相生様が偽物だということは誰も気づいていない。

文月

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一章.相生 四朗

2.無くした記憶と学習

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 記憶をなくした俺に、家族は一つ一つ思い出を語って聞かせてくれた。それに対して「懐かしい」と感じたことは無かったが、「成程そういうことがあったのか」と記憶した。つまり、相生 四朗という人間の記憶を、一から記憶し直す。それは正しく「学習」だった。

 家族の好意に、期待に応えられない、ただの学習。それはひどく不誠実な感じがして、俺は自分が許せなかった。だから、祖父のあの目だって、ただ「俺が悪いんだから」ってあの時は思えた。

 期待していた跡取りが、記憶を失った。

「消えたのか…」
 祖父の驚愕と絶望の混じった視線は、そのショックの深さを否が応でもわからされた。
 記憶が、消えたのか‥って言ったのかって意味だろうけど、それなら「無くなったのか」の方が正しいんじゃって‥今でも思うけど、人は咄嗟に「その時にあった言葉」が出ない時って多い。
 それで後々「なんであんな風に言っちゃったんだろ」って悔やむことも多い。
 あの時、祖父は孫の記憶が消えたことに落胆して、あんな言葉になってしまったのだろう。

 それ程‥祖父を落胆させたんだろう。

 それ以来だ。祖父が俺に対してどこか距離を置くようになったのは。
 だけど、俺はその時、見放されて戸惑うより‥ただ祖父に申し訳なかった。

 今でもあの時の自分の気持ちを覚えている。教えられた「記憶」ではない、自分自身の記憶として、鮮烈に。

 消えた‥かあ。

 記憶が、じゃない気がする‥。そんなこと‥わざわざ改めて言わない気がする。祖父がわざわざ「消えた」と言ったものは‥何だったんだろうか。
 
 考えても考えてもわからないし、思い出す兆しもない。

 今まで家族が聞かせてくれた、「俺の記憶」にその答えはあっただろうか? ‥ないような気がする。

「兄ちゃん、寝てる? 」
 二段ベッドの二階から、博史の声がした。
「‥ごめん、俺‥なんか独り言いってた? 」
 視線をあげると、薄明りの中博文と目が合った。
「いいや? ただ、寝てるかなあ、って思っただけ」
 博文がふるふると首を振る。
「寝れないのか? 」
 俺が起き上がると、博文も身体を起こして電気の線を引っ張った。(うちの電気にはいまだに線がついてるんだ。あの、引っ張たら電気がつく奴)
 急に明るくなり、俺は思わず目を背ける。
「‥ちょっと考えちゃってさ」
 周りの明るさに慣れるまで暫く目を押さえていると、博文の呟くような小声が聞こえた。
 博文の‥この頃声変わりしてきたちょっと低めの声は小声で話されるとちょっと聞きづらく、俺は耳を澄ませて博文の声を聞いた。
「ゴメン、ちょっと聞こえずらいからもうちょっと声を大きくして話して」
 とは今は言わない。ふすま一枚隔てた隣の部屋は父さんの書斎で誰も寝てないから気兼ねをする必要は無いとはいえ、今は夜だ。
 ‥それに、博文の口調から「そうしない方がいい」ようにも思えた。
 小声で話す方がいいようなことで、「考えちゃって」「眠れない」様な話‥
「母さんのこと? 」
 ぼそっと俺が呟くと、博文が二段ベッドから降りてきて俺のベッドの横に座って俺を見た。
「‥むしろ、父さんのこと」
 父さん?
 俺は首を振る。
「父さん‥ってさ、兄ちゃんが生まれてすぐとかに‥離婚したのかな」
 ぼそっと博文が呟いた。
「さあ、なあ」
 俺は、ぼんやり天井というか‥博史のベッドの床板を見ながらつぶやいた。

 忘れたこと、もともと知らなかったこと。皆は知ってるのに、俺は知らない思い出。
 父さんの再婚のことは、博史も知らなかったことであるらしい。

「父さん、モテただろうし、な。調子に乗って浮気とかして‥そればバレた、とかじゃない? 」
 愛想つかされて離婚されたのかも。
 ‥じゃあ、浮気相手は今の母さん? ‥ないな。そういうの、今の母さんには絶対ないな。

 父さんは、息子の俺ががいうのもなんだが、男前だ。それにまだ若い。逆算すると、俺は父さんが十八の時の子供だっていうから笑える。高校卒業後すぐに相生 四朗を襲名してたはずだから、そのタイミングですぐに結婚したらしい。

「父さんが十八で子持ち」

 つい、声に出して呟いてしまった。博史がちょっと笑ったのが分かった。

「その年で子持ちもだけど、その年でバツイチってのも、ちょっと父さんからは想像出来ないよな」

 そう。父さんは見かけよりずっと派手じゃない。営業用スマイルがうまかろうが、顔が人形みたいに整っていようが、やたらにモテようが、根は真面目で仕事に厳しい普通の人だ。少なくとも、俺たち兄弟の知っている父さんはそんなタイプだ。

 そんな普通の人が、十八で子持ち。自分のことに置き換えて考えてみる。

 ‥ないなあ。

 俺が今十七だから、一年後には結婚して子供をもっているってことか‥。ないな、そもそもそういう発想がない。チャラい‥ではないな、チャラいのは相崎だ。あいつだったら「もっと遊びたい」って結婚をずるずる先延ばしにして結局相崎の家が見合いの話を持ってきてほぼ強制。なんか、そんなパターンしか見えてこない。

 いや、話がそれた。そうそう、あと一年後に子供か‥。やっぱり、ないな‥。

 そもそも、女の子と付き合いたいとか、そういうこと考えたことないんだよな。だからといって、別に男が好きって訳ではない。女の子と遊ぶより、武生と道場行ったりしてる方が楽しい。そういった意味だ。

 父さんは、あの時どんなことを考えていたんだろう。結婚して子供が産まれて、離婚して再婚して‥。

 祖父は何て言ったんだろう。あの、厳しい祖父は、いや、まて‥なんか覚えているぞ‥。

 相生の家は代々結婚が早い。じいさんも二十になるかならないかで二児の子持ちだった。それが、父さんと双子の弟の叔父さんだ。だから、反対はなかったのかもしれない。そういえば、俺にももう見合いの話がよく来ている。

「この人なんてどうだ。なかなかの美人だ」

 なんて祖父に写真を見せられ正直迷惑している。

 相生家の男は、代々「面食い」ならしい。親戚もそんな傾向にあるのか、時々顔を合わせる親戚のおばさまたちも、みんな美人で、何故かどことなく似ている。そういう顔が代々相生の男たちの好きな顔の傾向だったってわけなのかな。
 「ちえちゃん」以外は。

 ちえちゃんは、叔母さんだ。父さんの弟のお嫁さんなんだけど。
 俺と同じ年の子供がいるのに、そんな風には全然見えない若々しい(というか、幼い)容貌。可愛らしい微笑みに明るい性格。だけど、剣道の有段者で、今でも家族そろって道場に通っている。ちなみに、叔父さんとのなれそめも剣道の大会だったらしい。

「景艶、お前って童女趣味なのか? 」

 双子の兄である俺の父親が、影艶叔父さんに彼女を紹介された時に言ったセリフだと叔父さんが笑いながら教えてくれた。(もちろん彼女を目の前にして言ったわけじゃないよ。父さんはやたら女の子に優しいから)

 顔もかっこよくって、頭も良くて、運動が出来て女の子に優しい旧家のご子息。って一体どんな王子様だよ。だけど、どうやらこれは相生家の…「相生 四朗」のテンプレートみたい。相生 四朗ってのは世襲で、代々後継ぎが継承していく名前なんだ。

 でも、父さんがその陰できっとすごい努力をしたらしいことは自分の身を持ってわからされている。

 物心ついたころからの(多分)道場通いに、語学の英才教育。それはもう、そんじょそこらの教育ママのレベルを軽く凌駕している。

 たぶん父さんも、そういった少年時代を過ごしたのだろう。

 そして、そんな努力をおくびにも出さずに、まるで生まれつき出来たかのような余裕で、父さんは学園のトップに君臨し続けた。当然ながら父さんはやたらモテた。それこそ、選り取り見取りだったのだろう。それは父さんにそっくりな容貌の叔父さんも同じだった。父さんはそこそこ交友関係が派手だったらしいけど、叔父さんはまるでそんなものに興味ないような顔で、自分の好きな剣道にばかり打ち込んでいた。
 父さん曰く
「頭の出来は、あいつの方がよっぽどいい。もっとも、それだけじゃないんだけど」
 生まれ持った才能とかセンスって奴かな? それって、悲しいよね~。
 叔父さんは、運動神経もよく‥語学のセンスもあったらしい。
 その為、「弟の方が跡取りに向いてるんじゃない? 」周りの期待は、全部弟に向いていた。
 だけど、兄である父はそれを認めたくなかったし、弟である叔父は‥跡取りにはなりたくなく、剣の道を究めたかった。
 だから
 その差を埋めるため、父さんはまた陰ながら努力したというわけだ。後継ぎとして親が課した課題以上に。

 誰かが教えてくれたわけではないが、これはひしひしと皮膚で感じた。父さんの、力仕事なんて何もしないような、細い、だけど暖かい手を握った時、何か父さんの歴史みたいなものが伝わってきたんだ。
 不思議体験とかじゃないよ? 
 ‥ただ、「言葉にしなくても分かる‥伝わる何か」ってやつだったんだろうね。その時から、「父さん」が俺の中で血の通った生身の人間となったんだ。

 父さんにも父さんの歴史があった。父さんも一人の人間として悩み、懸命に生きていたし、これからもそうなんだろう。
 そして、きっと祖父も。

 西遠寺 桜

 どんな人かもわからない、俺の生みの母。
 俺がここにこうして生まれてきた以上、無かったことにしていい歴史ではない。消してしまいたい歴史でもないだろう。そう思うし、そう思いたい。
 だけど、会いたいとは思わない。
 会ったら何かが変わる。‥そんなことを思う程、幼くない。そもそも現状に不満がない。

 全くもって、会ってはいけない気がする。何故か俺はそれをどこかで感じていたのだ。
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