歌声は恋を隠せない

三島 至

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過去・グラジオラス①

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 初めて向けられる視線に、グラジオラスは戸惑う。
 少女は、抑揚の無い声で、「お父さんは気付いていないので、安心してください」と言った。
 少女の頬は、何度も叩かれて赤く腫れている。
 痛そうでも、悲しそうでも、グラジオラスに興味を持っているようでもない。
 何を考えているのか分からなかった。

「何をして、あんなに叱られていたんだ」

 グラジオラスは分からないいままに、疑問に思ったことを口に出す。

「……貴族の人に、挨拶されたから、挨拶を返したんです。でも、そのやり方が間違っていたみたいで、笑われました」

「貴族の人って……君も貴族だろう」

「……聞いていたんですよね? 私は、バントアンバーです」

 バントアンバー家は、取り立てて話題に上る家でもなかったため、グラジオラスは彼女の家のことをよく知らなかった。
 だが、会話から、力のある家では無いのだろうと思う。
 レユシット家とは正反対だ。

「家名の事はいい。私は……ジオ。君は何という」

 迷って、グラジオラスは愛称を名乗った。家名を言わなくても、グラジオラスという名前で、レユシット家だと分かれば、避けられてしまうかもしれないと思ったのだ。
 自分の容姿は誤魔化しようがないことは、すっかり頭から抜け落ちていた。
 そんなグラジオラスを無表情で見つめてきた少女は、小さな声で返すと、そのまま俯いた。

「……アザレア、です」

 アザレアは暗い子供だ。
 全てを受け入れているようにも、全てを諦めているようにも見える。
 一応見られる格好はしているが、着古された服は、夜会では浮いただろう。

「挨拶をされたら、返すのが普通だ。君はまだ子供なのだから、挨拶が完璧ではなくても仕方が無い。これから覚えればいいだろう。大人でも礼儀作法がなっていない人はいる、気にするな」

 グラジオラスは、自分と同じぐらいの歳のアザレアに、「まだ子供なんだから」と励ますのは妙な気分だったが、何か言わずにはいられなかった。
 アザレアは黙って聞いている。

「それと……歩いて帰るのは、さすがに遠いだろう。私はこれから馬車で帰るから、一緒に乗っていくか?」

 馬車に乗ることを提案すると、アザレアは迷う素振りを見せた。
 やはり歩いて帰るのは辛いのだろう。
 表情はあまり変わらないが、うろうろと視線を彷徨わせている。
 指を組みかえ、落ち着かない様子で、「でも……」と呟いた。

「……やっぱり、いいです」

 全然良くなさそうな態度に、グラジオラスは少し可笑しくなる。
 案外、アザレアは分かりやすい。
 間髪を容れずに押す。

「遠慮するな」

「……あの、私、こんな格好だし」

「気にならない。行こう」

「え……」

 グラジオラスはアザレアの手を引いて、馬車が止まっている場所まで歩き出す。
 久しぶりに楽しい気分だった。
 何だかそわそわして、アザレアに構いたくて仕方が無い。
 アザレアは戸惑っているが、手を離しても、黙って着いてきてくれた。

 グラジオラスは馬車が視界に入ってから、自分の迂闊さに気が付いた。
 馬車には堂々と、レユシット家の家紋が刻まれていたのだ。
 それに、庭より明るい所に出て、グラジオラスの外見もアザレアによく見えているだろう。
 自分が"グラジオラス・レユシット"であると気付かれただろうが、アザレアは特に何かを言ってくる事は無かった。

 アザレアを馬車に乗せたいと、健気に頼み込むと、御者もグラジオラスには甘いので、嫌な顔はせず了承してくれた。
 父は後から別の馬車で帰るらしい。
 グラジオラスは、父が同乗しないことに安心した。
 アザレアが気をつかう要素は、少ないほうがいいと思ったのだ。

 グラジオラスにしては、よく喋ったほうである。
 アザレアから、好ましい反応が返ることは無いが、一緒にいると気分が高揚した。
 アザレアは顔立ちも凡庸で、今夜は申し訳程度に正装と言えなくもなく、着飾ってもいない。取り立てて褒めるところがないのだ。
 しかしグラジオラスには、アザレアがとても魅力的に思えた。
 どうしてそう思うのか、グラジオラスには分からなかったが。

 アザレアの家は、貴族の邸宅が並ぶ区画にはなく、本当に平民と変わらない家屋だった。
 貴族の家名があるだけで、暮らしも裕福には見えない。
 アザレアを家まで送って、次の約束をすることは出来なかった。
 グラジオラスが言い出せなかったのもあるが、アザレアから拒むような雰囲気を感じたのだ。
 彼女はグラジオラスと、あまり深く関わりたくはないのだろうと思った。
 結局グラジオラスは何も言えずに、レユシット邸へと帰った。

 父親に叩かれても表情一つ変えない少女に、心を囚われている。
 グラジオラスは不思議に思った。
 何故こんなに、アザレアのことを考えてしまうのだろう。

 これがアザレアと初めて会った日の出来事だ。

 それから何年も、アザレアと会うことはなかったが、グラジオラスはその日事をずっと覚えていた。
 アザレアのことをもっと知りたいと思った。
 バントアンバー家のことも調べて、アザレアの置かれている状況も理解した。
 あの出会いがなければ、グラジオラスはもっと貴族らしく育ったかもしれない。
 平民に興味を持つようになったのは、そのためだ。
 グラジオラスは、平民の友人が欲しいと思った。
 貴族同士の、取り繕ったやり取りではなく、砕けた態度で、心を開ける相手が欲しかった。
 そうすれば、アザレアに近づけるような気がして。

 そういった目的があって訪れた孤児院で、初めて見かけた少年から、目が離せなくなった。
 黒に近い、暗い茶髪の子供。
 少年は、呼ばれれば愛想良く返事をして、言われたことは嫌がらずにやる。
 だが、一人でいるときは、何をするでもなく、膝を抱えて黙り込んでいる。
 行動の全てが受動的で、人に言われなければ、やりたいことなど何も無いように見えた。
 人と話している時と、一人でいる時の差が大きくて、どちらかといえば、一人の時の方が本性なような気がした。
 あからさまにそうしているわけではないらしく、きちんと人目が無いときに膝を抱えている。
 彼は人に構われるのが嫌なのだろうか、と思った。
 グラジオラスは孤児院に行く度、こっそりとその少年を観察した。
 何故これほど気になるのか。
 答えはすぐに分かった。
 受動的で、無感情な雰囲気が、アザレアと似ていたのだ。

 彼と友達になりたい。

 グラジオラスは、人と親しくなる方法が分からなかった。
 悩んで悩んで、結果、本人に声をかける前に、父に頼み込んでいた。
 孤児院にいるあの少年を、弟にしたい、と。
 少年とは五つ年が離れている。
 グラジオラスが何度も何度も頼むので、息子を溺愛する父は、最後には了承した。
 少年とはろくに話せていなかったので、本人は、突然レユシット家という大貴族に引き取られることになり、困惑しただろう。
 友人になるのは時間が掛かるかも知れないが、兄弟にはすぐなれる。グラジオラスはそう考えていた。
 側に置いて、ゆっくり仲良くなろうと思っていた。
 少年の名前はオーキッド。
 この時、グラジオラスは十一歳、オーキッドは六歳。
 妹のビオラが生まれたばかりの頃、オーキッドはレユシット家の一員となった。

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