ビオラは確かに感じ取っていた。
すっかり懐いたビオラは、段々とオーキッドに惹かれていった。グラジオラスと、オーキッド、ビオラの三人でいる事も多くなり、三人は仲良く育った。ビオラはその事を、オーキッドがレユシット家に来てくれたおかげだと思っている。彼がいて本当に良かったと、優しい横顔を眺めては思うのだ。
優しいオーキッド。側にいたい。彼の一番になりたい。気付けばそう思っているビオラがいた。その感情に、後ろめたさは無かった。ビオラはまだ希望を持っていたのだ。ビオラとオーキッドの間に、血のつながりは無いのだからと、好きでいる事に罪悪感は覚えず、いつか彼と結婚したいとさえ思うようになっていた。
オーキッドに女性の影が見え始めたのは、彼に縁談が来た時からだ。
父親とオーキッドの仲が良くない事は、何となく分かっていたが、縁談は婿入りで、そうそうにレユシット家から追い出したいらしかった。勿論ビオラは反対した。婚約の話が出た時、家族の前で、ビオラは思わず叫んでしまった。
「駄目よ!」
学校の制服を着た、十五歳のビオラが、椅子から立ち上がりながら言う。
オーキッドは少し驚いて、苦笑している。グラジオラスは、ちらりとビオラに目を向けて、冷静な声を出した。
「何故駄目なんだ」
その返しに、ビオラは言葉を用意しておらず、口ごもってしまう。
「だ、だって、キッド兄様は、私が……」
そこまで言うと、ビオラは顔を赤くして黙った。
部屋には、当主、グラジオラス、オーキッド、ビオラの四人がいたが、ビオラ以外の全員が、事情を察した。
正確に言うと、オーキッドだけは、その態度を兄離れ出来ない妹だと思っていたようだが、他二人は、ビオラの気持ちをこの時しっかりと認識した。
結局、ビオラが猛反対するので、この時の縁談は流れた。しかし、この頃から、オーキッドにそれとなく避けられているような気がしてきたのだ。
状況を危惧した父親が、次にビオラの縁談を用意した。これもビオラは断った。
父は焦っていた。彼は病床にあり、早く娘の縁談を纏めてしまいたいのだ。グラジオラスを溺愛し、何処までも甘い彼は、グラジオラスには無理強いをしなかったが、ビオラには何としても良い相手と結婚してほしいようだった。
「こんな縁談、私はお受けしません」
ビオラはきっぱりと、父親に告げる。物分りのいい、我侭を言わない彼女は、オーキッドの事では決して譲らなかった。
「オーキッドの事があるからか? 本人にその気はないらしいが」
父はこの件で、先にオーキッドに話をしてあると言った。オーキッドは、ビオラが誰と結婚しても構わないようだと、仄めかしている。暗に、脈は無い、諦めろと言われているようだった。
「何を……」
「今回断っても、縁談が無くなるわけじゃない。今はまだ聞いてやれるが……早めに覚悟は決めておけ」
ビオラは、オーキッドとの結婚が簡単ではない事だと、その時やっと理解した。望んでいるのは、自分だけなのだ。そして、諦める準備をしなければならないのだと。
「グラジオラスがどうしてもと言うから、買い与えてやったが……やはり、引き取らなければ良かったか。あれは最後まで、私を恨むのだろうな……」
オーキッドがいてくれて、本当に良かったのに、父はそうは思っていないという事が、ビオラは悲しかった。
オーキッドの存在によって、ビオラが縁談に難色を示している事が、より父の癇に障るらしい。ビオラは知っている。溺愛する息子が、父親には決して見せない笑顔をオーキッドに向ける事も、彼には耐え難い事なのだ。オーキッドに対して、父は嫉妬していた。
恨むのだろうな。最後の言葉は、弱弱しく聞こえた。彼はずっと、オーキッドとは分かり合えないと思っているのだろう。
ビオラも焦っていた。諦めるつもりは毛頭無い。本人を捕まえておかなくては、いつ他の誰かと結婚させられるか分からない。
何とか、オーキッドと恋人になりたいと思ったビオラは、彼との時間をなるべく逃さないようにした。
「お父様ったら、私の縁談を無理やり進めようとしてくるんです」
オーキッドと二人になった時に、ビオラはそう切り出した。
「あの人の気持ちも分かるよ。もう先は長くないんだろう……娘の結婚を見届けたいんだよ。ビオラも、親孝行してもいいんじゃないかな」
オーキッドの言葉に、甘い雰囲気はまるで無かった。それは、オーキッドとの未来を示唆する物ではなく、逆にやんわりと拒絶されているようだった。
不穏な空気を感じ取ったビオラは、彼自身に、その言葉の意味を否定して欲しくなった。
「キッド兄様も、協力してくれますか?」
足を組みかえ、本の頁を捲る音が、オーキッドの冷静さを表しているようだ。彼は少しも動揺していない。
返ってきた言葉は、ビオラが望んだものではなかった。
「そうだなあ、式には出席するけど、縁談相手は、兄さんの方が見る目があると思うよ。兄さんが選んだ人なら間違いないと思う。きっとビオラに釣り合う人を探してくれるよ」
それは完全な拒絶だった。
「……私は、キッド兄様みたいな人と結婚したいわ」
絞り出した声は、掠れてしまう。“キッド兄様と”結婚したい、とは言えなかった。
「そう? 兄冥利に尽きるな。きっといるよ」
オーキッドは、目を細めて、柔らかい笑みを浮かべた。
出会った頃のような、優しい笑顔。
“出会った頃に、戻ってしまったような”。
「俺は別に、あの人に望まれてないし、ビオラが結婚した後にでも、ゆっくり身の程に合った人を探すかな」
初めて会った時から、オーキッドは優しかったけれど、本人はやはり遠慮して、距離を取っていたのだろう。
彼にとっての、特別な表情を沢山見てきた後なら、その違いが分かる。
今、彼は、ビオラと距離を取っている。
明確に、追い討ちを掛けてくる。
何でも無いことの様に装いながら、本心を見せず、拒絶してくる。
「……どうして」
自分でも聞き取れないほどの声が、口から漏れたと思うと、急に溢れてきた。
「どうして……そんなことが言えるの? 嘘だって、分かっているのでしょう? “キッド兄様みたいな”、では駄目なの……私……兄様じゃなくちゃ――」
段々、ビオラの声が大きくなる。最後の方は殆ど叫んでいた。
態度では示してきたつもりだが、はっきりと口にしてはこなかった。だが、オーキッドが迷惑に思っていると、感じた事は無い。だから漠然と思っていたのだ、大丈夫だと。
最後まで言い切る前に、オーキッドの静かな声が遮った。
「俺が、ビオラじゃ駄目なんだ」
ビオラの気持ちを分かっていなければ、出ない言葉だろう。
一度受け止めた上で、再度、受入れられない答え。
もう決定的だった。
いつの間にかビオラは、立ち上がっていた。呆然とオーキッドを見下ろす。彼は、ビオラと目線を合わせない。相変わらず、彼の目元は、本の頁に向いたままだ。
「どうして……どうして……」
同じ言葉を繰り返すことしか出来ず、足元から、黒い沼に引きずり込まれていく。頭の中が真っ白というよりは、彼女は、どんどん体が黒に包まれていくような錯覚をした。
真っ暗闇で、何も見えない。
オーキッドとの未来が見えない。
ビオラは、最初の失恋を経験した。
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